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『PRUNABLE WORLDS』
第一章「少年、幻想を嫌悪する」


《1》

 ――これだから、幻想物語(ファンタジィ)は嫌いなんだ。
 そう、大守地旦(おおがみ・ただあき)(ひと)()ちた。


 「ありゃりゃあ、また出ましたか。大守センセイの毎度のご口上が」
 大守のつぶやきを耳(ざと)く聞きつけたのか、教室に入ってくるなり凡平均也(なみひら・きんや)はそう言った。


 時計の針は午前八時二十分を過ぎており、あと十分足らずで朝のHR(ホームルーム)が始まろうかという時間である。教室の中は生徒たちが銘々(めいめい)でグループを形成し、昨日のテレビ番組やらアイドルの話題やらといった、他愛のない談笑があちこちで湧き起こり騒然としていた。
 そのようないつもと変わらない朝の喧騒(けんそう)の中にあって、大守はどのグループの話の輪の中に入らずに、独り最前列にある自分の席で一冊の本を読んでいた。その本は、主として青少年層を購読対象とした、軽妙洒脱(けいみょうしゃだつ)な文体で読者に対しての読み易さや同世代的な共感を得させることに重きを置いた小説――俗に「ライトノベル」と()ばれるものである。
 その内容は要約すれば「強大な魔王によって滅ぼされようとしている世界を救うために、主人公たち少年少女が魔王の軍勢と戦いを繰り広げる」という、如何(いか)にも典型的な幻想英雄譚(ヒロイック・ファンタジィ)のそれである。大守自身は、先程自らが発した言葉が示しているように、この手の幻想英雄物語というものを大変に毛嫌いしている。だが、級友の凡平に無理やりに薦められて、不承不承(ふしょうぶしょう)ながらにこの本を借りさせられてしまったのだ。
 たとえ(いや)なものでも借りてしまった以上は、礼儀として一応は読んでしまう程度には律儀な性格であったため、大守は昨晩からこの本を読み始め、そしてようやくこの始業前に読み終えたところなのであるが、結局は予想通りに大守の気に入る内容のものではなかった。だからこそ、いつものように(・・・・・・・)あの言葉が口をついて出たのである。
 ――結局無駄な時間を費やしただけだったじゃないか、均也の野郎め。
 ついつい恨みがましげな目線を凡平に送ってしまう。
 しかし、当の凡平はといえば、そのような大守の視線に気が付いているのかいないのか、何食わぬ顔で悠然と自分の席――大守のひとつ後ろの席である――に(かばん)を置いた。


 「──で? いったい大守センセイはこの超大ヒットラノベ『機動戦姫(モヴィルプリンセス)シナモン』のどこが気に入らなかったんでございますかな?」
 荷物を置いて直ぐに、大守の席の前に回りこんで妙に仰々しい口調で問いかけた。まるで最初からこの展開が読めていたかのように。
 ――この野郎。思いっきり確信犯のくせしやがって。
 本来的な意味――思想としての「確信」――での「確信犯」であるかどうかはさておき、凡平が意図的に仕組んだ行為であることは事実である。凡平は、大守が幻想物語(ファンタジィ)を毛嫌いしていることを承知の上でこの本を貸し、その上でこのように問い掛けているのだ。
 すなわち、大守がどのような反応を示すのか――勿論(もちろん)、否定的な反応を示すのは最初から判っているのだが――を、どのような部分を批判してくるのかを、そして、それに対して凡平自身がどのように反駁(はんばく)していくのか、を(たの)しんでいるのである。
 ――まったく、困ったやつだ。
 そう思ってはいるのだが、それでいて大守も特に凡平に腹を立てたりしているわけでもないので、実のところはそう満更(まんざら)悪く思ってもいないのかもしれない。気の置けない者同士の、一風変わったコミュニケーションだとでも解釈すればいいのであろうか。
 「いや均也、言いたいことは山ほどあるんだけどな、そもそもこのタイトルからして何なんだ? 意味が解らんぞ」
 「だから『機動戦姫(モヴィルプリンセス)シナモン』だってば」
 「それが解らないんだよ!? 主人公は《ナツメ》の方じゃなかったのか?」
 なお、この小説は(いにしえ)の勇者の末裔(まつえい)であるところの少年・ナツメが亡国の姫君・シナモンを(たす)けつつ魔王に戦いを挑む、という筋書きになっている。
 「だけどな大守、だからと言ってタイトルが『勇者少年ナツメ』とかじゃ売れるわけじゃん。ラノベたるもの、美少女の五人や十人くらいズバババーンと出さないと売れないわけで、当然タイトルだってこんな感じに女っ気を前面に出さないといけなくなるんだって。それに何より『戦姫』だよ!? 戦う美少女、絵になるじゃないか()えるじゃないかそうは思わないか?」
 「いや別に」
 妙に高揚した口調で語りだす凡平をあっさりと切り捨てる大守ではあった。
 だが、凡平の言い分が全く理解できないわけではない。身も蓋もない意見だとは思うが。確かに商売である以上、如何(いか)に読者に購買意欲を訴えかける内容や壮丁(そうてい)にするか、を考慮せざるを得ないのであり、結果所謂(いわゆる)「美少女キャラクター」なるものを出さざるを得ないのであろう。しかも、いま凡平が述べたように一人や二人ではだめなのだ(・・・・・・・・・・・)。どうやら読者の多様な需要(ニーズ)とやらに沿うためにも、色々な類型(タイプ)の女性キャラクターを多数登場させる必要があるらしい。実際、この小説にしても、(くだん)の姫君以外にも六名ほどの「美少女」が登場し、主人公に言い寄ってくる。
 大守は、この手の主人公が脈絡もなく幾人もの女性にちやほやされるという、御都合的な展開はあまり好きではない。ところが、凡平はこの種の作風が好き――彼自身に言わせれば、これこそが今風の標準形(スタンダード)なのらしいが――なのか、彼が持ち込んでくる作品のほぼ全部がこれに当てはまる。それ故に、いくらこの部分を指摘しようとも凡平は一向に聞く耳を持つことはない。それが標準系なのだから。
 だが、今回に限っては別の意味でそれ以上に気に入らない部分が大守にはあった。
 「しかしだな、いくら『戦姫』つったって、実際姫サマが戦うのって最後だけじゃないか。それも、結局この姫サマがラスボスだった(・・・・・・・・・・・・・)んじゃないか!? これはいくら何でも(ひど)いんじゃないか?」
 この小説において、シナモン姫が「機動戦姫(モヴィルプリンセス)」と称されるのは、作中で彼女が《機甲羽衣(アムド・レイメント)》なる装具を身に(まと)って戦闘を行うことによるのだが、実際に姫がそれを装着するのは物語の最終章に入ってから。しかも、その対戦相手となるのは他ならぬ主人公のナツメなのである。実はシナモン姫の正体は魔王の分身体であり、これまで「魔王」を名乗っていたもう半身の側がナツメに倒されたために姫の中に眠る「真の魔王」が覚醒し、この両者による最後の戦闘が行われる、という展開が待っていたのである。
 「そうかぁ? オレはアリだと思うけどな。今まで必死に守ってきた、純真可憐なお姫様が実は倒すべき魔王だったなんて、最後にこんな大どーんでーん返ーし!! てな仕掛け(ギミック)が入ってた方が話的にも盛り上がると思わね?」
 「盛り上がればいいってもんでもないだろ。こんな風に御都合的で脈絡もない展開がポンポン出てくるから俺は幻想物語(ファンタジィ)が嫌いなんだって散々言ってるんだろうが!?」
 「あーあーあー、まったくもって大守センセは頭ガチガチの現実主義者(リアリスト)でいらっしゃいますことで。そんなお前に――」
 凡平は大守をびし、と指差し─―言い放った。
 「幻想物語(ファンタジィ)を語る資格なんてな――――いッ!」
 「だから最初から語るつもりもねェ――――――ッ!!」
 思わず大守も声を張り上げて返してしまう。
 ――あああ、また結局今日もグダグダだよ。
 実は、大守と凡平のやり取りは最後には大抵このような有耶無耶(うやむや)な形で終わってしまう。そもそも両者の論点は個人的な嗜好による部分の大きいものであるため、最初の時点から平行線でありその結果こう終わらざるを得ないのが必然だとも言える。これを不毛な会話と言ってしまえばそれまでだが、それでもこれがこの二人にとっては日課のようなものであり、ある意味大守にとっては貴重なクラスメイトとの交友の時間である、とも言えるのである。
 そもそも、大守には友人と称べるものが(ほとん)どいない。
 この凡平を含めても、クラス内で友人関係にあるといえる存在は片手の指の本数に達するかどうか、といった程度なのである。もともと大守は社交的な性格でもないが、それ以上に彼自身が必要以上に人付き合いを避けている節もあるからである。ただそれには理由があるのだが――。


 「ふふふっ、相変わらずだねー、二人とも」
 大守の背後から、女性の声が掛けられた。


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