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Kenji Kishimo†o's WebSite

KAWASAKI ELIMINATOR400SE / ZAO ECHO LINE MIYAGI

Kawasaki Eliminator400
Sports Edition 1988

アメリカンのフレームに GPZ400R ベースの水冷DOHC4気筒エンジンを搭載。駆動系はシャフトドライブ。タンクの幅よりもさらに横にはみ出たシリンダヘッド。ぶった斬った様なリアフェンダーに、150/80-15 の極太タイヤ。
ハーレーの真似ではなく、安直な懐古趣味にも走らず、“アメリカン = Vツイン”というフォーマットに囚われない“正常進化”みたいなものを感じます。
高回転型インラインフォアのアメリカン。“V2以外のアメリカンは邪道”などと、当時は賛否両論あったようだが、私は開発者に敬意を表したい。
21歳の頃から乗り始めて約10年。総走行距離 65,000km。20代の一番いい時期を駆け抜けた単車。

■ELIMINATOR400SE の詳細画像&データへ


SUZUKI RGV250ΓSP / KUBORYO KOBE

SUZUKI RGV250ΓSP

結婚するまでの一時期に乗ってたサブマシン。
突然、毛色の違うマシンを買ったのは、総走行距離が伸びてきてしまった Eliminator400SE の延命と、近代的なフレーム&足回りのマシンに一度乗ってみたかったから。
岡山にいた頃に広島の方から個人売買で購入。仕事が終わってから、上司のフェラーリ号(リトラクタブルライトの赤いカローラII)で広島まで引き上げに行って、真夜中のR2をバトルしながら帰って来た。
その上司、私を東北の仕事に引っ張った人で、新会社の初代社長になる筈の人だったが、会社設立の2週間前、一度も社長の椅子に座らないまま他界。そういった意味では、乗った時間こそ短かったが、結構思い出深いマシンだ。
SPなのでクロスミッション搭載で、一旦動き出してしまえば加速は最高。でも、サスとかフレームとかが硬いのと、低速がスカなので、正直、これでツーリングは疲れる。
結婚前に後輩の女の子に譲って、その後、別の先輩のところにしばらく放置、現在は、私が卒業してから入学した別の後輩の女の子が、なんとジムカーナに使っているらしい。


KAWASAKI ELIMINATOR250SE (CUSTOM) / R28 ASAGIRI KOBE
KAWASAKI ELIMINATOR250SE (NORMAL) / R28 ASAGIRI KOBE KAWASAKI ELIMINATOR250SE / MAYA PIER KOBE

Kawasaki Eliminator250
Sports Edition 1988

中型免許を取ってから2年間乗った愛車。
750RS Z2 の火の玉タンクをモノトーンに変えた様なティアドロップ型タンク。それから、独特の形状をもつテールランプ。Z2 を押し潰してデフォルメしたようなテールまわりのスタイリングと、アメリカンのシャーシにレーサーレプリカのエンジンという不思議な組み合わせに惚れた。父親が昔、カワサキ(正確にはメグロ Z7)に乗ってたから、カワサキには憧れがあったというのもあるけれど。
この後乗る事になる Eliminator400SE と年式もカラーリングも全く同じ。でもエンジンは GPX250R ベースの水冷DOHC並列2気筒。よく走ったけど最高速が 160km/h ではさすがに高速巡航はツライ。高速キャノンボールについて行けなくて、約 30,000km で4気筒の Eliminator400SE にステップアップ。“夏休みに水やったら育ったんや”(笑)
NHK 製ステアリングダンパーと WHITE HOUSE 製右斜め2本出しデュアルマフラーを装備。エンジン右下のポイントカバーの様に見えるのは BOSCH 製の一番やかましいホーン。


YAMAHA DT50 / AWAJISHIMA HYOGO

YAMAHA
DT50 1987

高校時代の愛車。
スクーターが嫌いで乗るならミッション車と決めていた。当時の50ccロードスポーツは、ホンダの MBX50、ヤマハの RZ50、スズキの RG50Γ、カワサキの AR50・・・全て何処か貧弱な感じがした。NSR50 はまだ世に出ていなかった。かろうじて発売されてた YSR50 や GAG は玩具に見えた。
親父が“世界の名車”だと言ったスーパーカブにでもするかな?でも、カブは空冷の4スト、スクーターより馬力無いしなぁ・・・で、選んだのがこれ。水冷2ストで規制上限の7.2PS。ロードスポーツの50ccは中型二輪のミニチュアっぽいけど、オフロードなら車格もあまり変わらない。偽物っぽくない訳だ。そんな理由で選んだオフ車だったから、ほとんどオフロードは走らなかった。
ホームコースは大阪と京都の府県境あたりの峠道。中型二輪免許の教習所とか、入試の合格発表とかで、たまに京都あたりまで足を伸ばしたけど、フルサイズだから全然疲れなかった。
大学に入ってからは淡路島一周とか近所のコンビニとか牛丼屋とか・・・友達に貸したら、スピード違反でパッツンに追い詰められて、袋小路に放置して逃げたらしく、押収されかけたりもしたなぁ。(元気か?尾崎!)
なんだかんだで 20,000km 程走って・・・今ごろはマニラかホーチミンあたりかな?


HONDA XL200R 1982

初めて乗った単車

粗大ゴミとして旧家の敷地に捨てられていた赤いホンダの XL200R。親父が拾って来た時には、ピストンが割れて圧縮が無かった。当然ナンバーなんて取れる訳無いんだけれど、何を思ったのか、ピストン交換して直してたんだな。庭の隅に放置してあったのを勝手に持ち出して、人通りの無い場所まで、家の前の坂道を押して上がった。200ccのトレール車とはいえ、自転車の何倍も重量があるからえらく苦労した。
息を整えてから、跨ってキーをON。必要以上に馬鹿でかいキルスイッチを確認して、キックを下ろす・・・んだけど、親父がいつもやってる様にはうまく掛からない。上死点とか下死点とか理解してないし、アクセルを少し開けて燃料を送ってやるなんてテクニックも無い。親父の単車に付いてたデコンプレバーも見当たらないぞ(キック連動オートデコンプらしい)と、闇雲にキックを下ろした。息が上がったらその場にへたり込んで、景色を眺めてたんだ。
それを数セット繰り返して、やっとの事でエンジンが掛かる。嬉しかったね。同時に、止まらないか不安で、何度もアクセルを煽った。スタンドを払って、自転車のブレーキとは比べ物にならないぐらい重いクラッチレバーを握り、ミッションを1速に入れる。初心者向けの本で読んだままの手順。その後、クラッチレバーをゆっくり離しながら徐々にアクセルを開けるのだが、慣れるまでは、エンジンの回転を高めに固定してクラッチに集中した方が良いとも書かれていた。
アクセルを少し開けて回転をキープ。2スト50ccのミッション車に乗ってたツレから聞いた通りに3千〜4千回転ぐらいか(回し過ぎ)。クラッチレバーをゆっくりと離す。そう、ゆっくりと離すんだ。どれぐらいゆっくりかってわかってたなら、ああはならなかったのに。
ハンドルが浮き、地面が離れていく。メーターが近づく。一瞬、空が見えてから、視界が乱れ、痛み。音の無いスローモーションの中、誰も乗っていない赤いマシンだけが前方に走っていき、倒れたところで音が戻った。頼みもしないのに勝手にフロントが浮いて、綺麗に振り落とされたんだ。
現在なら“非力だ”と言い切れる4ストローク単気筒の200ccに、当時50ccのスクーターにも乗った事のなかった私は、圧倒され、翻弄された。正直怖かったね。玩具じゃなかった。単車という乗り物。

■HONDA XL200R 1982(本田技研工業)


Southern Breeze & SOUTHERN BLIZZARD KOBE

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