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ヒエログリフ
エ ジ プ ト |
09年1月2日〜7日
国名=エジプト・アラブ共和国 (Egypt/EGY) 首都=カイロ 人口=7690万人 言語=アラビア語 通貨=エジプト・ポンド 国旗の意味/赤が革命と国民の犠牲を 白は国の明るい未来を 黒は抑圧されていた長い年月を表している 備考/約5千年前の建国で 古代文明の発祥地 1882年英国に占領されたが 独立運動が盛んで 1922年 立憲王国 1952年革命の結果共和国となり 1958年シリア とアラブ連合共和国を結成 このためシリアの国旗とよく似 ている 1961年シリアは離脱 1971年エジプト・アラブ共和 国と改称 綿花・穀物・サトウキビなどの農産物に富む 面積/ 100万平方km(日本の約2.6倍) |
エミレーツ航空 A−340−300型機 ドバイから中部国際空港へ到着 |
市街に緑は少なく 木々の葉は砂で白っぽくなっている中 旧市内の市内を一望できる高台に建つイスラム教のモハメット・アリ・モスクへ ファラオ達が永遠の眠りにつくナイル河の西岸は陽の沈む死者の街 まず目に入るのは メムノンの巨像 その向こうに ファラオが亡くなった時に
次の日 アベラに約10時間乗車し 午前6時カイロ駅に到着 到着1時間前に簡単な朝食が出た 日の出は7時なのでまだ真っ暗 駅前のホテルのロビーで一時間ほど休憩 ホテルから車で約10分 家並みの間にピラミットが見えた時は感動した 三大ピラミットはナイルの西岸約1キロ ギザま街外れの砂漠の中の硬い石灰岩の層の広がる小高い台地にあり 数千年の時を経て 今なお我々に脅威と感動をほ与えている 一番大きいクフ王のピラミット(一辺の長さ215m・傾斜角53.10度・元の高さ143.5m・現在の高さ136.4m)の内部へ入る しばらくは下にへ進むと上昇通路へ出る 湿気が高い この辺りは通路の高さは1.3m 何度も頭を打つ 大回廊へ この辺りは高さ9m・長さ47m 幅2m 大回廊を登りきると控えの間 ここには盗掘を防ぐための石を滑らし通路を遮断する石落としの装置がある 通路の終点は王の間 蓋のない 石棺が一つ置かれていた ミイラや副葬品は一切無発見されておらず 王の盗掘を防ぐ努力も空しかった様だ ピラミットの内部見学は午前・午後各150人と制限されている クフ王のピラミットの総重量は約600万トン 一人50キロで計算すると1億2000万人分の重量になる 即ち日本人の総重量と同じになる 建設には滑車を使わず 巨大なソリに乗せて大勢でひっばりあげたというから 目の前でピラミットを見るといまさらながら驚きだ 三大ピラミットを一望できる地点があって そこから見る砂漠の中の三つのピラミットは感動であった
エジプト最初の首都と定めたメメンフィスには当時の面影はなく その遺跡は現在野外博物館として保存されている ラムセス二世の巨像やアラバスター製のスフインクスなどがわずかに往時を偲ばせている サッカラは首都の死者を葬るための街ネクロポリス ここには最古のジェセル王のピラミット 階段ピラミットがある ダハシュールはさらに南 ここには途中から傾斜角度が変わる屈折ピラミット 赤味を帯び傾斜角度のゆったりした赤のピラミット 黒みがかった黒のピラミットなど個性的なピラミットが多くある この地域は一般に公開されて間もないからか 観光客が少なく 聞こえるのは 風の音だけの静寂の地だった 現在の首都カイロへ向かう ここも世界の都市と同じ様に都心は大渋滞 信号が少ない 横断歩道が少ない 車道と歩道の段差が大きい 歩道はデコボコ ラムセス・ヒルトンが見えているのになかなか到着しない 部屋は12階のコーナールームでナイルがよく見える バスルームも 広く快適 一服後 8時からナイル河クルーズへ ペリーダンスを見ながらのブュッフェの料理 会話も出来ないぐらいの大音量のバンド演奏に のってのベリーダンスショー 外の景色はなにも見えない 10時にホテルへ戻る バルコニーから見たカイロの夜景が綺麗 次の日 6時30分 ランに出る 気温は10度ほどだろうか 春用のウインドウブレーカーでちょうど良い エジプトのホテルのスタッフは欧米に比べるとどうも愛想が良くないな こちらが挨拶しても笑顔が返ってこない 信号が無いし 横断歩道も見当たらないので横断に一苦労 7時ごろナイルの向こうから太陽が昇ってきた 1時間で部屋に戻る このホテルの朝食のビュッフェは料理の種類も多く上質だ すぐ隣にある エジプト考古学博物館へ 入るまでに二回のセキュリティーチェックを受ける カメラの持ち込みも禁止 一階は 時代別に分かれ ピラミットが建設された古王国時代、 エジプトが統一された中王国時代、ツタンカーメンや ラムセス二世の生きた新王国時代、そして末期王朝からグレコローマン時代までの美術品が展示されている 二階は ツタンカーメンの財宝が中心だが そのほか ファラオや貴族たちのミイラ室 死者の書とパピルス 生活風景 などを集めた展示となっている 1922年に発見されたツタンカーメンの黄金のマスクはここに展示してあり妖しい光りを放って観る者の心を惹きつけている これら財宝の価値は アメリカの国家予算一年分にあたるといわれている ハンハリーリバザールの中は迷路の様 数百年の歴史を誇るこの巨大な市場の値段はすべて交渉次第 エミレーツ航空ドバイ行は19時15分出発 食事の内容も食器も平凡 マスク・歯ブラシなどのグッズが付いていた 乗務員のサービスも平凡 期待をもってエミレーツに乗ったが少々裏切られた感じ 機材のA340は新しいがオーディオ 映画などの プログラムは少ない 帰りは秒速70メートルの偏西風に乗り 時速1150K 速い速い 2時間45分で深夜のドバイ到着 中部国際空港までは8時間少々 後方が2〜3列空席だったのでそこの席に替わる 知多半島の先端師崎を右に見て セントレアに16時50分到着 着陸風景が座席の前のディスプレーに映るのは良い <エジプト旅行記> 終り |