![]() 晩年学通信 『最後の日記抄・闘病記』 |
昨年お亡くなりになった児童文学作家の上野瞭さんが、
同志社女子大を退官なさった時から教官の仲間の方々と始めた「晩年学フォーラム」
という集まりがあります。その会の機関紙「晩年学通信」に毎月掲載されていた
「灰色ロバイーヨーの日記抄」は、
一部 『ただいま故障中―私の晩年学』(晶文社刊)の中に収められていましたが、
1998年6月〜2002年1月までの「日記抄」が晩年学フォーラム事務局の手で一冊の冊子に(冊子とはいえ222ページ)まとめられました。
1998年に胆管癌の手術を受け、再帰。しかし、転移、再発という本来なら"死と闘う"と表現をしてもいい時期であったはずですが、 上野さんは生きている自分を見据えて、あえて言うなら「生と闘う」という姿勢を貫かれたのだろうと思います。 この冊子は晩年学フォーラム事務局が取り扱っていますが、ジオジオでは店頭にて実費(300円)で販売しています。 |
![]() 『子どもの本とは何か』 (500円・税別) |
手元にもう一冊の冊子があります。『ゲド戦記』等、翻訳家として、
『子どもの本の現在』等、児童文学評論家として活躍中の
清水真砂子さんが、「かわさき市民アカデミー」で講演されたものに加筆して
一冊の冊子にまとめられたものです。 翻訳という仕事のこと、作家・作品論から本のタイトルにもなっている、 子どもの本とは何か、という子どもの本論等々、一気に読みました。 この本が、ブックレットという小冊子であるのが「もったいない」という気さえします。子どもと子どもの本に 係る方々にはぜひ読んでいただきたいと思います。 上記の本は清水さんにいただきました。 この本と同封されていた『教科研究 国語』という中学の国語科の先生向けの小冊子に、 清水さんが「教室はわからなくてはいけないところ?」と題して書いていらっしゃいます。 教師は明確に説明でき、すみずみまで光があたり、一点のあいまいさもない教材を用意するという「愚」を犯していないか? という疑問を投げかけています。そうすることで自分は気づかないまま、人に対して、世界に対して傲慢になっていないかという警鐘を鳴らしています。 教師と生徒に限らず大人と子どもという関係においても同様のことが言えるのではないでしょうか。 前記の『子どもの本とは何か』ともリンクする内容なので合わせて読んでいただけたらいいのですが、 冊子の性格上、販売は難しいと思いますので、読みたい方はジオジオにお申し出ください。 |
ジオジオに新しい住人がやってきました。正しくは“人”ではなく“魚”ですが。 隣家の覚道さんからメダカをいただきました。火鉢を利用して水槽にしました。まだ2,3日しか たっていませんが、水槽に小さな透明な粒がついています。メダカの卵かはわかりませんが、何かの 卵のようです。毎朝、ボーッとのぞきこんでいます。ベンチの横に置いてありますから ご来店の折には、のぞいてみてください。 | ![]() |
2003年10月 もとはる
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