戦場の籠球



 寿のことは誰にも話してない。毎日会いに行けるもんじゃなかったから、俺は寿と五日ごとに会おうと約束した。行けないこともあるだろう。その時はどうしようもない。敵陣まで連絡をつけに行ける訳もないのだから。
 三度目に寿に会う日は、ちょうど物資の搬入の日だった。月に一度国境警備のところにも日用品や食料を運んでくる車が回ってくる。たまには桜木のような昇格軍人を運んでくることもあったが、そう度々のことではないので、前回の桜木以降はしばらくはそういう事もないだろう。今回の搬入は通り一遍のいつもの作業とは一味違っていた。桜木が籠球の球を手に入れようと交渉を繰り広げていたのだ。
「だからさ、新しい罠にどうしても球が欲しいんだ。大きさはこのくらいで、よく弾んで、多少重さもあった方がいい。出来れば籠球の球がぴったりなんだけど」
「新しい罠ね。ろうきゅうって何だ?」
「よく判らないけど、球を使った遊びらしいんだ。罠が完成すればかなり効果が期待できるんだけど。俺達だって必死なんだ。日夜お国を守るために努力して、やっと新しい罠が完成しそうなんだぜ。もう一歩のところなんだ。あとは球さえ手に入れば……」
「気持ちは判らないでもないがね。遊び用の球なんて、国中どこを探したってある訳ないよ。せっかく苦労したのに水を注すようで悪いけど、その罠は諦めな。まあ、敵国へでも乗り込めば手に入らないでもないだろうけど、そうなっちまったらもう罠なんて必要ないだろ。悪いこと言わないから諦めな」
「いいできばえだったんだけどな。今までで最高の作品だったのに」
「まあ、俺もできるだけ気に止めてやるよ。期待しないで欲しいけど」
「ああ、ありがと。仕事頑張れよ」
「そっちもな」
 籠球の球は調達失敗か。新しい罠だなんて、必死で考えたんだろうが笑えるぜ。流川のどあほう攻撃で早くもおっかけっこが始まってる。赤木大尉は物資の検査で忙しそうだから、俺が止めるしかないだろうな。
「桜木少尉、流川少尉、いいかげんにやめないか」
「だって仙道中尉。流川の野郎が」
「いつものことだろう。少しは学習しろ」
「学習が必要なのは流川の方だろ」
「どっちもだ。流川少尉、貴様も大人げないぞ。いつまで同じ水準で喧嘩するつもりだ」
「こいつがどあほうだから……」
「返事は!」
「はい」
「はい」
「よろしい。二人とも物資の仕分けを手伝ってこい。宮城少尉は言われなくてもやってるぞ」
 しぶしぶ命令に従う二人の後ろ姿を見ながら、俺はまた笑いたくなる。寿に話してやることが増えたな。球の調達失敗は桜木にとっては災難だろうが、俺にはいいネタだ。今度はどんな手を使ってくるやら。楽しくてわくわくしてくるぜ。
 赤木大尉の出した試練は、桜木を少し大人にするためのものなのかも知れない。そうは言っても赤木大尉がおもしろがっていないかっていうと、絶対にそんな事はない。
 戦争で死なすには惜しい男達だ。できることならこのまま平和になってくれることを、俺は願ってやまなかった。

 今日は寿は『野ばら』を歌っていた。歌は上手じゃないが、声はいい。聞かずにいるのがもったいなくて、物陰に隠れて最後まで聞いてしまった。それから顔を出すと、寿は俺を満面の笑顔で迎えた。
「よかった。来ねえかと思った」
「物資の搬入があってな。その日は宴会があるんだ。ほんのちょびっとだけどお前にも持ってきてやったぞ。日本酒なんて飲んだことねえか」
「俺はお酒なんて飲めねえんだ。軍規では禁止されてるけど手に入ることもある。俺には回ってこねえよ」
「こっちも禁止さ。でもまあ、そのくれえのお目溢しでもねえと、こんなへんぴなところ脱走兵が続出だからな。上の方も黙認してる。茶碗はねえからな、このまんま飲め」
 俺が渡した一升瓶を、寿は不思議そうに眺めた。そして一口飲んでみる。渋い顔をする寿を、俺は笑った。
「変な味のお酒だな。原料は何だ?」
「米さ。発酵させて作る」
「日本酒は米の酒なのか。米から酒が出来るなんて知らなかった」
「全部飲んでもかまわねえからな。まあ、初めての奴にはきついだろう。無理はするな」
「俺も日本人だ。日本酒の味だってすぐに慣れる」
 そう言いながら果敢に挑戦する寿を、俺はかわいいと思った。そういえばこいつはいったいいくつなんだ。あんまり飲ませてもあとが恐いな。
「ひとまずやめておけ。未成年だろう」
「もう十八だ」
「十八か。……一つ年上じゃねえか」
 十七の俺よりも一つ年上とは思えなかった。十八と言えば、赤木大尉と同じって事か。赤木大尉はあんまり参考にはならねえが、宮城少尉は俺と同じだし、桜木少尉や流川少尉は一つ年下の十六だ。てっきりこいつらと同じくらいかと思ってた。十八だと思ってよく見れば、たしかに十八に見えるかも知れない。
「彰は十七なのか?」
「ああ。見えねえか?」
「そんなもんだとは思ってたさ。日本人の年齢なんて俺にはあんまりぴんとこねえけど、漠然と年下だってくらいは」
「なるほど、目利きだな」
 ちょっと衝撃。今さっきかわいいと思った奴が、実は年上だったってのは。しかもそいつには俺はちゃんと年下だって思われてた訳で……。別にどうだっていいんだそんなことは。年上だろうが年下だろうが、寿は寿。変わりねえ。
「彰……俺、ちょっと回った……」
 ふらっと倒れそうになる寿を抱き止める。
「飲みすぎたか。日本酒は麦酒と比べると強いからな。大丈夫か」
「……麦酒? 日本ではビールのことをそういうのか?」
「国内で外来語カタカナなんか使ってみろ。手が後ろに回る。誰が考えたのか知らねえが、もう三十年もそうさ。麦酒にしたところで密造業者と闇取引しないことには買えねえ。不便な世の中さ」
「戦争なんて終わりになればいいのに」
「お前もそう思うか。俺もそう思う。誰がやりたくてやってんだろうな」
「そうしたら俺とお前、敵同士じゃなくなるんだ……」
 寿の目から涙があふれてこぼれ落ちた。俺はそんな寿を抱き寄せた。寿、お前が泣かずにいられる世界になればいいのにな。お前が泣くのが悔しい。涙を止められない自分が悔しい。
「寿、泣くな」
「彰……」
「俺達は戦争で死ぬ。軍人はみんなそうだ。お前も俺も死ぬ。俺達はじじいになることも、がきの顔を見ることもねえのさ。特に国境警備の連中はな。全面戦争が始まれば、俺の部隊もお前の部隊も一緒だ。ただの一人も生きちゃいねえ。俺達は死ぬために生きてる亡霊だ」
「彰……俺の側にいろよ。俺を一人にするなよ」
「寿、お前は一人じゃねえよ。俺が一緒に死んでやる。冷たくなっちまえば敵も味方もねえ。……寿」
 悲しい瞳。この瞳に映るのは地獄なのか。国境という名の、果てしない地獄なのか。
「お前が好きだ」
 お前が地獄にいるのなら、俺も地獄に落ちる。側にいてやる。命が尽きてもずっと。
 寿の唇は冷たかった。同性愛は死罪だという軍規が俺の頭をかすめた。死罪でもかまわねえ。ここは地獄だ。地獄の一丁目が三丁目になろうが、寿の前には意味がなかった。俺は寿が好きだ。寿が好きだ。
 寿の身体に、俺は青い月を見た。すべてを見通す空の目を。
 すべてを狂わす、悪魔の目を。

 次の日、俺は赤木大尉に呼び出しを受けた。作戦室兼会議室に入ってゆくと、赤木大尉は正面に座っていて、その迫力ある物腰で俺を見据えた。
「仙道中尉、お呼び出しを受け参上いたしました」
「仙道中尉、昨日はどこへ行ってた」
 なるほど、赤木大尉も馬鹿じゃない。俺が夜ごとにでかけることは承知していた訳だ。
「は、国境付近で月を見ておりました」
「なるほどな……」
 さて、どこまでばれているやら。赤木大尉は少し考えるようにしたあと、言った。
「きれいな月か」
「それはもう……喩えようもないほどに」
「危険はないか」
「おそらくは。……とても、悲しい月です」
「そうか。国境は危険だ。月を愛でるのも慎重にしろ」
「は、心得ております」
「下がってよい」
 俺は敬礼して部屋を出た。察しはついているだろう。だが、見逃してくれるという。ありがたい上官だ。この人のためにも、俺は死ねるだろう。
 厨房では宮城少尉が昼飯の用意をしていた。覗いてみると、昨日届いたばかりの新鮮な魚だった。滅多に手に入らない魚を下手な料理人が調理するのではないと知って、俺はほっと胸をなで降ろす。包丁で魚に切目を入れながら、宮城少尉は言った。
「赤木大尉殿にしかられはしませんでしたか? 昨夜は結構なおかんむりでしたけど」
 宮城少尉も回りのことには敏感だな。俺がしょんぼりしていたら慰めるつもりでいるのだろう。
「大尉は俺のことを心配しておいでなのさ。説明したら納得された」
「女ですかい?」
「違うよ。……こんなところに女がいるか。桜木は」
「珍しく流川少尉とどこかに行きやしたぜ。何でも籠球の球がどうとか」
「諦めんな、あいつも。今度はどんな手でくるやら」
「俺も期待してるんですよ。本当に籠球の球が手に入ったら、今度は籠球場を作る訳でしょう? 何だかわくわくしちまって」
 俺もだよ。誰もがわくわくしてる。赤木大尉だって、あの流川少尉だってな。籠球が出来たらどんなにいいだろう。誰にもはばからず、籠球をバスケットボールと呼ぶことが出来たら。
「夢で終わっちまいますかね……」
 宮城がぼそっと言った言葉に、俺は宮城の中にある切実な思いを感じて胸が痛んだ。本当は判ってる。籠球場も、籠球合戦も、夢でしかないことを。
 昼飯の支度が整ったころ、桜木と流川は帰ってきた。まるで喜びを絵にするとこうなるのだというような満面の笑顔をたたえて。
「仙道中尉殿ォ! 見てください。これこれ」
 言われて見ると、桜木は片手にまっ白な何かを抱えていた。
「何だ」
「東の森で護謨ゴムの木を見つけたんです。それで球を作ってみました。よく弾むんです」
 護謨か。桜木にしては見事なもんだ。護謨さえあれば球くらいいくつでも作れる。
「見つけたのは俺だ」
 流川が言う。……まあ、そうだろうな。
「わあってるさ。見つけたのは流川少尉で、二人でいろいろ作ってみたんだ。平らな板に樹液を塗って乾かして、膨らまして空気を入れたあと、回りを何重にも固めたんです。これで籠球が出来ますか?」
 桜木が渡してくれた籠球の球は、持ってみるとかなり重い。だが弾力があって、落としてみるとかなり大きく弾んだ。俺も本当の籠球の球は知らなかったが、この球は重すぎるし弾みすぎるだろう。期待に目を輝かせている桜木に、俺は意地悪をしているような気持ちで言った。
「そうだな。もう少し軽くて固くなればなんとかなるだろうが、この球だと扱いにくいだろう。どうしてこんなに重いんだ?」
「このくらい厚くしねえと変形しちまうんです。弾み方も弱いし」
「そうか」
 俺は少し考えて、思いついたことを提案してみた。
「もう一度最初の球を作って、そのあとに薄い布を巻いてみろ。その上から重くならないように護謨を巻いてみれば使えるかも知れねえな」
「仙道中尉殿……ありがとうございます。やってみるであります」
 桜木の様子を見ながら、俺は本当に籠球の組が作れるような気がしていた。桜木は諦めないだろう。諦めないかぎり、着実に目標に近づいてゆくはずだから。
 この男を死なせるのは出来ればしたくない。俺は桜木に、未来の希望を見たような気がしていた。

 寿と会う予定の前の日だった。
 無線機の当番だった俺は、無線室に座って今日五度目の受信を行っていた。帳簿に記録して、ほっと息をつく。次の受信時刻まではかなり時間があるからお茶でも飲もうかと立ち上がりかけたところだった。どたばたという足音がして、桜木が来たことを知らせていた。
「仙道中尉殿ォ!」
「騒々しいぞ。こっちは仕事中だ」
「失礼致しました。終わったら来てください」
「今終わったところだ。すぐ行くから待ってろ」
 あいつが来てから俺達の生活の調子はまるで変わっちまった。無線室だろうが作戦会議室だろうがまるでお構いなしにどたどたと走り回る。仮りにも少尉のくせにあれほど軍人としての自覚がない奴も珍しい。
「いったい何だってんだ?」
 食堂では流川少尉がお茶の支度をしていた。全員が集まっている。
「とりあえずこれを見てくださいよ」
 桜木は白い球を俺に放ってよこした。反射的に受け取ると、まるで手の中に吸いつくような感触だった。落としてみるとよく弾む。軽すぎず重すぎない、適度な重さだった。
「よくやったな。いったいどうやったんだ?」
「前に仙道中尉が言ったように布を巻いたんです。だけど丸いものに布を巻くのがどうしてもうまく行かなくて、宮城少尉が布を五角形に切って縫い合わせてくれたんです。宮城少尉のおかげです」
 桜木は簡単に言うが、それだけじゃないだろう。回りの護謨の厚みも平均しているから、真下に落とせば真上に戻ってくる。かなり苦労したはずだ。
「赤木大尉殿、これはもう籠球場を作るしかないようですぜ」
 ほかの全員が喜びに胸をおどらせている中、赤木大尉だけは難しい顔をして腕を組んでいた。返事をしない大尉に、桜木はさらに言う。
「なあ、赤木大尉殿。今日から作ってもいいだろう? 籠球場」
「……籠球場は明後日から建設にかかってよろしい。桜木少尉が責任者だ。機材は適当に使って構わん」
「明後日? どうして明後日なのですか?」
 赤木大尉はそれには答えず、全員に向かって言った。
「仙道中尉に話がある。悪いが席を外してくれ」
 少尉たち三人は、赤木大尉の命令に黙って従った。作戦指令室を使わないところを見ると、赤木大尉の話は私的な事ということか。三人に席を外させたのも、命令というよりはお願いだった。俺は緊張しながら、赤木大尉の前に座り直した。
 しばらくは大尉はなにも言わなかった。それでも辛抱強く待つと、やがて赤木大尉は口を開いた。
「実は明日、安西中佐殿が参られる」
 安西中佐は国境警備の本部の古株だ。その温厚な性格が禍して出世街道から脱落した万年中佐と呼ばれている。厳しいが話も判る人物だ。その安西中佐がなぜ……
「情勢に変化があったのですか?」
「話を聞いてみないことには何とも言えん。その事を貴様に相談しようと思ったら貴様は夜中に月を見になんぞ行ってたんだ」
「その件につきましてはご厚情感謝しております」
 余計なことを言ったと思ったんだろう。赤木大尉は少し顔を赤らめて、咳払いをした。
「仙道中尉、桜木少尉は諦めんな」
「あの根性は尊敬に値しますよ」
「こんな所で死なせたくないものだ」
 俺もそう思いますよ。あいつには戦争なんて似合わねえ。あいつは夢を食って生きてるんだから。
「宮城は無理でしょうね」
「意見は同じか。まあ、承知しておいてくれ」
「判りました」
 俺は席を立って外に出た。ここの太陽は熱い。ここでは雨なんか降らねえ。いつもこんな風に熱い太陽が照りつける。
「仙道中尉殿! お話が終わったんだったら教えてくださいよ。籠球の得点籠ってどんな形なんですか?」
「お前等忘れたのか? 籠球場建設は明後日からだって決まっただろ」
「設計は止められちゃいねえだろ。すぐ作り始めてえんだ。俺早くシュートってのやってみてえんだ」
「そんなでけえ声で敵国語しゃべるんじゃねえ。……判ったよ。絵に描いてやるから紙持ってこい」
 桜木、お前のシュートが会場を湧かす日が、少し遠くなったぞ。
 その事を奴等に言うことは、今は俺には出来そうにもなかった。


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