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徒然



2000/04/25  「罪」と「罰」



 悪いことをすれば、それに相応する罰があります。
 いわゆる「罪」と「罰」の話です。

 現在の日本において、刑法が存在します。ではなぜ、刑法が必要なのでしょうか?

 それは、残念ながら罪を犯す人がいるからだと考えます。

 罪刑(ざいけい)法定主義という言葉があります。

 罰を与えられる行為、いわゆる「罪」は、法律上定められていなければそれは「罪」として扱われず、従って「罰」を受けることはないというものです。裏を返せば刑法に明記されている以上は、それは犯罪として「罰」を受けると言うことになります。

 刑法には、2つの目的があります。(カタイ話は抜き!)

 まず、決まり事として「罰」を与える以上、「罪」というものを明確にしておかなければならない。決まりとして明確でなければ、それは決まりとしての意味をなさない。
 してはならない行為(「罪」)を明確にし、社会の決まりとして国民に明確に示すという役割です。

 そして次に、その「罪」に相応して「罰」があることにより、犯罪を行おうとしている者に対しての抑止力を期待しています。つまり、言い方は悪いですが犯罪は割に合わないということを意識してもらうのです。これは、犯罪を起こそうとしている者に対して(犯罪を起こさないように)期待しているという側面があります。

 さて、最近妙に犯罪が増えてます、気軽に犯罪が起こっているような気がします。

 なんでですかね?

 一つには、自己の存在が自分自身で希薄に感じられるということがあるんだと思います。自分を大切にしない・できないって事です。自分は自分一人のものだ、どうしようと自分の勝手だという人が多いような気がします。もちろんそんな人は、心に余裕がない限りは自分を思いやってくれる相手のことなどどこかに飛んでいってしまいます。

 次に、過剰な自分本位でもそうなってしまいます。誰でも「その人なりの事情」というものがあります。だからといって甘えていい人、状況などあるのに「自分がこんなに悩んでいるんだから、何をしてもいいんだ」というものなどです。
 これは、一見先の立場と逆のような来もしますが、意外と重なり合う部分もあるんじゃないかなって印象を受けます。うまくは説明できませんが。

 上のふたつの理由も非常に大事なことだとは思うのですが、今回言いたいのは違う点なのでこの辺にしておきます。でも、踏まえて聞いてください(笑)。
 なぜ今回はなしたい理由とは別な理由を挙げたのかと言えば、犯罪が起きている理由は一つではないだろうということを言いたかったからです。

 では、話を戻します。

 「罪」と「罰」の釣り合いの話。つり合っていないという話があります。また、犯罪者に期待するのは間違いだという話もあります。
 確かに、そういった側面も否定できません。あえてここでは詳しく書きませんが、よほど残虐な方法を用いたりしない限りは、人を一人殺してそれだけで死刑になることはまずありません、何人殺したら死刑になるかといった「相場」があるとさえ言われてます。また、無期懲役にしても、実際に一生ずっと刑務所に居続ける人は、ほとんどいません。

 また、犯罪者の再犯率の問題もあります。つまり、一回罪を犯した人が二度目の犯罪を犯す確率は、低くないということです。ただ、この点に関しては様々な問題があるので、一概に今回のタイトルにあげた問題と結びつけるのはどうかと自分では考えております。

 あ、少年法に関しての問題は、少なくとも理念としてはこれとは別なので、あえてここでは取り上げません。

 話をまとめますね。

 自分が言いたいのは、確かに「罪」と「罰」がつり合っていないという感覚はあります。しかしだからといって「罰」を重くすればいいということではないんじゃないかという事です。

 確かに、抑止力というものを考えたときに一定の疑問は浮かびます。
 しかし、矛盾しますがそこは捨ててはいけないんじゃないかと思います。全ての人間が更生しようとする可能性がある方を取りたいのです。先に述べたように、犯罪が多発する理由は一つではないのですから。

 勿論、自分は、自分を殺そうとしている者に対して素直に殺されようとする、相手が途中で止めてくれるものと期待して抵抗はしないなんて強い人間じゃありません、断じて。

 身内や大切な人が殺されたりしたら、こんな考えをいっぺんに捨ててしまうかもしれませんし、その可能性は低くないと思います。

 ただ、、、。