大好きな場所。
或いは、
置き忘れてきた魂があるところ。
ずっと変わらない景色。変わってしまった景色も。
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真夜中の蔵王エコーライン
蔵王連峰を東西に横断して、宮城県と山形県を結ぶ山岳道路。
国道4号白石(宮城県側)から登っていくと、遠刈田の温泉郷を過ぎたあたりから人家が途切れる。でも、そこはまだ地上の灯が見える“人の領域”。澄川の冬季閉鎖ゲートを抜けたあたりで景色が一変して、道路脇の樹木が無くなり、ヘッドライトは赤土に転がる岩を照らし出す。別の惑星を感じさせる“天の領域”。
昼間は観光バスで渋滞するこの道も、深夜ともなると、追いつく車もすれ違う車もなく、半径10km以内には、たぶん自分ひとりしかいない。(・・・んじゃないかと思う)
星は降らない。もっと確かな存在として、瞬きもせず天空に在る。明るいのではなく大きくて、クリスマスツリーの丸いガラス飾りのように静かに空を埋めつくしている。星に睨まれる。少し怖くなる。
宮城県刈田郡蔵王町
140°29’33”E / 38°08’16”N
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根府川駅
根府川
東海道の小駅
赤いカンナの咲いている駅
たつぷり栄養のある
大きな花の向うに
いつもまつさおな海がひろがつていた
〜茨木のり子“根府川の海”より
東海道本線根府川駅。小田原から熱海方面に2駅。
茨木のり子さんの詩、“根府川の海”で歌われた、紺碧の海を見下ろす高台の無人駅。
朱い瓦屋根の小さな駅舎の改札を抜け、薄緑色に塗られた木造の跨線橋からホームに降りると、終戦から50年以上経った今でも、赤いカンナの花が咲いていた。
駅前では大きな桜の木が影を落とし、線路脇では夏蜜柑と檸檬が、通過する貨物列車の風に揺れている。
時の流れが止まってしまったかのような空間。列車が出ていってしまった後、一瞬、時間が止まるのを感じた。
実は、この駅は、もうひとつ・・・
もうひとつの根府川駅は、海の底。関東大震災で発生した山津波に呑まれ、列車ごと海に沈んでしまったとの事。現在でも、水深15mの海底に存在し、スキューバのライセンスがあれば、当時のプラットホームに降り立つ事が出来る。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~nebu/kanbanmae.jpg
神奈川県小田原市
139°08’19”E / 35°12’10”N
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塩の道温泉 岩岳の湯
白馬岩岳スキー場の向かいの公衆浴場。
宿泊施設の浴場が利用出来るゲレンデが多いが、ここが一番好き。コルチナ・白馬乗鞍・栂池あたりからでも、裏道を使えば遠くない。シーズン中でも比較的空いていて、暗くなってからは特にゆっくり出来る。栂池で晩飯、岩岳で風呂、国道沿いのコンビニで翌日の朝食を仕入れて、ゲレンデの駐車場に戻って寝るというのが、いつものパターンだな。
2,500万年もの間、封じ込められていたと云われる茶色い湯の桧風呂と、牛乳瓶の自動販売機。ストイックな体育会系スキー合宿のメッカだけあって、表のコインランドリーには洗濯当番の学生が佇んでいたりして、リゾートとは違った雰囲気を醸し出している。
長野県北安曇郡白馬村
137°51’37”E / 36°42’57”N
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須磨浦公園の遊歩道
六甲連山最西端の山、須磨浦山上遊園のある鉢伏山の中腹。
国道2号線、須磨と塩屋の間。山陽電鉄須磨浦公園のロータリーから、西に細い坂道を上る。最初のきついカーブで、さらに西に続く遊歩道に逸れると、眼下に須磨・塩屋の海が広がる。行き交う貨物船。遠くの島影は紀伊半島。
大学時代の友人から教えて貰った場所。昼も夜も・・・いつ行ってもいいね。
兵庫県神戸市須磨区
135°05’47”E / 34°38’12”N
■more...(その他・神戸周辺)
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江崎灯台
淡路島の最北端。明治4年、日本で8番目に建造された白亜の洋式灯台。「日本の灯台の父」と呼ばれるスコットランド人、リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計。
海が見えることだけが取り柄だった大学時代の下宿の窓から、赤と白、交互に点滅するのをいつも眺めていた。明石港からフェリーで30分足らず。長い石段を登り、石造りの退息所の脇を抜けて、弧を描く灯台の前に立つと、夏の夕方の風がとても心地良かった。
阪神大震災で被害を受け、退息所は香川県の四国村に移設されたが、灯台本体はそのまま修復され、現在も同じ場所で海峡を見守る。一直線だった筈の灯台までの石段も、断層によって大きくずれてしまったが、大地震の痕跡としてそのまま遺されていた。
移設された石造り退息所(四国村)
灯台の裏手に建っていた退息所。現在は無人だが、昔は灯台守が常駐していたらしい。
http://www.shikokumura.or.jp/tanbo/map_h/map_15.html
兵庫県淡路市野島江崎(旧津名郡北淡町)
134°59’35”E / 34°36’24”N
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室戸岬 中岡慎太郎像
国道55号。数人ずつに分かれてルート沿いの喫茶店で休みつつ、日没前に中岡慎太郎像の前で集合する。ヘアピンカーブをいくつか抜け、稜線づたいにしばらく走るといつもの宿だ。四国の常宿、国民宿舎むろと荘。
学生時代最後のツーリングの夜の宴会。後輩達に自らの至らなさを詫びた後、浴衣姿のまま単車に跨る。中岡慎太郎の傍で缶コーヒーでもと思って。
国道に降りる坂道の途中で、月と金色の波を見る。潮騒と木々を揺らす風の音が、時速 1,400km/h の地球の自転の風切り音のように聞こえた。
高知県室戸市
134°10’33”E / 33°14’46”N
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旧明徳小学校跡
備前平野の東の端、牛窓の海に程近い丘陵の中腹に建つ。現在の 明徳荘 のこと。
二段ベッドの寝室と食堂はかつての教室だろうか。昭和40年代に廃校になった後、母校が町から購入し、教育厚生施設として運営している。本当に教育厚生施設かどうかは???
竹久夢二が少年時代を過ごした学校という事で、ガイドブック等ではちょっとした観光地として紹介されているけど、いつもそこで呑んで騒いでる僕らにとっては、ちょっと変な感じがする。だけど、学生時代から卒業して今に至るまで、数え切れないぐらい通いつめてる僕らだから、きっと“心のガイドブック”にも載ってる筈だ。
岡山県瀬戸内市邑久町本庄(旧邑久郡邑久町本庄)
134°07’07”E / 34°39’06”N
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めかり世界平和パゴダ
1945年8月9日、長崎に投下され、15万人の生命を奪った原爆は、当初、北九州小倉を攻撃目標としていた。途中、悪天候ではぐれた僚機との合流が出来ず、小倉上空への到着が遅れた事や、直前に風向きが変わり、前夜の空襲の煙のため視界が利かなかった事など、数々のアクシデントが重なり、最終的には第二の目標である長崎に投下された。
僕はその話を、小倉出身の大学時代の彼女の口から耳にする。“もし全てが予定通りだったなら、私はここに存在しなかったんだ”と。8月の小倉のとある寺院。様々な国の部隊名が刻まれた無数の位牌の中。
上座部仏教 世界平和パゴダ。第二次世界大戦での戦没者を供養し世界平和を祈念するため、ビルマ政府仏教会と日本側の有志により昭和33年に建立された、日本で唯一のビルマ式寺院。
北九州市門司。ネオ・ルネッサンス様式の門司港駅に程近い、百日紅や夾竹桃が咲き乱れる和布刈公園の中、関門海峡を見下ろす古城山の中腹にある。黄色いステンドグラスの光が石の床に影を落とす、とても静かな場所。
福岡県北九州市門司区めかり公園
130°58’14”E / 33°57’18”N
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