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Kenji Kishimo†o's WebSite

IZM〜from Sent Messages Box

メールボックスに残された言葉達
250文字の哲学
あるいは
500Bytes のディジタル・ダスト



●ベクトルの逆転した憧れ

> そういえば一度聞いてみたかったのだけど、
> 岸本さんにとっての「バーチャル世界」って
> どういう位置付けなんだろう?
> サイバー久保寮という場所を造ることにした、
> きっかけはあるのかしら?

きっかけは去年の明徳荘です。※1999年8月
当時の私はいくつかの理由により現在のATCを私達の世代とは
全く別のものとして見ていました。

1つ目はジムカーナ中心の活動になっていた事。
私達はある意味“連続する憧れ”をもって歴史をつくって来ましたが、
走りのスタイルが変わっている事で、
どこか不連続なものを感じていました。

2つ目は久保寮が閉鎖されてしまった事。
久保寮は世代交代を繰り返すATCにあって実体を伴う唯一のもの。
その閉鎖と同時に私は帰る場所を失ったような気になっていました。

3つ目は東北に来て3年、
以前のようになかなか神戸に戻る事が出来ず、
私が直接知るメンバーが皆無であった事。

去年の明徳荘での現役生達を見ていて、
私はそれが間違いであった事を知ります。

彼らはジムカーナやビッグバイクという現在の走りのスタイルに拘る事無く、
単車乗りとしての“連続する憧れ”をもって歴史を刻んでいて、
私達の頃には存在しなかった携帯電話で久保寮の機能を代替し、
そして当時の私達と同じ様に明徳荘で大暴れしていた。

加えて窓側にいた私達OBよりも色々な意味で
確実にパワーを持っていると感じました。
私の中で“連続する憧れ”のベクトルが逆転した瞬間です。

仙台に帰った私は、
ネット上でツーリングチームを逆募集しオファーを待ちます。
同時に教習所にも通い大型二輪免許を手に入れます。
それらが一段落した11月、
次のステップとしてCyber久保寮を立ち上げます。

Cyber久保寮設立の原動力となったのは、
私の彼ら(貴方も含めてね)に対する“ベクトルの逆転した憧れ”です。
この憧れを他のOBと共有する事によって走り続けられる事。それが目的。
去年の明徳荘ではOB側がかなり冷めていた様に感じたので、
現役の活動状況を伝える事で少しでもヒートしてくれればと考えました。

私にとってのバーチャル空間は現実と同時に進行しているもうひとつの空間。
業務系アプリケーションの裏側に密かに存在する別の世界。
たぶん貴方が知りたいのは、
私にとってCyber久保寮の時制は過去か現在か?という事でしょう?
紛れも無く西暦2000年〜現実に追われる現在です。
1989年、先輩達の背中を追ってた私は、
2000年、貴方の背中を追っています。

2000年10月15日 PM 7:53

KENJI KISHIMO†O



●バーチャル世界でみる夢はリアル世界での現実

> そういえば、
> 貴方の描く構図と逆の理論になるのかも知れないけど、
> 私は時々1000kmの距離の向こう側に、
> 同じ時間の流れを感じることがあるな。
> 深夜、メールの着信を告げるアンテナの光に、
> 確認した時計の針が
> 絶え間なく動いていたりする瞬間とかね。
> 他の誰かのその同じ時間を、
> 時間=距離÷速さの関係を跳び越えて、
> とても身近に感じます。

10年程前の嵐の夜の1本の電話の事を思い出しました。
電話の向こうに距離÷340mの秒数だけ進んだ雷鳴が聞こえていました。
10分後、私は雷鳴に追いつきます。
携帯電話やインターネットが普及するずっと前の話。

“インターネットの普及は人の移動を増やす”という逆説があるそうです。
この逆説が正しかった事を、この夏、私は目の当たりにしたように思います。
Cyber久保寮の住人達とはいつでもコンタクトをとれてるけれど、
この夏、住人達が走った延べ距離って一体どれぐらいなんだろう。

あの場所に呼び出された彼らは今も走り続けていて、
その距離は今も伸び続けています。
電話線を伝わってくるのは0と1で出来た単なる数字の羅列。
でもそれが身近に感じさせる事にとどまらず、
また次の1000kmを意識させています。

バーチャルな同じ時間はリアルな同じ時間を実現させようとする。
不思議ですよね。

2000年10月13日 PM 9:00

KENJI KISHIMO†O



●静かな速度感と歪んだ距離感

> ところでZRX1100というバイクは、
> かなり低速トルクのあるバイクですよね。
> 一度乗ったことがあるけれど、
> まさに「安定」したバイクだと思いました。
> 奇抜さを狙わない優等生マシンを貴方がどんな風に走らせるのか、
> かなり興味あるな。
> 私は貴方の走るところを一度しか見たことがないから、
> 似合うとか似合わないとかはよく解らないけれど、
> 私的感想は「いいセンいってる選択」って感じ。

“奇抜さを狙わない優等生”はまず不良にする事から始めます。
もっとも260km/hフルスケールメータに換装された
“なんちゃって帰国子女”の彼女は既にグレ始めているのかも知れない。
速度リミッターは純正メーター制御なのでリミッターは既に存在しません。
解き放してやる喜びが無いのは少し残念だけど。

似合う似合わないの世界では、
自分が現在進行形で走っている姿はあまり意識していません。
上手く説明出来ないのですが、ツーリングに出ると
“何処をどう走って来たのか事実としてここにいる”って感じる瞬間があって、
その場所が岡山とか神戸だったり家の手前の踏切だったりする訳なんだけど、
私はその瞬間を大切にしたいと思います。
だからその瞬間の“蚊の死骸と単車と私”という構図が
それなりに絵になっていればそれでいい。

絶対的な巡航速度やコーナリングのバンク角では君らには勝てないから、
一日の最後にその日走った距離やスピードを、
それまで走り続けた距離や歳月と同時に見せる事の出来る
単車乗りでありたい。そんな風に思います。

ライムグリーンは絶対的な速度を誇示しようとするけど、
そんな静かな速度感の表現は紫色の彼女の方が合ってるような気がする。
だから敢えて初期型のC1。

私がこのマシンZRX1100で実現させたい事。
夜明け前R4を南へ向かった単車が、
同じ日の午後、旧居留地の舗道に停まっている。
そんな静かな速度感と騙し絵のように歪んだ距離感の表現。

2000年10月11日 PM 9:10

KENJI KISHIMO†O



●やっぱり私は気が多い

朝から冷たい雨が降っていました。
先刻、ZRXとエリミを玄関先に並べてしばらく眺めていました。
インスパイア、影響と触発。
夢の世界で神が啓示をくれる事も子供が殺せと囁く事も無いから、
私は現実の世界で最大限に“惚れっぽい”のかも知れない。

影響される事と触発される事の区別は私にもつかないけど、
対象に“惚れる”事で集中力だけは保証されている、
そんな感じがします。
鼓動の聞こえる静かな集中ではなく、
使えるもの全て使い切る無防備な恋愛のような
集中なのかも知れませんね。

マシンに対する愛情には2種類あると思います。
注ぐ愛と背負う愛です。
注ぐ愛・・・たとえば、
時間やお金そしてケミカル(笑)を注いでやる事。
そして背負う愛・・・そう、
マシンのポテンシャルを使い切ってやる事。
オーナーによってマシンによってその比率は違ってくるけど、
愛情のカタチはどうあれ、人間と違って
バランス云々で裏切られる事はたぶんないよ。
尊いのは注げる事・・・だけとは限らない。

磨き上げられた綺麗な単車と限界まで酷使された単車。
今、どちらも、私の目の前に並んでるけど、
どちらが幸せなのかはわからない。

2000年11月18日 AM 3:32

KENJI KISHIMO†O



●不本意ながらアーティスト

> それにしても、娘さんとジムカーナ見学ですか。
> 大丈夫ですかぁ?
> どこかの誰か達みたいになりますよ。
> 女の子なのに…。

ジムカーナ観戦は意図的な教育?です。
よく“何が正しくて何が間違っているか”を教えるのが
父親の役目だと言われますが、
“何が格好いいか”を教えるのも父親の重要な役目だと思います。
審美眼というやつですね。

まず“何が美しいか”〜判断出来る事。
次にそれが“どうして美しいのか”〜言葉で説明出来る事。
その“どうして”が言葉で説明出来ない人は、
“アーティスト”にならなければならない訳です。(笑)
自分が言葉で説明出来ない部分を体現して補うためです。

どちらも出来なければ、
“高級中華料理店のテーブルでマナーのウンチクをたれる下品なオヤジ”か
“混雑したレジで店員の接客態度をうんぬんするババア”(いるでしょう?)
みたいになってしまう。

私は言葉で説明出来てしまう程には頭が良くないらしく、
“アーティスト”として体現しなきゃならなきゃならないタイプの様で・・・
体現しなければならないというのは、
ある意味不自由で非常に疲れる事ですが、
娘には言葉で器用に説明出来る“博士”より、
身をもって表現する“アーティスト”になって欲しい気がします。

KENJI KISHIMO†O

P.S.
“アーティストと博士”の話。
普通なら“アーティスト”になれない自分はどう生きるか
という論理になるのですが、
私の家は心理学者の祖父の代から家族全員が教育者の家系。
だから逆に、“博士”になれない自分はどう生きるか
という論理になってしまうんです。

2000年10月24日 PM 10:14



●強く激しく美しく

> 貴方も含めて、
> 男の人は過ぎた時間を美しいまま、
> とどめることが出来るのね。
> 現実を映すための光を過去に当てると、
> 強すぎる光は繊細な記憶の色を風化させてしまう。
> 女は現実を隠すため重ねられた色には、
> 誤魔化されない目を持つけれど、
> 同じ視線で過去を壊してしまう事が多い気がする。

確かに男は過去を、美しいまま、力強いまま、激しいまま、
留める事が出来る生き物なのかも知れません。
苦労話を繰り返す頑固親父。
武勇伝を残そうと無茶をする少年達。
遊び慣れた振りをするただのエロジジイ達(笑)
同時に男が造り残すものは女に比べ形の伴うものが多い様です。
生きた証を子供という形に自然と残す事が出来ないからだと、
そんな風に聞いた事があります。

私が娘の名前を胸に彫ったのもそんな理由からでしょうか。
子供を宿した瞬間に既に母性を持っている女に比べ、
男は父親の自覚を備えるまでに、
相当の時間とある種の儀式を必要とします。
くだらない儀式でも、周りから言われて初めて気づかされるよりは、
少し、ほんの少しだけ救われるでしょう。

そのくだらない儀式が、走る事を諦めることや、
リタイヤするまで決して自分が住む事のない家を建てること、
そんなことでなくて本当に良かった。
そして違う未来の記憶を風化させて、
脆いナトリウムの塊に変えてしまう事でもなく。

2000年11月18日 PM 10:42

KENJI KISHIMO†O



●“戻れる”リアリティ〜陸続きかどうかを確かめるために

私にとって大切な事は“戻れる事”。
21歳や26歳の自分に精神的にも体力的にも
いつでも戻れる30歳である事です。

26歳の私は岡山から仙台に転勤する時、
自家用車での移動を禁止する会社の規定を無視して自走しました。
“戻れる事”を確かめるためです。
地図で見ると陸続きなのは一目瞭然ですが、
その時はなんか気が済まなくてね。
30歳になった私はその時のルートを単車で逆走します。
今度は私自身の30代と20代が陸続きなのかどうかを確かめるためです。

30歳の私は17歳や21歳や26歳を経験しているので、
理論上理解するのは容易なはず。でも現実は難しい。
アメリカの青春ドラマに共感するのは簡単だけど、
“あの頃は若かった”という言葉で
自分の20代と誰かの20代を同時に否定してしまったり、
“今の17歳は解からない”なんてマスコミみたいな事を
言わないでいるのはとても難しい。

そのためには“振り返る事が出来る”ではなく、
少なくとも精神的な部分だけでも“戻れる”リアリティが必要だと。
いま私は30歳。娘は3歳。
45歳にして18歳を理解出来るCOOLな父親でいるためにも。

2000年10月1日 PM 7:55

KENJI KISHIMO†O



●午前零時

> 23:59の1min後は、0時か24時か、
> 貴方はどちらですか?
> 次の一日を削っても、
> その夜が25時、26時と続くことを望むか否か。
> どちらにしても、
> 夜が明ければ鳥の声、雑踏と渋滞が
> 現実の日付変更線を引くのでしょうけれど。
>
> 今夜は午前零時を素直に受け入れ、
> 翌朝の勤めの為に休息を取ります。

24時、25時、26時・・・
次の1日を削ってもなおその夜が続く事を私は望みます。

24時間が与えられたものならば、
そこから続く24時以降の世界は自らが仮想的に創り出したもの。
戒律とかしがらみとか中途半端につまらないテレビから
少しだけ自由になれるような気がするからね。

特に偉くなった訳でもないのに
誰かの利害を代表したり誰かの立場を代弁する事が多くなった。
でも27時を過ぎてVirtualな時間に綻びが現れ始めるまでの間は、
誰の立場も代弁せず自らの言葉のみを持つKingになれる。

2000年11月18日 PM 10:42

KENJI KISHIMO†O



●“someday”

話は変わりますが、昨日新しい板が届きました。
3年前のNITROのアルペンスノーボード。
20代の頃から頑なに拒んできたスノーボードという代物に、
今夜はじめて乗る事になります。
1週間前までは想像もしなかった事なんだけど。(笑)

30代はじめての冬に私がボードに転向する意味がもしあるとすれば、
“start to・・・”
何かをはじめようとする事、はじめようと思える事、
自らの可能性、
この歳になって同年代の他人が彼自身の可能性を否定する度に、
何故か同時に否定されていく私自身の可能性を、
自ら否定しない事なんでしょう。

10代の“someday”が、20代の“now”になった後、
30代で“those days”になってしまったら切ないよね。
今何らかの事情で出来ない事は、
10代でも30代でもパパになろうとムカツクケドタヨリニされる部下になろうと、
年齢も立場も関係無く“someday”であって欲しいんだよ。
私の“someday”はもちろん、誰かの“someday”であっても。
そんな風に思います。

氷点下5℃。今夜もアスファルトが白く色を変えそうな気配です。
新世紀になってからこちら単車に乗れる日は1日しかありませんでした。
冬眠するのもシャクなので、しばらくは雪の中で、
はじめての単車、赤いHONDA XL200Rのクラッチを繋いだ次の瞬間、
ウイリーで振り落とされた時のような、
“16歳の焦燥”を楽しみたいと思います。
たぶん振り落とされる痛みさえ心地よく感じられる筈。

“never too late”
クラッシュのダメージは確かに大きいかも知れないけど、
遅すぎるなんて事は、たぶんない。
“someday”
いつかこの板も乗りこなしてみせる。

2001年1月13日 PM 2:23

KENJI KISHIMO†O



●“never too late”

神戸生まれのジャズピアニスト小曽根真。
ジャズの世界で成功をおさめた彼が、クラシックを学び直すために、 突然渡米するまでを描いた深夜番組のドキュメンタリー。

“never too late・・・
ある時点で自分がやり残した事に気付けば
いつでもその時点に戻ってやればええねん”
画面の中、NYの彼は聞き慣れた関西弁でそんな風に言ってた。

“never too late”
“まだ間に合う。今すぐ急いではじめよう”と
“焦る必要は無い。いつでもはじめられるんだから”
2つの意味合いを含んだ微妙なフレーズ。

諦めないこと。焦らないこと。
2つの意味合いのパーセンテージを、
いつでも最高に保つ事が出来るような人でありたい。
そう思いました。

2001年1月23日 PM 3:28

KENJI KISHIMO†O



●Make Dreams Come True #1

東北自動車道上り福島/栃木の県境。
天候は小雪。気温4℃。路面はシャーベット。
何事も無く静かに巡航する見慣れた紫の車体。
ただタイヤだけはBT−57ではなく、
回転するオレンジの炎の輪だった。

今朝見た変な夢。

メタリックなボディの紫と
足元で一直線に路面の雪を融かす炎のオレンジとのコントラスト。
路面の雪を意に介さず、
当然の事の様に速度を維持するマシン。
Hikkiのビデオクリップかなんかで見た事のある
近未来スクーター?に少し似た感じの走りで、
妙に格好良かったよ。

2001年2月20日 PM 12:52

●Make Dreams Come True #2

仕事を終えてから高速を飛ばして閉店間際の南海部品に行った。
買ったのは、ヨシムラのデジタル水温計の基台。
(水温計本体は残念ながら品切れ中)
昨日の夢の中、炎のタイヤを履いたZRXのトップブリッジに、
何故かタイヤの温度であろう"“1080℃”を示すデジタルメーターが
ブルーに光っていて、それが妙に気になってたから。
雪を融かす炎のタイヤは無理だとしても、
少しだけ Make Dreams Come True.

2001年2月21日 AM 11:09

KENJI KISHIMO†O



●HOME PLACE〜変貌の裏側に感じるもの

半年ぶりにHOMEに舞い戻った。
年末に帰った時にはあちこち出歩く余裕はなかったから、
街を観察するのは1年ぶり、六甲山から見下ろす夜景は約5年ぶりだ。

金曜日の夜、特別な街、神戸。
ずいぶんと変わってしまった明石の街から海沿いのR2を神戸まで走り、
変化の痕跡を全く感じさせない西六甲のワインディングを駆け上がる。

土曜日の午後、特別な或る日。
牛窓の海に抜ける道沿いの変わり映えのしない喫茶店でランチを食べ、
現役の頃と変わらない明徳荘で歳毎変わってゆく貌に逢う。

変貌、成長、変異と淘汰を続けていた街、それから人と対峙して、
“変わったな”と思うと同時に“変わらないな”と思える事が嬉しかった。
“変わったな”と思える事で、そこが確かに同じ場所であるという“同一性”を、
“変わらないな”と思える事で、その裏側にある“変化”を、
確かに私は感じ取っていた。

自分でも意外だったんだけどね、
記憶とのキャップに切なさを感じる事がなかったんだ。
HOME〜特別である事の前では、
不変のための努力も、変化に対する恐れさえも、意味を持たないんだね。

2001年8月14日 PM 12:05

KENJI KISHIMO†O

> 久しぶりに貴方らしい言葉を読ませてもらった。
> 以前は変わっていく景色をあえて見ないふりしていた時もあったのにね。
> 変わる町に人に遅れないように、私も全速力で変わりたいと思うよ。




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