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from bookland 196号     ★bookland 195 号★
  ★上野 瞭さんの作品紹介★




「日本の児童文学の世界には『人生をいかに生きるか』とか、『社会のゆがみにいかにたちむかうか』 といった作品に高い評価が与えられる傾向があり、そういう基準で物語をながめる人が多いのです。
その結果、物語というものがもっている<どきどき、わくわく>する<おもしろさ>が軽く見られ、 物語のなかの意味だけをぬきだす誤った<読み方>が正しいと思われる場合もありました。しかし、一ぴき の魚から骨だけをぬきだして『これが魚である』と言ってみても、魚を理解したり味わったりしたことには なりません。骨しかない物語は物語でないように、骨しか見ない物語の読み方では、とても物語を読んだとは いえないのです。」

 これは、岡田淳さんの『二分間の冒険』の「解説」からの抜粋です。上野瞭さんの 文章です。「読みかた」を指摘しているようにもとれますが、書き手、作家としての上野瞭さんの姿勢でない かと思われます。というのは、上野さんは自書の中で、

(文学としての児童文学を描く事は)『何よりもまず<どきどき わくわく>する独自の世界を創り出す ことにある。「ありえない世界」の「ありえない出来事」を「ありうるかもしれない世界」の「ありうるだろう 出来事」として描き出す仕事である。』と書かれています。

<どきどき わくわく>は上野さんの作品を読むとよくわかります。 「想像力の冒険」といってもよいでしょう。上野さんは作品の中で、今の自分とは 違う「もう一つの人生」を生きています。時には少年や少女に、またある時にはちょんまげを結っている 時代の殿様にもなりました。くたびれた中年男にも、犬や猫にさえなりました。こうして、おもしろい物語を 書く中で自分の生き方を問い続けたのだと思います。
 したがって、上野瞭さんの作品には、時に人の 内にある暗部、あるいは世の中の暗部も描かれます。 この闇の部分に光をあてる ―上野さんは「毒を盛る」と 言っています― ことによって「現在(いま)」の自分を問い続けたのだろうと思います。

 大人が不動の 価値観を持つ絶対者として子どもを教え導こうとする「児童文学」に対して、上野瞭さんは厳しい批判をして きました。つまり、「子どもに向けて」あるいは「子どもを意識して」書くのではなく、すでに述べたように、 自分に問いかけているのです。子どもたちも成長すれば、自分自身に問いかける日が来るはずです。その時に 「生き延びる」力となるような作品を、上野さんは「児童文学」と考えていたのではないでしょうか。

話は変わりますが、オヤジは上野瞭さんの文章に初めて出会ったのは『ひげよさらば』だと思い込んでいました。 ところが、70年の初めに、加川良というフォークシンガーが『教訓』という歌を歌っていました。偶然手に したパンフレットに載っていた文が気に入って曲をつけたのだそうです。これが上野瞭さんの文章だったそうです。 オヤジもこの歌をコンサートで聴いたことがありました。
『命は一つ、人生は一度だけだから、命をすてない ようにね...』
こんな歌詞だったと思います。また、
『青くなって尻込みなさい。逃げなさい。隠れなさい。』 というフレーズもありました。当時は急進派のフォークが主流の時代でしたから、「四畳半フォーク」と 揶揄されたりもしていたようですが、何となく違った「におい」のする歌詞だと感じ、印象に残っていました。
今、この歌詞を改めて読み返すと、なるほど上野さんらしいと思います。
 当時ベトナム戦争は泥沼に 陥り、国内では学生運動が高揚期を迎えていました。30年後の現在、世界や日本がどう変わったというのでしょう。
「現在(いま)を自分に問いつづける」という上野瞭さんの残したメッセージを重く受け止めたいと思います。


2002年3月 もとはる