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ヒエログリフ

エ ジ プ ト

09年1月2日〜7日

 国名エジプト・アラブ共和国 (Egypt/EGY)
 首都=カイロ 
 人口=7690万人
 言語=アラビア語 
 通貨=エジプト・ポンド
 国旗の意味/赤が革命と国民の犠牲を 白は国の明るい未来を
          黒は抑圧されていた長い年月を表している

 備考/約5千年前の建国で 古代文明の発祥地
    1882年英国に占領されたが 独立運動が盛んで 1922年
    立憲王国 1952年革命の結果共和国となり 1958年シリア
    とアラブ連合共和国を結成 このためシリアの国旗とよく似
    ている 1961年シリアは離脱 1971年エジプト・アラブ共和
    国と改称 綿花・穀物・サトウキビなどの農産物に富む
    面積/ 100万平方km(日本の約2.6倍)

エミレーツ航空 A−340−300型機 ドバイから中部国際空港へ到着

 
 エミレーツ航空EK315便ドバイ行
は今日の中部国際空港最終便 空港内は午前中の喧噪がうその様に閑散としている中 
 Fカウンターだけは行列
 A340・300型の座席配列は2×4×2(後方の数列は2×3×2)今回はドバイまでは夜ばかりで展望が無いし 孫と3人なので チェックインで
 後方の3人並びの席を予約 乗り換えのドバイからは展望のきくA・B・Cの席を予約 コートを2Fの到着フロアーのコインロッカーに預ける 

 いつも使うプレミアムラウンジは午後8時30分までなのですぐに出国審査へ
 ゲートも一つ開いているだけ 免税店はすべて開いていた
 出発30分前に機内へ 座席のピッチ・幅ともに普通の広さ 座関前にディスプレーはあるが数十チャンネルある映画などの内日本語のものは
 2チャンネルのみ オーディオも15チャンネルぐらいあったが クラッシック音楽は2チャンネル 
 2時間後夕食 内容は平凡 飲み物のサービスなどの客室乗務員は 歩く速度が速く頼みにくい
 秒速65mの向かい風のため最高速度は750キロ 機外温度は−50℃ 高度11000m 機内温度は21℃ 湿度は30% 夜行便は寒い 
 毛布使用 約5時間の睡眠 朝食 まだ外は真っ暗 12時間のフライトで午前5時55分
 ドバイ国際空港到着 時差は5時間 新しい空港で床は
 ピカピカ この新しい空港 不思議なことにエスカレーターがない トランジットゲートまで約300m歩く 
 約3時間待ち 夜が明けてきた 午前8時50分 
エミレーツ航空A320機カイロへ 4時間のフライトの間 地上は延々と赤褐色の砂漠 
 その砂漠の中に一本の道 ところどころに オアシスや丸い農園が見える 
シナイ半島から 紅海の上を通ってナイル河が見えてくるとカイロ 
 まさに砂漠の中の大都会だ ここで25米$でビザを簡単に取得 すんなり入国  時差は−7時間 午前11時 外の気温は約20℃
 市内のレストランで
シシケバブの昼食 アルコール入りビールは外国人用に2種類あったが どちらも350ccぐらいで55O円 YENの通りは悪く 
 米ドルかエジプトポンドが一般的


砂漠の中のみどり

紅海上空


ミナレットが美しい
モハメット・アリ・モスク


旧市街一望
(サムネール画像) クリックすると大きくなります

  市街に緑は少なく 木々の葉は砂で白っぽくなっている中 旧市内の市内を一望できる高台に建つイスラム教のモハメット・アリ・モスクへ 
 オスマン様式のミナレットが建ち トルコのブルーモスクやアヤソフィヤを思い出す すぐ隣は丘陵地はもう砂漠
 この日 南のルクソールへ向かうため空港へ 午後5時
エジプト航空B737機は満席 砂漠の中 夜のルクソールの街は光で輝いている
 約50分で
ルクソール空港到着 レストランで夕食後 ライトアップされているルクソール神殿の横を通って ナイル河沿いにあるホテル
 ナイル・パレスへ 中庭が広く快適そうなホテル
 孫はエキストラベッドを使う なんでも自分で出来る 

  次の日 ルクソールの日の出は6時33分 6時に窓から外を見たら東の空が明るくなっていたので ジョギシューを履き外へ出る 
 早朝でも車の往来は多い 歩道はあるが段差が20p以上あり また路面が凸凹 4キロ行って帰ってきたが その間信号は一つだけ
 ナイル河の西岸には太陽を光を浴びバルーンが数個浮かんでいた
 7時に部屋に帰り 風呂に入り朝食レストランへ ブュッフェは高品質で品数も多い オムレツとパンが美味しかった 果物は少ない
 ナイル河東岸は 死者の都といわれる西岸に対して 陽が昇る生者の都といわれ 古代エジプトの首都として栄えた
 その生者の都 ルクソール東岸の中心はルクソール神殿とカルナック神殿 
 国家最高神である アメン神のために造られた巨大な神殿がカルナック神殿 この二つの神殿はかってスフィンクスが立ち並ぶ参道で
 結ばれていたが今もその一部が残されている
 クレオパトラがローマの英雄シーザーと一緒にナイル河の船遊びをしたことは知られているが この神殿も間違いなく訪れたはず
 歴史上有名なこの二人がどんな会話を交わしながらここを歩いたか想像しながら列柱の間を歩くのも楽しいだろう

ルクソール神殿・カルナック神殿の列柱群 オベリスクとラムセス二世像

  ファラオ達が永遠の眠りにつくナイル河の西岸は陽の沈む死者の街 まず目に入るのは メムノンの巨像 その向こうに ファラオが亡くなった時に
 葬儀が行われた葬祭殿 
<ハトシェプス女王>の葬祭殿は崖を利用した建てた三階建で壮麗なもの トラムで巡る
 そこから右に回り込み谷に入ると 山の麓が
<王家の谷>と呼ばれるところ 死者の街と呼ばれるが名前から受ける印象とは反対にさんさんと降り
 注ぐ太陽の光の下ではすべてが明るい 一月はエジプトの冬 この地の昼間の気温は約22ド℃ぐらいで快適だが 夏は谷間で風も吹き込まなく
 凄い暑さが想像できる 駐車場から谷の一番奥にある
トトメス3世の墓まではそうとうの距離があるので ここも20人乗りほどの車両が4〜5両連なった
 トラムで行く なんといっても有名なのは
<ツタンカーメンの墓>1922年に発見された時は世界が震撼した 王墓にしては小規模だが玄室には
 ファラオと神神を描いた美しいレリーフがあり 
ツタンカーメンのミイラを納めた人型棺と石棺も安置されている ここはす大にぎわいで行列
 発見された豪華な副葬品は 
カイロの考古学博物館に展示されている ここが盗掘に遭わなかったのは 他の王の下に造られていて
 発見されなかったという
 その他に色鮮やかな壁画が残る
ラムセス4世の墓 壁に太陽の光に導かれて昇天するファラオや死者の書が細かく描かれているラムセス9世の墓
 谷の一番奥にある 
トトメス3世の墓は内部のレリーフはパピルスの巻紙を壁に張ったような特殊な描き方がしてある  
 この日 午後8時発の
寝台特急<アベラ>でカイロに向かう ルクソール駅を定刻出発 車内は二人用のコンパートメント方式で エアコンや洗面台
 タオルやコップなど一通りの物はそろっている 発車して一時間後に乗務員がベッドメーキングに来る コネクティングルームで隣の二人と室内のドアー
 で往き来でき便利だった  



メムノンの巨像



ハトシェプスト女王
 葬祭殿
←の前庭全景

ツタンカーメンの墓入口

王家の谷
   墓の中の
   レリーフ

夜行特急アベラの客室

  次の日 アベラに約10時間乗車し 午前6時カイロ駅に到着 到着1時間前に簡単な朝食が出た
 日の出は7時なのでまだ真っ暗 駅前のホテルのロビーで一時間ほど休憩 
 ホテルから車で約10分 家並みの間にピラミットが見えた時は感動した 
 三大ピラミットはナイルの西岸約1キロ ギザま街外れの砂漠の中の硬い石灰岩の層の広がる小高い台地にあり 数千年の時を経て 
 今なお我々に脅威と感動をほ与えている
  一番大きい
クフ王のピラミット(一辺の長さ215m・傾斜角53.10度・元の高さ143.5m・現在の高さ136.4m)の内部へ入る
 しばらくは下にへ進むと上昇通路へ出る 湿気が高い この辺りは通路の高さは1.3m 何度も頭を打つ 大回廊へ この辺りは高さ9m・長さ47m
 幅2m 大回廊を登りきると控えの間 ここには盗掘を防ぐための石を滑らし通路を遮断する石落としの装置がある 通路の終点は王の間 蓋のない
 石棺が一つ置かれていた ミイラや副葬品は一切無発見されておらず 王の盗掘を防ぐ努力も空しかった様だ
 
ピラミットの内部見学は午前・午後各150人と制限されている
 クフ王のピラミットの総重量は約600万トン 一人50キロで計算すると1億2000万人分の重量になる 即ち
日本人の総重量と同じになる
 建設には滑車を使わず 巨大なソリに乗せて大勢でひっばりあげたというから 目の前でピラミットを見るといまさらながら驚きだ
 三大ピラミットを一望できる地点があって そこから見る砂漠の中の三つのピラミットは感動であった

クフ王のピラミット入口


この大きさの石が
230万個

ピラミット遠望




ギザのレストランから
見たピラミット


屈折ピラミット


聞こえるのは風の
音だけ

ラムセス二世の巨像

大理石製の
スフインクス

階段ピラミット

  赤のピラミット
  昼食後 約5000年前 当時 上エジプト(北)下エジプト(南)に分かれていたエジプトを統一して初代ファラオに就いたメネス王
 
エジプト最初の首都と定めたメメンフィスには当時の面影はなく その遺跡は現在野外博物館として保存されている
 
ラムセス二世の巨像やアラバスター製のスフインクスなどがわずかに往時を偲ばせている 
 
サッカラは首都の死者を葬るための街ネクロポリス ここには最古のジェセル王のピラミット 階段ピラミットがある
 
ダハシュールはさらに南 ここには途中から傾斜角度が変わる屈折ピラミット 赤味を帯び傾斜角度のゆったりした赤のピラミット 
 黒みがかった
黒のピラミットなど個性的なピラミットが多くある この地域は一般に公開されて間もないからか 観光客が少なく 聞こえるのは
 風の音だけの静寂の地だった
  現在の首都カイロへ向かう ここも世界の都市と同じ様に都心は大渋滞 信号が少ない 横断歩道が少ない 車道と歩道の段差が大きい 
 歩道はデコボコ 
ラムセス・ヒルトンが見えているのになかなか到着しない 部屋は12階のコーナールームでナイルがよく見える バスルームも
 広く快適 一服後 8時から
ナイル河クルーズへ ペリーダンスを見ながらのブュッフェの料理 会話も出来ないぐらいの大音量のバンド演奏に
 のってのベリーダンスショー 外の景色はなにも見えない 10時にホテルへ戻る バルコニーから見たカイロの夜景が綺麗
 

  
次の日 6時30分 ランに出る 気温は10度ほどだろうか 春用のウインドウブレーカーでちょうど良い 
 エジプトのホテルのスタッフは欧米に比べるとどうも愛想が良くないな こちらが挨拶しても笑顔が返ってこない
 信号が無いし 横断歩道も見当たらないので横断に一苦労 7時ごろナイルの向こうから太陽が昇ってきた 1時間で部屋に戻る

 このホテルの朝食のビュッフェは料理の種類も多く上質だ
 すぐ隣にある 
エジプト考古学博物館へ 入るまでに二回のセキュリティーチェックを受ける カメラの持ち込みも禁止
  一階は 時代別に分かれ ピラミットが建設された
古王国時代、 エジプトが統一された中王国時代、ツタンカーメンや
 ラムセス二世の生きた
新王国時代、そして末期王朝からグレコローマン時代までの美術品が展示されている
  二階は ツタンカーメンの財宝が中心だが そのほか 
ファラオや貴族たちのミイラ室 死者の書とパピルス 生活風景
 などを集めた展示となっている
 1922年に発見された
ツタンカーメンの黄金のマスクはここに展示してあり妖しい光りを放って観る者の心を惹きつけている
 これら財宝の価値は アメリカの国家予算一年分にあたるといわれている
 
ハンハリーリバザールの中は迷路の様 数百年の歴史を誇るこの巨大な市場の値段はすべて交渉次第
  エミレーツ航空ドバイ行は19時15分出発 食事の内容も食器も平凡 マスク・歯ブラシなどのグッズが付いていた 
 乗務員のサービスも平凡 期待をもってエミレーツに乗ったが少々裏切られた感じ 機材のA340は新しいがオーディオ
 映画などの プログラムは少ない
 帰りは秒速70メートルの
偏西風に乗り 時速1150K 速い速い 2時間45分で深夜のドバイ到着
 中部国際空港までは8時間少々 後方が2〜3列空席だったのでそこの席に替わる 知多半島の先端師崎を右に見て 
 セントレアに16時50分到着 着陸風景が座席の前のディスプレーに映るのは良い

 <エジプト旅行記> 終り