下の国名をクリックしますと その国へ行きます


 回数   年  月  日 訪  問  先  回数   年  月  日 訪  問  先
 56  18・8・10~18  横浜~熊野大花火~沖縄~基隆
MSCスプレンディダ138.000t キャンセル
55   17・8・10・~16  香港~ベトナム クルーズ
ボイジャー・オブ・ザ・゜シーズ138000t
54  16・8・16~21  金沢~松江~プサン~博多~舞鶴
~金沢 クルーズ
 
 53   16・5・19~22
十份・基隆・野柳・淡水・九份   
 52  16・1・4~7 グアム                   51  15・8・15~20  香港~アジアクルーズ
50  15・1・4~8  ハノイ・ホアルー・ハロン湾クルーズ 49  14・8・16~23  北海道周遊と
サハリンクルーズ

48 14・1・5~8 台北・台南・台中 高雄・日月潭④
47 13・8・18~25 ポーランド・ラトビア
 エストニア・リトアニア
46 13・1.3~8
オーストラリア 孫の真季と一緒にグレートバリアリーフ キュランダ 45 12・8・17~23 中国 江南地方
44 12・1・1~ ニューヨーク
    孫の悠斗と一緒に
43 11・8・15~23 ギリシア エーゲ海クルーズ
42 11・1・3~10 イタリア③(ヴェローナ・ベネチア
フィレンチェ・ピサ・ローマ)
 ③
41 10・8・16~21 中国⑤ 北京・西安・上海
孫の果歩と一緒に
40 10・1・3~10
スペイン
39 09・8・17~22 ラオス・ミャンマー・タイ
ゴールデントライアングル地方
38 09・5・5~7 韓国③ 37 09・1・2~7
エジプ 
孫の華苗
と一緒に

36 08・8・17~25
トルコ

35 08・1・5~8 中国④(桂林・広州)
34
07・8・17~21
シンガポール④  33 07・1・3~8 フランス③
モンサンミッシェル 
サンマロ・ブルターニュ
32 06・8・17~23
カナダ

31 06・1・5~10 カンボジア バンコク③
アンコール
30 05・8・16~21 ハワイ④
29 05・2・17~21 台湾③九扮
28 04・8・14~21  
ニュージーランド
27 04・1・4~8
中国③
26 03・8・3~8
ハワイ③

25 03・2・13~16 
中国②
24 03・1・4~8 マレーシア③ 23 02・8・16~23 ヨーロッパ)④ 
オーストリア
チェコ・ ハンガリー

22 02・1・4~7 ベトナム② 21 01・8・16~23 ヨーロッパ)③
ノルウエー
デンマーク
20 01・4・19~22 香港②
シンセン
19 01・1・5~9 台湾
18 00・8・17~24 アメリカ②
サンフランシスコ
ロサンゼルス
17 99・12・23~27 ミャンマー
16 99・1・4~8 タイ②
15 98・8・16~22 オーストラリア
14 98・1・3~7 バリ島
13 96・12・24~28 ベトナム① 台湾①
12 94・5・1~5 シンガポール③
11 93・12・25~29 シンガポール②
10 92・1・3~8 アメリカ①
ワシントン
ニューヨーク
9 91・・4~7 中国①
上海・蘇州
8 90・8・16~27 (ヨーロッパ)②
イギリス・フランス
ドイツ・イタリア・スイス      
リヒテンシュタイン
7 89・8・18~23 香港①
マカオ
6 89・1・4~8 シンガポール①バンコク① 5 88・8・18~29 (ヨーロッパ)
イギリス・ドイツ・ イタリア
フランス・スイス   
4 88・12・9~15 ハワイ②
3 85・12
ハワイ①ホノルルマラソン
2 75・秋 韓国②
1 74・秋 韓国①







旅 行 日 旅行した国 旅  の  記  録
06年
1月4日

カンボジア
ハノイ
 上の旅行先索引の31をご覧ください
05年
8月16日
ハワイ 上の旅行先索引の夏の旅行は二男の
家族と一緒にハワイ
をクリックしてください
05年
2月17日
台湾 中部国際空港開港の日の午前10時発  JAA 日本アジア航空第一便で台北へ行ってきました
上の台北をほクリックしてください
04年
8月14日~21日
ニュージーランド 上の旅行先索引のニュージーランドをクリックしてください
04年
1月4日~8日
中国 北京 旅行先索引の中国③をクリックしてください
03年
8月3日~8日
ハワイ ホノルル 旅行先索引のハワイ③をクリックしてください
03年
2月13日~16日
中国 上海・蘇州 旅行先索引の中国②をクリックしてください
03年
1月4日~8日
マレーシア クアラルンプール・ペナン・マラッカ  旅行先索引のマレーシア③をクリックしてください
2002年1月
4日~7日
ベトナム
(ホーチミン
  シティー)
1月3日 前夜からの雪で 朝十数センチの積雪 欠航決定が相次ぐ中 キャセイ航空のカウンターでは 今日中に出発はする予定だが何時になるのか分からないとのこと 
香港からのベトナム航空ホーチミン行きの乗り継ぎ時間が2時間なので とても間に合いそうにない
とりあえず香港まで行こうかとも思ったが 翌日の便を予約して帰る 8日から仕事があるので 帰る日を先に延ばせない 旅行期間が一日短くなってしまって残念  
翌4日 朝 路面凍結なし 順調に空港へ B777-300機で定刻出発 シートが背中に良く合って気持が良い 41AC席はちょうど翼の上 1時間後昼食 ここでもチキンとフィッシュだけでビーフはなし 宮崎上空から南シナ海へ 香港まで4時間30分 空港の5階へ到着 トランスファーポイントを探し 持ち物検査を受け 
6階の35番ゲートからベトナム航空A310機でホーチミンまで2時間30分 
(右=機窓からメコン川の蛇行が見える
2階建ての小さな空港の外に出ると ボァ-ンとした南国特有の暖かさ 
韓国製のタクシーで30分 サイゴン河畔のルネッサンス・リバーサイドホテルへ
(五つ星ホテル・4泊で1人32000円・朝食付き)
ロビーでピアノ三重奏の演奏をしている 食事はすぐ近くの中国風海鮮料理店へ
店員が多く 常に気配りしてくれる 旨い 333ビールは1ドル 食事のあと ホーチミン一番の繁華街ドンコイ通りを歩いてみる あい変らずもの凄いバイク群 
大通りでも信号はなく とてもじゃーないが横断できない 横断歩道はあっても全く止まってくれない
このホテルは河畔一の高層ホテルで99年に新築された新しいホテル 部屋・バスルームは大きく 給排水・タオル・アメニティーグッズなども良く また従業員も感じが良く快適に過ごせた
5日 5時半で真っ暗 6時にやっと明るくなってきたのでランニングに出発!早朝からバイクの洪水 3・4人乗りは当たり前(下=ホテル前大通りのバイク群)
子どもを真ん中に立たせて5人乗りもいる ヘルメットなし バックミラーなし 台湾・中国製がほとんどらしいがスズキ ヤマハ ホンダなと゜のコピーのようだ 日本製は性能は良いが高価なので買えないとのこと 早朝から市民がバイクの通れない自動車専用の道路でバトミントンや体操をしている
このホテルの朝食は品数も多く良いが 次回の旅では泊まったホテルだけでなく色々なホテルの朝食のはしごをしたら面白いと思った
ベトナム戦跡のクチトンネルへは一時間半 郊外へ出るとテレビアンテナは立っているが 貧しくなるようだ 土間に裸足の生活だ
途中 名物の ライスペーパーを作っている家庭に寄る 一日で700枚つくり3ドルの収入 一家で一日一ドルの生活だからこれでいいのだそうだ
トンネルへ入る前に ベトナム戦の映画を見る トンネルの入口はたくさんありグループごとに現地のガイドが付く 私たちは二人なので効率よく周った(右=クチトンネルの中) 中は狭く何度も天井で頭を打った 人がすり違えない狭さだが 病院や会議室は広い 当時のアメリカ軍の戦車や落し穴など残酷な仕掛けも残されている 
市内からここまで約の60キロに信号は2つか3つだけ 市内に歩道橋など歩行者用の施設は全くない 
前政権時代の大統領官邸を見て 戦跡記念館へ アメリカ軍が解放軍にした残酷行為の写真が実際使用されたギロチンなど共にたくさん展示されている 戦争は人間を狂気にする
(左=戦跡記念館内を案内するアオザイ姿の女性)
夜はホテルのすぐ前から出るクルージングレストランへ 道のすぐ向こう側が乗船場だが 物凄いバイクの群れで 夜は危険で渡れそうもないのでタクシーに乗って道を渡る 7時頃から食事で 8時半からクルージング サイゴン川を上り下りするのだが 夜景が綺麗なのは中心街のほんの一キロほどで あとは暗闇の中をクルージングするだけ バンド演奏などもない
(左=サイゴン河畔のホーチミンシティーの中心)
対岸は真っ暗でなにもなく河畔の看板だけ それでも満席 ジャケットを着て行ったがやっぱりこの方が良い
カメラは旅行用として今回の旅に初めて持ってきた軽いミノルタの一眼レフ α7と今までのペンタックスの一眼レフ MZ3
それにデジカメのオリンパスME10 このオリンパスは旅行用としてはちょっと重いかなと思うが安定感はある
6日朝はそのオリンパスを持って走る 重くて何回も持つ手を変えた ベンタイン市場の前でバイク群を流し撮りしたがどうも旨く撮れてないようだ
朝食後メコン川クルージングに60キロ先のミトまで行く 黄土色の水 一見濁っているようだが 水草も浮いており不潔感はない
中州で食べた新鮮な珍しいフルーツは美味しかった 
そこから親子で船を操っている小船に乗り換え メコン川の支流のクリーク探勝 二人が黙々と漕いでくれる一所懸命さが伝わってくるので 降りる時チップを渡そうと思っていたが忘れてしまった 
昼食は もち米の粉と砂糖などをサッカーボールくらいの大きさに揚げたものを切って それにチキンなどを包んで食べるものと エレファントフィッシュと野菜をライスペーパーで包んで独特のタレを付けて食べるものなど これは共に珍しく美味しかった 
帰る途中 ミスサイゴンというベトナム土産の店に寄る 品揃えは良いが値段は高め 家の土産に 卵の殻を使った漆絵・名産のバッチャン焼き・ラタンの花器などを購入 その後ベンタイン市場へ寄ったが活気はあい変らず ただ6年前に来た時より ディスカウントしなくなったように感じた
ホテルへはシクロに乗ってゆっくり帰る 20分二人乗って2ドル 面白かったのでチップ1ドル渡す(右=シクロはのんびり走る)
途中 客待ちしているシクロは何台もいたが 客が乗っているシクロには一台も会わなかった
夕食は小渕さんも食事したというベトナム料理店 ソング-で 民俗音楽を聴きながらベトナム料理を食べた
今晩は最後の夜なので ロビーで音楽を聴く バッハのブランデンブルグ協奏曲第3番のピアノ三重奏版
ブラームスのピアノ三重奏曲などリクエストしたかったが時間がないのが残念
7日 朝6時20分 晴れ 初めて日の出の写真が撮れた この時間 気温は22~23℃くらい ランパンにTシャツ 風が肌に心地よい
郵便局・人民委員会弁事処・マリア教会・大統領官邸・ホーチミンの像など一時間ほど走る
左=ホーチミンの像の前で体操をする女性)
歩道にもいっぱいバイクが置いてあるし いろんなものが置いてあるので走り難い 所々の歩道がバイク置き場でみたいになっており 一日20円だそうだ ロープか゜張ってあり 歩道でも歩行者が通れない所もある 
外国へ旅行すると 朝食はホテルで食べることが多いが パンとコーヒーはほんとに旨いといつも思う
ホテルの近くの路上で生活している小さな子どもを連れた家族に今朝もホテルのパンや菓子・果物などもっていってあげた 
こどもの嬉しそうな顔・・元気に成長することを祈る
(右=早朝の路上生活の家族 人通りが多くなると
何処かへ行くようだ)


香港の空港は広い 延々と動く歩道を乗り継ぎ 離境ポイントを探し6階へ上がり 69番ゲートを確認してから搭乗時間までウインドウショッピングをする
機内食でジャパニーズフィシュというので何かと思ったら うなぎが出てきた
香港~名古屋間はジェット気流に乗り3時間 午後9時 名古屋空港着
  
2001年8月
16日~23日
ノルウエー
(ベルゲン)
(オスロ)

デンマーク
(コペンハーゲン)
 KLMオランダ航空にははじめて乗る ここはNWとマイレージの提携をしているが両社にマイルの蓄積はない
ヨーロッパまで行くのにちょっともったいない
札幌で乗務員の交代と機内清掃があり一時間の待ち 待合室はわれわれだけで静か 滑走路の向こうを千歳線の列車が走る
1時半 アムステルダムに向けて出発 MD11機は横2-4-3の座席配列 ほぼ満席 窓から見える翼のKLMマークに嬉しくなる
当たり前だが雲の上は晴天 食事内容は普通だが 飲み物は豊富で 客室乗務員が常に周ってリクエストを聞いてくれる これは良かった
テレビスクリーンは頭上式で 30センチくらいのが ところどころにあるのだがこれは見にくい
現在地・速度・外気温・到着予定時間などの情報も出るが 画面が遠く 見にくい 映画は新しいのが二本で 日本語吹き替えもある
ヘッドホーンはフィリップス製でなかなか音は良かった オーディオのチャンネルは14ある 機内誌の蒐集をしているので もらってきたが 特に特徴はない
KLMは総合的に中の上といったところか 
 アムステルダムに定刻到着 二時間待ちでベルゲンへ 16日21時45分着(時差7時間で日本時間は翌日の7時45分)10時15分外へ出たがまだ明るい ホテルはベルゲン中央駅横のクラシカルなホテル ロビーは狭いが上質なつくり
 翌早朝外を見たら雨 走れない 5時まだ暗い ベルゲンの夏は半分以上の日が雨だそうだ
朝食は コンチスタイル 果物が少ないがパンは美味い ジュ-スは4種類 従業員の目配りは良い 客も静か
バスで世界最大のソグネフィヨルドへ 雨は上がった 船でフロムまで2時間 鏡のような水面 両側は切り立った1000M級の山 いたるところから雪解け水が滝となって山頂から流れ落ちている(写真左) 
遠くの山に万年雪 所々に小さな村落がある(写真右)
フロムからミルダ-ルまでフロム鉄道で急峻をのぼる 数百メートル級の滝が無数にある 進行方向右側の方が景観が良いようだ
一時間でミルダ-ル 標高864M 樹木はなく周りは万年雪
ここでボス行きに乗り換え 途中すごいショース滝のところで停車 見ていると 突然滝の中ほどに 赤い服の美女が現れる演出(写真右下)
ボスまで一時間 ボスからホテルまで90分 このコースは夏でもセーターだけでは無理 防寒着が必要だ 
ホテルでバイキングの夕食後 歩いて15分 世界遺産 ブリッケン地区へ ここは14世紀にドイツから来たハンザ商人たちの貿易事務所や倉庫の残るところ 午後10時 ちょうど建物が夕焼けに映えていい写真がとれるはずだったが フイルムあけてびっくり 露出補正が必要だったかな
人も車も少ない街だ 電線も看板もない(写真左)
 三日目 5時40分 薄くらい中 ランに出る ヒンヤリする 日本の3月下旬から さくらの季節の気温か ランパン・Tシャツ 手か゜つめたい
誰もいない 清潔な街 大聖堂がある 港へ向かう ブリッケンの建物群を対岸から眺める 一時間 至福のとき
そういえば外国でいろんな街を走ったなー
バスでオスロへ 保養地ヤイロで途中停車して昼食 絵葉書を出す 100クローネ(150円)日本まで約一週間かかった
ここの前後にも景勝の地がいっぱいあり すごい滝もある
標高1200Mの高原を通ったとき 氷河が見えた このあたりは阿蘇と秋吉台みたいな所だった 羊の群れがゆうゆうと道を歩いており バスはその間停車
 四日目 5時半 外を見てびっくり すごい霧 ヒンヤリというより寒い 一時間で車3台に会っただけ 体が冷えて部屋に帰り暖かい風呂に入ったらほっとした ここのホテルはオスロ郊外30分のところにある 周りは 森と大きなスーパーマーケットと住宅街
首都オスロ 北欧の首都では一番人口が少なく 約50万人 小さい街で 主なところは歩いていけそう タクシーの流しはなく TAXIの看板の所から乗るのだが すぐメーターが上がり料金は高い その他 すべての物価が高いと思う ビールもレストランで約600円 地下鉄もあったが乗る機会がなかった
バイキング博物館 近年発見されたバイキング全盛の1000年前のバイキング船が三隻展示してある
天井に近いところにも観覧所があり 見やすくなっている(写真左)
フログネル公園 彫刻公園で市民の憩いの場になっている 212の彫刻像が配置されているが 
なかでも有名なのが おこりんぼう 赤ん坊が片足を上げ怒って泣いている像 
オスロのシンボルにもなっている17Mの尖塔は あらゆる年代の男女121名が複雑に絡み合った印象的な作品だ 
ムンク美術館・国立美術館 有名な 叫び (写真右)などムンクの作品が多く展示されていた
現ノルウエー国王が住む王宮から 東へ2Kほどが遊歩道となっており 大勢の市民の憩いの場になっている 
上半身はだかなどの姿で日光浴している人が多かった 
今日は日曜日 気温25度 今年の夏は例年になく暑いという(写真右)
 5時発のコペンハーゲン行きの船に乗船だが サポート役の日本人の人が来てくれたので 楽々お任せして乗船
この スカンジナビア・オブ・クラウン号 35000トンは全くゆれず どこに居ても全くエンジンの音が聞こえない船上ということを忘れてしまう
出航は ドラがなり ノルウエー国歌(多分?)が奏される 最上階のデッキからオスロの街が一望だ 高層ビルは2つだけ 遠くにホルメンコーレンのスキーのジャンプ台が見える すれ違う小さな船から手をさかんに振ってくれる
夕食は上質のバイキング  テーブルは一杯だ 夜 星を見ようとデッキに上がったが寒くて立っておられない
部屋はシーサイドで シャワー・トイレ付き
 五日目 デッキでラン 最上階は風が強く走れない その下のデッキは一周約150M 一時間 早起きの人が出てきては寒い・・とか言ってすぐ部屋へ戻っていく
6時ちょっとすぎ 北海の日の出 右側にクロンボー城 左側に見えているのはスエーデン 船上の国旗がノルウエーから 次に入港するデンマークの国旗に変わる
9時半下船 あらためて乗ってきた船を見ると大きい!歩いて10分 国王家族の住むアマリエンボルグ宮殿 城内を一般の車が行き交っている そこから歩いて10分 人魚姫の像 大ぜいの観客(写真左) 有名だから 
昼食に食べた北欧名物オープンサンドウィチは ボリュウムたっぷりなので 上手にたべないとこぼれてしまう
ちょっと早いがホテルにチェックインしていっぷく後 世界で初めての また北欧一番長い歩行者天国である 
ストロイエヘ ここは王室御用達の老舗や高級ブランドの店が軒を連ねるところ(写真右上) 
そこからアンデルセンの家のある運河沿いのニューハウンまで歩く 
このあたりは美術館や博物館が多い(写真右)
夜はチボリ公園へ行った 倉敷のより地味だが 本家の貫禄のようなものがある ここで食べたディナーは美味かった 
 六日目 朝 昨日回ったところを走った 植物園は6時にもう門が開いている 昼間あれだけの人がいたストロイエも 早朝だから1人も歩いていない 外国で走ると一時間走ってもちっとも疲れない 
北シェラン島古城巡りツアー (13000円)に参加 緑の多い快適な道 交通渋滞は無いそうだ 車は高価格政策で 少ない
メルセデス・BMW・VW・ボルボ・サーブなどが目に付く 日本車は少ないと思った
フレデリックスボー城(写真左) 1859年火災にあったが ビール王カールスベア-の寄付によって再建 周囲が湖によって囲まれている実に美しい城 
クロンボー城 シェイクスピアのハムレットの舞台となった城(写真右) 海を隔てスエーデンを望む海岸に建ち 昔ここを通る船に通行料を取る目的で建てられたと言う 大砲が数門今も海をにらんでいる
北シェラン地方は自然が十分に残り 美しいところだ
 七日目~八日目 コペンハーゲン10時発なので朝忙しい アムステルダムで飛行機の貨物室の扉の不具合で三時間待ち 4ギルダーの食券を貰い 展望の良いレストランで休む アムスから札幌まで約11時間 札幌で乗務員の交代があり一時間待ち 
 23日 13時名古屋着 良い旅だったな
2001年
4月19日
   ~22日
香港
シェンジェン
 今度の香港行きは、キャセイ航空のマイレージキャンペーンの案内を見て急に決めた。(期間中に利用すると10000マイルプラスされ
3年間で25000マイル乗ると香港往復航空券がもらえる)保険はGカードに付いている分だけにした
乗機率は約90パーセント 最高速度850K 香港まで3時間45分 98年7月開港の新香港国際空港は ランタオ島を削って作ったとのことで 広い 入国審査まで着くのに エスカレータを乗り継ぎ10分はかかる 街の中心までの交通手段は4つあるがリムジンにのる
途中瀬戸大橋に匹敵する大きさの鉄道併用の青馬大橋を通り約30分 気温は27度 今はつゆの季節のようだ(左の写真はフェリーから見た香港島のビル群)中国本土の先端 九龍半島の対岸 香港島のビル群は 12年前にきた時と比べると380m級の高層ビルが林立しぐっと厚みを増した(右の写真は下町の食堂街) セントラル地区の2階建て電車は約30円から 地下鉄もだいたい30円から 夜 標高554mkのビクトリアピークから いわゆる百万ドルの夜景を見た 前より一段と華やかになっていた
(右の写真は九龍地区一の繁華街ネーザン通り・2階だてバスから)
今回の旅のテーマはだったので 北京 広東 上海 北京ダッグ ふかひれ 飲茶 ラーメン それと香港ビール(スーパーで60円 レストランで500円)ぷーある茶なと゜いろいろ賞味したが 私は上海料理が一番美味いと思った
印象こ残ったことが二つあった 一つは香港の隣の経済特区深せんの発展振りだ 20年前に人口が4万人だった漁村が 現在400万人 街には数十階建てのビルがそれこそ無数に林立し 4車線クラスの道が縦横に出来ており(左の写真はシェンジェン市内)地下鉄も建築中で537mのビルを建築中
街を歩いている人はみな若く高齢者の人はほとんど見なかった 服装も通る車も日本と変わらない 車の数は少ないが 他のアジアの国に多い自転車・スクーター・バイクは少なく スーパーマーケットの品数も豊富で 広々としたこ街はゆとりある発展を続けている ちょっと緑が少ないかな 怖い 今 中国のご機嫌を損ねたら この発展の仕事を日本は貰えなくなるのではないか
二つ目は 観光施設の 中国民族村の夜 まず7時20分から8時までがステージショー 
大きなステージいっぱいに繰り広げられる(右の写真はシンセンのショウ)
ダイナミックな出演者の光の競演は素晴らしかった もっと凄いのは8時15分から9時まで場所を代えて外の広場で行われる中国各民族のパレードだ 光の饗宴 こんな凄いの初めて見た
もう一つ印象的だったのは泊まったホテル 香港郊外の黄金海岸にできたゴールドコーストホテル 良い展望・広い部屋・広いバスルーム快適なレストランと従業員の接客態度すべてOK 毎朝ホテルの周りをランニングしたが気温は22度で汗びっしょり 
すっきりして気持よかった(左の写真は黄金海岸酒店)
帰りのキャセイ機は最高時速1080k 3時間15分で名古屋到着 キャセイ機の印象は客室乗務員の態度・飲み物の種類と質・シートのピッチ・清潔さ・各座席のディスプレイでの飛行状況の情報など良いのだが オーディオの音質が悪く(ヘッドホーン持参)その内容も偏っていたのが気になった 
01年1月5月
    ~9日
 台湾

(台北・花蓮・


 
高尾)
 旅に向かう心のときめきを楽しむため空港にはいつも早めに行くようにしている。
飛行機の見えるラウンジでコーヒーを飲むとワクワしててくる。
午後4時,名古屋空港に朝の喧騒は無くひっそりしている。
マイレージのカウントをしてゆっくりチェックイン。
キャセイ機のA330は2-4-2の座席配列。後方数列は空席でシートがかけてある。往きは向かい風の影響か時速700Kが限界か?それ以上は出なかった。
 台北まで3時間30分。気温は日本の5月か?快適。空港から台北市内の中心にあるホテルまで高速道路を通って40分,道はスクーターで車道はいっぱい。歩道にもいっぱい車やスクーターが停めてある。2人~3人乗りから5人乗りまで見た。ヘルメットは皆かぶっている。
私は短パンにTシャツだったが,現地の人は厚着で
マフラーまでつけている人もいる。
初日。朝のランを済ませ,すっきりして,忠烈嗣(右写真は衛兵の交代の模様)から故宮博物館へ。
4年前にも見学したが情けないことにあまりおぼえていない。
解説のテープを聞きながら周れるので効率的でよく分かる。
花蓮へ向かう特急自強号はレールの幅が狭軌というのか新幹線より狭い。
スピードも遅く3時間乗車。
花蓮観光のハイライトはなんといってもタロコ渓谷探勝。朝早かったので誰も居なくて我々だけ。天気予報で60%の確立で雨だったが全くの晴天。
両側に切り立った絶壁の道を進む。所々にトンネルや車を停める所がある。
(左写真がタロコ渓谷の入口)

いちばん狭いところは向かいの絶壁に手が届くほどだ。上を見上げれば300mはある。
太陽が渓谷の間から登ってきて写真には逆光の良い光線になってきたが,如何せん技量が劣るので上手い具合に写っていなかった。
終点に近いところで飲んだ<はな茶> は印象的で旨かったので土産に買って帰った。
 高雄へはプロペラ機で50分。市内にひときわ高いビルが機窓から見える。
それは83階あり,日本のゼネコンが造ったと聞く。
九曲橋を通り澄清湖へ,7階の塔へ登り市内を見たが高雄は緑と水が豊富な美しい街だ。
龍の口か入り虎の口から出てくる竜虎塔は面白い右写真が竜虎塔と竜虎の口市民の憩いの場所になっているようだ。
 ホテルでシャワーの後,83階内にある大丸デパートへ行ってみる。大賑わい。
仕事を終え,食事を済ませてからデパートで買い物をするのだそうだ。
夜10時まで営業しており街には活気があふれている。
ディスプレイや品数など日本と変わらない感じ。ヤングなど市民の服装は日本に比べてやや地味か。
 メインストリートでも歩道が狭く凸凹が多く信号も歩行者には辛いときがある。
歩行者用の信号は見あたらなかった。
ホテルで食べようと菓子を買って賞味期限を見たら,90-4-28となっていたので,10年前に期限が切れていると思い買った店に戻って聞いたら90は台湾イヤーとのこと。合点。
 ホテルの広いレストランで遅い朝食をしているとき,屋外のプールでシニアのひとが数人ゆったり泳いでいた。好いなと思った。
 台北へはB757で50分。窓から大きな園山大飯店が見えたのでそこへ行ってみる。買い物バッグを持ったマダムの人を大勢見た。
赤が基調の内部は,吹き抜けのロビー,赤い柱,階段など世界の十大ホテル
といわれるだけのものを持っている。
ロビーでコーヒーを飲む。応対は良い。(左写真は圓山大飯店)
 台北一の古刹 龍山寺へも行った。地元の人達が熱心にお祈りしている。こうゆう情景は早朝からどこの寺でも見うけられた。(右下の写真は龍山寺境内)                  
 夕食は,ホテルのフロントでいちばんの盛り場を聞き,タクシーで台北駅周辺まで行きそこでで食べる。
タクシー料金は日本の3分の1から4分の1といったところか?黄色のタクシーが沢山流していて不自由しない。
 帰りのキャセイ機の搭乗手続き中,緊急打ち合わせが入り十数分待たされたが,ビジネスクラス並の早出しバッグのシールを貼ってくれたので 名古屋空港のターンテーブルではバッグが一番に出て来て,さーっと家に帰った。
帰りのキャセイ機A330は追い風に乗り,最高時速1180K 
高度12500M 外気温-60℃ 2時間で到着した
帰ってすぐにまた何処かへ行きたくなり,次に行く所を考えている。
00年8月17日
~24日

サンフランシスコ

ヨセミテ国立公園

グランドキヤニオン
国立公園

ラスべガス

ロサンゼルス

サンデイエゴ

ティフアナ

(メキシコ)
 サンフランシスコの第一印象は涼しいこと。最初に行ったツインピークスは市内を一望する丘た゜がまるで夏の富士山頂のような快適さだ。
朝など寒いくらい12~3℃って感じ。Tシヤツランパンで走った。
灼熱のフーバーダムを越え,シエラネバタ山脈を越えヨセミテへ行った。岩山のエルキヤピタン,ハーフドームなど一望。(右画像)感激。日陰に入るとひんやりする。ヨセミテ滝は夏で水量が少なかった。
グランドキヤニオン(左画像)では落日と,日の出を見てから,渓谷へ降りる遊歩道を少し降りてみた。渓谷から月が見えた。アメリカ民謡のコロラドの月の歌を思い出し感激した。
ラスベガスは個性的な巨大ホテルが立ち並ぶがホテルウオッチングも楽しい。
朝食は宿泊したラクソールホテルのバイキング,おいしい料理がずらりと並んでいる。これは絶対にお勧め。
ロサンゼルス。片側6車線のフリーウエーが縦横にはしる。マナーの良さも世界一流。さすが自動車先進国だと思った。夜になると街から歩道から人が消える。夜の街の散策もままならないのがちょっと残念。
サンデイエゴ(右画像)海は青く風はさわやか。
今度行ったら港を見下ろして建つハイアツトホテルに泊まりたい。
メキシコへの国境通過はいらっしゃいませと言う感じ。バスは旧式でエアコンなし。ティファナで土産を買うときは日本人価格に注意しよう。日本人のあまり行かない場所で他と比べて買うこと。言い値の一割くらいから楽しんで交渉か?
帰国の便で乗った,B747-400型はANA仕様の最新型機で各席にTVが付いており快適だった。
99年12月23日
~27日
ヤンゴン
(ミヤンマー)
 

パゴー
 ヤンゴンへはバンコク経由で行った。2時間30分で石垣島上空との放送があった。二週間後ここに来ることになっている。
ヤンゴン国際空港も暗いし,市内も暗い。空港の掲示は手持ちのプラカードだ
パゴダの街パガンは短パンでは駄目とのこと。空港に着いてびっくりしたのが,
女性が頬にタナカという白い絵の具を塗っていることだ〔左画像)ことだ。馬車がいる。ぼろぼろの自転車。ぼろぼろの車。バイクはほとんどいない。観光客はあまり目につかない。小型トラックの荷台に3列,板の座席を作り,そこに2.30人が乗りぶらさがっている。この凸凹道ででよく振り落とされないものだ。
パゴダ群(右画像)は見ごたえ十分。靴を脱いで入る。いちいち脱ぐのが面倒と思ったので日本から下駄を持って行き重宝した。向こうの人にそれどこに売っていた?と聞かれた。
街中バコダが林立している。すぐ横をイラワジ川が流れ,落日の景色は見事であった。
ビルマの竪琴で有名な寝釈迦佛のあるパゴーへは飛行機で2時間。はだしで産物店のある参道を抜け,視線を上げると巨大な仏像が目に入る。
最終日は7時45分コールだったので初めて走れ,わくわくした。30℃はあると思うがほとんど汗をかかない。スーチーさん邸への道は通行止めで勝手に行けないようになっていた。
食事はけっこう美味かったがビールはミヤンマービールで通した。
日本でも飲もうと思って探したが見つかっていない。
バンコク(タイ)

アユタヤ

カンチヤナプリ
 台北まで3時間30分。機内で50分休み,1時間30分で香港へ。そこから2時間30分でバンコクのドムアン空港着
朝から車が多い。バイクはあまり多くないが,完全な車優先社会だ。高級車もけっこう走っている。街も10年前に比べると高層ビルも多くなり,きれいになったが交通渋滞は相変らずだ。現在地下鉄を建設中。
チヤオプラヤ川の支流の水上マーケツト(左画像)へ。ここはカメラの被写体がが多い。
暁の寺は工事中。王宮は相変らず(観光客が多い。エメラルド寺院とともにバンコクの観光の中心だと思う。バンコクで宿泊したホテルはバンコク発祥の地サイアムストリートの真中にあり,夜は凄く活気がある。
カンチヤナプリ。ここには,映画<戦場に架ける橋>で有名な泰緬鉄道の橋があり大勢の観光客が渡っている。周りはのどかな所である。
そこから泰緬鉄道に乗る。〔右画像)観光客で満員だ。見所のところは特にゆっくり進む。右手の山脈の向こうはミャンマーだ。
ナコムバトム。街の真中に大きな塔が建っている。
デイナークルーズ。シヨウなどはなくチヤオプラヤ川を往き来するだけ。料理を食べてからデッキへ出ようとしたがデツキが無かった。すれ違ったオリエンタルクイーン号は良い。
翌日,アユタヤへバスで向かう。山田長政ゆかりの日本町の跡がある。銅像もある。ワツト.サンペツト。レンガ色の遺跡地帯。象が人を乗せて道を行く。ワツト.プラナオ。極彩色の美しい建物があり写真を撮りまくった。
夜ホテルのラウンジで女性歌手の歌を聴きながらカクテルを飲む。二人で800円。
帰りはB777(2.4.2)香港まで1時間半。新香港空港は凄く大きいが乗るフロアーだけ覚えておけば乗り換えも迷うことはない。前のカイタク空港は更地になっていた。
台北まで1時間。最高時速1077kで飛び2時間半で名古屋到着。名古屋は雪が降っていた。
98年8月16日
~22日

オーストラリア
シドニー

エアーズロツク

ケアンズ
 この時期オーストラリアの気候は,シドニーが日本の3月。エアーズロックが冬。ケアンズが夏という気温だから大変。岩倉の社宅にいる長男と孫に送られ定刻20時10分出発。ケアンズで一時間30分休みシドニーへ飛ぶ
6.時30分ごろ機内で日の出となり光と雲が美しかった。あまり美しかったのでフイルム1本撮った。機内の放送でシドニーの気温は18℃とのこと。
入国に40分かかり,9時30分外に出る。マイクロバスでクージービーチ,ミセスマツクオーリーチエア,
ペラハウス(右画像)ここで上着を脱ぎポロシャツに着かえる。DFで解散になったのでこちらの人達と一緒の昼食後ダーリングハーバーへ行こうとタクシーに乗ったとき車中にカメラ(ペンタMZ5.タムロン28~200)忘れてしまい,HISに探してもらったが出てこないと思い新しく買った。(ミノルタのコンパクト)撮ってあった場所はもう一度行って撮りなおすことになってしまった。
翌朝,6時23分ランに出る。うす暗い。このホテルの周りは,南半球1番の歓楽街だというが,一辺が4.500Mほどで規模はたいしたことない。ランパン,Tシャツで雨中のランとなり,ちょっと寒くなったのでオペラハウスで暖をとった。
シドニー市内の観光はタクシーで回った。モノレールに乗り,シドニータワーに登り,テイフアニーに寄り,ロツクスでウイスアートのトレーナーを買い,裕樹たちの新婚旅行の写真にあった所など色々巡ったが良かったのはなんといってもクインビクトリアビルだ。内部がビクトリア時代風で,ショッピングモールになっている。夜はシドニー湾デイナークルーズ。
今朝のランは,ハイドパーク~オペラハウスなど。この国は左側通行で良いのだが,すぐに信号が変わってしまうので戸惑ってしまう。
エアーズロックへはB737で向かう,褐色の荒野に川が蛇行している。色彩の変化が素晴らしく目が離せない。
機上からエアーズロックが見えてくる。続いてマウントオルガ。ついに見た。感動の一瞬。
気温は20℃くらいか?快適。ホテルなどの建物は3F以下に統一しているようだ。マウントオルガ(左画像)まで30K。もちろん信号などひとつもない。オルガ渓谷は両側が400mの褐色の絶壁で凄い。好天で良い写真が撮れた。
エアーズロツクのサンセットポイントへ急ぐ。良い落日が見えた。
翌朝,雷の音で目がさめた。登山は無理とそのとき思った。往世の足が心配だし足を滑らしたら下まで落下だ。しかし,この岩山はざらざらしているので滑りにくく登りやすい山だと思う。5時20分コールで6時20分エアーズロックのサンライズ(右画像)を見に出発。思ったより寒くなく短パンTシャツで良い。他の人はコートやセーターを着ていた人が多かった。
ポイントに100人くらいの人がいる。7時20分が日の出,レンズは28mmでちょうど良い。アボリジニの住居区など麓の散策をしたがこれは良かった。
ケアンズのホテルは天井にフアン,床もタイルで清潔,バスルームも広く,湯の出具合も排水も良い。甲子園の豊田大谷の活躍を智樹からの電話で初めて知る。
夕食はここから歩いて10分の海岸通りの近くでナイトマーケットを見つけ,そこで食べたがここはテーブル席の周りに10店ほどの各種料理の店があり,そこで好みのものを注文し,自分で席まで運んで食べる方式。
6時20分起床一直線の海岸を走る,海にはペリカンが泳いでいる。その向こうから太陽が昇ってきた。
いよいよグレートバリアリーフへ高速船で出発。途中船が停まったので何かと思ったら鯨が潮を吹き上げていた。
アウターバリアリーフは紺碧の海(左画像)半潜水艦から水中を見たが,大きな大きなさんご礁に無数の鮮やかな色の魚の群れ。中には1mくらいのものも悠然と泳いでいる。
シユノーケリングもやった。水深は10M以上はある。他の人はライフジャケットをつけていたが,私達は付けなかった。3時になったので上がったが陽射しはあまり強くなくデッキの風が心地良い。帰りは波も穏やかになり5時30分ケアンズの港に帰った。
海岸通りで名物のブーメランの彩色してない本物風のものを5000円で買う。夕食はカーニーズのシーフード。思わず,えーっこれ全部食べるの?凄いボリューム。日本だと5~6用だ。二人で4500円。本屋で,オーストラリア上に載っている世界地図を買い歩いてホテルに帰る。
今朝のランは今度来るときのホテルを想定しての走り。インターコンチ,ヒルトン,ラデイソンプラザか?良いホテルは港周辺に集まっている。
ケアンズ空港で職場のT氏に偶然会った。外国で日本の知っている人に会うと嬉しいものだ。ハワイでもG氏に会ったことがある。T氏は仕事で来ていたそうだ
ニユーギニアの上空で丸い虹を見。雲の変化を楽しんでいると,ニュースで豊田大谷は準決勝で負けて,名古屋の気温は33℃と伝える。カンタス航空機は名古屋空港の北から進入,裕樹と孫の華苗ちゃんが出迎えてくれた。
98年1月3日
~7日
バリ島
(インドネシ
ア)
 息子たちの家族6人の見送りで,ガルーダインドネシア航空A300の機内へ。横2-4-2で後部が10席くらい空いているのみでほぼ満席。
現地の気温は31℃との放送。赤道を越え,飛行機の高度が下がるとライステラス左画像,展望台から撮る)がよく見え,バリに来たのだとの感慨を覚えた。右旋廻の時,今回の旅で泊まるヌサドウアビーチも見えた。
午後6時15分 ン.グラ.ライ空港到着。グランドハイアツトバリへすぐチエツクイン。夕食はいろいろなレストランがホテル内にあるが,名物ケチャダンスを見ながら大きなロブスター3匹を食べた。
このホテルは敷地が広く部屋にたどり着くまでが大変だ。これがこれから4日間辛いことになるとはこの時は予想しなかった。
翌朝5時45分ランに出る,ヌサドウアの割れ門まで行き,ホテルの前の道を走る。の辺は地元民立ち入り禁止区域で,実にに芝生は鮮やかで南国の花が満開の別天地だ。帰りにホテル内で迷ってしまい,部屋が分からないのでフロントまで戻って場所を聞いた。
朝食はシーサイドのイタリアレストラン。今回の旅は毎朝ホテル内のレストランをいろいろ替えて食べたがどこも快適だった。
8時30分キンタマーニ方面に向かう。道も良く渋滞もない。信号も3時間乗って3箇所程度,もちろん歩道橋などひとつもない。犬がたくさん居るが,みな同じ種類の犬ばかりで人間と同じようにゆったりのんびり歩いている。パテウール山にパテウール湖を望み,タンパクシリンは大雨で傘貸しの子どもの攻勢がすごい。この時期はこちらは雨期だ。腰にサロンを巻いて境内に入る〔右画像)物凄い雨。
次は象の洞窟で,子供の合唱を聞かされ上手だと思ったら御代を請求された。
夕食はホテル前のシーフードレストランのギヤレリア。3人の歌い手にブンガワンソロをリクエストした。それにしても部屋まで遠い,重いカメラバツグが堪える。ガイドのアリアナ氏は月5000円の収入があり,2000円で生活できるという。HISは22歳~35歳までより働けないという。
5時50分うす明かりの中を海岸に向かってカメラ持ってラン。このヌサドゥアは良い所で別世界だ。また今度くる時もここだな。今日はウブドの観光。バイクは多いが,ベトナム,バンコクとは比べ物にならないくらい少ない。実に緑が鮮やか。ベサキ寺院のあのガイドブックでおなじみの寺が見えたときは感激した。曇天で明かりが足リず撮りにくい。
今朝は割れ門から外に出てみた。ここは別世界,庶民の町だ。女学生にオハヨウゴザイマス言われたが,なんでも学校で日本語を習っているのだという。今日はゆっくりの日で昼食はシーフードとインドネシアカレー。3時に落日で有名なタナロット寺院へ。寺は海の中の小島にあるが対岸のチエアーには早くから観光客が座って落日を待っている。あれだけのスコールだったがこの辺りに雨の降った形跡はない。
6時30分が日の入りだった。日はうまく焼けなかったが面白い写真が撮れた。夕食はギャレリアの日本食にした。
23時チエツクアウト。2時45分機内へ機内が寒くブランケットに包まっていた。
空港では智樹たちが出迎えてくれて,ポロシャツのまま11時30分家に着いた。
やっぱり雨期は避けたほうが良いと思うが豪雨も面白かった。
96年12月24日
~28日
ホーチミン
シテイー
(ベトナム)

台北(台湾)
 9時10分発の中華航空機は70%の搭乗率。中正蒋介石空港まで3時間10分。台湾の高速道路はでこぼこが多い,一般道にはスクーターが多い。故宮博物館を2時間で見る,ガイドは博識だった。そんなに規模は大きくない。つぎに中正記念館に行ったがが27万坪の敷地で市内中央にある。ちょうど夕方で風が心地よかった。日本の5月の気候か。
7時10分発で10時40分ホーチミンシテイ着。時差1時間。
市内はバイクが凄く多い。ヘルメット無し,バックミラー無し(出荷時は付いているのだが盗難を恐れ,家にしまってあるのだと言う)50cc以下は免許証は不用で大人二人乗りはOKらしい。3人,4人乗って飛ばしている。信号はあまり守られずどんどん進んでくる。マスクをして運転している人が多い。アオザイ姿のベトナム娘が颯爽と風を切り乗っている。アオザイは白色が多くこちらは洗濯の心配までしてしまう。ベトナムの物売り(左画像)
統一記念館,ペンタイン市場を見,戦争記念館で虎の檻やギロチンなど見た。容姿に自信のある娘はアオザイを大胆に着ている。
夕食は,マキシムでシヨウを見ながら食事。このあたりはフランスの名残がある雰囲気。
朝5時50分にランパンにTシャツでランに出る。早朝から凄いバイク群。歩道はあるが狭くしかも色々な物が置いてあるので無いと一緒。完全な車優先社会で,すぐにクラクションを鳴らす。青信号でも歩行者はなかなか渡れない。交通整理の制服の警察官にチョコレートをあげたらすぐに食べ,ニッコリ笑って渡してくれた。ガソリンは,1L40円くらいで安くないのにこのバイク群はどこへ行くのだろう。
9時らミトへ向かう。国1を3時間の間に信号はほとんど無い。名古屋の市バスが走っている。
郊外に行くとバイクは減るがまづしい家が目立つ(左画像)
アスファルトのかけらを拾っている女性いる。これを集めて売るのだという。工事でバスが止まると物売りが盛んに売りこんでくる。
ミトの街はメコンデルタの港町。黄土色をしたメコン川にごみは無い。ジャンクが多い。気候は良く快適。同じ道を帰る。ホーチミンシテイーに近づくと活気ある雑踏が始まる。思わず撮ってしまう。
6時にカメラを持ってホテルを出る。ベトナム娘も美人はピクチユアーOKでそうでない娘はノーだ。このオムニサイゴンホテルは大理石を多用した品の良いホテル。もう一度使っても好いと思う。この時間小学校が始まっておりチョコレートをやったら大勢集まってきた(右画像)先生おーいと呼んでいた。
9時からクチトンネルへ行く。途中の道沿いにある家はヤしの葉で屋根作ってあり,土間で生活している。しかしTVアンテナはたくさん立っている。1時間30分でクチ到着。はじめに説明の映画を見てからトンネルに入る。匍匐で通る。所々に換気穴がある。狭いところがありからだの大きいアメリカ兵を通さない工夫だそうだ。落とし穴などあり戦争の残酷と悲惨を感じた。
翌朝のランは,昨日の朝見た親子連れのホームレスにチョコレートを渡そうと行ったが居なかった。どうしたかちょっと心配だ。
9時発台北行の後部はほとんど空席。適当に席を替わって寛いでいた。空港に定刻8時10分到着したが,税関で色々聞かれ調べられた。こんなこと久しぶり。
ベトナムは良かったがもっとゆっくり街を歩き良い写真を撮りたかった。それと屋台がたくさんありそこで美味しいものを食べたかった。
94年5月1日
~5日
シンガポール
 往世のきょうだい3家族6人でGMの最中出かけた。さすがに空港は混雑している。6時間でチャンギ空港到着。現地時間17時45分。宿泊するコンコルドホテルは27階建,内部は上まで吹き抜け。F14の部屋からの展望はなかなか良いが中心街からはちょっと離れている。夕食はホテルのレストランで中国料理。ふかひれと北京ダックはなかなか美味かった。
翌朝6時15分,僅かに明るくなって走り始める。靴が新しく調子が良い。蒸し暑く,朝食の時ジュースを4種7杯飲んだ。今日は市内観光の日で9時からエリザベスウオーク,マーライオン公園,アラブ人街等を周る。
後は定番のDF,ワニ皮製品,宝石店などで日本語攻勢。夕方からシンガポール湾のデイナークルーズ。
(右画像キャツが上演されていると聞いていたので<メモリー>をリクエストした。
8時に部屋に帰り,4人でシバスを10時まで飲んでいた。
6時30分からオーチャード通り方面へ行ってきた。昼食はラツフルズホテルのカリービュッフェへ(左画像)これがもう最高。お奨めだ。このホテルの店で長男の婚約者にテイフアニーのネックレスを買う。夕食のシンガポール名物スチームボード,これはもう駄目,肉は硬いしお勧めできない。
3日目のランは官庁街へ行った,暑い。汗が流れる。この国は綺麗で清潔だが横道に入るとやはりアジアの街がある。車を増やさない高価格政策だからか車の数は案外少ない。ナンバープレートの奇数,偶数で制限があるようだ。
セントーサ島へロープウエイで行く。絶景。この景色を見て乗った甲斐があったと思った。シンガポールのビル群はNYのマンハッタン島を小さくしたみたい。オーチャード通りのマンダリンホテルで解散して二人で行動。大野さんは腹の調子悪いようだ。夕食は南十字星を見て海鮮料理手掴みで食べた。これは美味かった。
チャンギ空港の第二ターミナルへ。深夜1時発のLALは8時10分定刻に名古屋到着。順調なフライトだった。留守中は,裕樹が飛鳥の散歩全部やってくれて新田のお父さんから陣中見舞をもらい,婚約者の裕子さんと一緒に食事に行ったようだ。

93年12月25日
~29日
クアラルンプール
(マレーシア)

シンガポ
 スパン国際空港から30分。高層ビルの林立するクアラルンプールの市内に入るとスコールが来た。今こちらは雨期だ。夕食はチャイナタウンで現地の人と一緒に焼肉を食べた。自分で好きな肉を持ってきて焼く。700円。ビールは2本で800円。又雨が降ってきたがあまり傘はささないようだ。
シャングリラホテルのラウンジて゜ロイヤルコーヒーを飲む。2人で1800円。
翌朝5時55分ランニングに出発。歩道があるのだが,段差が大きく走りにくい。日本と同じ左側通行で良い。ちっとも明るくならないので7時25分にホテルに帰るが,そこではっと気がついた。時差が一時間あるので今は6時25分だ。明るくならないはずだ。しかし一時間得した気分になった。
クアラルンプールとは泥の河口と言う意味だそうだ。回教寺院・植物園・国会議事堂・中央駅など市内を巡る(左画像)マラッカへは高速道路で一時間30分。周りはほとんど椰子の木だ。暑い。マラッカはチョットきたない。マレーシアでは一番早く開けた所だと言う。
オランダ広場で有名なチャーチ・サンチャゴ砦など見る。ここは物価が安そうだ。
朝ボアーンとした空気。埃っぽい町。6時。ここの人は7割が外食らしくもう店が賑わっている。宿泊したルネッサンスホテルの朝食はよかった。
ゴム園のまっただなかを駅の町タンピンに向かう。(右画像はゴムを採取する少年)国際特急の一等車は2+1席で快適。ゴム林の中をシンガポールへ。途中車掌が車中の集めたゴミを窓から外へ投げ捨てていたのには驚いた。
シンガポールはまだクリスマス気分。オーチャード通りには大きな高島屋とかそごうデパートが出来ていたがこれで成り立つのか思ってしまう。この国は綺麗な国だ
92年1月3日
~8日
ニューヨーク
(アメリカ)

ワシントン

ナイアガラ
(カナダ)
 大阪から成田経由で11時発のANAニューヨーク行きはB747-400であった。すぐ暗くなり明るくなったと思ったら飛行機は大きく右旋廻してケネディー空港に着陸した。
高速道路を通ってクインズボロー橋に近づくと,マンハッタン島の高層ビル群が見えてきた。五番街を通り国連ビル,カーネギーホール,ウオール街,ロックフエラーセンターの辺りにはまだ大きなクリスマスツリーが飾ってあった。(左画像)夜はウインターガーデン劇場でミュージカル<キヤツツ>を満員のお客と一緒に見た。
 翌朝のランは,セントラルパークへ。ビル風が強いが温かい。ランナーが多い。顔が会うと皆にっこりと笑顔。それが嬉しく気持ちが良い。今セントラルパークを走っていると思うと感激。今日はメトロポリタン美術館,自然史博物館,テイフアニー本店,世界一の高層ビルである世界貿易センタービルの展望台へ登り、昼食は街のホットドッグ。夜はニューヨーク港のデイナークルーズの予定。夜景が綺麗だろうな。
今日はナイアガラへ行く日。ハドソン川を渡り,ニユージヤージーから朝日に向かって見たニューヨークのシルエットが印象的だった。
 ナイアガラのアメリカ・カナダ国境はレインボー橋の上,車の中でパスポートチエツク。すんなりOK。この時期滝はふつう凍っているらしいが,温かく水量十分で凄い。滝の裏側まで行って見た。迫力十分。フォックスへツドホテルの部屋は滝側のF12で滝が良く見えた(右画像)
1月6日朝7時ちっとも明るくならないのでカメラを持って外に出る。寒く風が強い。滝は凍っていない。7時半頃になってやっと明るくなってきた。
 バツフアローからワシントンはDC9。整然とした家並みの郊外をぐるっと巡り,ナショナル空港へ。途中機上からワシントン記念塔,キャピトル,リンカーンセンター,ハドソン川などが良く見えた。ワシントン市内はキャピトルより高いビルは建てられないきまりで,高層ビルはない。ホトマック川の桜越しに見える赤いレンガ色のジョージタウン大学が美しい。アーリントンの国立墓地にはJ.Fケネデイと並んでロバートの墓もある。
ウオーターゲートビルを通り越すと,ホワイトハウス。塀も無く開放的。その向こうが商務省とキャピトル。リンカーン記念堂からここまで一直線。ランナーも大勢走っている。次はスミソニアン航空宇宙博物館。
アポロ宇宙船(右画像)X15,ライト兄弟の飛行機,スピリッツオブセントルイス号,ゼロ戦,V-1号,ソユーズ,月の石など全部本物。興奮してしまう。夕食はすし。
ダレス空港は凄く広く成田の数倍はありそう。はるか彼方を飛行機が離陸して行く。成田の数倍はありそうだ。
帰りのNH1便はずぅーと昼ばかりで,下に白いアラスカの大地,ロッキー山脈などが良く見えた。
植村の眠るマッキンリーも眼下だった。
91年1月4日
~7日
上海(中国)

蘇州
 大阪空港からJALで上海へ。2時間30分フライト中音楽,落語,食事と忙しい。上海ランボウ空港には制服の兵隊の姿が目立つ。フリーパスみたいに空港から外に出て,ホテルのバスがいたのでそれで日航ロンバイホテルへ。ここはなかなか良いホテルだ。空港の近くで部屋から飛行機がよく見える。上海の中心の高層ビルが遥か彼方の霞んでいる。
今日は何処へどう巡るかいろいろ考えていたが,タクシーが安いというのでタクシーを一日チャーターした。125元{3200円)運転手に龍華寺30分待ちと書いたものを見せたら頷いた。そこから市内へ。広い道。色が無い。歩道が狭い。歩道橋が確か一つより目に付かなかったが市内に三つあるそうだ。車が信号を守らない。すぐ人が集まってくる。自転車が多い。マネーチェンジの声がよくかかる。日本語で話し掛けられる。不思議と紙くずの散乱は無いようだ。果物は自然のまま売っている。日本ではこれでは美味くても売れないと思う。地味で質素な服装。街は暗い。中国で一番参拝者の多い玉佛寺は路地の横にあり,Pは無く,車は寺のまん前で30分待っていたという。魯迅公園で3人の男性に,ここを案内してやると言われ,写真も撮ってやると言われている間は良かったが,色紙を出してはさみで切り出したので,これはヤバイと思って逃げてきた。黄浦江あたりは人さえ居なかったらイギリスと似ている。
4時が日の入り。上海雑技団。キップ売り場には2~10元までのランクがあったが黙って10元のキッブをくれた。入る前に上海蟹を食べに行く。雑技団は7時開演,美男美女揃いのエリート集団だと思う(左画像)見ごたえ十分。9時終演。暖房がなく隙間風が入ってきて寒かった。外へ出たらみぞれが降っていたがタクシーが待っておりほっとした。
翌朝は-2℃。道が凸凹で走りにくい。途中動物園へ入る。7時にもう開いているが誰も居ない。入場料は2角,ホワイトタイガーが居た。
博物館の入り口は地味だが中は充実している。2500年前の金属器がずらりと並んでいる。豫園は凄い人の多さ。Pは30台分ほどより無い。九曲橋を渡り湖心亭でプーアル茶と飲茶。池の辺の南翔饅頭店で饅頭を食べた。夕方,和平飯店のロビーでオールドジャズバンドの演奏を聴いた。入場料10元,ツアーだと120元だと言っていた。
蘇州までの100Kの半分近くが工事中で,でこぼこ道。
蘇州は水の都だ(
左画像)駅は立派。寒山寺は漢詩で有名な寺で,除夜の鐘の音を聞きに日本からも観光客が来るそうだ。拙成園は岩と庭園の何処からも水が望める設計となっている。往きは三時間20分,帰りは三時間かかった。フランスの雰囲気を残す准海路の黄山茶葉店で土産のお茶を買う。ワイタン方面行きのシャトルバスは満員で旅行者は我々2人だけだった。ワイタン散策,この辺りはエキゾチックな雰囲気が漂う。長男が学生時代中国に旅したとき泊まった浦東飯店があった。
二男が新幹線の駅まで迎えてくれて一緒にうなぎを食べたが旨かった 二男は2人分食べた。
(左画像は虎丘の虎丘塔は15度傾いている)
90年8月16日
~27日
イギリス

ドイツ

リヒテン
シユタイン

スイス

フランス

イタリア
 午後4時20分離陸。ヨーロッパ~日本間はキャセイパシフィック航空のいわゆる南回りで,香港とバーレーンで給油しロンドンのガドウイック空港へ。バーレーンは深夜2時の到着であっが,この前後はこのB747-200機の後方はガラガラだったので肘掛を上げて横になっていた。
午前8時到着。ロンド゛ン市内へ10年ほど前に来たときとあまり変わっていない。
バッキンガム宮殿など大賑わい(左画像)は写真撮影自由で良い,右の写真がそのと時のものでロゼッタストーンだ。しかも入場料は原則無料,横に箱があって志をそこに入れるようになっている。
ケンジントンパークの横のホテルに着いたのが午後4時だったのですぐに着替えてハイドパークをひと走り。西洋音楽の殿堂ロイヤルアルバートホールを見て感動。公園にリスを見て感動。夕食にローストビーフを食べがっくり。8時でまだ十分明るい。
ヒースロー空港からパンナム機で2時間,フランクフルト到着。ライン川遊覧はライン上りとなる。
そこへの途中のウイスバーデンの横丁で,ワイン祭りをやっておりそこでバンド演奏を聞きながら昼食。
ローレライの岩が近づくとスピーカーから<ローレライ>の音楽が流れる。
翌朝まだ暗い5時25分にハイデルベルグ城の方へ向かいネッカー川に架かる古い橋(カールテオドール橋)まで走った。このあたりは前に来た所で記憶にある。ハイデルベルク城に再会,素晴らしい城。まさに中世の真只中。そこからミュンヘンに向かう途中がまた素晴らしい景観こが次々と現れることになる。古城街道といって道の両側や山の中腹などに中世の古城が次々に現れる。それが途切れると,いよいよロマンチック街道となる
。見所たっぷりだがなんといっても城塞都市ローテンブルグ(左写真)はまるで童話の世界だ。
そこから美しい街道を行くと突然現れるのが右の写真のノイシュバンシュタイン城。ちょっと信じられないくらい美しい。いろいろな城塞都市を通過してやがてバイエルン州の州都ミュンヘンに着く。ミュンヘンオリンピックのメイン会場の隣にBMWの本社の円い高層ビルが建っている。
パリやはり華やかな雰囲気がある。朝ノートルダム寺院に行った時の写真が右,ランニングをすまして部屋に帰ったときノックの数が決まっていてそれが帰ったサインになっている。セーヌ川から凱旋門,エッフエル塔を見ると感激だ。華やかなブルボン王朝全盛のルイ16世とマリーアントワネットが住み,またギロチンに散った歴史は感じられないが,豪華絢爛ベルサイユ宮殿(左写真鏡の間ここにトイレが一つも無かったとは。
パリの夜はムーランルージュでフレンチカンカンのショウと,次の日はエッフエル塔からの夜景見物。やっぱり凄い。昼食はオペラ座前のカフエ<ドウ.ラ.ぺ>でする。
 ルーブルではモナリザの写真撮影はだめだった。サモトラケのミケなど見たが大作ばかりが並んでいる。
ルツェルン。ここであの高名な音楽祭が開かれるのだ。湖の向こうに山容怪異なピラタス山,湖上にはカペル橋。明日はアルプスに向かう。
登山電車はインターラーケンから出発。右側の席の方が良く見えるとのことで右に席を取る。緑の草原の中にカラフルな家並み。向こうにアルプスの山々。ユングフラウにメンヒ,感動である。アイガー北壁が見えて感動も頂点に達した(写真左)北壁をくり貫いたトンネルを50分,頂上駅のヨッホ駅はセーターを着ていても寒い。トンネルの窓からアレッチ氷河が見え右写真) レマン湖を通りジュネーブ駅からフランス新幹線に乗る。スーと発車してスーと停まる。放送が無く静か。                        ローマ到着は午後1時30分。ずぅーとヨーロッパを巡ってきたがここが一番暑い。真実の口,コロセオ,ホロロマーノ,カラカラ浴場と定番のコースを巡る。ホテルでシャワーを浴び,カンツォーネデイナーショーへ。 イタリア民謡をリクエストして楽しいひとときだった。
ホテルはボルゲーゼ公園の近くで調度品の質が高い。カメラをロビーに置き忘れたが出て来てこのホテルの印象は良い。
いよいよナポリ,ポンペイの日。ローマから太陽道路を3時間。全くの快晴。イタリアの陽光が輝く向こうにベスビオ火山。小高い丘から眺めたナポリ湾は,さすが世界3大美景と言われるだけのことはある(左写真)。ペレの別荘がこのソレント岬の先端にあった。
ローマへ帰り,スペイン広場に寄った。夕方で大賑わいだった(左写真
チカンのサンピエトロ寺院は荘重で中に入ると思わず緊張する。ミケランジェロ作の嘆きのピエタ像を前にしてカトリックの信者でなくても心が高まる。信者だったらその思いはいかばかりだろう。
バチカンとローマの境の鎖を越えてテベレ川に向かうと,左手に古いお城があった。これがプッチーニのオペラ<トスカ>に出てくる聖天使の城だ。ここで又感動。家に帰ってからCDを聞いてみて再び歓びを味わった。
89年8月18日
~23日
香港

マカオ
 CXは15時20分香港からB747機で到着,16時30分出発となった。右回りで香港カイタク空港に進入,海岸線に点点と明かりが見え印象的だ。むっとするよどんだ空気,タクシーでホテルに向かう途中リージエントホテルの横から写真で見た香港島の夜景が見えて,とうとう香港へ来たかと思い感激した。すぐにネーザン通りの方へ出かける。ネオンの洪水。活気はあるのだがゴミだらけ。変なところをぐるぐる回って方向感覚が変になってしまった。
朝ののランニングは旅の楽しみになっている。だれもいない繁華街は,夜とは別な顔を見せる。プロムナードに人はいない(左画像)食の後,香港島へ行く。若い女の子はたいてい携帯電話を持っている。流行のようだ。強烈に暑い。階段の両側でゲテモノみたいなものを売っているところで中国のソロバンを3丁250円で買った。フローティングレストランへも行ってみたが,とても食べきれる量ではないが,折角だから全部二人で食べた。
翌日のランは太極拳をしている公園を抜け,モンコックの先の道が二つに分かれるところまで行った。あちこちで小鳥の鳴き比べをやっている。
水中翼船でマカオへ75分。緑は無く,潤いの無い埋立地の向こうにカジノの大建築が見える。見所の一つになっている
モンテの砦(右画像)の所には中国から逃げてきた人が大勢物売りをしており,警官が来ると,クモの子を散らすように逃げる。捕まると送り返され,また,惨めな生活が待っているからだそうだ。ここの車は中国用とマカオ用とナンバープレートが二つ付いており,両国を行き来している。こちらの地下鉄は乗り方は日本と一緒だが車内は騒々しい,実に良くしゃべる。並ばない。降りきらないのに乗ってくる。女人街は物凄い量の商品がある。夜10時だがまだ人通りは絶えない。
ここのホテルではぺニンシュラが格式が高そうだ。アフタヌーンティーを飲みに行った。コーヒーにウイスキーが入っておりケーキ共でで2人で2800円。中二階で室内楽の演奏があって,それを聴きながらアフタヌーンテイーを楽しむ。皆バカバカ写真を撮っているので一緒にも撮ってしまった。セントラルで市内電車に乗り適当に降りたらすぐ前にランドマークがあり大ショッピングセンターになっている。
香港で食べた店で良かったのは,菩提素食という香港で人気の精進料理の店だ。美味いしくて安く,満腹してたしか2人で1800円。
帰りのトライスターは偏西風に乗り3時間10分で名古屋空港到着
89年1月4日~8日 バンコク〔タイ)

シンガポール


マレーシア
 大阪発タイ航空621便はエアバスA300は,B747に比べると小ぶりだが中は2+4+2と広い。コールボタンが無いので聞いたら到着までに三回来るから要らないでしょうとの返事。3時間でマニラ到着。活気の無い空港だ。飛行機があまりいない。ツバメが飛んでいる。
マニラから2時間30分でバンコクのドムアン空港到着。
夕方のバンコク市内は埃っぽく雑然としている。ハイウエイを市内へ向かう。道は広いが日本の戦後間もない頃の感じ。ボロボロの車,オート三輪のタクシーのトライショウが道にあふれ,騒音と歩行者無視,信号無視,横断歩道無し,信号はほとんど無し,もうめちゃくちゃて゛ある。高速道路の横には掘っ立て小屋が並んでいるかと思うと,荒地に立派な高層ビルが建っている。薄くらい繁華街を通りホテルに向かう。この旅のホテルはあまり期待していなかったが安っぽさはなく,なかなか良い。
すぐに街へ出て食事。こちらの人と一緒に食べようと普通の店に入ったが往世が怖いというので屋台へ行く。団子2串30円,ラーメン50円。辛子をかけすぎて店の人が水で薄めてくれたがもう駄目。大賑わいの横丁で土産を買う。だいたい半額くらいで買った。日本の初夏の気候だ。朝食には専任のバンコク娘がついて面倒をみてくれる。
チャオプラヤ川を船で行き,生活感のある支流に入りフローテイングマーケットへ。小船で物を売りに来る。ワットアルン(暁の寺)からワットプラケオ(エメラルド寺院)王宮と巡る。夜は民族舞踊を見ながらの食事。独特の香辛料が入っている。帰りに見た路上の乞食は動物的でかわいそう。
バンコクからシンガポールは2時間30分。
チャンギ空港は立派。緑いっぱいの広い道の向こうに高層マンションが建ち並ぶ。リークワンユー首相の方針で,市民は給料の35%を強制的に積み立てて,4~500万円の住宅を購入するのだそうだ。若く美しい国というのが第一印象。マーライオン公園,エリザベスウオークなど周り,夜はウエスチンスタンホードホテルの最上階70階のレストランて゜夕食(左画像)こんもりした森のかげに日本のコニカなどのネオンが目立って雰囲気を壊している。ローストビーフなどを90分かけて食べた。その後,ラッフルズホテルのテイールームのモームの写真の前でお茶を飲んだ。ここはもうすぐ取り壊し新しいホテルをつくるそうだ。ニュートンサーカスを見に行く。すごい熱気。
1月7日,今回の旅で始めて走る。6時10分ホテルを出る。まだ暗い。あまーい香りが街全体をおおっている。日本の何月の気候だろう。初夏か。すぐに汗が出る。オーチャード通りを北へ,地下鉄はまだ開いていない。ル・クラツシツクで折り返し,マーライオン公園まで行く。誰も居ない。7時40分ホテル着。気持ち良かった。ジョホール水道を通りマレーシアへすんなり入国。ここで始めて天皇が亡くなったことを知った。各紙一面のトップで大きく報道していた。
ジョホールバルのサルタンモスクの衛兵の写真を撮ろうと思ったらお金を請求され渡したらニッコリしてポケットへしまった(右画像)オーチャード通りでちょとショッピングしてみたが,シンガポールというかこのあたりは凄く高い。アクアのマフラー20000円。
大阪行きのタイ航空は朝が早い。ホテルを6時30分に出発する。快晴で機上からメコン川の蛇行。バターン半島。名山の風格があるマリベレス山。小野田さんの居たルバング島,沖縄上空でストンと落ちる落日を見て,20時20分大阪空港到着。
1988年8月
18日~23日
オワフ島〔ハワイ)

マウイ島
 ハワイまで7時間30分.往世にとって初の外国旅行。飛行機の窓からダイヤモンドヘッドが見えたときは感激していた。当たり前のように市内観光に行く。バンチボールの丘から市内を一望し,カメハメア大王像を見,アラモアナ海岸で写真を撮り,12時にシャラトンワイキキホテルの1966ルームへ。ダイヤモンドヘッドを一望,眼下にワイキキ海岸とロイヤルハワイヤンのピンク,沖はエメラルドグリーンの海。最高のロケーション(左画像)頬にあたる風は心地良い。最高。ここに5泊すると思うと感激・・と当時の旅日記にある。
この日の夕食はワイキキ海岸のビンガーというレストランでステーキとロブスター(1500円)を食べた。12時に寝たが,カラカウア通りはまだ賑わっている。
2日目の走りはワイキキ~ダイヤモンドヘッド往復。このコースはホノルルマラソンのコースの一部で懐かしい。大勢の人が走っている。朝食はホテルのハノテラスで食べ,それからハナウマベイで魚と遊ぶ。50センチくらいの魚に餌をやっていたら指を噛まれた。ここは溶岩の海岸で足が痛い。夜はダニーカレイキニショウ。ブルーハワイ,マイタイ,チチなどを飲む。
3日目は地元のUTツアーでオワフ島一周。サーフアーの憬れノースシヨアーては大会が行はれていた。タートルベイヒルトンのプライベートビーチで泳ぐが,ここも海底が溶岩で痛い。暑いが木陰はひんやりして涼しい。PCCは出演者も多く火を使ったショウはダイナミックだ。
四日目は往世の希望でショッピングデイ。カラカウア通りやアラモアナショッピングセンターへ。朝食は運河に近いところにあるスモーキーというレストランで小鳥と一緒に食べた。ここは良かった。又来たい。
夜は交換台の人にステーキの美味いところを聞いて,ハイアットリジエンシーホテルの中のコロニーステーキハウス。18+15+2センチのステーキが20ドル。
5日目,吉田ツアーでマウイ島へ。ハワイアンエアーラインはDC9,左側の席がオアフ島やダイヤモンドへットが良く見える。
世界3大死火山のハレアカラ火山へ。半そでのシャツではちょっと寒い。ここは雪が積もるそうだ。イオアニードルの怪異な山容も印象的だ。元ハワイの首都ラハイナの町,パイオニア・インなどガイドブックそのままのものが目の前に現れる。名物のサトウキビ列車の名物車掌も面白い。窓側は暑いが不思議と汗は出ない。食べたいと思っていたものは全部食べ,飲みたいものは全部飲んだので,今夜はワイキキでハンバーグを食べた。
6日目の朝は,次に来るときのためにホテル探しのラン。ヒルトン,ハレクラニ,ハイアット,リージエントなどが好いな。朝食はホテルのテラス。ここは心地よい。ほかのホテルに泊まってもここに来たい。帰りの空港で同じ職場のG氏に会った。
帰りの日航機は満席。ずーと昼間だった(右画像)
15時30分二男の出迎えをうけ帰る。家で食べたトーストとコーヒーが美味かった。 
1985年
12月

オワフ島〔ハワイ)
   ゴール 君原さんと一緒に

 ホノルルマラソンはアラモアナの先がスタート地点。女性歌手によるアメリカ国歌が終わると,6時真っ暗の中を大砲一発スタートである。
ワイキキのあたりで明るくなる。この辺は道の両側に観光客が大勢で応援してくれるので嬉しい。
カピオラニ公園を通ってにダイヤモンドヘッドからは太平洋が一望でこのマラソンコースの中でも景色の良いところだ。
高級住宅地帯のあたりでは一家総出で応援してくれている。高速道路に入ると応援の人は少なくなりそろそろトップランナーが折り返してくる。
ホノルルマラソンがランナーに人気があるのは市民の温かい応援と,いつまででも待っていてくれるスタッフの人達が居るからだろう。
写真は左からゴール付近。カピオラニ公園でゴール後三々五々休んでいるもの。その右がメキシコオリンピック銀メダルの君原さんと。その右が完走者パーテイーで(青いシャツは完走記念シャツ
1977年
イギリス
ドイツ
スイス
フランス
イタリア

ロンドンの街角 アレッチ氷河 ホロロマーノ ムーランルージュ ハイデルベルグ

1975年
済州島(韓国) 初の海外旅行であった。当時磯釣りに凝っていて毎週くらい紀伊半島へ行っていた。所属していた全日本磯釣り連盟か゛韓国の南島磯釣りクラブと対抗戦をチエジユ島でやることになって韓国へ行った。初めて機上から韓国の町が見えたときは,初めての外国ということで感激であった。
ソギポ{西帰浦)とか虎島の磯で石鯛をねらったが釣れなかった。釣れなくても素晴らしい自然に接し満足な大会だった。
餌のサザエもすごく安く,たっぷり使え大満足。余ったさざえととこぶしは磯の上で海水で洗って食べたが,これがまた美味しかった。たしかに当時の韓国はまずしく今の隆盛が信じられないほどであったが,皆一生懸命に生活していることが感じられ好感を持ったことをおぼえている。
(左右の画像は釜山港付近)
1974年
済州島(韓国)                            釣りに夢中になっていた時期だった。とうとうTV局から釣りの
番組に出てくれないか
との依頼があり,妻と一緒に30分間,釣りの自慢話を  同じ釣り好きの 豊橋商工会議所のK会頭と話しをしてきた。
私が釣りでいつも家を空けるので,妻は釣り後家といった立場で話しをした。
魚拓もたくさん持っていって映してもらったが,このHPでもいつか紹介したいと思っています。
(とうとう魚拓をアップしてしまいました02.7.24)
ただし今は釣りから足をあらっている。
これは旅行のHPだから釣りのことは関係ないか?
                これは30年以上前の前の話しです。
(左画像はTVのもの)(右画像は,2回目の全磯連済州島遠征
虎島の磯のもの)
釣りの記録の一部