沖田 総司を巡る謎


謎:其の参 〜総司は左利きだった?〜

沖田総司は実は”左利き”であった─

そんな興味深い記述が在る。
私事で恐縮であるが、沖田冴月自身”左利き”である。”左利き”であるが故の不自由さや偏見を受けて来ただけに、”左利き”というと妙な親近感を感じてしまうのもまた事実だ。
最近ではそうでもないようだが、欧米と違って日本では左利きは殆ど強制的に直されていたから、江戸時代に生きた沖田総司もおそらく早い時期に矯正されていたのではないだろうか。
それでも生まれついたものは完全には打ち消せなかったのだろう。無意識に左が優位に使われていた部分があったようだ。

それは、沖田総司の群を抜きん出た才能、剣技においてである。

森満喜子氏の『沖田総司おもかげ抄』によると、この興味深い記述は遠藤幸蔵氏によって、『歴史研究』なる雑誌の昭和四十七年四月号に『沖田総司別見』と題して発表されたそうだ。
遠藤氏説は左利きの根拠として、刀の柄(つか)の元近く左方にねばりがあることを挙げている。
剣道をされる方は良くお解りであろうが、刀(木刀あるいは竹刀)の柄を握る時、利き手が元近く、つまり相手側に向かって先になる。幾度も握りしめた柄には手に浮かんだ汗や油による”ねばり”が当然残るはずだ。つまり、左方にねばりがあったということは、左手が右手よりも先に出ていたと推察されて当然であろう。以上のことから”左利き”と判断されていると思われる。
また、何歳の頃かは解らないが、四本指で箸を握って食べているところを見つかって直されたそうだが、誰が直したのか、いつ頃から左利きが直ったように見えたかは不明だそうだ。
この”四本指で箸を握って”というのは、左利きであった沖田総司が強制的に右に直された為に起った現象なのか、左手で握っていたのかはこの記述からは解らない。ただ、同じく左利きの人間としては、おそらくは強制的に右手で使うよう持たされた箸を持て余して握りしめ、”スプーンの法則”で使用していたものではないかと思われる。

果たしてこの”左利き説”が真実であるかどうかは定かではない。
この逸話は遠藤氏の御母堂が、旗本中島一胤(冴月注釈:遠藤氏の大祖父、とあることから御母堂の父上であろうか)から聞いた話の又聞きだとある。更にその中島一胤氏はその話を二本松藩士/三本木密雄から聞いたと言う事であるから、まさに人伝、語り伝えなのだ。
この三本木密雄なる人物と沖田総司がいつ頃出会ったのかも解らない。が、彼は心形刀流の剣客であったというから、実際沖田総司と出会っていれば剣の話に花が咲き、刀を見せあう等したのかもしれない。


もしも沖田総司が本当に左利きであったとしたら…。


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