沖田 総司を巡る謎


謎:其の伍 〜免許皆伝はいつか?〜

沖田総司、天然理心流免許皆伝、試衛館塾頭。

史料/解説本には必ずそう書かれている。にも拘らず、沖田総司が何時免許を授かったかは定かではない。仮に伝系でも残っていれば確認もされたであろうが、血縁とは縁薄い沖田総司の遺品は埋葬と同時にこの世から去ってしまっただろうし、彼の剣歴を示すものもまた、その時に消滅してしまったのかもしれない。


『新選組余話』(小島政孝氏著:小島資料館発行)によると、天然理心流の伝法は以下のようになる。

切紙
目録(序目録)
中極意目録
免許
印可
指南免許

さらに、この流派は剣術のみならず、柔術、棒術、気合術を含んだ古武道の系譜を継いだものとある。天然理心流の一派の内、増田蔵六の天保5年から14年までの門人帳を参考としているが、山本満次郎なる門人を例に挙げ、”入門から三術指南免許伝授までに18年9ヶ月を要した”と、いかにその取得が困難であったかを知らしめている。三術全てではなくとも、免許取得者は231人中16人ということで、実に14.4倍という難関であり、さらに”16名のうち半分の8名が剣術の他に柔術や棒術を学んでいる”とあるから、一口に免許といっても三術全てなのか、剣術のみなのか、様々なパターンが考えられるのだ。

残念ながら武術に関しての知識が皆無に等しいので、推測に過ぎないが、指南免許というからには、この段階まで達して始めて独自に道場を開き、門弟を持つ事を許されたのではないかと思われる。
近藤勇は当然、この指南免許を取得したと思われるが、では、沖田総司はどうであろう。
師範代というからには、当然免許までは取得しているはずである。さらに塾頭といえば道場主たる近藤勇に継ぐ立場であることから、門人の中で抜きん出ていたのは確かだろう。
入門から免許伝授までには平均で10年6ヶ月はかかると記されているが、あくまでも平均の話であって、個人の技術によってその年数は微妙に食い違いがあったはずだ。事実、近藤と同じく日野出身で、流派の擁護者であった井上家につながりのある井上源三郎は、免許取得まで12年以上を要したとも言われる。
仮に入門した9歳から稽古を始めたとしても、如何に筋がよかったとしても、年長の門弟と同格で扱われたとは考え難く、確かに若くして免許皆伝というのは如何に才があったかを物語る要因である。

では、19歳を前に免許皆伝、とされるのは何故か。

それは天然理心流が盛んであった武州、小野路の小島角左衛門の記した当時の日記による。

文久元年四月十二日
近藤塾頭惣二郎来る

惣二郎とは沖田総司の幼名である。つまり、この時既に塾頭であったのだ。それ以前にも既に出稽古に赴いていた形跡があり、これによって19歳前後には他の門弟に稽古をつけるだけの資格があったと考えられる事から、この説が生まれたとするのが妥当であろう。実際に何年かを決定付けるものは残念ながらないのだが、この説があながち作り話と言えないのは確かである。

後に新選組内でも常に近藤、土方に継ぐ立場とされた事から、沖田総司に対する身びいきが強かったとする見方もあったが、身内同様だからというような甘えた考えは武道を愚弄するものであろうし、仮に無意識にその気持ちがあったところで、実際に実力がなければ人は付いて来ない。また、後年、近藤勇が己に万一の事があった場合は沖田総司に流派を継がせたい、と後援者に依頼している事も、彼の腕を周囲が認めていた事を示している。

 


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