沖田 総司を巡る謎


謎:其の六 〜総司の面相や如何に?〜

沖田総司というと、ことさらに物議をかもしているのがその御面相、つまりルックスである。

古今東西を問わず、ヒーローだとかカリスマだとか、そういう類いは必ずといっていいほど”美男子”と相場が決まっているらしく(笑)、沖田総司も例外ではない。
だが、残念というか幸いというか、彼のルックスを証明するものもまた、全くといってよいほどないのが実情で、これが逆に面相論議に拍車をかけているといっても過言ではないだろう。”美男子””可愛らしい童顔で爽やかな笑顔”という節がまかり通っている一方で、佐藤家の御子孫の証言であるという”ひらめ顔”節もまた「沖田は醜男だ説支持派」に長年、碓たる証拠として黄門様の印篭のごとく掲げられて来ているのが実情である。

数少ない逸話を元にまとめている”謎”の項目だけに、この話題は外せないというか避けて通れぬというか、いよいよ登場、となったわけであるが。

ここでは沖田総司がどんな顔をしていたか、は問題にしない。何故なら、私にとってそれはどうでもいいことなのだ。それよりもなによりも、もっとも謎だと思うのは”何故、人はそこまで沖田の面相にこだわるのか!?”という問題だ。

そもそもの”沖田=美男子”説は何処から来たのか?映画などでは、戦前から二枚目と呼ばれる俳優陣が演じていたと言うから、かなり以前からその説は定着していたようだ。
時代的に言えば”肺結核”という病気にある種のイメージがあったようで、例えば文学や芝居などにもそれが伺える。その流れを受けて、”夭折した天才剣士”という要素が加味され、現在の基盤となるイメージが生まれたとも考えられる。
創作をしている身から言えば、主人公はルックスがいい方がなにかと都合がよい。もちろん内容や主旨、カテゴリーにもよるだろうが、いわゆるエンターテインメントとジャンルされるものは、歴史物であれ、時代物であれ、冒険、ファンタジー、あらゆる装飾は施されても、基本的には”楽しむ”ことが重要なのである。冴えない主人公が魔法や、ある超越した力によってぐんぐん肉体的にも精神的にも強く美しくなる、という過程を描こうというのでなければ、ともかく主人公はほぼパーフェクト、時々間抜け、というのが定番であり、むしろ好感度が高い。そういう意味では、小説や映像での沖田総司のイメージが多少の差はあれ美しく描かれるのは妥当であろう。仮にそれを自身の中で真実として受け止めていたとしても、なんら問題はないと思うのだが、その事に殊更声高に異を唱える人もまた、決して少なくはない。その理由の一つに”真実の沖田総司を知らないのは失礼だ”という。確かにそれも一理あるだろう。だが、真実の沖田総司とはなんだろう?美化され、英雄視されているのは沖田総司に留まらない。歴史上、なにくれとなく語られる人物は多少の差はあれ、美化され、英雄視され、事実よりも大きく取り上げられていると考えても問題はないだろう。本当は”ひらめ顔”なのに”美男子”だなんて失礼だ、というのが理由なら、ひょっとしたら案外”好青年”、人によっては”ハンサム”かもしれないのに、”ひらめ顔”なんだから醜男に決まっている!というのも失礼なのではないか?はっきりした写真があるのなら話は別だが、雲か霞のような欠片を元に、ああだこうだと論議を張る、その理由が謎である。一体、沖田総司が”美男子”でなければならない理由もなければ、”醜男”でなければならない理由もない。なのに何故、人はかくも沖田総司の面相にこだわるのか。おそらくそれは、”何故、人は沖田総司に惹かれるのか”という、根源的な問いと同等であろう。

実際、大いなる謎である(笑)存外、当の沖田総司が聞けば「冗談じゃねぇや!」と赤面して逃げ出す話題かもしれない。

 


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