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AUTO TOURING CIRCLE
1,000BREATH
Izm2
THOUSAND BREATH
Kenji Kishimo†o's WebSite

IZM2〜from BBS Log Messages

ログファイルに残された言葉達

情熱を計るモノサシとか
“アチラ側コチラ側”という商品化された極論とか
“来る者は拒まず去る者は追わず”の無関心と曖昧な排他性とか
そういった諸々のものに対するアンチテーゼ
自然災害とか時間とか死とか それから携帯のメモリに対するレジスタンス



●福音 〜 乗ってる人、乗らなくなった人、全てのメンバーへ

今日1月19日はCyber久保寮の2歳の誕生日です。
思う処あって・・・
私が数日前、2昼夜連続勤務のわいた頭で記した言葉です。
ここ数日“Cyber久保寮とは何か?”を管理人として考えていました。

単車に乗りたいだけなら、
ディスプレイ&キーボードなど見ずに1人でただ走ればいい。
温泉も肴もSAのじゃがべー君も路上の自動販売機さえ要らない訳です。
整備されたマシンと燃料、それから丈夫な身体。それだけでいい。
それ以上を求めるのは、私達が“単車”とか“走る事”だけでなく、
“単車のある生活”を望んでいるからだと、そんな風に思います。

学生の頃、どこに行くにも単車でした。
“走り”に行くだけでなく、講義に出るため、バイトに行くため・・・
タンデムシートに誰か乗ってた事もあったし、
ハンドルにコンビニのレジ袋が掛かってた事もあった。“単車のある生活”です。

それから数年経って、皆OBになって、
乗ってる人、降りた人・・・
降りたけど復活を望む人、もう諦めた人、それぞれです。
運良く単車に乗れてる人は、単に情熱の問題だと言うかも知れないけど、
それだけで解決しないものを皆抱えています。

ようやく答えらしきものが見つかりました。
私は“単車のある生活”を求め、少なくとも管理人の私にとって、

Cyber久保寮とは、“単車乗りのいる風景”です。

乗ってる人も乗らなくなった人も、
それから、飲んだくれてたって、仕事に潰されてたって、
間違い無くあなた方は単車乗りだ。

2002/01/19+16:51:49

KENJI KISHIMO†O



●1.17神戸 〜 携帯のメモリにいない友人達

あの日から風が暖かくなるまで、
土曜日の夜になると毎週の様にポートアイランドの北公園に出ていました。
5年以上もそこで顔を合わせてるのに、
電話番号も本名さえも知らないツレの安否を確かめるためです。

その場所で最初の1人を見つけたのが数週間後。
ひと月と少しぐらいたった頃、
やっとそれぞれの無事を確かめる事が出来ました。
ずっと安否が不明で、
ホテルオークラに灯された “ファイト”の文字 と仮設の飲み屋が映し出される
電器会社のCMの中でやっと生存を確認出来た仲間もいました。

あの日経験した事を教訓に・・・あるいは、
あの日の教訓が活かされなかった・・・

色々言われるけど、
それから7年、足して12年も顔を合わせてる彼らの電話番号は、
現在も私の携帯のメモリには登録されていません。
そこに行けば会える。だけど行かなければ会えない。
以前から続けてきた“走る”という行為によってのみ実現される代替不能な関係を、
震災ごときに変えられたくなかったからです。

生物は環境に適応しながら生きてきました。
また経験から学習しながら生きていくべきでしょう。
でも、何かひとつでも決して動じないものを。
抗し難い巨大な力に対するささやかな抵抗です。

2002/01/18+01:18:20

KENJI KISHIMO†O



●刻 〜 与えられた時間について

大阪にいます。

亡くなった祖父は90歳。
旅行好きで、正月に帰った時には自分が台湾にいるんだと言い張ってた。
台湾・香港・シンガポール・オーストラリア。
もっとも第二次世界大戦でシベリア抑留を経験した彼にとって、
それらの場所は外国ではなく日本の領土だったのかも知れないけど。

卒中で幾度か倒れる度、再び元の生活に戻る“気力”の人。
オーストラリアが近所の喫茶店に変わっても、杖が車椅子に変わっても、
自分の意志で動く事を決して諦めない人だった。

彼は90年という時間を与えられたけど、
自分はどれぐらいの時間を与えられてるのだろう?

仕事を終えて夕方の便で大阪に飛び、
次の日の夕方の便で仕事の待つ仙台に戻るタイトスケジュール。
少なくとも今日ぐらいは与えられた時間を使い切る事にして、
真夜中、親父の車に乗り込んだ。
自分の意志で動ける事、忘れてしまわないために。

2002/01/16+03:45:11

KENJI KISHIMO†O


> 全ての生き物が恐れ、全てを飲み込んでしまうもの、それが「刻」ですよね。
> 何者もそれに太刀打ち出来ない。
> 僕たちヒトが取り戻す事の叶わないもの、時間、言葉、チャンス。
> 常に意識して生きて行けるならば、満足の行く生涯を送れるかもしれません。
> それでも、「刻」は容赦なく僕たちの人生を奪い続け、死をもたらします。


仙台に戻りました。一息つく間もなく今日の仕事に取り掛かっています。

仏教の世界には“刹那”という時間単位があります。
75分の1秒あるいは10の−18乗という極めて短い一瞬の時間をいい、
その中にこの世の全てと永遠が含まれるとされます。

たとえば“1日が30時間あればいい”時に28時まで仕事をする私でも、
残念ながら現実の時間を延ばしたり増やしたりする事は出来ません。
また“このまま時間が止まってしまえばいい”そんな風に言う彼女にも、
時間を止めてしまう事は不可能です。

でも、“うぉんちゅてぇまへ〜っ♪”CMで踊る 武●士のお姉さん達 は、
たぶん1秒を5つぐらいに刻んで踊っています。
また、目の前のタコメーターが12,000rpmを指しているならば、
エンジンは200分の1秒の世界で動いていて、
2時間後には300km離れた場所に立っています。
さらに、1GHzの演算装置を持つPCの内部では、
10億分の1秒の単位で計算が行われていて、
酔っ払った回転の鈍い頭で注文ボタンを押してしまったネット通販の商品でも、
明後日の午後には自宅に届けられます。(ショボ)

時間を延ばしたり止めたりする事は出来ない人間ですが、
無限に刻んでいく事だけは何故か許されている様ですね。
一年一年でもなく一日一日でもなく一分一秒以上に時間を刻んでいければ、
“刻”に勝つ事が出来るかも知れません。

2002/01/16+22:46:10

KENJI KISHIMO†O



●休日のつくり方

> それにしても、この炎天下で作業をするなんて、君はタフだなぁ。
> 僕もスプロケを交換しなくちゃいけないんだが、こう暑くては体を動かし難い。
> 次の日曜日に予定しているんだが、涼しくなるかなぁ。


炎天下?会社終わってからやるんやがな。

1日にひとつの事しかせんかったら、人生なんぼあっても足りません。
1日24時間で週休2日やったとしたら、休日は 2/7 = 0.286
仮に、1日が12時間やったとしたら、9/14 = 0.643
すばらしい!半分以上が休みやがな。

2002/01/19+16:51:49

KENJI KISHIMO†O



●二本の煙草に火を点けながら 〜 生き方を選べること

> こう言う言葉が有るよ。
> 「人間は二度死ぬ。一度は肉体が滅んだ時。
> 二度目は、そのひとの事が話題にものぼら無くなった時。
> だから私達は、故人の事を永遠に語り継いで行きましょう。」
>
> 脚本家の三谷幸喜が、友人の告別式の時に言った言葉です。
> 聖書からの引用ですが、己が死んだ時に言われる様に、
> そんな生き方をしたいですね。
>
> それからゴジさんは、バイク事故で亡くなったんや無いからね。


聖書では、肉体的な生存と、生きているという事は違うんだといいます。
この世に生きているあなた方は、ただそれだけでは死んだ者なんだと。

三谷幸喜の言葉、“人間は二度死ぬ”
私達が意志をもって故人の事を語り継いだとして、
彼の國に居を遷した者に叶わぬことがひとつあるとすれば、
“自らの生き方を選ぶ事”なんだと思います。
この世で与えられた短い時間は、生き方を選ぶためにあるのかも知れません。

私が免許を手にしたのは15年前の昨日。
その間、自らの単車でこの世を去ったのが3人。
原因が、単車であれ、また別の事であれ、悲しみは変わらない筈だけど、
単車の事故ではなかったと聞いて、安堵に似た感覚を覚えるのは何故なんだろう。

目の前にいないという意味では、
単に顔を会わせる事の無くなった多くの人々と何ら変わらない筈だし、
神戸にいるメンバーから見れば、神戸を離れた私自身も同じようなもの。
昨夜、二本の煙草に火を点けて、10年程前の事を色々思い返しながら、
無性に神戸に戻りたいなと思いました。

僕らは幸いにも、まだ生き方を選ぶ事が許されてるから、
彼ら以上に、日々を生きなければならないでしょう。

今日、暫く書き込む事の無かった当時の仲間のBBSに自らの言葉を連ねます。
そして彼について・・・

彼の國に居を遷したのは、GODZILLA と呼ばれた男。
バトルスーツに GARGOYLES のサングラス、赤い YAMAHA V-MAX。
それから力士のようなでかい身体。
本当にゴジラのように馬鹿でかくて、優しい目をもつひとだった。

2002/7/17+11:54:37

KENJI KISHIMO†O

※“人は二度死ぬ”の引用元は福永武彦の「草の花」らしいです。 なお、「草の花」はキリスト教の影響を受けた作品で、その題名は、ペテロ前書 第一章 24〜25節“人はみな草のごとく、その光栄はみな草の花の如し。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉はとこしえに残る。”を出典としています。



●単車乗りという偏屈な人種を動かす唯一の手段

“アチラ側コチラ側”
“アノ人達トハ違ウノサ”

私が思うに、単車に乗ってる人種が怖いのは、
“ミンナトモダチ”とか言いながら実は水冷限定だったり・・・
エンジンの形式とか、マシンのメーカーとか、スタイルとか、
また、もっと極論的に単車乗りか否かとか、
ある種、気まぐれな“選別”や“排他”がこだわりという名の下で、
価値を認められ商品化されてしまうところです。

“偏屈な単車乗り”
そう言われても、案外悪くはないでしょ?
少なくとも、
“好き嫌いの激しいB型”なんて言われるよりはね(笑)
巷に蔓延る行列の出来る横柄なラーメン屋と同じように、
単車乗りもまた、偏屈な人物像を持つことを許され、
或いは、そうあることを期待される。
単車乗りは確信犯的に偏屈な人種なんです。


“単車は転けて壊して上手くなるんや”
そう説教したところで、誰も転けよう壊そうとは思わないでしょう。
格好良く走ってるのを無茶してるのを見て、
憧れをもって走り継ぐものだと思います。

憧れと羨望、それからある種の嫉妬。

単車乗りという偏屈な人種を動かす唯一の手段だから、
そのために掛ける手間暇は惜しんだらあかんのかなぁ・・・
10年ぐらい前の現役の頃、そんな風に思いました。
折角単車に乗り続けていられるんやからなおさら・・・
30歳を過ぎて今、そんな風に思います。


何故、田中真紀子は国会議事堂で叫んでいるのか?
何故、宇多田ヒカルはブラウン管で歌っているのか?
子供が親と同じ職業を選ぶ確率というのは、
他の職業の親を持つ子供がその職業を選ぶ確率よりも高い様です。

たとえその職業に就く事が一般的に困難な事だとされていたとしても、
ブラウン管や本の中ではなく目の前で接している彼等にとって、
その職業に就く自分をイメージしやすいからでしょう。
自分にも“出来ない筈はない”と。

“いつかは・・・”そう思ってる人には、
いつか本当にマシンを手に入れて、再び走って欲しい。
“最近乗ってないなぁ”そう感じている人には、
とりあえずマシンに火を入れて、それから少しだけでも走ってみて欲しい。

私がCyber久保寮の中を走る事によって提供したいのは、
そういったイメージの糸口です。
“自分にも出来ない筈はない”と。

2001/11/29+02:08:00

KENJI KISHIMO†O



●日出処の天子へ 〜 組織について考える #1

先生からのお題である“組織”について考えてみました。
貴方はメッセージの中で“単なる集団”と“組織”を分けて表現されていますので、
“クラブ”という言葉を一旦離れ、その上で“組織”というものについて、
改めて考えてみる必要があると思います。


Q.貴方の友達は何人ですか?
A.384人です

私がCyber久保寮というBBSを運営しているのは、
誰かの携帯のメモリに依存する事のない活動にしたいという強い意志です。

年を経ると、理論上どんどん若いメンバーが増えていく筈なのに、
実際は逆にイベントに参加するメンバーが固定されてきてしまう。
何故?誰かの携帯のメモリに登録された、声の掛かる範囲でしか集めないからです。
その方が楽だし、気兼ねしないし、心地いいから。

でも、新しいメンバーを受け入れ、徐々に代替わりしながら、
永続的に活動を続けていく組織としては、それじゃ駄目なんです。


私達が楽しくいつまでも走れたら最高であるように、
クラブも楽しくいつまでも続けていければ最高だと思います。
続けていけば毎年数人ずつメンバーが増えます。
仕事や日常の生活に一段落つけてカムバックを果たすメンバーも増えます。
今はまだここにいない彼らに、配慮してあげる必要があります。

だから、組織を運営するということ・・・
“ここにいて自分の目に見えてる人”という自然な視野に、
“ここにいない人”を想像する視野をプラスする事。
“今は”という視点に、
“将来は”という視点をプラスする事なんだと思います。

また、組織がここに在るということ・・・
現在来ていない人でも、まだ卒業していない人でも、
現在のメンバーと同じように、将来にわたっていつでも歓迎しますよ。
たとえ今、事情があって単車に乗れなくても、この街にいなくても、
決して置いて行ったりしませんよ。
仮に何年か後に単車を手に入れて乗りつけたり、
たまたまこの街に戻った時でも、いつでも追いつけますよ。
だから無理したり、焦ったり、諦めたりしなくていいですよ・・・と。

貴方のいう“単なる集団ではない組織”という言葉の意味を
私はこんな風に考えます。

2002/04/02+19:56:43

KENJI KISHIMO†O



●日出処の天子へ 〜 組織について考える #2

“来る者は拒まず去る者は追わず”
“誰がサルやねん(笑)”

もう10年も昔、神戸のツーリングサークルの現役だった頃、
仲違いをして辞めたメンバーを肴に呑みながら、残ったメンバーでしていた会話です。
私はこの台詞をこの後、色々な場所で幾度と無く聞く事になります。

そうやって、10年経って今思う事。
“来る者は拒まず”という台詞を口にする集団に限って、
新参者に寛容ではないという事です。
そういった集団は、新参者に対して無関心だったり、
暗黙の了解とか内々の掟の様な内側にいるメンバーからは見えない障壁が存在してて、
誰かが拒む以前の問題として、構造的に入り込み難くなっていたりします。

最初から“違法改造車お断り”とか“ハーレィ専門”とか
“水冷限定但し空冷油冷車は車体にらじえたあと書いた紙を貼って来る事”
と銘打った集団の方が、ボーダーラインが明確である分、
目に見えない障壁を抱える集団よりフレンドリィだったり・・・

私は組織のもつ排他性は大嫌いですが、
曖昧な集団のもつ理由のない排他性ならばそれ以上にうんこ召し上がれです。

“来る者は拒まず去る者は追わず”
〜無関心や構造的な障壁の存在を、無意識に糊塗しようとする言葉です。


逆に、新参者に寛容な集団には、
新参者と既存のメンバーの間を取り持つキーパーソンが必ず存在します。
皆が皆そうであれば理想的ですが、最低でも1人いれば新参者は安心します。
“皆が皆そうであれば理想的”と書いたのは、
単にソウダッタラスバラシイという意味ではなく、
キーパーソンの負担が少なく済むという意味です。
新参者の問題に限らず、人間関係上の調整の負担というのは、
結構馬鹿にならないものです。

キーパーソンの負担といえば、親離れの問題もありますね。
参入してからある程度経ったメンバーは、
集団の中での自分の場所とか自分のチャネルを持つようになりますし、
キーパーソンもそうなる様に援助するのですが、
まれに親離れしないメンバーも出て来ます。
またごくごくまれに集団自体が親離れ出来なくなる場合もあるようです。

ドラえもんかハクション大魔王のような存在ですね。
テレビの中のドラえもんや大魔王は最終回までブチ切れたりしませんが、
現実の人間では、悪くすると過度のプレッシャーやストレスが集中して破綻したり、
良くても意図的に突き放して親離れを促したり・・・

キーパーソンは表面上は新参者に頼られている訳ですが、
同時に調整能力やチャネルのない既存のメンバーにも頼られている訳で・・・
双方向からのプレッシャーによって、
突然22世紀の世界や魔法の国に帰ってしまわれても無理はないですね。


教習所の教官である貴方は職業としてバイクに携わっている人だけど、
少なくともプライベートな時間には、
本当にやりたい事を立場に囚われる事なく自由に追求するべきだと思います。

私達の多くも、生活の一部、趣味としてパイクを選んでいる訳ですから、
不相応な立場に囚われたり、不本意な無理をしたりする事なく、
出来る限り自由でいたい。互いバイクに疲れてしまわないように。

クラブの枠を離れた貴方の理想とする活動がどのようなものになるのか、
私は非常に興味があります。

2002/04/01+01:17:56

KENJI KISHIMO†O



●“時代の流れというやつ”だって?

“なるようになる”でならなかったものと、
“成すように成そう”として成しえなかったものの違いってわかるか?

“なるようになる”でならなかったものは、
例えそれがどんなに意にそまない内容であれ、結果として“なったもの”やろ。

けどな、

“成すように成そう”として成しえなかった、成さなかったものっていうのは、
どんなに角度を変えて見ようと、やっぱり“成しえなかったもの”やったり、
“成さなかったもの”やねん。

“成しえなかったもの”自分の無力さ、愚かさ、それから未熟さ、衰え。
“成さなかったもの”自分の意志の弱さ、諦め。
それだけ。

2003/05/03+11:40:00

KENJI KISHIMO†O



●友を送る

国道1号箱根。標高874m。吐く息が白い。シールドが曇る。生きてるって事だ。

2003/11/08+22:34:21

KENJI KISHIMO†O



●ロケットをつくる遺伝子

シールドの曇り。
露点を割り込んだ空気中の水蒸気が凝結して水になっただけ。
必ずしも、生きている証明ではない。

“死”は終末。
この世ではない何処かへ旅立つのではなく、
無になる事だと、理系の彼女は言った。
ならば、“生”は?

DNA。リチャード・ドーキンス「利己的な遺伝子」
生物を利己的な遺伝子の過去から未来への乗り物とするならば、
その複製を子に託した時点で、その個体の役目は終わっている。
愛は遺伝子による戦略の具現。
ドーパミン、セロトニン、エンドルフィン。
生物の行動を規定する脳内分泌物質の支配下にある。

遺伝子の戦略的な取捨選択作業としての恋に陥ち、
その複製を後世に遺すために愛し合って、
成熟に時間を要する哺乳類という形態上、
その後も生き長らえて、子を愛し育て、
それでも足らずに、世代間の摩擦と軋轢の中、さらに長生きして、
自らの文明を深化させようとする。

自動車、コンピュータ、ロケット・・・
託した遺伝子の生存確率を増やすために、
子育てを司る遺伝子なら既に発見されている。
ならば、ロケット開発を司る遺伝子もいつか見つかるのだろうか?

2003/12/03+00:42:58

KENJI KISHIMO†O



●一足先に旅を終えて 〜 走り続けている仲間達へ

夜半に宿を出て一足先に帰って来た私ですが、少し思う処を書いてみます。

もう10年以上も前、神戸の大学のクラブにいた頃、
2泊3日のツーリングの宿での出来事です。
その日も昨日の様な雨でね、宴会が終わった後、
灯りの消えたロビーで煙草を吸いながら、
既に卒業されて四輪で来られていたOBの先輩の話を聞いていました。

午前零時、表に単車の音を聞きます。
横殴りの雨の駐車場に停まったカタナを、窓越しに見つけた彼は、
“よう見とけ。あれがホンマモンの単車乗りや。”
そう静かに言いました。
仕事を終えてから、京都から島根まで嵐の9号線を走って到着された、
彼よりも年上の先輩でした。

自由な学生時代に単車に出逢った人がいます。
仕事が一段落ついて休日の趣味として免許を手にされた人がいます。
永いお勤めを終えられて、また、育児の手が離れる様になって、
走り始めた人がいます。

単車との最初の出逢いはどうあれ、
仕事の正念場を迎えたり、結婚生活や育児に注ぐ時期を迎えたりして、
生活や環境は変わってゆきます。当然、単車との距離も変化しますよね。

家族が遅くまで眠ってる日曜日の朝だけ、
まだ暗いうちからショートツーリングを楽しむ人がいます。
平日の夜、世のお父さん方が晩酌を楽しんでいる頃、
焼酎代をガソリンに替えて走る人がいます。

私の場合は、自由気ままな学生時代に走り始めましたが、
その後、就職、結婚、育児、転勤・・・
5年毎ぐらいで各地を転々としていますので、昔の仲間と会うのも一苦労です。
ですが、翌日の仕事まで1日と半分の時間が切り取れたので、
今回は少しタイトなスケジュールを走ってみました。

あの時、先輩が言った“ホンマモンの単車乗り”。
当時は単純に
“悪天候にも距離にも負けない気合いの入った格好良いライダー”
という意味だと理解していたのですが、
今なら、その言葉の本当の意味が判ります。

幾つもの人生の転機を経て、自分の生活が変わっていっても、
時間的な余裕が失われたり、経済的に厳しくなったり、体力が衰えていったりしたとしても、
様々な制約と折り合いをつけながら“走り続ける事の出来る単車乗り”
の事なんだと。

2003/10/15+00:30:52

KENJI KISHIMO†O



●縁 〜 人生をドライブさせる偶然

リアルな夢。
紫色のZRXが勢いよく路肩から飛び出していく。
聞き憶えのあるアフターファイアが聞こえ、少しバンクした後、
見憶えのあるテールランプが視界から消える。

金曜日の深夜、オーナーズクラブの方の紹介で、
私のZRXは、横須賀の方に貰われて行きました。
その方は大型免許を取得されて5年、
買わなかったのか、買えなかったのか、自分でもわからないけど、
ずっと乗ってなかったんだと言われていました。

今は、
私が手放してしまった単車が、
誰かの肩を押す事が出来て良かったと、
マーケットに並ぶことなく、
目の前でそれを見届ける事が出来て良かったと、
そう思いたい。

縁というものがあります。
私達の意志とは別に、私達の人生をドライブさせる偶然。
その方角とスピードは未知数。
肩を押されたり、邪魔されたり・・・それが縁。

どんなに強い意志をもってしても、
それだけでは、辿り着く事のない未来があります。
さらに、自分では絶対に選ばないであろう未来さえ。

遠ざかるテールランプ。
来週にはナンバーも横浜に変わるでしょう。

どうか、そこに幸せがありますように。
どうか、深き佳き人生を・・・

2004/1/11+23:08:43

KENJI KISHIMO†O



●聖夜に想う

昨日の夜、サンタクロースに追い抜かれた。
トナカイのソリではなく、ピザ屋のロゴの入ったジャイロキャノピーに乗っていて、
ひとつ先の交差点を極端なリーンインで右折して住宅街に消えていった。

バイクっていいな。

2003/12/25+13:16:19

KENJI KISHIMO†O




※このページに記載された内容は、私がCyber久保寮他のBBSに書き込んだメッセージに加筆・編集を加えたものです。無断転載はご遠慮願います。


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