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『PRUNABLE WORLDS』
第一章「少年、幻想を嫌悪する」


《3》

  「──ほな、今日はこの辺で(しま)いにしよか」
 眼鏡の位置を指で直しながら、教壇の女性教師が授業の終了を告げる。時計の時刻は午後二時五〇分を指しており、本日の授業も最終限まで(つつが)なく終わったことを意味する。
 「このまま続けて終礼(ホームルーム)するでー」
 しかし女性教諭は退室せずにそのまま続けて終礼の宣言をする。彼女は大守たちのクラス担任でもあるからだ。名前は円岳(つぶらがおか)メガラ。その名前から想像のつく通りの混血児(ハーフ)であるらしいのだが、その言葉遣いはとても異国の血を感じさせない独特の地方(なま)りが出ている。それに、その容姿──髪と瞳の色こそ銀色と異国人の(おもむ)きを持つが──も、おそらく女子のクラス平均にも満たないであろう程の身の丈に加え、顔立ちも少々あどけないため、服装を学校の制服に換えてしまえば生徒と見分けがつかないのではないか、と思えるほどである。外見上の相違点(ギャップ)も然る事ながら、その担当科目も古文ときており、本当に混血児であるのかどうかすら、大守は時々疑わしくなる時がある。
 ──でも、そのくせ人気あるんだよな、この先生。
 その異国の血を感じさせないという相違点が逆に親近感を与えるのか、生徒たちの間の人気は相当に高い。それは大守のクラス内に限った話ではなく、恐らく校内の教師全体を対象として考えても人気上位に入るであろう。
 「メグたん、ちょっと休憩入れさせて、煙草(ヤニ)が切れた」
 「ちゃっちゃと終わらすから少しくらい我慢しとき。モクは逃げへんから」
 「って、生徒の喫煙看過(スルー)するのは教師としてどーなんだあ!?」
 どっ、と教室内が笑い声に沸いた。このように生徒たちとも気軽に軽口を叩き合う、率直(フランク)な接し方もまた彼女を人気者にしている要素のひとつなのであろう。
 ちなみに、いま発言した生徒は当然ながら大守ではない。かと言って凡平というわけでもなく、まったく別の男子生徒である。確かに凡平はお調子者ではあるのだが、実のところは人前で率先して(おど)けるような真似をすることは決してない。そのため、凡平は一応はそれなりに賑やかな人物であるイメージはクラスメイト達にも認識はされている様だがそれでいてクラスを代表する程の人気者というわけでもなく、また逆にとりたてて不興を買っているわけでもない、中庸な立ち位置を得ているのである。彼の(いわ)くところ「変に目をつけられないよーに、必要以上に目立たず生きることこそが俺の処世術なのだ!」とのことらしいのであるが、その凡平をして「目立たない」とか「影が薄い」だとかと言わしめるのが他ならぬ大守なのである。確かに大守はもともと社交的な性格ではない。しかしそれ以上に、彼は意識的に他人との接触や人前に出る行動、目立つ行動を控えるように心掛けている。これこそが大守にとっての「処世術」だと言える。だから大守は、生徒とメガラのやり取りに沸き立つクラスの喧騒などお構いなしに窓の外の景色を茫然(ぼうぜん)と眺めていた。
 ──いい気なものだな。いま、この世の中はとんでもないこと(・・・・・・・・)になりつつあるってのに。
 ふと、そのようなことを考える。
 ──でも、今朝がた久遠と話をして舞い上がっていた俺に言えた義理じゃないか。
 そのようにも考える。確かに今朝、想い人である唯一華と会話していたときは気分が舞い上がっていたが、後になってそのことに気が付く程度には、大守はまだ冷静なつもりではいる。
 そんな大守の意識の裏通りを、目の前の小柄な女性教諭が告げる伝達事項が通過していく。それらの大半は清掃当番や日直への指示だとか、別に聞き逃してもそう大きく影響しない事柄ばかりである。だから別段、大守もそう意識的に耳を傾けようとはしていなかったのだが、
 「──ところで」
 突然意味深げにトーンを落とした口調につられ、つい意識がメガラの方に向く。
 「例のテロリストとかいう奴、最近この『式足(しきたり)市』周辺で出てきとる、て目撃情報があるらしいんやな。巻き込まれたら難儀やし、自分らも寄り道とか買い食いとかせんと、()よ帰るようにしいや」
 「買い食い」って小学生じゃあるまいしー、とクラスのあちこちから声が上がり、またも教室内は歓声に包まれた。だが大守は独り、神妙な顔で下を向く。
 「例のテロリスト」。ここ一年ほど前から、各地で建造物の損壊や人身に被害が及ぶ事件が続発しており、警察当局はこれらを同一組織による破壊活動と判断し、捜査を開始した。しかし便乗的な犯行声明や稚拙(ちせつ)模倣(もほう)犯こそ時おり登場するものの、実際にこれら一連の事件を起こした実行犯の検挙はおろか、首謀した組織名すら判明していないという。そのため一部では警察が秘密()に特殊捜査班を編成し、事態の究明に乗り出したとの噂も流れている。
 しかし、物事の移り変わりの激しいこの世の中では、散発的にマスコミが取り上げ一頻(ひとしき)評論家(コメンテーター)(もっと)もらしい討論を交したところで、一週間も時間が経てば一般市民の記憶から薄れいくのが関の山である。()してや、この場にいる人間の(ほとん)どはまだ社会にも出ていない高校生なのである。このような社会問題に対して思考を巡らし、難しい表情をとっている大守のほうが(むし)ろ特殊な存在であろう。しかし──。
 ──奴らがただの(・・・)政治犯(テロリスト)であったなら、どんなにマシなんだろうけどな。
 大守は恐らく、いや間違いなく一般大衆よりもこの「テロリスト」騒動に対して、より深く事情に精通している。そして、この一連の破壊活動の目的が単なる政治思想に基づいたものではない、寧ろより深刻で、危機的かつ致命的なものであるかを理解している。だからこそ、この世の中が「とんでもないこと」になりつつあることを予感、いや確信している。
 「ほな今日はここまで。また明日なー」
 独り暗い表情の大守を他所(よそ)に、メガラはHRの終了を告げて教室から退出する。同時に、教室内の生徒たちも三々五々に別れていく。
 ──まあ、考えてても仕方がないか。今の俺に何かが出来る訳でもないし。
 大守も椅子から席を立ち、帰り支度を始めることにした。


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