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徒然



2004/02/08  人生の例え





 私はたまに遠くに向かう列車に乗る。



 それは、心に隙間を作りに行くことであったり、心をそのまま空っぽにするためにであったり、時には、隙間を埋めに行くことでもある。

 列車に乗ったら、月並みなことが改めて実感として浮かんできた。人生を列車にたとえるのは、やはりうまい例えだと思う。

 一方通行、途中下車、混雑した車内、空っぽの車内、その繰り返し。

 隣の人との話に気を取られ、待ち人が乗り込んだことに気が付けないことも、たまたま隣の車両に乗り合わせてしまうこともある。仮に偶然にも見つけても、混雑した車内ならば、自由に歩き回ることはできない。
 隣にいるかけがえのない旅の仲間も、はじめから終わりまでずっと隣、ということもない。

 もちろん自分だって、終わりのない終点まで乗る訳じゃない。途中下車するし、せざるを得なくなるし、時にはさせられることもある。
 乗り越しすればプランを練り直し、手前で降りたとしても、次の同じ行き先の列車を待つ時間は、もはやないかもしれない。
 気ままな旅だって、いつも出来るわけじゃない。
 だから、与えられたタイミングは、限られたものになる。言い訳や躊躇、動揺は、更にその機会を失わせる。

 といっても、失われた時間ゆえに、次のチャンスが訪れることもないわけじゃない。
 時刻表にない臨時列車だってあるし、計画通りに旅行する人なんか、ほぼ皆無。
 計画通りの旅が、計画を狂わせることもないわけじゃない。
 でも、それらは狙ってできるものではなく、運であり、おまけだと思う。
 完璧ではありえない人間の生み出す偶然、それは目指した先にあるpresentと捉えるのが健全ではないか。



 自分にできることは、精一杯与えられた命を全うすること。悔いのない人生を送る努力をすること。

 ただ、後悔のない人生はありえない。

 悔いの残らないような生き方をすること自体が、後悔の機会を招いているとさえ言える時がある。後悔の絶対数は、動き回ったほうが多くなるのは当然なのだから。

 でも、恐れずに踏み出そう、それが、この世に生命を受けたものの権利であり、義務である。

 向こうで待っているものや、これから来るもの達へ胸を張れるように。そして一瞬かもしれない同乗者たちへ、かけがえのない同乗者に、ありがとう、と言えるように。



 それが、考えることを許された、人生、というものなのではないだろうか。



 そんなことを、列車の中で考えたある寒い日。