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『PRUNABLE WORLDS』
第一章「少年、幻想を嫌悪する」


《4》

  「大守、今日もバイトか?」
 後ろの席から掛けられた凡平からの問いに、ああ、と軽く返事をする。大守は部活動には入っておらず、(ほとん)どの日の放課後をアルバイトに費やしている──(もっと)も、かく言う凡平もまた帰宅部ではあるのだが。
  「じゃあ、明日はもっと萌え萌えな作品持ってくるから、(たの)しみにしとけよなー」
  「()らねえよッ」
 即座に切り返す。
 だがそう言ってみたものの、どうせ凡平はまた持ってくるに決まっている。
 ──俺は、幻想物語(ファンタジィ)が嫌いだってのに──。


 凡平に別れを告げた大守は、校門を出ていつもの帰宅路──正確にはアルバイト先へと向かう道の事であるが──とは違う方向へと歩いていた。唐突に怠業(サボタージュ)を決め込んだのではない。教室を出てすぐにバイト先である喫茶店の店長(マスター)から、材料の買出しを依頼する電信(メール)が携帯電話に届いたため、急遽(きゅうきょ)駅前の商店街へ向かうことになったのである。
 ──結果的に寄り道してるじゃないか俺。
 ふと先程の担任教師の言葉を思い出す。大守は友人との交友も少なく、また個人で出歩く趣味もあまりない為、このようにバイト先から買出しを依頼される場合以外に駅前の商店街へ向かう事は極めて少ない。そのためか、今こうして普段と違う帰路を採っている自分に、(わず)かばかりに背徳感のようなものを覚えてしまう。
 ──って、もともと家に帰らずにバイト先に直行すること自体「寄り道」なんだけどな。
 心の中で自分の思考に切り返しを入れる。
 大守は目立つことを控えているために感情を人前に(さら)すことは少ない。だがその内面では思考や感情が意外と(せわ)しく働いている。そして、ついつい心の中で自身や周囲の物事に反応──くだけた表現を用いれば「突っ込み」とでも称ぶべきか──を示してしまうのが大守という人物なのである。
 だから大守自身が、外見上の印象から級友(クラスメイト)達からは無口で物静かな──もっと歯に衣着せず言えば「暗い」──という印象を持たれているらしいことは凡平や純奈からは聞かされている。だから恐らく、学級(クラス)中でこの大守の性分について正しく把握しているのは凡平くらいのものであろう。そして大守の性格を理解しているからこそ、凡平は特に大守の前では突っ込みを入れ易そうな馬鹿な振る舞いを演じているのかもしれない。
 ──俺のために気を遣ってくれてる……のか?
 一瞬そのようにも考えるが、(ただ)ちに心の中で(かぶり)を振る。凡平(あのバカ)がそこまで気が利くなんて到底思えないだろ──大守はそう自分に言い聞かせる。
 勿論、それが照れ隠しであることは言うまでもなく大守本人が解っている。凡平がそのような態度で接してくれているからこそ、大守は彼の前では素の自分を出すことが出来るのだから。傍目(はため)にどのように見えようとも、また当の本人がどのように思っていようとも、凡平は大守にとって間違いなく「親友」と称ぶに値する人物である。そのことには感謝している。
 しかし、同時に後ろめたさも感じてしまう。
 大守は、意図的に他者と距離を置くような接し方をしている。そのため「親友」と称べるような存在が凡平しかいないわけなのだが、果たしてそれで良いのだろうか、とも思っている。友が少ないということではない(・・・・・・・・・・・・・・)友と称べる存在を持ってしまったということ(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)自体が、である。
 大守にはあまり公には出来ない秘密(・・)がある。
 そして、それはともすれば自分の生活環境や、更に突き詰めれば生命(いのち)そのものを左右しかねないほどの重要性を秘めたものである。それ故に、可能な限り他者との関係には深入りしないように心掛けていた。その「秘密」に関わらせることがないように。
 今はまだ命に危険が及ぶような事態には巻き込まれてはいない。勿論、知人友人を巻き込ませるつもりもない。だが、いつ何時(なんどき)そのような事態に(おちい)るとも限らない。その時はもう目前に迫っているのかもしれない。奴ら(・・)──まだ一般には「テロリスト」としか認識されていないが、本当はそれ以上に怖るるべき存在──が、この式足市(まち)に来ているというのならば。
 だから、思い悩む──このままでいいのだろうかと。
 ふと、足を止める。
 そしておもむろに伸びをして、深呼吸する。
 鬱屈(うっくつ)した思考を、頭の中から追い払うために。
 ──くよくよと考えていても仕方がない。
 なるだけ前向き(ポジティブ)に考えようとする。
 ──さっきも言ったじゃないか、俺に何が出来るわけでもない。
 ──そのために、あの人たちがいるんじゃないのか。
 それは、決して数は多くはないが、大守と「秘密」を共有するものたちのこと。彼らは、大守に対しこう言ってくれた。
 ──君はまだ学生だ。君は君の人生を、おだやかに過ごすべきなのだ、と。
 だから、大守はこうしていま普通に学生としての生活を過ごしている。
 ──そう、だから、俺は──。
 今日もまた、いつも通りに平穏な生活を、と心に思ったとき。
 大きなエンジン音とともに、後ろから黒塗りの乗用車が猛スピードで通過していった。
 それを見た途端──大守は凍りついたかのように固まった。


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