「成程、奥歯に念動転移の呪具でも仕込んでいたか──なかなかに周到なことだ」
【弩蛉人】が軽く手を振ると大剣が音もなく消失した。俗に「簡易収納領域」と称ばれる、魔術遣いが重量物や大容積物を携帯する際に用いる特殊な結界──いわゆる「亜空間」の類である。収納物は全く異なる空間へと移されるため、嵩張る事もその重さも感じることがない。そして術者の意思で瞬時にこの空間に喚び出すことも可能──いわゆる「幻想物語」において「魔法使い」たちが僅かな語句と手振りで何もない空間から食べ物や建物や動物等を出現させるという能力の大半は、本当に物質を生み出したのではなく予めこの「簡易収納領域」の中に準備しておいたものを取り出したに過ぎない。そう大守は教えられていた。理屈は知っているが、彼には扱えない。そもそもいま初めて目の当たりにしたのだ。彼の師が実際に見せてくれなかったからだが、それは師が敢えて見せなかったのか、はたまた実際は扱えなかったのかまでは判らない。
「さて──」
【弩蛉人】が振り返る。
「そろそろ【普蔓人】たちの増援も到着してくる頃だろう。君も面倒に巻き込まれる前に早々に立ち去るがいい」
既に面倒には巻き込まれている──そう思いながら、思わず大守は問い返した。
「な──何故だ?」
これでは先程の【孤曚人】とやらと同じではないかとも思ったが、その問いを出さずにはいられなかった。
「何故と? 君は自分の命が助かったことに不満でもあるのかね」
「違う、そうじゃない、さっきの奴も言っていたじゃないか、みな自分たちの世界を守るために争っている。言ってしまえば俺もあんたの敵じゃないか。それを──」
「ふむ。ならばこちらも先程の【孤曚人】と同様に返すが、君は非戦闘員だろう。如何に戦時下とも言えど無辜の人間まで殺す謂れはない。それとも、【普蔓人界】では戦闘員も非戦闘員も見つけ次第容赦なく殺すという殲滅戦が常識だとでも言うのかな」
「う──しかし、そんなのは論点の摩り替えだ!」
これではまったく先程と同じやり取りである。しかし、
「──確かに、その通りだ」
先程とは異なる反応が顕れた。
「私は────この戦いがすぐに終わらないことを望んでいる」
「それはどういう事──」
さらに問い掛けようとした大守に対し、【弩蛉人】は掌を突き出すようにして制する。
「それを聞いてどうすると言うのだ。君は──非戦闘員なのだろう?」
「しかし、俺は──」
その大守の呟きを完全に無視して、【弩蛉人】は少しずつ宙に浮かび始める。よく伝説などで描かれる竜と違い、その背に翼が生えているわけでもないのだが、これもまた魔法──俗に「空中浮揚」と称ばれる術──の力である。
「私もこれ以上子供のお喋りに付き合っている暇も無い。君も早々に立ち去れ。この場に居た事を誰かにでも見咎められたりしたら後々面倒なことになるのではないか?」
「む──」
確かにその通りだ。「彼ら」に知られるのは色々と好ましくない。だが、そのように思考を巡らしている間にも、【弩蛉人】はどんどん上昇していく。
「然らばだ少年。君はこのような事など忘れて、残された日常を、ただ穏やかに過ごすのだな」
「彼ら」と同じような言葉を残し、【弩蛉人】はそのまま飛び去って行った。
大守は漸くよろよろと立ちあがる。視線の先には、【孤曚人】によって倒された三人がまだそのままになっている。意識が戻る気配もまだ無いようだ。
──まずは、この人たちをどうにかしなきゃな。
ひとまずこの場を離れ、公衆電話を探すことにした。今この場に自分がいる事を知られるのはまずい。勿論、携帯電話などを使って自分の身元を晒すような真似をするわけにもいかない。
しかし、結局何だったというのか。
《選抜者》の存在は知っている。そして、《選抜者》同士が各々の世界の命運を賭けて争っていることも知っている。
そして、この世には「魔法」なる超常の能力があり、《選抜者》たちはそれを駆使して互いに争う。
これだけでも充分すぎるほどに幻想物語である。
──その上に、まだ何かあるというのか。
【弩蛉人】は言った──「この戦いがすぐに終わらないことを望んでいる」と。
「この《世界剪定》はそんな単純なものではない」とも言っていた。
いったい何があるというのだ。《世界剪定》とは? なにがどう単純ではないのか?
それでいて俺には「日常を過ごせ」だと? 世界がどうこうという話ならばそれどころではあるまい?
同胞である「彼ら」の言ならば兎も角として、何故「敵」であるはずの【弩蛉人】がそのように言う?
何がなんだか判らない。
だから。
それだから──つい、この言葉が口を衝いて出てしまう。
「これだから幻想物語は────嫌いなんだ」 |