SOMEDAY
オレはまっ赤になりながらレジで金を払っていた。そのときちらっと腰のあたりを触られた気がして振り向く。と、花道の奴がさっさとドアからでていくところだった。そのしゃあしゃあとした背中見てるだけでオレはけっこうむかつくもんがあるんだけどな。
にしても、オレ達が出ていったあとのこと考えると恐いもんがあるよな。昼時のおこのみ焼き屋であれだけでかい声でホモ宣言した奴。店中その話題でもちきりのはずだ。マジで地元じゃなくてほっとしたぜ。
店ののれんをくぐると、花道は背を向けてつっ立っていた。その背中にオレはさっきとはまた別の感情を覚える。花道が言った好きだって言葉、オレはやっぱ簡単には信じらんねえよ。お前は間違いなく晴子ちゃんを好きな訳だし。晴子ちゃんとはSEXなんかできねえからオレとはやりてえだけなんじゃねえかって、そんな風に考えちまうよ。そう思ってる自分もちょっと悲しいもんがあるんだけどな。
「花道」
オレの声に振り返った花道は、何だかちょっと自信なさげだ。ダメだ。オレ、こういう花道にからっきし弱い。
「洋平、お前……オレのこと嫌いになったか?」
何のこと言ってんだか。豚玉食いそこなったことならもう気にしちゃいねえよ。それに、それを聞きたいのはむしろオレの方だ。
「なってねーよ。お前に振り回されんのはいつものことだ」
ほっとした顔が返ってくるかと思いきや、花道はもっと難しい顔をした。
「金、もってるか? オレぜんぜんねえけど」
「金っていくら必要なんだ?」
「わかんねえ。……一万くらいあるか?」
一万もの金、いったい何に使おうってんだ。まあ、オレは旅行中だし、三万や四万は持ってっけど。
「あるけど……今必要なら渡しとこうか?」
「いい。そのうち返す。……洋平、タクシーってどうやって乗るんだ?」
タクシーだと?
それって、今までのお前の科白じゃねえぞ。
「ここじゃ無理だな。表通りにいかねえと」
オレが言うと、花道の奴はくるっと背中を向けて歩きだした。しかたないからオレもついていく。けっこう広めの商店街に出たとき、花道はまたオレを振り返った。
「洋平、タクシー拾ってくれ」
こいつ、何考えてんだかさっぱり判らねえ。あの店での会話からどうなればタクシーなんて単語が出てくるんだ。この僅かな間に何がどうなったんだ。
たくさんの疑問符に妙に居心地の悪いものを感じながら、オレはしかたなくタクシーを拾ってやる。運転手は若いあんちゃん。オレ達が乗り込むと、陽気な声で言った。
「どこまでですか?」
「エビルマウンテン」
花道の言葉はオレにはぜんぜん判らなかった。が、あんちゃんは判ったらしい。えらい勢いで振り返って言った。
「お客さん、それ……マジ?」
「大マジ。早いとこやってくれ、兄ちゃん」
これだけあんちゃんが驚くエビルマウンテンて何だよ。花道お前、オレをいったいどこへつれてこうってんだ?
「花道……」
「ちょっと黙っててくれ。オレにだってまだ判んねえことあんだ。整理しちまうから」
「ああ……わりい」
それでオレは花道に聞くきっかけを失って、そのままタクシーの振動にゆられていった。落ちつかねえ。その原因は判ってるんだ。オレと花道の関係にちゃんとけりがついてねえからだって事。
花道を傷つければすべてが終わるって思ってた。それが宙ぶらりんのままでどうにもならなくて、更にお前が不可解なことするからオレは不安になってんだ。お前がいつもみてえに全部オレに話してくれたら、オレだってこうはなってねえ……。
いや、話してねえのはオレの方だ。花道はちゃんとオレに言った。好きだって言葉を。それに比べて、オレが言ったのはダチとして好きだってのと、嫌いじゃねえってこと。
オレの方がずるい。花道もてあそんでより不安にしてるのはオレの方だ。
「ついたぜ」
あんちゃんが言う。オレははっとして気づいて財布を取りだした。
金を払って釣り銭もらったあと、あんちゃんはわざわざうしろを振り返った。その頃には花道はもうタクシーから降りてたから、オレはあんちゃんと目があっちまう。二十くらいかな。わりに童顔のくせして妙に大人っぽい目付きで、あんちゃんは言った。
「お前、けっこう幸せもんだな」
何言われてんのか判らねえ。クエスチョンマークそのまんまの顔でオレが呆然としてると、あんちゃんはちょっと意地悪そうな顔をした。
「めちゃくちゃ正直につっぱしんのが若者の特権さ。がんばれ青少年!」
首をひねって、でも前を向いて発進準備にかかってるあんちゃんにはもう何も聞けずに、しかたなくオレはタクシーを降りた。そして、タクシーを降りた瞬間、オレはあんちゃんの言ったことの少なくとも何割かは判ったような気がしたのだ。
目の前に威圧的に立ちつくす建物は、華美すぎておどろおどろしいとすら思えるほどの巨大なホテルだった。
花道の言った謎の言葉エビルマウンテンて、このホテルのことだった訳か?
お前……地元でもねえのになんでこんなホテルのこと知ってんだよ!
「は……花道……」
「二時間休憩五千円より……なあ、洋平、ホテルの値段てこんなにするんか?」
そんなことしゃらっと言うなよ! だってお前、まさかほんとに……
「オレが知るかよ! それより何だ! オレをこんなとこにつれてきて……」
「洋平、オレはお前が好きだ。だからやりてえ。そんでもってお前はやりたい盛りなんだろ? ルカワやじいにやらせといてオレとはやらねえなんてズルすぎらあ」
……何だよ。反論できねえじゃねえかよ。自分の言った言葉に縛られる図、ってやつだ。それにオレはお前とだけはやりたくなかったからあいつらとやった訳で、それをズルいと言われちゃオレは何のために我慢してたのか判らねえじゃねえかよ。
黙っちまったオレを、もともと問答無用だったんだ、って感じで引っ張っていく。どうやら閻魔様の口をかたどったらしい入口をくぐり、黄泉の洞窟みたいな自動ドアを入ると、中はクーラーが効いてるのかけっこう寒々しくて背筋にくるものがある。目の前のパネルには部屋の写真と名前と値段が書いてあって、どうやら希望の部屋のボタンを押すと鍵が出てくる仕組みになってるらしい。五階建ての最上階の方の部屋は休憩だけで一万以上する。高い部類のホテルではあるな。
「ギロチンの館、地獄の釜、針のむしろ。ええっと、十三階段の恐怖に……拷問室。 ―― 洋平、何か恐そうな部屋ばっかりだな。ホテルってこういうもんか?」
部屋の名前を一つ一つ上げながら花道が言う。あのなあ! こんなとこまともなホテルの訳ねえだろ!
「ここ、普通の人間がまともなSEXするためのホテルじゃねえよ。異常な性癖持った奴が専門に利用するようなとこだ。何でお前こんなとこにつれてきたんだ?」
最後の言葉は花道には届かなかったらしい。
「いじょうなせいへき……? まあ、異常っていや異常かもな。男同士だし。……おお、この蝋燭づくしって部屋には惹かれるものがあるぞ。これにするか?」
お前、蝋燭になんか惹かれんなよ! オレの身体に蝋燭たらしたり……おおぅ、想像しただけでおぞけがくる。
「そんな高い部屋ダメだぞ。もっと安いのでまともな……あるじゃんかよ。アマゾンの秘境とか南国の楽園とか。こっちにしようぜ」
言っちまってからしまったと思う。今の科白でオレが花道とのSEX承知した格好になっちまった。これから先オレがどたんばでやりたくねえとか言い訳できねえ。
お前、まさかオレのこと嵌めたんじゃねえだろうな。
「南の楽園ならアマゾンの方がいいな。これに決めよう」
そう言うと画面のボタンを押して鍵を取り出す。そうだよな。花道にそんな頭がある訳ねえ。悪だくみやかけひきからこれほど離れた奴ってのも珍しいくらい。
無邪気にエレベーターに向かう花道のうしろについて歩きながら、オレはなんとなくほっとしていた。花道がいつもの花道に戻ってることに。その前までの妙に重々しい雰囲気は完全に消えちまったから。
さて、花道が選んだアマゾンの秘境。
写真を見たかぎりでは壁中がアマゾンの風景だってだけのごくまともな部屋に見えたが、備品はけっこうすごいものがある。まさかこういう部屋だとは……。花道の奴は珍しいものばかりの部屋に、少なからず興奮していた。
「おう、ワニがいるぞ。ライオンも」
動物型のダッチワイフだかダッチハズバンドだか知らねえが、そこかしこに置いてある。一見まともに見えた部屋はおそらくレズ系の部屋に違いない。
「このヘビ、スイッチ入れると震えるぞ。これ何に使うんだ?」
教えてやるもんか。教えたら最後、ためしてみたがるに決まってる。
「オレシャワー浴びてくるわ。汗かいた」
丸太を組み合わせたらしいテーブルにポーチを置いてオレが花道に背を向けると、その背中を一瞬にして抱きすくめられた。首筋に花道の息づかい。
「……花道」
「洋平の匂いがする」
うわ……
花道の声って、こんなに色っぽかったか? 耳たぶから吸収されて脳髄まで痺れさせるような甘い声。クラクラして膝が崩れちまいそうだ。
「洋平……洋平」
名前を呼びながらオレの上半身を探る。花道の腕がオレの身体をすっぽりと包み込んで、オレの自由を奪おうとうごめく。オレの身体はお前の身体に溶けちまう。こんな、ただ抱きしめられて……
「洋平……いいよな、オレ……洋平が欲しい」
花道が欲しい。この腕の中に溶けて、一つになりたい。お前の情熱に縛られて我を忘れて、そのまま永遠にお前のものでいたい。オレの全てがお前のために存在するのだと
「離……れろ。力で勝てねえ……て、判ってんだろ……」
「ダメだ。離さねえ!」
背中から反転してオレをベッドに投げ出した。そしてそのままのしかかってくる。獣のあえぎ声はオレの唇を求めて強引なまでに荒く吸い上げる。その激しさに蹂躙され、オレの身体は悲鳴を上げた。
こんなの、オレの知ってる花道じゃねえ。
前ん時の花道は何やるんでも全部オレに許可を得た。オレが嫌がることなんか一つもしやしなかった。
「花道……こんなん、オレが望むとでも思ってんのかよ!」
天井に豹の絵が描いてある。今の花道はその豹と同じ目をしていた。
「他にどうしろってんだ! お前が……オレじゃない奴とやって、オレだって怒ってんのか悲しんだか判んねえのに、お前はオレのことはダチだって! だったらダチでもかまわねえよ。悔しんだよオレは! ……洋平、オレの好きだって気持ち、甘くみんなよ。ここまで来ちまってやめられっかよ」
お前の好きだって気持ち……?
だってお前は晴子ちゃんが好きで、オレは二番目な訳だろ?
「お前……お前が好きなのは晴子ちゃんじゃねえの? 何でそんな……」
「どうして洋平はさっきからハルコさんハルコさんて。晴子さんは好きだよ。ほんっっとに好きだよ。あんなにかわいくてフワフワしてるコいねえよ。だけどそれが何なんだよ。洋平のこと好きじゃおかしいのか? 洋平の心が欲しいとか思っちゃおかしいのかよ。……洋平がオレのこと好きじゃねえとか思っても仕方ねえけど、オレはお前が欲しいって、ずっと……」
オレはただ呆然と花道の涙を見ていた。今初めて判った気がする。お前の気持ちっていうか、心の構造ってやつが。
お前の中では、オレに対する気持ちと晴子ちゃんに対する気持ち、ぜんぜん矛盾してねえんだ。どっちも本気で、どっちも大切で、順番つけることなんかできなくて、だから選ぶこともできねえ。たぶん、選ぶ必要なんかねえんだ。その二つの気持ちはお前の中でちゃんと両立できてるんだから。
お前の心、何か笑っちゃうくらい自由だ。オレは今までお前の心を縛り付けたらお前が苦しむんじゃねえかってそればっか考えてた。だけど、お前はオレの心一つくらいじゃ縛り切れねえくらい自由な心をもってる。お前の自由のために身を引いてやろうなんて考えてたオレ、なんか笑っちゃうくらい馬鹿だよな。
お前にはたちうちできねえ。今までもこれからもずっと。
「なに泣いてんだよ、花道」
「うるへー」
腕を伸ばして、花道の涙にキス。花道の奴驚いた顔してやがる。
「洋平……」
「オレ、さ。お前にずっと信号送ってた。バスケに夢中のお前にさ、こっち向けー、オレのこと見ろーって」
「!」
「お前鈍すぎてぜんぜん気づかなくてよ。そばにいた流川の方が気づいちまった。オレもさ、流川でお前の代わりんなるかもしれねえって、変な気起こしちまって、でもダメだった。流川にゃお前の代わりなんて荷が重すぎらあ」
「洋平、それって……」
「シュート合宿ん時もさ、お前があんまり近すぎて、そばにいるのつらくてさ。夜中徘徊してたら偶然牧と会って、……あの人もけっこう面倒見のいい人だからたぶんほっとけなかったんだと思う。いろいろ話してくれてさ。いろいろ教えてくれた」
「洋平……!」
花道の目に、自信と不安が交錯する。この一瞬の花道がいい。宝箱に閉じ込めちまいたくなるほど。
オレは、お前を閉じ込める。
「オレ、お前のこと好きだよ。最初にやったあのときから」
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