SOMEDAY
約八分後、オレはちどり荘に到着していた。運ちゃんに少し多めに金を払って、すぐに玄関を入る。宿の中は静かだ。この分だと花道は到着してねえな。悠長なことはしてられねえから、オレは大声上げながら廊下を走り回った。
「流川ー! 流川たいへんだ! 急用だ! いたら返事しろ!」
何事かと泊まり客がわらわらでてくる。その中にめがね君の姿を見つけて、オレはすがるようにかけ寄った。
「めがね君! 流川は! 流川の部屋は!」
めがね君にしてみりゃまったく何のことか判らねえだろう。試合会場で別れたオレがいきなりこんなところで叫びまくってるってのは。
「……流川なら隣の部屋だけど……」
「サンキュ」
礼もそこそこに隣の部屋に取り付こうとすると、ふいに中から扉があけられて、流川本人が顔を出した。まっ白な眼帯が妙に痛々しい。だけど、そんなことよりも花道の方が先だ。
「水戸……」
「たいへんだ流川。緊急事態だ。花道の奴がキレた。すぐにどっかに逃げてくれ」
「桜木が……?」
あーイライラする! オレが焦ってんの判るだろうに。もっとちゃんと反応しろよ!
「お前、桜木に話したのか?」
「話したっつーかバレたっつーか、お前の名前聞いたとたんに店飛び出して行きやがった。だから詳しいこと何も言ってねえんだ。あいつん中でどう理解してんのか判んねえ。今ここでけんか騒ぎなんか起こせねえだろ? 花道の方はオレが責任持って説得するから、今はお前どっかに姿消してくれ」
「何の騒ぎだ」
声に振り返るとゴリがまうしろに立っていた。オレ、この人けっこう苦手なんだよな。すぐに訴えかける気力もなく黙ってると、頭上でオレをはさんで流川とゴリが会話を始めた。
「何でもないっス。オレ個人の問題ですので」
「桜木と何かあったのか」
そう言ってオレをちらっと見る。ちょっとこの位置関係恐ろしいもんがあるぜ。だからっていまさらオレが二人の間から抜ける訳にゃいかねえし。
「部に迷惑かけません。この場はオレに預けといて下さい」
「……まあ、お前がそういうなら構わんが」
その時だった。
「ルカワーッ! どこ行きやがったルカワ!」
げっ、花道! お前オレの予想より来るの早えぞ。
「流川! 頼むから逃げてくれ」
「落ち着け水戸」
流川はオレの肩をがっしり掴んだ。それだけでオレはずいぶん落ち着くことができて……。流川の目はまっすぐ花道が来るはずの廊下の先に向けられてる。その瞳は凛としててくもりがなくて、オレは今初めて流川を頼もしい奴だと思った。
「流川……」
「お前は黙って見てろ。オレは奴には負けん」
そして、おおぜいの部員が見守る中、花道はその姿を見せた。
「ルカワ……洋平」
どうして洋平がここに、って面だな。でもその目はすぐにオレの肩にかけられた流川の手の方に向けられて
「ルカワー! 洋平から離れやがれ!」
ずんずん床踏み抜きそうな勢いで迫って来やがる。あとずさりしそうになるオレを、流川の手が踏み止まらせた。
「離れろって言ってんだ!」
殴られる!
その花道の拳は、ゴリにがっしり掴まれていた。
「桜木! けんかは許さん」
「じゃますんじゃねえゴリ!」
「きさまは今がどういう時期か判ってるのか! けんかなんかしてみろ。今までの苦労は水の泡なんだぞ!」
「だけどルカワの野郎は」
「桜木!」
ゴリの一喝に、花道は見た目落ち着きを取り戻したように思えた。それでも腹ん中は煮えくりかえったまんまだ。その証拠に、流川を睨みつける勢いは少しもおさまっちゃいねえ。
「流川、表へ出ろ」
「場所がどこであれけんかは許さんぞ」
「けんかはしません。……そうだな、桜木」
今まで黙ってた流川が言った。その流川の目に、花道は求めるものを見つけたようだった。しぶしぶながらもうなずいて見せる。
「けんかはしねえ。約束するよゴリ」
「いいだろう。夕食のあとはミーティングだ。少なくともその時間までには戻れ」
「ああ!」
花道は強引にオレの手首を掴んで歩きだした。そのあとを流川が追ってくる。オレは花道の行動が理解できなかった。だって花道の奴、どう見てもオレに対してってより流川に対して怒ってるから。
お前結局、何がそんなに気に入らねえんだ?
その答えを出すことは、今のオレにはできそうになかった。
「その角曲がると公園がある」
「わあってら! 指図すんじゃねーよ!」
公道を歩きながらも、三人の位置関係はまるで変わっちゃいなかった。花道はオレの手首を握りしめてずんずん歩く。コンパスの違いもあって、オレはほとんど引きずられて小走りに歩く。そのうしろを流川が悠然とついてくる。このあたりは宿屋街だから近所はぜんぶ宿屋で、時間的に今は玄関の打ち水をする従業員の姿が多いんだよな。オレたちの姿はどう映ってんだろ。オレ以外の二人はそういう事気にするような奴じゃないから、オレ一人情けなくて赤面してた。
それでもやっとの思いで到着したのは、本当に小さな公園だった。公園てよりも森に近いな。あんまり手入れもしてないようなどでかい木が何本も生えてるところに、すべりだいとブランコがあるだけの公園。そこまで辿り着いたとき、オレはようやく花道の手から開放されていた。
「水戸、大丈夫か」
花道に握りしめられてたオレの手首は色が変わってた。もうあと五分遅かったら病院行きだったかも知れねえ。
「ああ……」
「返事なんかすんな洋平! こんな……こんな汚ねえ野郎!」
オレの手首を握りしめてたよりずっとすげえ力で、花道は拳を握りしめた。震えてるからそれと判る。
「オレのどこが汚ねえんだ」
ぼそっと言った流川の言葉に、花道は逆上していた。今まで押さえてたもんを吐き出すみてえに叫ぶ。
「洋平はな……洋平は、てめえが思ってるような奴じゃねえんだよ! お前とやったって……バイトとか嘘ついて明るくて、傷ついてんのにオレには笑ってるような奴なんだ! てめえがむりやり犯んなきゃ、洋平から誘ったりするはずねえ。それでもてめえは自分が正しいって言えんのかよ!」
言ってる事は支離滅裂だが、花道がオレの話をどうとらえたのかは判ったぞ。花道の中ではオレはあのとき流川にむりやり犯られて、えらい傷つけられて、だけどだれにも相談できねえまま牧に走ったって事になってるんだ。オレが不本意な扱いを受けたって ――
「洋平のことはオレが一番知ってんだ。オレに心配かけんの一番嫌がる奴だって事も」
オレは花道に信じられてる訳だ。オレが絶対流川を誘う訳ねえって。
「てめえがむりやり犯ったりしなきゃ、洋平はこんなに傷つくことなかったんだ!」
だけど、そういう信じられ方ってあるかよ。結局お前、オレのことなんか何も判ってねえじゃんかよ。たしかにきっかけはけっこうむりやりだったけど、オレは自分では納得して流川に抱かれた。オレの欲望が流川を誘って、SEXを楽しんだんだ。オレにそういう部分があるってこと、お前は判ってねえ。それでほんとにオレのこと一番知ってるって言えるのかよ!
「てめえはほんとにどあほうだな」
「何だと!」
「本気で言ってるのか? 水戸が黙ってむりやり犯られてるような奴だって」
花道は言葉を飲み込んだ。そうだよな。オレだってある程度の腕っ節はあるし、ほんとにむりやりならそう簡単には犯られたりしねえだろう。万が一犯られても報復しねえ訳がねえ。どんなに流川が強くたって、たった一人の男にむりやり犯られるほど落ちぶれちゃいねえよ。
「てめえの親友ってのはそんなに情けねえ奴なのかよ」
「洋平は……だったら何なんだよ! てめえが洋平犯ったのはかわんねえじゃんかよ!」
「時間の長さなんか関係ねえ。てめえは水戸洋平って奴を本当には理解してねえんだ。理解しようとすらしてねえ。固定観念押しつけたまま安心してやがる。……オレの方がよっぽど判ってる。オレの方が洋平のことはたくさん見ていた」
流川……
お前が本気だったのは知ってる。今でもたぶん忘れてねえ事も。そして、花道に一番きつくあたるのも全部オレのためだって事も。だけど、もういいよ流川。これ以上花道を傷つけたくねえ。花道にオレの気持ち、気づかせたくなんかねえんだ。
「何でだよ……オレが悪いみてえじゃねえか。オレが洋平の何を判ってないって……洋平、何とか言えよ。ルカワが悪いんだって言えよ!」
花道の不安とオレに対する不信感が手に取るように判る。流川の言葉なんかで自分の自信が崩れかけてる不安と悔しさ。オレはいつもお前の自信を裏付ける役回りだった。だからオレに求めてる。自信の裏付けを。
花道は悪くねえ。流川も悪くねえ。悪いのはオレだ。
「流川、もういいだろう。それ以上言うな」
オレの言葉は流川に完璧に無視された。
「桜木、てめえがどうして洋平を抱いたのか知らねえ。だけど、そのまま放っておかなけりゃこうはならなかった。忘れるなどあほう。最初に洋平を傷つけたのはてめえだ」
「ルカ……」
「一番悪いのはてめえだ」
流川が自分の正当性ふりかざしてんのは判る。だけど、それはオレの正当性を守るためなんだ。たしかにオレは弱い人間で、たった一度花道に抱かれたことから自分を崩しちまった。その弱さが流川を傷つけ、花道も傷つけた。だけど流川は今オレを守ろうとしてる。自分が傷つけられたことなんか忘れて、オレを花道のところへ帰してやりたいって。オレの弱さを棚に上げて花道を責めることで、花道に償いをさせようとしている。
流川、オレはそんな気持ちをもらう資格なんかねえんだ。責めてもらった方がすっとオレには似合ってる。
流川の言葉とオレの無言の肯定が、花道を打ちのめしていた。もう花道に反論の言葉はねえ。そんな花道の様子を確認して、流川はオレに近づいてきた。
「洋平、お前もっと欲張りになれ」
流川の言葉に、オレは何だかおかしくなっちまった。オレに対してここまで奉仕活動に徹した奴に言われたかねーよ。
「珍しくよくしゃべったと思ったらやってる事と噛み合わねえでやんの。自分のこと棚上げがてめえの主義かよ」
「……桜木は本当にどあほうだ。どうにもならねえときはオレのところに来い」
なるほど、それが答えか。つまりこれがお前のアピールの仕方なんだ。自分のいいところ全部オレに見せて、諦めるみてえな悲痛な仕草して、さりげなく忘れてねえみてえな事を言う。実際ぐらっと来るよな。これでほんとに花道とおかしくなっちまったら、オレお前のところにいくかも知れねえよ。
それなりにジレンマもあるよな。オレのために一生懸命になるってことは、オレと花道がうまくいく確率上げるって事な訳だし。そのうえオレが流川に対する罪悪感に縛られないように、なにげなくタネ明かして見せるところなんか最高だ。おかげですっかり気が楽んなった。これで心置きなく花道慰められるぜ。
あざやかに去っていった流川の背中を見送って、オレは花道を見上げる。花道の奴、放心状態だ。流川の言ったとおり、この勝負流川の勝ちだな。
「花道、流川の言葉なんかまにうけんじゃねーぞ」
オレの言葉が届いたんだろう。花道はうつろな目でオレを振り返った。
「あいつにだって判ってねえ事はある。お前だけしか知らねえオレだっているんだ。お前よりも奴の方がオレを理解してるなんて事はねえよ。だからあんま考え込むな」
「洋平……」
オレの慰めに、花道は妙に苦しそうな顔をした。初めて見る花道。
「もうごまかすな。嘘も言うな。オレが喜ぶ言葉かけようとか思うなよ。事実だけ言ってくれ。オレが悪いんだったら悪いって ―― 」
たぶん、これは花道の本心だ。ごまかされたくも嘘つかれたくもねえんだろう。だけど、オレはそう簡単には言わねえよ。オレが花道を好きだって事は。
オレ達がどんな風になっても、たとえ壊れちまっても、お前が晴子ちゃんに惚れてる以上心はオレに縛られるべきじゃねえから。
「飯食わねえ? 何かオレ腹減ってきちまった。さっきおこのみ焼き食いはぐったし」
腹が減っては戦はできねえって言うしな。これからがオレの勝負だ。腹ごしらえはしっかりしとかねえとな。
花道の返事を待たずに、オレは飯屋を求めて歩き始めていた。
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