徒然
■□
2000/05/08 「罪×罰」追加「教育」
この前(徒然「罪」と「罰」参照)では言葉足らずだったので、追加です。(先に「罪」と「罰」を読んでください。)
自分は、凶悪犯罪を犯した人間を野放しにしろ、犯罪人だって「人間」、地球よりも命は重いんだなんて事を言って、影で泣いている人をないがしろにするなんて気は毛頭ありません。
勿論、目には目をでいいと言う気もありません、ただ、そもそもの原因は「死刑」以上の刑罰を与えられないと言うのが原因であると思います。
日本ではというか、きちんとした憲法を持っている国とかでは、いわゆる「残虐な刑罰」が禁止されています、この元で「死刑」は、残虐な刑罰に当たらないとされています。
え?何が言いたいのかって?
罰を重くしようと言う議論は、あんまり意味がないんじゃないかって思うんですよ。
罪を重くするとしますね、どう重くするんですか?
3つ考えられます
1.死刑への道を簡単にする
2.死刑よりも重い刑罰を考える
1ですけどね、基準はどうするんですかという話になるわけですよ。誰が判断するんですか?決まり事として、どの裁判官が判断してもほぼ同じ結果にならなくては裁判所に不信感持ちますよね、みんな。
それに、一人ないし少数の人間の独断「のみ」で、死刑が決まってしまう状況も考えたくありませんし、集団リンチに近い状態も許されることじゃないと思います
2ですけど、残虐な刑罰が禁止されているという背景自体を考えてみてください。何でですか?それは、人間が人間としての尊厳を大事にしようと言う考えに基づいているんじゃないでしょうか?その考え方自体は真っ向から否定しようとする人はいないでしょう。
え?凶悪犯罪を犯した奴らは人じゃないって?人間として認めるべきじゃないって?まさにそこについて自分は言いたいところがあるのです、ちょっとここで他の話をした上で、その話にしますね。
2の話に戻します、本当の意味での無期懲役を復活させるとか、有期懲役を150年とかでも平気で出せるなんてのは復活させてもいいとは思いますが、、、勿論、現在の無期懲役が本当の意味での無期懲役として機能してないという現在にてらしあわせた上でですけど。
さて、言いたいことに話をうつします。
問題は「教育」にあるんじゃないでしょうか?「しつけ」を含んだ上での、ですけど。
「罪」と「罰」にも書きましたが、最近自分、他人への配慮をするという意味での「価値観」が希薄だと思います、軽んじられてると言ってもいいかもしれません。
人間形成というものは、自分から獲得してゆくものが大きいとは思いますが、教えられる部分も多分に存在しているはずです、特に幼少期においては。
みんなでしつけをたらい回しにしている気がします。親が学校に対して、親同士の中でさえも、社会の中でそういった意味で象徴的な行為を見て見ぬ振りをして、、、古き良き時代に戻れとは言いませんが、参考になるべきところは取り入れていっていいはずなのに、どこかに忘れたきた感じがします。
新しいものを取り入れるために捨てなければらない側面があるのは事実ですけれども、捨ててはいけない「なにか」を直接捨ててきたのではないでしょうか。確かに権利が認められるけれども、それには最低限義務が伴っているはずです。
人間を、人間として育てなければ人間は育たないと思います。それを、育たなかった、育とうとしなかった「彼ら」だけのせいにするのは違う気がします。(彼らが行った罪は、だからと言って軽くならないという事実は依然として存在しますが)
そこで、自分は提案します。
3.刑罰に(もしくは少年法の「処分」に)人格形成の助けとなる経験をさせるものを盛り込み、それを重要な政策として扱う。(具体的に言えば、お金をかけると言うことです)
そうでもしていかないと、間に合いません。このままでは大変な社会になってしまいます。
+α.全ての人が少しずつ「しつけ」に対し関心を持ち、日常生活の中で少しずつでいいから負担をしてゆく。
少なくとも、自分はそうやって生きてゆきたい。
■□
|