白虎隊の編制

 

「白虎隊」について書かれた本は多いが、中には誤解を招く書き方がされているものも未だ少なからず存在するらしい。飯盛山で自刃した十九士のみが有名になったお蔭で、「白虎隊」とは十九人で編成されていたかのように認識している人も世間には少なくないようなので、ここで年齢別に編制された白虎隊と他の三隊について、おさらいしておこうと思う。

戊辰戦争時、会津藩では年齢別に次の四隊に分けられていた。

白虎隊 : 十六、十七歳
朱雀隊 : 十八歳〜三十五歳
青龍隊 : 三十六歳〜四十九歳
玄武隊 : 五十歳以上

それぞれを更に身分(上士・中士・下士 ←詳細は当サイト内「会津藩豆知識」を参照ください)によって士中・寄合・足軽の三隊に区分され、下記の編制になった。(白虎隊のみ、人数を入れておくが、人数には諸説あるので、最新の一般的な研究・解説書に従う)
また、白虎士中一番隊、士中白虎二番隊、寄合白虎一番隊、白虎寄合二番隊、白虎寄合組一番隊、白虎二番寄合組、白虎足軽隊、足軽白虎隊など読み方には色々あるが、どれも間違いではない。

■白虎隊は、リンクを辿ればそれぞれの戦いぶりと隊士名簿がご覧いただけます。


白虎隊 :
       士中一番隊 三十七名
       士中二番隊 三十七名  参考 : 士中二番隊名簿
       寄合一番隊 九十九名  参考 : 寄合白虎隊の戦歴表(別窓)
       寄合二番隊 六十二名
       足軽隊    七十一名
       合併士中隊 五十三名 (籠城戦時)

朱雀隊 :
       士中一番隊〜四番隊
       寄合一番隊〜四番隊
       足軽一番隊〜四番隊

青龍隊 :
        士中一番隊〜三番隊
       寄合一番隊〜二番隊
       足軽一番隊〜四番隊

玄武隊 :
        士中隊(一中隊のみ)
       寄合隊(同上)
       足軽一番隊〜二番隊


各中隊は中隊長(中隊頭)が指揮する。一中隊は二小隊に分かれ、それぞれに小隊長(小隊頭)がつく。更に一小隊は二半隊に分かれる事もあり、半隊長(半隊頭)が指揮を執る事になっていたので、各中隊には合計五名の指揮官が居た。

(参考) 会津戦争時の朱雀士中隊における中隊長は、下記の通り。
士中一番隊 : 小森一貫齊
士中二番隊 : 田中蔵人
士中三番隊 : 原田主馬
士中四番隊 : 佐川官兵衛、8/11より町野源之助(主水)



上記以外に、会津藩の兵力としては、下記の部隊がある。

幼少組 : 白虎隊に年齢が満たない十四、十五歳の者
隠居組 : 五十歳以上にして、玄武隊に加わっていない者
砲兵隊 ・遊撃隊 : 朱雀・青龍の年輩を以て組織
別選組 : 藩士の次男以下が中心。弓馬槍刀の全ての免許取得または少なくとも二芸に抜群の技量を持つ者40名から成る精鋭部隊。創設は禁門の変後の京都にて。初代隊長は佐川官兵衛。鳥羽・伏見の戦後、再編制。
奇正隊 : 地方組の者

その他、猪苗代隊や武士以外の人々による諸隊があった。



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