大守地旦は、幻想物語が嫌いである。
だがそれは、非科学的なものを一切信じないという現実主義者の心情とはまた別のものである。
なんとなれば──彼もまた、幻想の世界の住人の一人であったからである。
大守の拳から発せられた光はそのまま一条の光弾となって尾を引きながら、眼前の狗頭の怪人に目掛けて向かっていった。これが大守の持つ「秘密」──俗に「魔法」と称ばれる類の超常能力──なのである。
しかし、その光弾は標的にあと数十センチで命中するかといったところで、乾いた衝撃音ともにかき消えた。大守は目を見張る。目の前の怪人はさも当然といった具合に平然とした表情をしている──ように大守には見えた。かき消えた、のではなく奴がかき消した、とでもいうのか。
なんとなれば──言うまでもなく彼もまた、幻想の世界の存在だからである。
「ふむ──俺の前にのこのこと現れるからには何がしかの心得はあるとは思っていたが──無詠唱施術も扱えないような腕で、よくこの俺の前に出て来れたものだな? 曲がりなりにも俺は、【孤曚人】の《選抜者》なんだぞ?」
「孤曚人の選抜者」と名乗った異形は、両の手を下穿の中に入れるような仕種で更に一歩踏み出す。
「どうやら貴様も兵科は俺と同じく魔弾射手のようだが、とてもじゃないが実戦に投入できるレベルとは言えんな。──せめて、この程度くらいはやってのけてみせんとなッ!」
【孤曚人】の左腕が僅かに震えたように見えた──次の瞬間、大守は腹部にまるで砲丸の弾をぶつけられたかのような重い衝撃を受けてその場に蹲った。
それと同時に、大守の背後にあった飲料水の自動販売機、そしてその付近に停めてあった原動機付自転車がそれぞれ轟音とともに拳大の窪みを残しながらどどうと倒れた。
(さ──三発同時に魔弾を放っただと? しかも全く素振りも見せずに?)
大守が先ほど放ったのは、魔力によって生成した「弾」を飛び道具として撃ち出す術であり、大仰な言い方をすれば「魔法の矢」とも称ばれるが、一般に──魔術遣い同士での「一般」と言う意味であるが──は単に「魔弾」と称ばれていることが多い。そして大守の場合、その「魔弾」を発動させるには手の先に意識を集中させ、その上で発動のための合言葉──俗に「魔法の呪文」と称ばれているものである──を唱える必要がある。
しかし、目の前で不敵に嗤う──ようにしか大守には見えない──異形は、大守がそこまでの手順を踏んで漸く発動した魔弾をその三倍の数、しかも呪文を唱えることなく、且つ腕すらも殆ど動かさないままに放ったというのだ。
「ついでに言っておくが、さっき貴様が出した平凡い魔弾──あれは障壁で受けたのではないぞ? 合わせるように軽い魔弾を撃って相殺させたに過ぎん」
嘆息するかのように、長い息を吐く。
「所詮は子供、か。──大方、自分の半端な能力を過大に評価して『いま自分がやらなければいけない、自分しか出来ないんだ』だとか余計な正義感を持ち出してしゃしゃり出てきたと言ったところか? 実に青臭いな」
図星である。
お前の方が蒼い顔色をしていながら何を青臭い呼ばわり──と一瞬思ったが、核心を衝かれた事への負け惜しみになると思い、歯噛みしながら項垂れる。頬が紅潮していくのが感じ取れた。
「顔が真っ赤だぞ?──ふん、どうやら図星だったようだな」
そんな心の内を見透かすような発言が実に腹立たしい。
「しかし──《選抜者》の事を知っていながらこうして現れるのだから、俺はてっきり貴様が相応の遣い手──そう、それこそ【普蔓人】の選抜者だと思ってしまったのだがな?」
更に【孤曚人】はにじり寄る。
「だが──それも思い違いだったようだ。貴様の魔弾を見て確信した。【普蔓人】のみが持つと言う──《真なる選抜者の魄種》の波動を全く感じなかったからな!? 全く拍子抜けだ」
更に近づく。未だ膝をついたままの大守を足下に見下ろす位置に立ち、おもむろに左腕を掲げる。
「本来なら貴様程度の未熟な子供は放っておくところだが、流石に俺にも損傷があるからな──悪いが、これ以上邪魔者を喚ばれないようにそこの連中同様眠っててもらう。命まで取るつもりはないが、加減が利かなくて以前倒した奴みたいに死んじまうかもしれんが恨むなよ? 自分の力量を顧みずしゃしゃり出る奴が悪いんだよ」
まだ治まらぬ痛みのなかで大守は顔を上げ、その時初めて、【孤曚人】が手を下穿に突っ込んでいたのではなく、腹部に受けた傷を押さえていたのだと気付いた。やや離れた場所からは気付かなかったが、その腹部や振り上げた左の掌にも、暗緑色の体色から連想される蒼い体液がこびり付いていることが見て取れた。
相手は少なからず負傷していたのだ。
だとすれば、いま大守が問答無用で攻撃を仕掛けたのは早計だったのではないか。寧ろ増援が来る雰囲気を匂わせて、相手を退かせるようにした方が得策だったのではないのか。そうすれば、少なくともこの場に倒れている三人は救えたはずだ。目の前の【孤曚人】が「加減が利かずに」何人を死に至らしめたのかは窺い知れないが、下手をすれば自分を含めて更に死体が四つ増えることになりかねない。大守は大きく後悔した。
勿論、ただ「魔法が使える」というだけで文字通りの命を懸けた「戦い」を知らない一介の学生である大守にそこまで求めるのは酷というものはである。しかし、憖じ常人の持たない力を持ってしまっているが故に、そこまで頭の回らなかったことが、折角持って生まれた力を有効に使うことが出来なかったことが大守には悔しかった。いくら目の前の怪人に「自分の力量を顧みていない」と断じられても。
「じゃあな、坊や──」
振り上げた異形の腕が、一瞬にして見えなくなった。
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