飯沼貞雄書簡

 

これは、明治四十四年十二月十九日付の森勝蔵宛の書簡で、飯盛山で自刃した白虎隊士の人数に関する森勝蔵(東京牛込に在住)の質問への返信となっています。白虎隊関連の研究書等に部分引用されたことはありましたが、全文が掲載されているものは少なかったので、此方に全文を掲載しておきます。



 御葉書難有奉拝誦候。陣者御尋之件ハ左記之通リニ御座候。白虎隊之内飯盛山ニ於テ自殉シタル人員ハ十六名ガ正当ニ有之候。十九名ト称スルハ飯盛山ニ達セサル途中ニ於テ戦死シタルモノ三名アリ。之ヲ含ミ十九名ト世間ニテハ申居候事ト存候。
 松平家ニ扶ノ飯沼ハ小生ノ実弟ニシテ白虎隊ニハ無之、小生ガ右ノ十六名之一人ニ御座候。次ニ西郷家ト御親戚之由御懐しく候。頼母氏ノ妻ハ飯沼ヨリ嫁シタルモノニシテ千重ト称シ小生ノ叔母ニ当リ当年三十四才ニシテ自邸ニ於テ自殉致候者ニ御座候。何レ上京ノ折リ有之候ハハ、拝顔之上緩々御話し申上度く存候。先ハ不敢取御返事まで。        早々拝具

  十二月十九日                         飯沼貞雄

 森 勝蔵 様



注)「松平家ニ扶ノ飯沼」とは、貞雄(貞吉)の実弟、飯沼関弥のこと。関弥は当時、松平家の家令を務めていた。

上記書簡には自刃した十六人の名はありませんが、北原雅長 『七年史』によると下記の通り。

篠田儀三郎、西川勝太郎、津川喜代美、安達藤三郎、野村駒四郎、簗瀬勝三郎、簗瀬武治、井深繁太郎、有賀織之助、間瀬源七郎、伊藤俊彦、林八十治、永瀬雄治、鈴木源吉、石田和助、飯沼貞吉



原文 : 宮崎十三八 『白虎隊十六士説』(鷺草 第2巻第10号)に全文を掲載



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