人は死に際すると、その生涯が走馬灯のように脳内を駆け巡るという。
勿論、それがあまりにも誇張された表現であろうことは大守にも解っている。いままさに臨終を迎えようとするのにいちいち自分の一生を再生するような暇などあるわけがない。
しかし、たとえば自転車に乗っていて突然飛び出してきた子供と衝突しそうになった時などのように危険に際すると「時が止まる」といった感覚を覚える事はある。剰え、死に瀕しようというまさに文字通りの人生最大の危機が訪れた場合であれば、その刹那のうちに一生を顧みる瞬間を見出せるのかもしれない。
だから、【孤曚人】の左腕が、眼で捉えられない速度で振り下ろされたにも関わらず、未だ自分の身に何も及んでいないのは、まさしく「走馬灯」と言うべきの時が止まったかのような境地に達したのだと大守は思っていた。
しかし──その走馬灯は回ることも無く、振り下ろされたはずの腕がどさりと地面に転がった。
「──────!」
声にならない──正確には人間の言葉とは思えない、いやまさしく人間ではないのだが──叫びをあげる【孤曚人】。その左腕は上腕部から切断されており、まるで塗料を思わせるような深みと粘り気を持った蒼い液体がだくだくと噴出される。
「な──何故だ! 何故貴様がこの場に居るッ!?」
その叫びは大守ではなく、その頭上に向けられていた。この時初めて、大守は自分の背後に何者かが立っている気配に気が付いた。
「答えろ! 【弩蛉人】ッ!!」
「何故? 何故も何もないだろう。我々《選抜者》が争いあう運命にある以上はな」
頭上からの声──【弩蛉人】と称ばれた存在が答える。それもまた、【孤曚人】と同じように大守たち人間──いや、彼らに言わせれば【普蔓人】となるのか──とは大いに異なる様相を呈していた。
身の丈は【孤曚人】よりさらに一回り大きく、鱗のような外皮で覆われた赤銅色の肌と、四本の角の生えた蜥蜴か蛇を思わせる頭部、そして胴鎧と大剣で武装したその姿を見るに大守は、以前凡平に無理やり読まされた幻想英雄譚に登場した「竜人の戦士」を連想した。
──しかしまあよりによって、こんな紋切型な格好だとは──
自分の身が危険にさらされている状況に変わりはないのに、ついつい心の中では突っ込みを返してしまう大守であった。
「しかし! ならば何故そこの【普蔓人】を庇うような真似をする!? その子供は俺たちの標的である《普蔓人の選抜者》でも何でもないんだぞ?」
「では、貴様は標的でもない非戦闘員に無用な殺生を行おうとしていると言うのだな」
非戦闘員であることは事実だが、突っかかってきたのは自分が先なのに──とつい心の中では思ってしまう大守ではあるが。
「ぐ──だ、だがそれがどうだと言う! どの途この世界やそこの人間など、贄に過ぎないのだ、我々の世界が生き残るためのな!今この場で一人二人が死のうがそんな瑣末な事は関係なかろうが!?」
「──実に浅薄な考え方だな。この《世界剪定》はそんな単純なものでは──」
吐き捨てるように【弩蛉人】は一蹴し──刃渡りだけでも大守の身の丈は超えているであろう大剣の切っ先を【孤曚人】に突き付ける。
「──いずれにしても、これ以上事を荒立てると言うのならば、私も容赦しない。貴様の言に喩えるならば、所詮は貴様や貴様たちの世界──【孤曚人界】もまた、私にとっては『贄』でしかないわけなのだからな」
「ぬ────」
【弩蛉人】の気迫に圧され、後ずさる。
【孤曚人】は思う──今、この場でやり合うのは得策ではない。相手は《選抜者》中でも最強と謳われる──その多くが直接の激突を避けているといわれている──【弩蛉人】なのだ。しかも、自分は利き腕を落とされてしまっている。確かに足元で蹲る【普蔓人】には侮って掛かっていた。だが完全に油断しきっていたわけではない。この小僧の未熟な魔弾はお遊びがわりに魔弾で相殺させたが、それ以上に強力な障壁は最初から張っていたのだ。しかし奴は、こちらに気配すら悟らせることなく、剣撃で障壁ごと腕を断ち斬ったと言うのだ──そんな相手に、敵うはずがない。
しかし、何故だ。何故都合よくこの場に現れたのだ。《選抜者》でもない、況してや戦闘員ですらない小僧っ子を援けるかのように何故現れたのか。単に弱者が嬲り殺される様を見るのが忍びなくて、慈悲心から援けたと言うのか。否。そのようなことをする理由がない。自分たちと同様、【弩蛉人】たちとて自らの世界を存続させる為に、【普曼人界】を犠牲にしなければならないのだ。先ほど口に出したように、ここで一人二人の生命を救ったとて、それは何の意味を持たないのである。
──ただの自己満足を満たしたいだけか。それではそこの小僧と同じ──
いや、違う。
決定的に違う──奴には、それを実現するだけの「力」がある。《選抜者》の中でも群を抜いた力を。
では、何故、そんな力をこんな事に用いるのだ?
こんな戯事をするくらいならば、さっさと総ての《選抜者》を倒してしまえば良いのではないか。その上でゆっくり《普蔓人の選抜者》を探せばいい。少なくとも、わざわざ正面に舞い降りて片腕を斬り落とすくらいなら、背後から袈裟懸けに斬りつけて自分を仕留めることなど造作も無かったはずなのに。
何故だ。何故なのだ。何故──
しかし、今はそれを詮索している場合ではない。このまま戦っても勝ち目は全くないし、何より腕の出血を止めなければならない。
「さて──どうする?」
【弩蛉人】は傍らの大守を払い除けるようにして前に踏み出す。大守は彼の気迫に圧されたのか無抵抗にどさりと倒れる。
「ぐ────」
歯噛みする【孤曚人】。【弩蛉人】は大剣を振り上げる。そして、いままさに振り下ろそうとしたその時、【孤曚人】の姿が一瞬焦点暈けしたかのようにぼやけていく。
「──ほう?」
その姿は少しずつ薄らいでいき、やがて完全に見えなくなった。この消失劇に【弩蛉人】は一瞬目を丸くしたかのような素振りを見せるが、一向に動じず呟いた。
「成程、奥歯に念動転移の呪具でも仕込んでいたか──なかなかに周到なことだ」
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