キーファーのインタビュー
ここには過去にキーファーが雑誌で答えたインタビューを載せて行きます。
インタビューは雑誌のもので、現在入手不可能と思われるものについて載せて行きます。現在入手可能なものは、ニュースの方に情報を載せるのみとさせていただきます。
なお、不都合があった場合はすぐに削除しますので、ご了承くださいね。


MOVIE STARムービースターVOL.5(1993.8月号)
MOVIE STAR ムービースター VOL.6(1993年10月号)
MOVIE STAR ムービースターVOL.9(1994年4月号)
日刊スポーツ(2005/11/25)
PLAY BOY (2004年4月号)   NEW!

MOVIE STARムービースターVOL.5(1993.8月号)

ゴシップに対しては、許すか闘うかだ。
人生には自分の手におえず他人にコントロールされる物事がたくさんある。型にはまった俳優にはなりたくない。

INTERVIEW:SourcE

 
―『ア・フユー・グッド・メン』を観て、君のことを『バニッシング』の悪い男だと思ったよ。
いや、あれはジェフ・ブリッジズだよ。

―あの役を演じたくはなかった?
結局、僕は年齢的にふさわしくないと思うんだ。もし僕がジェフ・ブリッジズの年令だったら、あの役をやりたかったと思うよ。『バニッシング』の中の配役は全部、とても良く考えられていると思ったね。トッド・グラフは、一緒に仕事をして楽しかった、最も良い脚本家の一人だ。そして、もし僕が女だったら、ナンシーの役をやりたかったな。(笑)作品中の全人物が、はっきりと描き出されていたよ。

―オリジナルのオランダ映画は観たかい?
いや、敢えて観ないようにしたんだ。我々は全く別の映画を作りたかったし、僕は、ジョージの他の映画から何かを模倣しようとしていると思われたくなかったからね。

―それがジョージ(スルイザー監督)に影響を与えたと恩う?
そのはずさ!僕達のやることは何だって自分達の上に影響しているよ。あの初めの映画を作っただけの時間をかけるのであれば、彼に大きな影響が与えられるはずだ。監督に再び映画を作らせたり、映画の別ヴァージョンを作らせたりすることで良い点の一つは、改めてはっきり表わしたい事柄をじっくり見て取れるということ、それにもう一つの機会が得られることさ。うん、1本目のヤツが彼に大きなインパクトを与えたことを望むよ、2本目を作るぐらいに。(笑)

―ジェフ・ブリッジズを悪役として、相対して演技するのはどんな気分?
ジェフは素晴らしい俳優だ。役を悪い人間、良い人間という風には考えないよ。場面を演じるだけさ。だからどんなキャラクターを彼が演じていようと、俳優としての彼と仕事をするのは本当にやりやすかったよ。彼には優雅さがあり、演技に対する心構えができているんだ。それに本当に信頼できる俳優なんだ。だから、一緒に演技ができて、光栄だった。凄く光栄だったよ。

―彼のどこが気に入って、演ることにしたの?今日ではたくさんのオファーが来るだろう。その中からこれを選んだのは何故だい?
コンセプトがとても興味深いんだ。我々の人生には、自分達の手に負えず、他の人々にコントロールされる物事がたくさんある。君の車が信号で停まっている時に誰かが後ろから追突して来るとか。突如として君はこんなことに関わって処理しなければならなくなる。君のせいじゃないのに―。給料が上がるか上がらないか。仕事にありつくかあぶれるか。この映画の場合は、ある男がある女をとても愛していて、残りの人生を彼女と暮らしたいと思っているんだけど、ある日彼女は消えてしまう。それは彼女のせいじゃない。彼のせいでもない。彼にはどうしたらいいかわからないんだ。自分自身の運命をコントロールできないフラストレーションを興味深く見られると思うよ。

―君の演じる人物は妄想的だと思うかい?彼の人生のどこかでこういうことが起きたという妄想を抱く…。
いや、ちっともそうは思わないよ。他のどんな物事に対してでも彼が妄想的だとは思わないな。彼が答を持たないたった一つのことに関してのみ、とりつかれたようになっているだけさ。関わっている要素がわかっている限り、そしてそれが取り除かれた時、我々は何もかも弁明することができる。見付け出すためにはかなり異常なことだってやれるのさ。

―そういう部分が君の中にもあったの?
僕の中には色々な要素があるよ。たくさんの要素がね。個人的なものさ。ほとんどは、あんまり話したくもない。だけど、僕の人生において違う風に行くと思っていてそうは行かなかったことが確かにあった。こういうことに関して、無力だと感じる気持ちは並々ならぬものだね。

―人生をコントロールすると言えば、俳優業は君にほとんど又は全くコントロールする権利を与えない分野だと見受けられるんだけど、この移り変わりの激しい分野で、君はどのように安定性を保っていられるのかな?
面白い質問だね。と言うのは、キャリアの観点から見ると、コントロールできない要素がたくさんあるからね。だけど、俳優であることの概念そのものが、絶対的なコントロールを持つことなんだ。それで両者はお互いに反目し合っている。唯一本当に大事なのは、1回に1シーンか1言動の実際の演技だよ。その上に絶対的なコントロール力を持つこととね。自分がどこにいるべきか、何を言うべきか、どのように言うべきか、どう反応すべきか、そういうことに対して絶対的なコントロール力を持つさ。我ながら満足しているのは、自分がコントロールらしき人物を少し身に付けていることだね。だから、それが僕から奪われた場合、この映画のキャラクターとは違ったリアクションをするだろうな。
―そういう事態になったら、何をする?
コントロールを取り戻すためなら、何だってするよ。僕にとっては運のいいことに、このキャラクターと同じ程度までも行かないでいいんだ。だってこの種のことは僕には起こらなかったから。でも、元通りにするためなら何でもするよ、本当に。

―そういう気持ちって、君の私生活がゴシップ誌の第一面にデカデカ書き立てられた時に出て来たりする?
それはそんなに悪いことじゃない。僕が実際に対象にしてた物じゃないよ。つまりね、それ以上に僕の家族のプライバシーが青き立てられるんだ。3歳の子供に実際ディナーを食べさせようとしているみたいなものさ。あまりに単純だけれどそれだけじゃ済まないんだ。最終的に許すことを学ばざるを得ない物だな。それに対する僕の初めてのリアクションは、かなり爆発して、エネルギーを凄く消費し、得することはなかったよ。もしも芸能活動を続けるのなら、記事を書き立てられても許すか闘うかだね。

―今回の役柄は『ア・フユー・グッド・メン』での役とはずいぶん違うね。君は一つの型にはまった俳優ではなさそうだ。それはただ運が良いのだろうか、それともそういう風に計画しているの?
両方が少しずつだね。この業界でやれることで、ある程度まで幸運に左右されない物はほとんどないと思うんだ。だけど僕は輿昧を持てる仕事をやったし、そうさせてもらえたのはとても幸運だった。こういうことは、もう1度言うけど、自分でコントロールできることじゃないからね。ある人々に仕事を請うが、させてもらえず、他から仕事を頼まれるんだ。浮いたり沈んだりさ。僕にしたら、あるジャンルに少し時間を費やして次に何か他のことをして、他のことを学ぶようにしているんだ。或いは、誰かが何かをやって僕がとても気に入る映画を観て、そういう種類の映画をやりたくなるんだよ。だから、人が僕にそういう行動を許してくれるってことは、僕はとても運が良かったのさ。

―『ア.フユー・グッド・メン』は君にとって真の出発点と言えるような作品だったね。機会を与えてくれたことで、あの役を高く評価してるかい?
ロブ・ライナー監督とまた仕事ができたことに感謝しているよ。ロブ・ライナーは、僕が一緒に仕事をして来た他の誰とも違った監督の仕方をするんだ。ある意味で僕が彼の元で演じたキャラクターは、ほとんどアニメのキャラクターみたいだったよ。凄く一次元的で一方的で、『バニッシング』の中の誰かのように複雑じゃなかった。そいつらは全く思いやりという物を持ってなかったんだ。思いやりを持つようには設定されていなかったのさ。潜在的に邪悪であったり、軍隊に危険思想を持ち込んでいたりしてね。それを具体化した物だったんだ。だから、かなりまっすぐなキャラクターを演じるのは、とてもいい気分だったよ。

―最近、とてもたくさんの映画に出てるね。仕事に取りつかれているの?
違うよ。2年間仕事をしなかった時期から脱け出たばかりなんだ。その期間の前、最後に演った作品は『アーティクル99』という物で、オリオン(映画会社)の財政上のトラブルのせいで、とても長い間放置されたままになっていた。それで、何本か在庫整理の映画があったけど、僕は2年間仕事をしない方を選んだんだ。農場を持っていたし、何か違うことをやりたかったしね。仕事をひどく恋しく思うようになり出したんで、2年経った後に復帰して『ア・フユー・グッド・メン』を演り、すぐ『バニッシング』を演り、他にも、1本終わったばかりなんだ。

―その作品は何?
僕が監督した『ラスト・ライト』という作品なんだ。出演は、フォレスト・ウィッテイカー、僕、アマンダ・プラマー、キャスリン・クィンラン、クランシー・ブラウン。ちっぽけな作品さ。若い死刑囚の最後の6ヵ月と、その男と看守との友情を描いた物なんだ。

―監督と俳優の両方をするのは大変だった?
ああ、とても大変だったよ。僕が思ってたよりずっとね。自分自身にもかなり厳しくしてたんだよ。あの映画には多くを期待してた。5年間あたためて来たプロジェクトだったからね。完成させることが出来て、とても嬉しいよ。何カ月かしたら、僕達が良い映画を作ったかどうか、わかるだろう。

―2年間のオフを取って、何を学んだんだい?
たくさんのことさ。長期オフを取ったからって、ビジネスに対する見方を変えるってことにはならないよ。その日暮らしの観点とは違う何かをすることさ。牧場では全く違った生活を送ったよ。180エーカーの干し草と大麦、50工-カーの牧草地のある農場だったんだ。

―今はもう持ってないの?
うん、ないよ。いい経験をした、それでいいんだ。

―長期のオフを取った理由の一つには娘さんのためってことがあった?
そういうこともあるね。それと、僕も疲れ切っていたし。そうなるまで、仕事をたくさんこなして来て、私生活も含めて物事が上手く行かなくなってたこともあって、自分自身をしっかり掴む必要があった。それで2年間のオフを取ったんだよ。でも、1年経った頃、戻って映画の仕事をしたくなって来たんだけれど、自分を抑えて留まったよ。本当にひどく恋しくなって、映画をやらなければどうにかなってしまうと言うぐらいになるまでは、ってね。

―農場の仕事は俳優業よりキビシかった?
生活のためならば、やりたくないな。(笑)農夫をやってこの国で生きて行く糧を稼がなきゃならないのは、勘弁して欲しいな、絶対!生活して行くには、生き延びて行くには、とてもとても大変な方法だよ。僕にはとても楽だった。180エーカーの農産物に頼って生きてたんじゃないからね。だけど、う〜ん、もし生活のためにやらなきゃならないんだったら…。農場で働く人達を大いに尊敬するよ。でも、うらやましいとは思わないな。(笑)

―場所はどこだったの?
モンタナだよ。

―現在、結婚はしてないよね?
してないさ、神に誓って。(笑)

―お嬢さんとは時々一緒に暮らすこともあるの?
ああ。僕と前のカミさんとは、とても良い友達なんだ。娘は2人いるよ。16歳になる義理の娘と、5歳の娘さ。

―舞台劇をしてみたいかい?君のお母さん(シャーリー・ダグラス)から、そっちの方面に引っ張られなかった?
全然そういうことはないよ。母はいつでも僕にとても協力的なんだ。彼女が気にかけているのは僕の幸せだけさ。僕はハリファクスのネプチューン・シアターに帰って『プレイボーイ・オブ・ザ・ウエスタン・ワールド』を演りたかったけど御破算になってさ。それからフォレスト・ウィッティカーと僕は、ロサンゼルスで『オブ・マイス・アンド・メン』を演ることになってたのが、ゲイリー・シネスが映画を制作するってんで、僕達には上演する権利が得られなくなってしまったんだ。何かが僕に"まだその時期じゃない。"って言い続けているみたいにね。シアターで僕がやりたいと興味を持つプロジェクトは、現在映画のキャリアにおいて計画している他のプランと重なってはいない。そう、シアターは僕がやろうと思っている物で、そんなに先の話じゃないさ。いつもいつも映画をやらなければならないのに対して、シアターは、何か他のことを試してみる、良い架け橋の役割をするんだよ。そして、あっという間の3ヵ月興行に対して、少なくとも6ヵ月のプロセスを与えてもらえるんだ。

―君が俳優になったばかりの時、両親は援助してくれたかい?
15歳で学校を出た時に、家を離れたんだ。家にはいなかったよ。寄宿制の学校にいたんだ。子供の時からいつも僕の回りの人みんなに、「君は俳優になるの?」って訊かれたよ。父も母も役者だからね。僕は間髪を入れずに「ノー!」と答えるのが癖になってしまってさ。でもある日、母の友人の頼みで寸劇をやったんだよ。その人は子供達を監督するのに凄く苦労していて、この劇に出す子供を捜していたんだ。で、彼は僕を母と一緒に劇に出したのさ。そのことは決して忘れることはなくて、大きくなって、将来僕は何をやりたいのだろうかと考えるようになった時に、本当にエンジョイしていたことといったら、演技だったんだ。恥ずかしくて、両親に相談するのがきまり悪かったよ。で、家を離れて、実行したのさ。母とは同じ地域に住んでいたから、父が知るよりずっと前から知ってたよ。とても協力的でね。カナダで2本の劇と1本の映画に出て、そこから道が開けて行ったんだ。まずニューヨークヘ行って、それからロザンゼルスヘ行ったんだけど、一緒にいた人間が僕達の持っていた全財産を失くしてしまってさ。僕がカナダのシアターで稼いたお金も入っていたのに…。で、LAに着いた時には無一文だったよ。2、3週間ビーチで暮らした後、スティーヴン・スピルバーグとの仕事にありついたんだ。『世にも不思議なアメージング・ストーリー』の一話。それから後は、ノン・ストップで働きづめだったよ。

―家族に助けは求めなかったのかい?
まさか。そんなことしたら、よけい恥ずかしくなってしまうよ。

―自分にはやれると思ってた?
自分にやれると思う時は一生来ないだろう。(笑)毎朝起きてすぐ、一瞬不安感に襲われ、呼吸が凄く速くなって、「心臓マヒを起こしそうだ!」と思う。脈拍を調べ、人がなんとか君を落ち着かせて、君は納得する。気分のいいものじゃないと思うね。

―先程、君が疲れ切っていたと言ったのは、満足感を得られなくなっていたということだね?
そう、そう。何もすることが残っていない、作り出す物が何も残っていない、という状態だったんだ。唯一信じられる物は、僕自身の実体験しかない。僕は人生においてダイレクトな反応が欲しいんだ。運のいいことに、僕の人生って十分アップ&ダウンがあるから、経験として引き出せる物がたくさんあるよ。いつもそうすることは避けた方がいいよね。新鮮な感動がなくなるからさ。それが、映画と舞台との間の大きな違いだと思う。舞台上では本当に明確に表現できる。映画では、ふとしたまばたきや場違いなシーンでの一呼吸だけで、命取りになるんだ。

―この次の予定は?
チャーリー・シーン、クリス・オドネル達と『三銃士』に出演するんだ。普通の『三銃士』よりアクレッシヴなヴァージョンで、気どったところは全くない物になる筈さ。


MOVIE STAR ムービースター VOL.6(1993年10月号)

ディズニー大作『三銃士』の楽屋裏
ディズニーは、17世紀のフランスを舞台にした、壮大な 歴史ドラマの撮影を、イギリスの港町、チャールズ・タウ ンで行っているが、静かな村は、『三銃士』を巡って大 騒動!

時はルイ13世下のフランスで、世に三銃士と呼ばれる、 国王直属の剣士が3人いた。そこに、ガスコーニュの田 舎からでてきたばかりの若者、ダルタニャンが加わって、 美しきアンヌ王妃の為に、命を賭けて闘う…というのが、 主なストーリー。 主役のダルタニャンに、クリス・オドネル、姫さま剣士ア ラミスにチャーリー・シーン、知性派アトスにキーファー ・サザーランド、単純なポルトスにオリヴァー・プラット、 他にレベッカ・デ・モーネィら。

本来だったら、漁業以外大した産業もない村なので、ロケ は大歓迎されてもおかしくないが、チャーリー、キーファ ーを中心に、毎晩飲み会をやり、暴れるので、村では迷惑 顔をしているそうだ。 ある夜も、ホテルのバーで飲み始めた所、出された食事 を気に入らなかったチャーリーが怒鳴り始め、彼らが帰 った後は、割れたガラスが散らばり、カーテンが破れる 大参嬢。すぐにディズニーが損害賠償を申し出たが、弁償 すれば済むって問題ではない。もうひとりの問題児キー ファーは、一早くホテルと行きつけのパブに、お詫びの カードと、大きな花束を贈り、何とか彼らの怒りを収め たそうだ。 「もうウンザリだ。もうあの映画についちゃ話したくない。」
…そういう村人が続出する中、一部に彼らに好意的 な村人もいる。そのひとりが、パブに勤めるリサ・ヒューズ という女性で、ロケ中のキーファーと、ロマンス進行中。 デートをしている所や、彼女の車の中で、濃厚なラヴシー ンをしている所を、村人に目撃されている。

クリス・オドネルは、『三銃士』のロケ中、ゲームボーイに夢中。

チャーリー・シーンは、『三銃士』のオーストリア・ロケに、LAからポルノ女優、ウェンディ・フーパーズを呼びよせた。
『三銃士』のオーストリア・ロケで、ウェイターを殴ったキーファーに、約40万円を支払うか、2週間ム所暮らしをするか?という判決がおりた。せっかくの経験をするチャンスだったが、キーファーは、金でカタをつけたそうだ。

キーファー・サザーランドは、先日、乗換え便を捕まえるため、ロンドン・ヒースロー空港に立ち寄り、カメラマン達とすこしおしゃべりをした。
「俺はね、仕事をしてないと落ちこんじゃうんだ。なのに、次の仕事が決まらなくてね。よくあるつまらない映画の話しなら、ふるほどあるけど、自分をぶつけるような役って、なかなかないからね…。」とキーファー。また彼は、ガールフレンドとはうまくいってるが、マスコミに相手を公表する気はないと、もらしていたそう。

スターにとっちゃ身長はイメージを左右する大事。『三銃士』ではチャーリー・シーンが、ポルトス役の巨漢、オリバー・プラットと並ぶシーンをイヤがり、二人並ぶ場面ではオリバーが膝を曲げていたそうだ。キーファーやクリス・オドネルもオリバーよりは背が低いが、どちらも気にしていなかったそう。オリバーって、本ト、デカいのよね。(VOL.9)

クリス・オドネル来日時インタビュー抜粋(VOL.9)
――オリバー、キーファー、チャーリーは、お互いに顔見知りだったわけでしょ?あなただけが、新顔だったわけだけど、彼らとは、どうやって仲良くなったの?
クリス:キーファーのことはウィーンに着くまで、知らなかったんだ。最初は、変な感じだったよ。彼ら三人は、以前に一緒に仕事をしたことがあって、いろいろ共通の話題があったけど、僕だけ、何を言ったらいいのかわからなくてさ。でも、それはある意味じゃ、良かったんじゃないかな。だって、三銑士のストーリーもそういう風だろ?三人が最初から一緒で、そこに後から僕が加わるわけだから…。

――それに、あなたは彼らよりずっと若いし…。
クリス:ノーノー!ずっとってほどじゃないんだよ。キーファーは、僕より三歳年上なだけなんだ。チャーリーは、5つ上。オリバーは、チャーリーよりもう少し上だけど。

――イギリスの新聞をいろいろ読んだけど、その中には、 チャーリーとキーファーがとてもワイルドなパーティーをしたって書いてあったわ。あなたも加わってたの?正直に答えてネ!

クリス:0K!イギリスのタブロイド紙は、何でも大げさに誇張して書きたてるからね。そのタブロイド紙が、何のことをさして、言ってるのか、よくわからないけど、そんなの見たことないなあ。もちろん、僕たち楽しく過ごしたこともあるよ。でもそれって、20代の若者なら、あたりまえのことだろ?楽しむなんてことはさ。もっとヒドイことをしてる人たちだって、たくさんいるけど、映画スターとして脚光でもあびてないかぎり、ニュースには、ならないんだ。

――その新聞によると、キーファーとチャーリーは、ガールフレンドをそちらで見つけたらしいけど、あなたのことは書かれてなかったわ。あなたは、どうだったの?
クリス:僕は、分別ある方だと思うよ。

オリバー・プラット来日時インタビュー抜粋(VOL.9)
――ロケ中、チャーリーやキーファーは、結構騒いだと報道されましたが…
オリバー:それは、誇張されてるね。僕は、ワイフも一緒にいたから、わざわざ夜に出かけてトラブルに巻き込まれる必要はなかったんだ。それはよかったと思うよ。ワイフが一緒じゃなかった としても、僕は、充分眠ってエネルギーをたくわえたと思うな。朝早く起きて、映画がちゃんと作れるようにね。肉体的な要求の高い仕事だからさ。映画を作ってるときに、夜、飲みに出かける なんて…僕には理解できないな。

――それは、あなたがハリウッド出の人じゃないからかしら?
オリバー:君の言いたいことはわかるよ。でも、ハリウッドにも 夜ちゃんと寝る俳優はいるんだ。精神状態、人生において何を重要だと考えるか…そういうことが問題なんじゃないかな。

――チャーリー、キーファー、クリス・オドネルたちと一緒に過ごして一書楽しかったことは何?
オリバー:僕は、あんな勇敢な恐れを知らないポルトスとは、似ても似つかないからね。だから、自分をやめて、そういう役になり切っていくってことがとても楽しかったよ。


MOVIE STAR ムービースターVOL.9(1994年4月号)

Kiefer Sutherland special interview


キーファー・サザーランドは、矛盾を抱えた男である。  、冷静な時は、これ以上ないってくらい真剣な知性派であるのに馬鹿なこともやってしまう。つまり、詰めが甘いのである…。

              lNTERVlEW:Roald Rynning

飲酒運転で捕まって、フリー・ウェイの掃じ夫をやらされた、ハリウッドの人気スター

――モンタナで2年間住んで、あなたは人生に対する考え方が、変わったみたいだね?
キーファー:バカな記事や、興味を煽りたてるような新聞のヘッドラインに、前は頭に来てばかりいたんだけどね。…だけど、今の僕には、もうどうでもいいことばかりさ。どうせ記事の大部分は正確じゃないから、笑って放っておくしかないね。そんなことにではなくて、もっと大事なことに、自分のエナジーを費やしたいものだね。

キーファー・サザーランド、本名キーファー・ウィリアム・フレデリック・デンプシー・ジョージ・ルーファス・サザーランドに会って、一番最初に気づくことは、彼がどれほど真面目な男であるか、ということである。それが、仕事が絡むと、尚一層真剣さが増すのである。2年間のブレイクの後、『ア・フユー.グッドメン』に出演したキーファーは『ラスト・ライト』という、活気のある刑務所を舞台にしたTVドラマを、監督・主演している。キーファーは『スティル・ウォーター・プロダクション』という、自分の映画制作会社を、設立したのである。

――俳優が、自分の制作会社を作ることが一般化しているけど、あなたはどういう意図で、作ったんですか?
キーファー:今自分がやっているようなプロジェクトで、自分の意見をはっきり言いたいからなんだ。僕は、簡単に飽きてしまうんだ。どうして15歳で学校を飛び出したか、よ〜くわかるだろ(笑)?自分を常に忙しくさせておくし、俳優という仕事に対しては、自分の情熱をいつも激しく持っているんだ。

キャリア途中の転機から戻ってきたものの、キーファーの、バッド・ボーイというラベルは、簡単に取れそうもない。『三銃士』の撮影後、キーファーは、'92年1月にやった飲酒運転の罰で、カリフォルニアのフリーウェイ中の、ゴミ集めと掃じを、10日間に渡ってやらされていた。キーファーの親しい友人達は、何とかこの経験で生活を一新し、せっかくの才能を壊すのではなく、伸ばして欲しいと、願うのである。

親父とは仕事の話しはしない。家族とは、人生についてとか、他に話しあうことは、たくさんあるんだから。しかし、キーファーは決して、ハリウッド典型のヘル・ライザーではない。共演者のクリス・オドネルは、6ヶ月間もの間、キーファーと一緒にロケに参加しているが、こんなことを言っている…。

「キーファーがホテルの部屋を破壊したとか、撮影期間中毎晩パーティーをやってたとか書かれていたけど、たった一回パーティーをやっただけで、話が大きく書かれるものなんだよ。」
キーファーの実父は、性格俳優のドナルド.サザーランドだが、キーファーは、父ドナルドの緊張感のある、いい顔を受け継いでいる。人の奥まで見透かすような視線、皮肉たっぷりのユーモア感覚…それも、親子に共通している所である。

キーファー:どんなものにでも、良い所もあれば、悪い所もあるものさ。同様に、有名な父親を持つということは、両刃の刀なんだ。例えばデビューした頃、いつも監督と会うことはできたんだ。で、会うと、「父上によろしく!」と、言われてね。それはそれでかまわないけど、監督は決して脚本さえ読ませてくれなかったんだ。初めは誰も、僕のことをマジに俳優とは、みてくれなかったんだ。

――でも、'83年の『キャッシュマン』でデビューして、『ロスト・ボーイ』『スタンド・バイ・ミー』『ヤング・ガン』…と、父上の名前をしでも、キャりアを積んでるわけですね?
キーファー:みんな僕の名字に対する礼儀がなってなくて、父とひとからげに扱うんだ(苦笑)。決して親父が悪いわけじゃないよ。だけど、親父の名前を自分が気にしなくなる迄に、5年もかかったよ。

しかし、今となっては笑い話になっている。今、キーファーは、サザーランド家の生んだ大スターであり、父のドナルドは、息子を極めて誇りに思っているのだ、

――キーファーと父上が親しいのは知られているけど、親子共演の話はありませんか?
キーファー:もう何年も、やりたいと思って作品を捜しているよ。親子共演なんて、一生に一度しかできないものだから、どういう作品にするか、とても慎重になってるね。

大ヒットした『三銃士』の続編が出来るかどうかは、馬嫌いのチャーリー・シーン次第。「あいつは絶対!絶対!絶対!!馬と共演するような映画には出ないと思うよ。」

――有名な俳優を父親に持つ利点って、何だろうね。
キーファー:さっきも言ったように、まだ無名の頃でも、有名な監督に会えた、みたいなことだろうね。だけど、親父に仕事のことでアドバイスをしてもらったことはないよ。家族とは他に、人生のこととか、充分話しあうことはあるからね。

――『三銃士』には、ヒットしたことで、続編を望む声があがってますが、声がかかったら、やりますか?
キーファー:僕より、チャーリーに訊いた方がいいんじゃない(笑)!?。チャーリーは、馬が嫌いなんだよ。続編の話が出ても、チャーリーは絶対やらんだろうな。あいつは、絶対!絶対!絶対!馬に乗らなきゃならん映画には、出ないぜ。だから、続編なんて作れないと思うよ。

「まるで僕とチャーリーが、ウィーンからコンウオールまで、騒動を起こして廻ったように、ゴシップ記事が出廻っているね。」元ブラットパッカーのひとり、キーファー・サザーランドは、『三銃士』のロケのことを、そういって笑った。言うまでもなく、チャーリーとは、お仲間で、ワイルドな行動で知られるキーファー.サザーランドである。

「しかしだね、一日14時間も撮影があったのに、マスコミが言っただけの騒動を起こすのは、物理的に不可能なんだよ。」
「例えば例を挙げるとね、こんなこともあったんだ。僕は友人2人と、クラブで飲んでて、さぁ帰ろうと腰をあげた時、そのクラブでケンカが始まったんだ。」で、僕は止めに入ったんだ。それが収まったんで、クラブを出ようとしたら、また始まってしまってね、で、誰かが僕の背中を押したんで、僕は誤ってケンカの当事者を殴ってしまったわけさ。それだけの話さ。」

 そんなつまらないことでも、マスコミは大騒動のように書きたてると、27歳のキーファーは、あきれ顔である。キーファーだけでなく、監督のスティーヴン・ハレックも、マスコミが書きたてたような騒ぎには、気づかなかったと、証言している…「マスコミが気づいて、我々が気づかないなんてことは、ありえないね。それに、チャーリーとキーファーが騒動に巻き込まれないよう、常に目を光らせていたし、連中は、自分のやりたいようにやっていたんだが、実際の所、私としては、連中がセリフを言え、演技をキチンとできるなら、それ以外のことは、どうでも良かったんだが…。」この2日から、日本とヨーロッパで公開されている、ウォルトディズニー版『三銃士』は、フランスの大衆小説家、アレクサンドル・デュマの原作を元にしていて、ここアメリカでは、予想外のヒット作品になっている。出演者が、若手の人気俳優で固められていることも、作品がヒットした理由のひとつだろう。これには、チャーリー、キーファーの他にも『セント・オブ・ウーマン/愛のかおり』のクリス・オドネル、レベッカ・デモーネイらが顔を揃えている。
キーファーが演じたのは、三銃士の重鎮アトス、生涯をかけた恋をなくしてしまった傷を、心の中に持っている。ジュリア・ロバーツとの悲恋と、どうしてもイメージが重なってしまう…彼には皮肉に満ちた役である。

――キーファー、君自身とアトスは、恋を成就できなかったという、共通する心の傷があるわけだけど、それがこの役を引き受けた理由なのかい?
キーファー・サザーランド:いいや、この作品に魅きつけられた理由と、僕自身の過去は、関係ないよ。『三銃士』は、いわゆる冒険映画なんだけど、僕はそういう映画を見ながら育ったんだ。だから、この作品は、悪者と剣を交じえて戦ったりする、ファンタジーを僕に与えて<れたわけさ。それに、アトスという人間のキャラクターにも魅かれたね。彼は悩みがあっても、他の誰にも打ちあけないし、ましてやグチったりはしないんだ。もし不幸であるなら、不幸の元になるものを、変えてしまえばいいし、もし何かが神経に触るなら、それを止めてしまえばいいんだ。僕の人生を振り返ってみると、その時々で、徹底的に飲んだくれていた時期があるよ。それが自分でも気になりだした時、スッパリ酒をやめた。気にならなくなると、また飲み出したね。

2年間のブレイクがもたらした人生の変化
――今でもジュリアとのことは、心の傷となっていますか?
キーファー:ジュリアは、一時期とても大事に思っていた女性さ。彼女とのつきあいが、最終的に、マスコミの餌食になってしまったのは、とても残念だったと言わざるをえないね。つきあい始めてしばらくしたら、マスコミの記事と、本当に自分達の頭の中で起きていることが、区別できなくなっていたんだ。

キーファーがジュリアと出会ったのは、映画『フラットライナース』のセットであり、当時彼は『キリング・タイム』で共演した女優、カミラ・カースと結婚していて、子供まで生まれていた。ジュリアとの関係が深まり、キーファーが離婚の手続きを始めた年には、二人の娘、ジュードは、生後18ヵ月になっていた。そして、キーファーとジュリア・ロバーツは,ハリウッドきってのスター・カップルとして、祭りあけられていた。しかし、二人の結婚は、'91年6月、ウエディングまであと3日と迫った日、突然キャンセルされたのであった。いや、ジュリアが、一方的にキャンセルした…そう言った方が正確である。世界的に恥をかかされたキーァーは、一緒に住んでいたジュリアの家を出て、ハリウッドを去り、山深いモンタナヘ移り住んだ。

――そこでは何をやっていたんですか?
キーファー:約2年間に渡って、やり直そうとしていたし、農業を学んでいたのさ。

――あなたが!?
キーファー:僕は、あまりに短時間の内に、やり急いだと思うんだ。たった10年間で、20本以上の映画に出て、とにかく話が来たら、全部引き受けてしまっていたわけさ。とても食欲になっていたんだ。疲れていたし、精神も不安定になってたしね。もうあれ以上俳優を続けても、作品に入れられるものなんか、もう僕には残ってなかったんだ。だから、一度ブレイクを取る時期に来ていたんだ。自分にとって、とても良いことだったんだ。

キーファーは決してジュリアとの問題が、どこに根ざしていたかを語ろうとはしない。しかし、二人の共通の友人達の話を総合すると、二人がうまくいかなかった理由は、いい仕事に恵まれないキーファーに対し、ジュリアは例のない人気女優だった、ということにあるという。そして、2年余りたった今、二人は口を揃えて、結婚はすべきじゃなかったと言っている。ジュリア・ロバーツの方は、カントリー・シンガーの、ライル・ラヴェットと突然結婚し、世界中を驚かせたが、その頃、キーファーは『三銃士』の撮影中だった。その日一日キーファーと一緒に仕事をしていた共演者のクリス・オドネルは、キーファーはジュリアの結婚の話を聞いても、平静で、特に変わった様子はみられなかったと言っている。
「もう済んだことだからねって、感じだったよ。」とクリスは言っていた。

(えまさんより戴きました!)
日刊スポーツ(2005/11/25)
テロ対策ユニット敏腕捜査官
ジャック・バウアーが来た
不夜城東京ももう安心!?


大人気米ドラマ「24 TWENY FOUR」の主人公ジャック・バウアー捜査官役で人気の俳優キーファー・サザーランド(38)が初来日し24日、都内で記者会見を行った。ジャックとは対照的に、ソフトな語り口調で日本のファンに挨拶した。東京を散策しドキュメンタリービデオを回したことも明らかにし「24時間眠らない街。「24」と共通するエネルギーを感じた」と話した。

気配りの人
日本での「24」人気を熟知しているというキーファーは「応援してくれてありがとう。『24』の成功に日本の影響は大きい。光栄で、言葉にできないぐらい感謝している」死にもくるいの過激捜査に挑むジャックの印象とは対照的なソフトな語り口。「登場時は撮影禁止」となっていたが、自分からカメラの放列にポーズをとって集まった400人の報道陣にも穏やかな笑顔を向ける気配りの人だった。
「24」は01年から全米で放映されている人気シリーズで、テロ対策ユニット(CTU)のジャック・バウアー捜査官の活躍を描く。24時間の出来事1話1時間のリアルタイムで描く斬新な手法が話題を呼び、見始めるとやめられない緊迫感で寝不足者続出の社会現象になった。今回キーファーは原子力発電所へにテロに立ち向かうシリーズ4「24シーズン4」のDVDセットの発売に合わせて来日した。
初めての日本は刺激的だったようで、「街の空間の使い方がうまくて感動した。広くないのに、大勢の人が安心して暮らせる社会ができている」前日(23日)の晩は都内を散策して、プライベートなドキュメンタリービデオを回した。「24時間眠らない街で、すごいと思った「24」のエネルギーと共通していて、だから日本でこの作品を親しんでもらえるのだと思った」
映画でも活躍しているキーファーだが、「24」は特別な存在という。「25年間俳優をやっていて、これほど広い世界に届いた作品はない。今の自分は自信に満ちていて、ありがたい」と話していた。

極秘扱い予測不能のストーリー
「なぜはまる「24」」

唐突だが日本人は今、2つに分けられる。「24」という活字に「にじゅうよん」と読む人はこのドラマを未見の人。「トゥエンティーフォー」と世読む人ははまっている人だ。見た人が例外なく中毒症状に陥るわけは、けっして予測がつかない物語にある。キーファー演じる捜査官は、テロから国を守るためには自分も含めすべてを犠牲にする。法律無視は当たり前、同僚も殺すし、強盗もするし、家族や恋人だって危険にさらす。その「想定外」ぶりに比べれば、ホ○エモンなんて児戯に等しい(どういう比べ方だ!)危険のたびに心に深手を負っていくわけで、単純なヒーローでもない。その姿は武士や修行僧にも通じる。物語は極秘扱いされ、俳優もその日の撮影で台本を渡され始めて次の展開=例えば「ああ今日の撮影で死ぬんだ」=を知る。エキストラを使う屋外撮影ではわざわざ使わないストーリーも撮影して情報をかく乱している。(これ見たいですね!!)荒唐無稽になりかねない設定だが、緻密に練り上げたリアルタイム進行という手法と「ドックンドックン」(え???)という時刻を刻む効果音が、見る者にも緊張を強制して、余計な雑念を浮かべる隙を与えない。24時間分を見ると、精神的肉体的にボロボロになる。でも、それが必ず快楽や達成感になってしまう。前代未聞の「修行ドラマ」ともいえるかもしれない。

俳優として最高の贈り物
ジャックとの共通点は?
大統領を救えても、大切な奥さんを死なせてしまった。白と黒に簡単に分けられないのが人生。ジャックの強さを僕も持ち合わせたいと思っている。
「24」に出会って変わったこと?
俳優は、常に自信が揺らぐ職業。多くの人に作品が届くことが一番の自信になる。俳優として最高のプレゼントをもらった。
ドナルド・サザーランドからアドバイスは?
俳優をはじめた時、「ミスも犯しつつ道を探してゆきなさい」と。その言葉のありがたさが今よく分かる。父は第5シーズンに出るんです。 (ええ!!)このドラマをよく思ってくれているでしょう。
同じキャラクターを演じ続ける苦労は?
チャレンジでもあるし、恐怖でもある。自分が楽しめなくなったらやめるべきだと思うが、今はとても楽しいよ。

PLAY BOY April 2004    Pirominさんの所から奪取!(いやいや了解済みですー,ありがとうございます)

もう結婚したいと思わないね。打席に立って2度空振りして、それでアウト。もういいよ。


ジャック・バウワーほどひどい毎日を送っている人間はいない。ジャック・バウワーとは今年アメリカで3シーズン目を迎えた人気テレビドラマ、「24」の主人公だ。彼のまわりでは次々と事件がまきおこり、何人もの人間が非業の死を遂げ、妻が殺されたり娘が誘拐されたりする。アメリカではもちろんのこと、
日本でも「24」中毒者が急上昇中だ。対テロリスト部隊の隊長であるバウワーを演じているのは、キーファー・サザーランド。
彼の父親は名優と謳われるドナルド・サザーランドだ。母は女優であり政治活動家でもあるシャーリー・ダグラス。ふたりはキーファーが4歳の時に離婚。反抗的な子どもだったサザーランドは、16歳の時、学校をやめて各地を放浪したという不良少年だったが、両親の助けを得て俳優を志す。
80年代には「ヤングガン」や「スタンド・バイ・ミー」など多くの映画で脚光を浴びた彼だが、90年代になると低迷期に入ってしまい、おまけにさんざん宣伝された結婚式の直前、相手のジュリア・ロバーツに捨てられるというスキャンダルまで起こした。そんな彼が「24」のおかげでTVドラマのスターとして復活したわけだ。最近では、アンジェリーナ・ジョリーとの共演で、映画「テイキング・ライブス」にも出演し話題を呼んでいる。
銀幕の光と影を見てきた男。脂ののってきた元無頼派俳優は、今何を考えてるのか。心優しき不良男に話を聞いた。

PLAY BOY(以下PB):『24』の3シーズンもそろそろなかばにさしかかってますが、飽きてきたりはしませんか?
キーファー・サザーランド(以下KS):いや。今度のシーズンはジャックが全面に出てくる展開だから、いい感じだね。今回すべての秘密を握ってるのはジャックなんだ。これでドラマの方向性が大きく変わったと思うよ。

PB:つまり、ジャックがあまりヒドい目にあわないってことですか?
KS:今年のシリーズが始まっていちばん大きく変わったことってのは、そうだな、前はジャックが秘密をあばいて行くスタイルだったってことだろうな。でも今度はジャックこそが秘密そのものなんだ。今回の話は、メキシコから不法にアメリカへ持ち込まれたコカイン入りの袋に紛れ込ませて不法にアメリカへ持ち込まれたウイルスを中心に展開していく。でも、なにが起きているのか知ってるのはジャックだけなんだよ。他のみんなは、誰も何も知らない。今はまだ途中だから多くは言えないけど、きっとみんなが驚くような話になっていくと思うよ。でも内容を教えてもらってるのは6話先くらいまでだからね。結末がどうなるか、実は俺たちもまだ知らないんだ。

PB:ジャック・バウワーって、スーパーヒーローだと思いますか?
KS:思わないね。その逆だよ。俺はジャックが、仕事はできるのに、結婚生活には問題を抱えてたりするところが好きなんだ。国家の安全を支えてる男なのに、16歳の娘に手を焼いたりね。そういうとこ、大好きだよ。

PB:『24』が始まる前、あなたは異常者やはぐれ者を演じることが多くなっていましたね。
KS:仕事だからしかたないよね。

PB:そして『24』でヒーローになった。
KS:いいチャンスだったと思ったよ。こういう役をやるべき時期に来てたんだ。俺はいわゆるヒーローって柄じゃないだろ?べつに、5年前だとか10年前にはやれなかったってわけじゃないよ。でも、こんな役なんてまわってこなかったからね。

PB:あなたは二世俳優ですね。18歳までお父さんが俳優だと知らなかったのは本当なんですか?
KS:友達の家に、親父の作品のビデオがたくさんあってさ。そこに厄介になってたとき、『M★A★S★H』だとか『赤い影』だとか『鷲は舞い降りた』や『フェリーニのカサノバ』だとか見たんだ。『針の眼』や『普通の人々』や『特攻大作戦』なんかはそれ以前にも見た事があったんだけどね。で、親父がどれだけすばらしい役者なのか、息子なのに知らなかったのがはずかしくなった。電話をかけて、思ったことを親父に伝えたよ。親父の事を知らなかったのが、残念でしかたなかったんだ。

PB:演技に関してはお父さんからどんなアドバイスを受けたんですか?
KS:「嘘を見破られるな」

PB:演技と嘘とは、やはり違うんですね。
KS:自分でわかるんだ。あまり大げさにやりすぎたりすると、これじゃダメだな、ってね。あるいは、気持ちが入ってないときも、すぐに自分でわかっちまう。

ジュリア・ロバーツに 婚約をドタキャンされた本当のワケ


PB:91年、ジュリア・ロバーツとの婚約が挙式数日前に解消されたってことがありましたね。もちろん、ビリー・ボブ・ソーントンをはじめとして、そういうことは今でもニュースになるんですが、「俺も同じ経験をしたよな」と複雑な気持ちになったりするんじゃないですか?
KS:愛する人との関係がダメになるときの気持ちに関しちゃ、俺はよくわかってるつもりだよ。でも、俺とジュリアの場合は当然の結果だったんだ。バカだったよね、俺たち。ふたりでいるとどれだけ幸せか、どれだけすばらしいか、何度も何度もインタビューで宣伝しちまうなんてさ。そんなふたりが、式の6日前に別れちまったんだから、そりゃみんなに責められるよ。別れる決心をしたとき、どんな騒ぎになるのかはわかっていた。ただ息をひそめて、じっと我慢するしかないってことも、痛い思いをするだろうってことも。実際、そうなったしね。でも、大きな波に呑みこまれたときみたいなもんさ。最初はもみくちゃにされるけど、じっとしてれば、そのうち吐き出してもらえる。だけど抵抗したら、あとは溺れるだけだからね。

PB:別れたときは、あなたのほうがショックを受けたんじゃないですか?
KS:彼女よりは驚いてたろうね。でもジュリアは正しい決断をしたと思うよ。俺は彼女と2年間いっしょに暮らしていたし、彼女のことを愛してた。あのときは、彼女のことがほかの何より大切だった。俺たちが出会ったのは『フラットライナーズ』のときだったんだけど、そのあとに『プリティ・ウーマン』が大当たりしただろ?ジュリアにとっては二度とないチャンスだったんだ。だから彼女が「結婚するのって、いいことじゃないと思う」って言ったのは、賢い選択だったのさ。式に向けてみんなの期待感が高まってるときに、あんなことをいうなんて、さぞ勇気がいったと思うよ。

PB:実際はどんな感じだったんでしょう。泣いたり、叫んだり、お皿を割ったり......。
KS:いや、あっさりしたもんだったね。

PB:怒りは感じました?
KS:怒りってのはどうだろう。俺たち、どっちも傷ついたからね。悲しかったよ。俺って、他人から見ればいっしょに暮らしたい人間じゃないからね。そのことを今さらながらに考えさせられたよ。誰だって、自分のいやなところを考えたりはしたくないんだけどさ。

PB:ですが、それからジュリアの生きかたを見てみると、彼女だっていっしょに暮らしやすい女性ではない気もしますが。
KS:俺といっしょに暮らしてたころの彼女は、実に楽な人だったよ。それまでに知ってるなかで、いちばんおもしろい女性だった。でも俺は今の彼女を知らないからさ。話をするなんてことないしね。俺たちはまったく別々の道を進んじまった。でもジュリアは最高の女性だったよ。

PB:その後の彼女の仕事は見てますか?
KS:『エリン・ブロコビッチ』の演技はすばらしかったね。

PB:あなたは2度結婚しました。どちらもまだ若い頃でしたね。
KS:最初の結婚は二十歳のとき。本当にかわいいサラという娘を授かったんだ。でも1年半しか続かなかった。2度目の結婚は27歳のとき。彼女とは2年半前に別れたよ。それからはほかの女性と1年くらいつきあったけど、結婚はしてない。まだ2度さーー「まだ」だって?バカなこと言っちまったな。

PB:そのことを恥ずかしく思ってるんですか?
KS:まあね。

PB:ですが、学んだこともあるでしょう?
KS:前もってよく考えないとな。二十歳のころなら、それからの生きかたに関して大きな間違いを犯すってのも、まだ許されるんだろうけど、27歳であんなことをするなんて、最悪じゃないか。でも俺たちはいい友達だよ。ふたりの息子もケリーといっしょに育てたしね。

PB:結婚ってものについて、今はどう考えてますか。
KS:もう結婚したいとは思わないね。打席に立って2度空振りして、それでアウト。もういいよ。
PB:料理学校へ通ったのはそのせいですか?
KS:ひとりで暮らし始めたとき、ケリーが薦めてくれてね。「私の言うことを聞いて。あなた、料理のしかたくらい覚えたほうがいいわよ」ってね。で、通い始めたんだよ。

PB:じゃあ、もう、ひとりで食事の支度ができるわけですね。
KS:18歳のころ、俺はドラッグをやってた。サラが生まれる前だけどね。儀式的なところが好きだったんだ。コカインをやることも好きだったけど、準備も同じくらい好きだったんだよ。1年でやめたけど、すっかりハマっちまったんだ。料理も同じ感じだね。何か違うことに神経を集中してる時間って、すばらしいよ。セリフを頭のなかで繰り返したりしながらね。静かで最高の時間が過ごせるんだ。

PB:クスリはどうです?
KS:もうやらない。それに、マリファナはもともと得意じゃなかったしさ。ハッパで決めるはずのセックスは2分ももたなかった。

アンジェリーナの話を聞いて、俺もカンボジアに行きたいと思ったよ


PB:映画の仕事もまだ続けていますね。『テイキング・ライブス』で共演したアンジェリーナ・ジョリーのことを教えてください。
KS:集中力があって的確。かなりデキる人だったね。アンジェリーナに「いったいカンボジアで何をしてたんだ?」ってたずねたことがあったんだ。そしたら彼女、こう答えたよ。「映画を撮りに行ってたんだけど、撮影が終わっても私は村に残ったの。ある朝目が覚めたら、小屋に水を引くためにパイプを渡そうとしている人がいた。そして次の日は、土砂崩れをを防ぐための壁を作ろうとしている人がいた。そして別の日は、屋根を直そうとしている人。そうやってしばらくたったら私、この村の役に立ってる、って思えるようになったのよ」ってね。その言いかたがまたよくてさ。俺は口をあんぐり開けながら「俺もカンボジアに行きたいな」って思ったよ。俺なんてなんの役にも立ってない、って思っちまってね。そういうことを感じられて、考えられて、実際にやれてしまう彼女って、すばらしい人だよね。

PB:有名な活動家であるお母さんのことを思い出したんじゃないですか?
KS:お袋はここ7年間、カナダのあちこちに行って、12年にわたる保守政治がどれだけ医療保障制度をダメにしたかって話をしてまわってる。オンタリオ州に久しぶりにリベラル系の州政府ができたときも、お袋がかなり頑張ったんだ。頭もいいし、精神的にも強い人だね。最近、オーダー・オブ・カナダっていうカナダで最高の賞を受けたんだけど、その授賞式には、俺、スコットランドのキルトを着て出たよ。お袋って、身長が155センチしかないんだけどさ、でも、俺が心底「怖い」って思うただひとりの人だね。

PB:お母さんのお父さんは、トーマス・クレメント・ダグラス。カナダ政界で名をなした人ですね。
KS:新民主党のリーダーだった。元はサスカチュワンの州知事でね。そのとき作った社会医療制度が、のちに連邦レベルでも適用されたんだ。

PB:おじいさんの社会主義的なものの見方に影響されたりしましたか?
KS:みんながおたがい助けあうべきだとは思ってるね。

PB:カナダの市民権はまだ持ってるんですか?
KS:ああ。

PB:カナダとアメリカ合衆国って、どうちがうと思います?
KS:単純な答えは、合衆国のたった1割の人口が、1.25倍の国土で生活してるってことだろうね。国を動かしてるのは、国民全員じゃないから、取り残されてしまう人たちだっている。そう考えると、ものの見かたがかなり変わってくるはずだよ。

PB:でも、それだけ広い国にいながら、あなたは自分の考えにあった高校を見つけられなかったわけですよね。16歳になる直前、寮制の学校を退学になったんでしょう?
KS:やめてくれって言われたんだ。留年しなきゃいけなくてさ。ちゃんとやれる学校はないかって、何度も転校したんだけど、環境に恵まれなかった。だから行きたくもない学校へ行くはめになったんだよ。

PB:セント・アンドリューズ・カレッジですね?
KS:そう。でも、その学校自体は好きだったんだよ。ただ、俺自身がうまくやれなかっただけでね。そしてオタワのすぐ近くにあるヴェンタってところに行かされた。そこで俺の学生生活は終わりを告げたわけだよ。そのとき俺は15歳だった。だから16歳になるまで2ヶ月ほど消えてなきゃいけなかったんだ。16歳になれは成年だと認められて、なんでも好きなことができるからね。

PB:ヴェンタから消えたときはどんな騒ぎになったんですか?両親の反応は?
KS:ふたりともパニックになってたよ。俺も、お袋に連絡入れなきゃ、きっと殺されるなって思った。それから数日して、親父とも連絡とったよ。親父はクールだった。あの状況を考えれば、ふたりとも実にクールだったね。自分の子供があんなことしたら、俺ならきっと絞め殺してただろうからさ。親父は、話をしに来いと言って、LAまでの飛行機代も出してくれたよ。
PB:LAではお父さんとどんな話をしたんですか?
KS:俺は、俳優になりたい、って言った。前にも舞台に立った経験はあったんだ。すでに俳優をやってた兄貴といっしょに仕事したりね。親父には「仕事だと思ってきちんと学校に通うから、そのかわり、オーディションが受けられるようにエージェントをつけてくれ」って頼んだよ。

PB:ご両親はどちらも俳優ですね。ふたりとも10代のころから演技をしていたんでしょうか。
KS:いや、ずっと大人になってからだね。どっちも大学を出てるからさ、親父はエンジニアリングの学位を持ってるし、お袋はイギリスで勉強した。親父が俳優になったのは、30を過ぎてからだよ。その親父が月に400ドルくれるって言ったんだ。だから俺はトロントに戻って、学校へ行きながら演技をやることにした。母親のおかげでエージェントにもつけたーーその当時はお袋のおかげだなんて知らなかったんだけど。それであちこちのオーティションを受けてたんだ。そしたら1年もたたないうちに、『アパッチ砦 ブロンクス』の監督ダニエル・ペトリーがカナダに戻ってきて新作を撮るって話が舞いこんだ。ダンはカナダの東海岸の生まれでね。大恐慌時代、海岸地方の小さな町で殺人事件を目撃した少年の話を脚本に書きあげたところだった。それが『ベイ・ボーイ』だよ。シンプルだけど、感動できる話だったな。カナダにいる若い俳優にとってはとてつもないチャンスだった。そして、俺が主役に選ばれたんだ。

PB:充分生活できるくらいのギャラをもらったんじゃないですか?
KS:カナダドルで3万ドルくらいもらったよ。アメリカドルにしたら2万2千くらいかな。これで引退できるって思ったね。それくらい大金だったんだ。でも1年しかもたなかった。そのカネでガールフレンドを演劇学校へ行かせて、ニューヨークのアパートで1年間暮らしたよ。

PB:映画の評判はどうでした?
KS:カナダのアカデミー賞の14部門のうち、11部門で受賞した。俺も最優秀男優賞にノミネートされたしね。

PB:それからまもなくして、あなたはガールフレンドといっしょにLAまで車で行って3週間もその車のなかで生活をすることになったんですが、部屋を借りるおカネくらいあったんじゃないんですか?
KS:ニューヨークでリーバイスの広告をやって、それで車を買って、2700ドルの小切手を手に入れたんだ。でも彼女がその小切手をなくしちゃってさ。文無しになっちまった。だからビーチの近くに車をとめて、浜辺のシャワーを使いながら生活してたんだ。でも、仕事はすぐに見つかったよ。スティーブン・スピルバーグが『世にも不思議なアメージング・ストーリー』のなかの1話で役をくれたからね。

PB:スピルバーグの映画に出られたのは、大きかったんじゃないですか?
KS:とんでもなく大きかったよ。次のオーディションのときは、スピルバーグの映画に出ましたって言うだけで合格になったりするんだからね。実際に映画が公開になる前のほうが役に立ったくらいだったよ。そしたらショーン・ペンが『ロンリー・ブラッド』で使ってくれた。そして『スタンド・バイ・ミー』。あとはずっと働きづめだよ。

牛を育てるか、俳優をやるのか? 悩みに悩んだ2年間


PB:あなたは一時期、カリフォルニア中部に牧場を持ってましたよね。
KS:そう、手放しちまったけどね。牛を500頭飼ってて、年に450頭ほど子牛が生まれてた。決断しなきゃいけなかったんだーー牛を育てるのか、俳優をやるのか。2年くらいそうやってたら、何をやりたいのか、はっきりわかるようになった。毎朝目が覚めると、知らないことってこれ以上何があるんだろうって考えるようになってね。馬も乗りこなせたし、家畜のあつかいかたも知ってたし、子牛の去勢もできるようになってたーーもちろん、みんな苦労して学んだことだけどね。

PB:あなたのカウボーイ時代って、どういうふうにして始まったんですか?
KS:二十歳のころ、『ヤングガン』をやってたころからロープはあつかえるようになってたんだ。もう少し頑張れば、これを商売にできるんじゃないかって思えるくらいにね。練習してるときは、どんなものにだってロープを投げられたよ。ホテルの部屋にいて、デスクのそばの椅子にロープを投げて巻きつけることだってできた。
PB:ロープ投げを習得することは、あなたにとって大きな出来事だったんですか?
KS:俺は学校も途中でやめちまったし、大学にも行かなかった。だから仲間とのつきあいってやつができなかったことが悔しくてさ。でも25歳になったら突然、ふたりの妙なやつらと3頭の馬を乗せてトラックを走らせるようになってた。あれが俺のカレッジライフだったんだな。

PB:でもその牧場も手放してしまった。何が代わりになったんでしょう。
KS:財産なげうって、レコーディング・スタジオを作ったよ。それに、とんでもない数のヴィンテージ・ギターのコレクションもある。50本以上はあるかな。なかには1本2万ドルするのもあるよ。弾きたいから買うんだけどさ。

PB:あなたは今、アイアンワークスというレコード会社を持っていますが、これまで何組のバンドを発掘して、プロデュースしてきたんですか?
KS:俺はプロデュースはやらないーー会社の資金を出してるだけでね。プロデューサーは、俺のパートナーのジュード・コールだよ。あいつは音楽の天才なんだ。ウチのレーベルには今4組のバンドが所属してる。アルバムを制作してるところだよ。

PB:音楽界の影の大物を目指してるんですか?
KS:そんなつもりはないさ。ホワイト・ミュージックは30年間もブラック・ミュージックから盗み、支配してきた。そして今、アフリカン・アメリカンのアーバン・ミュージックはすべてを支配している。俺はいいバランスを見つけたいんだよ。たくさんのアーティストがきちんと曲をラジオで紹介してもらえない状態だしね。

PB:音楽業界に差別はあると思いますか?
KS:差別はいつだってあったさ。もう何年も、ブラック・アーティストは差別的な眼で見られてきた。それが変わったのは、つい最近になってからでね。流れが変わったのは、やつらが、今俺がやっているようなことをやり始めたからだよ。「大手のレコード会社に任せていても、いいことは何もない。だったら自分で手売りすればいいじゃないか」ってね。すると突然、逆に大手が1億4千万ドルなんて金を出してやつらと契約するようになったんだ。売れるのはその手の音楽だけになっちまったからね。

PB:あなたは今、ロサンジェルスのかなり危ない地域に住んでますよね。危険な目にあったことはないんですか?
KS:俺の住んでるあたりには、ギャングの組がふたつあってさ。ひとつはエルサルバドル系でもうひとつはウクライナ系。夜、犬を散歩させに外へ出ると、いかにもそれらしい強面のやつらが街角にたむろしてるよ。

PB:LAでは地下鉄で移動してるそうですね。騒ぎになったりはしないんですか?
KS:そういうこともあるね。でも、俺はうまく逃げるやりかたを知ってるから。気づかれたな、って思ったら、こっちから近づいていって「やあ、調子はどうだい?」ってたずねるんだ。
PB:あなたのヒジにはガラスのかけらが入ったままだそうですね。
KS:6年ほどモンタナに住んでたんだけどさ。陸軍の兵士ふたりとケンカになっちまってね。ボコボコにやられちまった。床の上を転がりまわって逃げてたら、そこに砕けたビンのかけらが散らばってたってわけさ。2年ばかり前、手首を折ったときにレントゲンを撮ってもらったら、ヒジのところに何かあるって言われてね。ガラスだったんだよ。医者は切開して取り出しましょうって言ったんだけど、俺は「だいじょうぶだ。このまま残しといてくれ」って答えたよ。

PB:ケンカはよくしたんですか?
KS:それなりにね。まだ学校に行ってるころはしょっちゅうだった。はじめてのケンカは家族のことをからかわれたときだったね。やめねぇとぶん殴るぞって言ってやった。12歳だったよ。結局、そいつの頬骨にヒビが入っちゃってさ。大変なことをしちまったな、って思ったよ。いくら後悔してもしきれない感じだった。でも同時に、これでもうからかわれることはなくなったな、とも思ったね。力関係が大きく変わったんだ。そういうことが全部、俺の頭のなかを一度に駆けめぐってたよ。だけどもう10年くらい、ケンカはやってない。勝率は50%くらいだったかな。最後にケンカしたのは26歳のとき、トロントでだった。相手に怪我をさせちまってね。そのときは妻のケリーがいっしょだったんだけど、そいつ、バーでケリーにちょっかいを出してきてさ。そしたら「向こうから誘ってきたんじゃねぇか」なんて言いやがるから、つい手が出ちまったんだ。相手がぶっ倒れても、俺は殴りつづけた。しまいにはそいつが出した鼻血のせいで、ビリヤード台の弁償をしなきゃいけないハメになったよ。救急車まで来る騒ぎになっちまってね。その晩泣いたことをよく覚えてるな。俺はめったに泣かないやつなんだけどさ。どうしてあんなことをしたんだろうって思うと、涙がこぼれてきたんだ。

俺は自分のことを”アーティスト”だなんて思ってないよ


PB:車内生活をやめたのはいつごろだったんでしょう。
KS:86年ごろ、ロバート・ダウニー・ジュニアやサラ・ジェシカ・パーカーなんかと共同生活を始めた。チャーリー・チャップリンの有名な馬車置き場の二階でさ。俺たちみんな、18か19で、人から絶対無理だって言われるようなことばかりやってた。ロバートは『サタデー・ナイト・ライブ』のせいで、ほとんど家にいなかったな。サラも仕事してた。俺はそこに2年半住んでたよ。

PB:その後、ダウニーが問題を抱えはじめたときも、行き来はしてたんですか?
KS:もう疎遠になっちまったけど、でもあいつのことはいつだって気にかかってるよ。俺が知ってるなかじゃ、最も才能ある人間だしね。ロバートには子供っぽい部分があって、でも、そこが実に魅力的なんだ。今でもそうであってほしいと思う。あいつがアーティストとしての魔法を使えるのは、そんな子供っぽい部分があるせいだからね。軽い気持ちで「アーティスト」って言ってるんじゃないぜ。俺は自分のことをアーティストだとは思わない。でもロバートはそうなんだ。

PB:あなたの仲間うちでアーティストと呼べる人はほかに誰がいますか?
KS:ショーン・ペン。俺がここまで来られたのは、彼のおかげが大きいと思ってる。ペンがティモシー・ハットンと組んだ『タップス』は俺たちみんなにとって、大きなきっかけになった作品だよ。

PB:『ア・フュー・グッドメン』でジャック・ニコルソンと共演したときは?
KS:まだ生意気だったころの俺は、ジャック・ニコルソンはジャック・ニコルソンを演じてるんだな、って単純に思ってたけど、でもそれだけじゃなかったんだ。俺は、ジャックニコルソンがジャック・ニコルソンであるためにどれだけ努力しているか、この目で見たからね。セットで足を踏みいれて、椅子に座って、こっちを向いて、カメラがまわりだしたら、もうジャックは演技のことしか考えちゃいない。彼が演技を終えて出てったときは、みんな、「すげえぜ、今の見たかよ」って言い合ってた。それから何日も、その話でもちきりだったくらいさ。

PB:あなたは自分のことをアーティストだとは思わない、と言いました。でも『24』のようなドラマで演技をするためには、ある程度の技術(アート)も必要なんではないですか?
KS:9・11のとき、俺は消防士や警官や作業員や医者や救助隊員がレスキューにあたってるのを目の当たりにして、この人たちはひとつの目的のために力を合わせてるんだな、って思った。で、俺は何をしてるんだろうって考えたんだ。確かに演技をしてメシを食ってはいる。でもそれがなんになるんだろうって、ひとりで歩きまわりながら考えたよ。家はカナダだからそのときはホテル住まいだったんだけど、1週間くらい、自分がまったく役立たずになっちまった気がしてね。ちょうど4回目の放送が終わったときだったんだけど、こんなバカなことしてていいのか、って思ってさ。でもそんなとき、ひとりのファンが近づいてきて、「よう、あんたのドラマ見たよ。すごくおもしろいじゃないか」って言ってくれたんだ。そのときは「こんな事態になってるのに、こいつは何を言ってるんだ」って思ったけど、でもふと気づいたんだ。つらい気持ちから解放してくれるものは、なんだって人の役に立ってるんだ、ってね。たとえ1時間でもいいんだよ、少しでも頭を休められたらいいんだ。そのための手助けができたら、俺は、それだけで満足できるね。

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