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『PRUNABLE WORLDS』
第一章「少年、幻想を嫌悪する」


《2》

 「おはよ、『ボン』に『ちーたん』」
 背後から声を掛けてきたのはクラスメイトの衛川純菜(えがわ・じゅんな)であった。彼女はつい先ほど教室内に入ってきたばかりなのだが、大守と凡平の毎度の(・・・)水掛け論を聞きつけてか、こちらに近づいてきたのだ。
 大守と向かい合っていた凡平の方が先に彼女の姿を認め、挨拶を交わす。
 「うす。──でもよ、その『ボン』ての何とかならねぇ?」
 「別にいーじゃないの。あんたの頭文字とって『凡平(ボン)』なんだから」
 純菜の切り返しに対し、大守も相槌(あいづち)を入れる。
 「だよな。つか、苗字を逆さにして『平凡(へいぼん)』呼ばわりされるよかマシだろ」
 「平凡とか言うなっ!? じゃあそう言うお前はどうなんだよ、『ちーたん』?」
 「いや──それは言わないでくれ」
 この純菜という女子は、とかく人に綽名(あだな)をつけることが好きらしく、知人友人の類には必ずと言って良いほどニックネーム──それも大抵は奇矯(ききょう)な印象が否めない──を付けて()ぶ癖がある。それが凡平の場合は「ボン」であり、大守の場合は「ちーたん」なのである。
 勿論(もちろん)、「ボン」とは彼女自身が述べたように凡平の「凡」の字から来たものであるし、また大守の「ちーたん」も彼の名前の「地旦(ただあき)」の字を単純に音読みし、間延びして称んだだけのものである。
 しかし、いくらなんでもこれはないだろう、と大守は思う。
 一応自分は男子であるはずなのに、こんな少し可愛らしい印象を与える称び名を付けられるのはどうなんだ、と考えてしまう。ただそれも凡平あたりに言わせると「今どきそんなコト考えるなんて硬派って言うか古風て言うか──よッこのプチ益荒男(ますらお)!」などと(はや)されたりしてしまうのだが、気になるものは仕方がない。送り手からすれば単なる軽口(かるくち)のつもりであっても、受け手からすれば悪口と(とら)えられてしまうことは往々(おうおう)にある。純菜が女の子でなければ、それこそ即座に殴りかかっていたかもしれない。
 ──まあ、そんな事はしないけどな。
 軽く溜息(ためいき)をつく。
 大体にして、人のことを古風だなんだとか言う凡平にしても、自分が「凡平(ボン)」と称ばれることにには抵抗を感じているではないか。(いわ)く、「『ボン』とか言われたら、なんか世間知らずなお坊ちゃんみたく思われね?」とのことであるが、何のことはない。あいつは誰がどう見てもお坊ちゃん育ちだろう。以前二人でセルフサービスの饂飩(うどん)店に行った際に、まるで即席ラーメンを調理するかのように(めん)を三分間()でようとした時には正直(あき)れさせられたものだ。
 再び溜息をつく。
 思えば凡平には「萌え」とかいうものの布教めいたことを受けさせられているし、純菜からはあまり気乗りのしない綽名を付けられていたりと、自分は何だか友人に振り回されてる節があるようにも感じる。ただ口に出して拒否するほど(いや)にも思ってはいないし、何より自分から積極的に交流を持とうとはしないから、結果的に周りがこちらに干渉してくる形になるのは仕方のないことだとも言える。だが、大守はこのような時には決まって、こう結論付けてしまおうとする。
 ──別に自分から交流を持とうとしなくったっていいじゃないか。
 ──やはり俺は、本当はあまり他人と関わりを持つべきではないんだろうから。何故なら俺は──。


 「──でも、『ちーたん』って称び方、わたしは結構カワイイかなと思うんだけど」


 ──え。
 思わず発言に、大守の思考が一旦破られる。
 ──く、久遠(くどう)さん。
 声の主は久遠唯一華(ひとか)。彼女もまたクラスメイトの一人である。そして純菜の親友にして、大守が密かに想いを寄せている少女でもある。
 「でしょ? まぁったくコイツらったらあたしのネーミングセンスを理解できないから困っちゃうよねぇ」
 あははは、と軽く笑いながら純菜は答える。
 「でもさ、ワン子」
 「え?」
 因みに「ワン子」とは、純菜が唯一華に対して付けた綽名である。「唯一」という部分を数字の「(ワン)」に置き換えたことに由来するらしいが、仮令(たとえ)親友相手であろうと純菜のネーミングセンスとやらは一切容赦なく発揮されるものらしい。
 「そこまで言うんだったら、ワン子も『ちーたん』て称んであげればいいじゃない。いつも『大守くん』としか称んでないでしょ」
 「え──えええええっ!?」
 唯一華は驚きの声を上げ──両の手を口元に寄せてもうこれ以上もないというくらいにおろおろとした様を見せる。
 「わ、わたッ、わたし、そんな、確かにその称び名はカワイイと思うけどそれはわたしがそう思うだけであって大守くんをそう称ぶなんてのはちょっと悪いかな、ってううん、別に大守くんが悪いわけじゃなくて、そ、そういくら何でも馴れ馴れしすぎるかなってああでも大守くんを避けてるわけじゃなくてええとそのあわわわわ」
 見事なまでの取り乱しっぷりである。けしてクラス内で目立つ方だとは言えないが、この純朴──良くも悪くも「天然」と言う意味であるが──な性格とそれに見合った可愛らしい容姿から、大守に限らず彼女を密かに慕う生徒はそれなりには居るらしい。
 あまりの狼狽(うろた)えぶりに、半ば呆れながら純菜が呼び掛ける。
 「おーいワン子ぉー、戻ってこーい」
 「いくらなんでもそこまで露骨に動揺することないだろ久遠よぉ。大守、お前もそう思うだろ──って、おい、大守?」
 大守は答えなかった。
 ──く、久遠が俺のことを「ちーたん」て称んでくれる? それって、ちょっといい(・・)かも──。
 勝手に純菜の科白(せりふ)を真に受けて妄想(もうそう)(ひた)っていた。
 普段は「萌え」だとかそんなものには無関心を装う大守ではあったものの、いざ自分の想い人が相手となるとそれはまた別物のようである。
 「大守、どーしたんだよッ!」
 「はっ!?」
 妄想は凡平の呼び掛けによって途切れ──大守は場を取り(つくろ)うかのようにフォローを入れる。
 「ああいや、俺は別に自分のことを『ちーたん』と称ばれるのが厭だとかそう言うのは無いんだけどな、その、無理に慣れな称び方を強要するのもどうかと思うし、やっぱり久遠自身が称びたいように称べばいいんじゃないか?」
 「うん──ありがとう大守くん」
 ──よし、うまく冷静に対応できた。俺が思わず妄想に浸っていたなんて気づかれずにすんだか。
 そのように心の中で安堵(あんど)する大守であったが、(かたわ)らで凡平と純菜の二人が苦笑とともに生暖かい目線を向けていることには丸っきり気づいてはいなかった。


 「あ、チャイムの時間だ」
 時計を見つつ発した唯一華のその言葉と同時に、始業時間の本鈴が教室内に響き渡り、生徒たちも各々の席へと戻っていく。
 「じゃああたしらも戻ろっか、ワン子」
 「うん。それじゃまたね、大守くん、凡平くん」
 「じゃねー」
 「おう」
 「あ、ああ」
 唯一華と純菜も自分の席へと戻り、凡平もまた真後ろの自分の席へと就く。
 ──しかし、今日は朝から久遠と話せて結構ツイ(・・)てるのかもな。
 もはや凡平とのやり取りなどすっかり忘れ、唯一華との会話の余韻(よいん)に浸っていた。
 だが大守にとって、今日という日がそうツイてるというものではなかった(・・・・・・・・・・・・・・・・・)、と言う事実をこの時点ではまだ(うかが)い知ることはできなかったのであったが──


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