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徒然



2001/07/04  裁く



 今日はちょっと長く、刑罰の話。

 割に合う刑罰はあるか?そこから始めてみましょう。

 先に結論から述べてしまいますと、ありません。あるとすれば、捕まらない場合のみです。

 罰金が、盗んだ(もらった)金額にいかない場合は儲かったことになるじゃないか?そんな話は、しないでください。
 罰金の以前で、犯罪に関わったお金はすべて没収されます。捕まれば、犯罪者(あえて、犯罪者といいます、以下同じ)には「罰金」という名のマイナスしかありません。よって割に合う犯罪は、ない。こうなります。
 それ以外に、割に合う犯罪があるかは、一般市民である自分は、わかりません。できれば「ない」のが答えであって欲しいのが、自分の感想の正直なところですけれども。

 さて、それはさておき、本題に移ります。今の話が犯罪者側の話だとすれば、今度は、裁く方のお話。



 あなたは、死刑制度をどう思いますか?



 昔、刑罰は絶対的統治者(と、一応被害者)のためだけにありました。歴史の教科書で習った「目には目を」の世界です。人権と言うよりはむしろ、統治者の権力とその統治する社会のためにありました。
 犯罪者が犯した罪と、同じだけの罰を与えようといった、大変シンプルなものです。しかし、ふつうに考えればこれが至極当然に思えるケースもあります。

 しかし、今の刑罰は、そうなってません。例として、一番わかりやすい殺人罪を考えてみます。
 「殺人罪」とは、人が殺す意志を持って、人を殺した場合にのみ適用されます。ちなみに「間違って殺した」であれば、過失致死罪などほかの罪になります。
 殺人を犯した場合、日本の刑罰では、「3年以上の懲役、または無期懲役、もしくは死刑」の罰が与えられることになります。
 …最低3年以上ですよ!(正確には、殺人であると「裁判官」が認めた場合ですし、殺人であると認定した場合であっても、実際にはもっと短くしたり「執行猶予」なんてものまであります。)どう考えても、犯した罪とそれに対する罰の間には、隔たりがあります。どうひいき目にみたとしても、釣り合いなんかとれちゃいません。
 なぜ釣り合いがとれていないのか、その辺の話のさわりは、だいぶ前にしましたが、今回は死刑のみの話での別アプローチです。



 死刑制度廃止の理由の一つとして、冤罪の可能性が指摘されています。人間のすることは、完璧ではありません。
 そして、絶対的に取り返しのつかない死刑判決に間違いがあってはならず、間違いの可能性があるのであるならば、あってはならない制度であるという理由が挙げられています。
 せめて、失われる命という取り返しのつかない事態を生むことはなくそう、というのがその一番の理由になります。
 ちなみに、死刑廃止論者の一人である元最高裁判所裁判官であり、学者でもあるその方は、死刑判決を下した後、退廷する際に「人殺し!」と罵られた経験があるそうです。「いかに確信に満ちた判決であれ、それは後味のいいものではない」と言っておられてもいます。

 よく言われるのが、「100人の有罪の人が大手を振って歩くことができる社会と、1人の無罪の人が死刑判決を受け、裁かれる社会と、どっちがいい?」という話です。
 先ほども言いましたが、人間のすることは完璧ではありません。完璧を目指すべきではありますが、完璧ではあり得ないのです。そして、その完璧でない部分の負担は、どちらかに向くのです。



 あなたは、死刑制度をどう思いますか?



 感情論だけで、決めるべきではない。

 幸いにして、まだ身近に凶悪犯罪の被害者がいないが故かもしれないが、私はそう思う。たとえ、お気楽な脳天気者と言われても。