新選組編成図
文久三年、会津藩預り決定後の役職/隊士名を基本にしておりますが、後に入隊した主要人物を加えました。
役職に関しても流動的であったことから、これが正式名/完成型ではないことをお断り致します。
「新選組史料集」「新選組全史」から主に作成。(名の後に*がつくのは、後に入隊後登用された人物)
局長 |
局長 |
局長 |
副長 (後に総長/切腹) 山南敬助 |
副長 土方歳三 |
参謀 (後に御陵衛士/暗殺) 伊東甲子太郎* |
副長助勤 (後に目付/会津にて離隊) 尾形俊太郎 |
副長助勤 一番隊:沖田総司 |
副長助勤 (後に暗殺未遂により脱出) 平間重助 |
副長助勤 (後に池田屋事変で死亡) 安藤早太郎 |
副長助勤 ニ番隊:永倉新八 |
副長助勤 (後に暗殺) 平山五郎 |
副長助勤 三番隊:斎藤一 |
副長助勤 (後に暗殺) 野口健司 |
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副長助勤 四番隊:松原忠司 |
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副長助勤 緒士取調役並監察 山崎烝 |
副長助勤 (後に暗殺) 五番隊:武田観柳斎* |
勘定役並小荷駄方 (後に病死) 尾関弥兵衛 |
調役並監察 二番隊伍長:島田魁 |
副長助勤 六番隊:井上源三郎 |
勘定役並小荷駄方 (後に隊費不算により切腹) 河合耆三郎 |
調役並監察 (隊名利用し金策の罪で斬首) 伍長:川島勝司 |
副長助勤 (後に病死/謀殺説あり) 七番隊:谷三十郎 |
勘定役並小荷駄方 (明治に原田マサ訪問説あり) 岸島芳太郎 |
調役並監察 (会津以後離脱後討死) 伍長:林信太郎 |
副長助勤 (後に御陵衛士/暗殺) 八番隊:藤堂平助 |
勘定役並小荷駄方 (後に脱走) 酒井兵庫 |
副長助勤 |
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副長助勤 |
後に新選組の主流となったとされる人物の内、天然理心流門人。 | |
後に新選組の主流となったとされる人物の内、試衛館の食客など、結成以前より関わりがあったとされる人々。 | |
結成時より参加、当初は主流であった人々。俗に芹沢一派などと表される。 | |
結成当初より参加、維新以後も生き抜いた人々。 | |
新選組結成以後、途中入隊。後に御陵衛士を拝命、離隊。 |
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