史 料

 

白虎隊に関する史料や古い文献を現代口語訳してみました。著作権切れの史料転載もあります。
管理人は歴史の専門家ではなく、現代語訳はあくまで素人の解釈にて訳したものですので、読み違いや意味の取り違い等あるかもしれません。故に、現代語訳が100%正確であるとは思わないでくださいね。
* 白虎隊士の略伝・逸話等は、白虎隊士の略伝(1)及び
飯沼貞吉FILEを参照ください。←別窓で開きます。
* 白虎隊と直接関係はないけれど、朱雀隊の戦場日誌や、少年時代に戊辰戦争を経験した人の体験談を、
番外編として紹介しています。


白虎隊顛末略記 白虎士中二番隊生存者、原新太郎と飯沼貞雄が明治期に書き上げた白虎隊顛末記。(原文写真と活字化版、解説付き)
戊辰戦争実歴談 白虎士中二番隊生存者の一人である酒井峰治が残した手記。(現代語訳)
原田伊織翁の直話 白虎士中二番隊の半隊長、原田勝吉(後、伊織)の談話。秋月次三 『白虎隊誌』 所載。
建議書 白虎士中二番隊嚮導の篠田儀三郎・安達藤三郎両名が、家老萱野権兵衛に提出した出陣を促す建議書(井深茂太郎の筆)。(原文と現代語訳)
林八十治書簡 白虎士中二番隊自刃十九士の一人、林八十治が慶応4年8月9日付にて当時越後方面に出陣していた父忠蔵に宛てた手紙。(原文と現代語訳)
津川喜代美書簡 白虎士中二番隊自刃十九士の一人、津川喜代美が慶応4年8月11日付にて実兄二人(越後方面に出陣中)に宛てた手紙。(原文と現代語訳)
渡部家文書 飯盛山にて自刃した白虎士中二番隊士のうち唯一蘇生した飯沼貞吉を最初に救助した渡部佐平の忠義を伝えようと、佐平の長男嫁むめが語る救助の実証を書き取った文書。(現代語訳)
「天理可楽怖」第三号の記事 初めて世に報道された白虎隊の飯盛山での自刃および会津戦争に関する新聞記事。
白虎隊碑 明治23年、飯盛山に建てられた白虎隊碑の碑文。撰者は山川浩。(読み下し文)
飯沼貞雄書簡 明治44年12月19日付、森勝蔵宛。飯盛山で自刃した隊士の人数に関する質問への返信。
會津藩白虎隊之覚書 白虎寄合一番隊の生存者、高木八郎の手記。
飯沼貞雄翁の電信線架設
に就いて
明治27年、日清戦争時に朝鮮半島で電信線を架設する任務を全うした飯沼貞雄の同僚の話。
白虎隊事蹟 明治27年6月、中村謙著、河井源蔵発行。著者の中村謙が飯沼貞吉(貞雄)、印出ハツ、白虎隊遺族の協力を得て執筆した文献。
白虎隊実歴談 「河北新報」 明治43年6月28日〜7月4日に連載された記事。飯沼貞雄の直話を、河北新報社の國分坊が文章化。
白虎隊唯一の生存者 「河北新報」 昭和6年2月13日付および2月14日付、飯沼貞雄氏の死去を報じた記事。略歴も紹介。
会津日報記事 「会津日報」 昭和6年2月14日付、飯沼貞雄氏死去と略歴に関する記事と、 昭和6年2月24日付夕刊、飯盛山に合祀の反対記事。
飯沼貞雄翁の遺髪と義歯 「会津会雑誌」 第38号(昭和6年)に掲載された、根本一氏の寄稿文。
白虎隊の犠牲も国を思う叫び イタリアより寄贈された記念碑の建碑式典での山川健次郎の講演。
會津魁新聞記事 「會津魁(さきがけ)新聞」 昭和42年10月6日付の記事。上記「渡部家文書」の発見が報じられている。


■番外編■
七十年前の思い出 飯沼関弥(貞吉弟)の、戊辰の年の思い出話。
(「飯沼貞吉
FILE」に『藻汐艸』の転載があります)
古老の話 飯沼関弥翁談(上) 『江戸読本』 昭和14年5月号に掲載された、飯沼関弥の思い出話。戊辰戦争後の謹慎中のこと、斗南移住の話など。
古老の話 飯沼関弥翁談(下) 『江戸読本』 昭和14年6月号に掲載された、飯沼関弥の思い出話。明治期の会津松平家、思案橋事件など。
感 想 丹羽五郎の戊辰時の思い出話。
追憶談 宗川虎次の戊辰時の回顧談。
三の丸の籠城に就きて 郡寛四郎の籠城時の思い出話。
朱雀四番士中組戦争調書 朱雀士中四番隊の越後戦争日誌。(筆者不明)



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