真夏のメリーゴーランド
「洋平……」
名前を呼びながら流川は髪を撫で続けていた。何度も何度も。まるで重たいバーベル持ち上げたあとみてえだ。身体が震えて言うことを聞かねえ。
流川の腕枕はちょっと煩わしかった。髪を撫でる手も、まだ熱い身体も、今のオレには必要ねえものだ。あんなにもオレが欲しいと思った流川の身体は、今はその存在すら消し去ってしまいたい。夢の時間は終わった。まるで流川は麻薬みてえだ。
「洋平……」
たぶんまた欲しくなる。先に地獄があることを知ってしまっても、喉もとすぎりゃオレはまた求めるだろう。流川のSEXは最高だ。だけどその最高は最悪と同じ柱に刻まれてる。
夢の時間は終わったんだ。これ以上ここにいても仕方ねえ。オレは思い通りにならねえ身体を引きずって、ベッドから降りようとうごめいた。
「洋平……?」
「けえるんだよ」
「待てよ」
流川はほんの少し力を入れて、オレを元の位置まで戻した。間近に迫る流川の顔。無表情で綺麗な顔。
「洋平、オレのものになれ」
一度身体を手に入れたからって意気がるんじゃねえよ。オレはオレのものだ。誰のものでもねえ。
「ごめんだ。ほかあたれ」
「洋平……」
震える身体引きずって、再びオレは流川から離れた。脱ぎ散らかした服探しながら身につける。ちょっと気い抜くと倒れちまいそうだ。だけど倒れる訳にはいかねえ。意地っていうかプライドっていうか、オレがちゃんとしてるってこと流川に見せつけてやりたかったんだ。
「待て、洋平。オレがちゃんとお前のこと好きだって事、理解してから帰れ」
「どうだっていいさ、そんなことは。てめえがオレのこと好きだろうが嫌いだろうがもう関係ねえよ。てめえは抱きてえから抱いた。オレは抱かれてえから抱かれた。それで十分だろ」
「それじゃダメなんだよ。このまんま帰ったらお前……落ちるぞ」
流川、そりゃ日本語かよ。オレはてめえが思ってるほど理解力ってもんがねえんだよ。もっと判るようにしゃべれよ。
「オレがどこに落ちるって?」
「……落ちるところまでだ」
ったくよお。勝手にそう思ってろよ。たかがてめえに一回やられたくれえで奈落まで落っこってたまるかってんだ。
「そう思うんなら勝手に思ってろ。てめえが思う通りにはならねえよ」
ようやく外に出てもおかしくねえ程度に身づくろいを整えて、オレはポーチを拾った。気力を振り絞ってドアまで歩く。ノブに手をかけたとき、流川が言った。
「洋平、忘れるなよ。オレはお前が好きだ。だからお前がオレを必要だと思ったら……」
「二度とオレを洋平なんて呼ぶんじゃねえ。そう呼べるのは友達だけだ」
二度とてめえには帰らねえ。オレには今はっきりと判ったから。誰も、花道の代わりにはならねえんだって事が。
帰り道に迷いながら、オレは心のなかで花道の名前を叫びつづけていた。
翌朝目覚めると、オレの身体は微熱に苛まれていた。
身体中筋肉痛で動かねえ。ったくなさけねえよな、たかが流川にやられたくれいで。スポーツなんかほとんどやった覚えもねえが、もうちっとマシな身体してると思ったのに。
何かガッコに行く気力もなくて、オレはさぼりを決めてベッドにもぐり込んでいた。熱のわりにははっきりした頭で考えてほっとする。流川にやられたとき完全に消えちまったと思ってた花道の記憶は消えちゃいなかったから。身体も心も冷静になった今ならはっきり思い出せる。それだけがオレの唯一の救いだった。
家族があわただしく出かけちまって、物を食う気力もねえオレはベッドでうだうだ考え込んでいた。やがてそれにも飽きちまって、疲労も手伝ってかオレは居眠っちまったらしい。再びオレが目覚めたのは、玄関のチャイムの音を聞いたからだった。
どうせセールスかなんかだろうと、オレはシカトを決め込んだ。そのうちに鍵をがちゃがちゃやる音。まさかと思って時計を見るとまだ一時過ぎだ。お袋が帰ってきたにしちゃはええ。オレがいぶかしんでいると、やがてドアが開いたらしく、誰かが入ってきた。
オレの部屋は玄関の真横だ。足音は迷いもしねえでオレの部屋のドアを開けた。
「花道……」
「よ、見舞いに来たぜ」
花道はいつもの調子でずんずん入ってくる。お前、何でこんなとこにいるんだよ。学校はどうしたんだ?
「おどれえたぞ。鍵かかってなかったか?」
「抜かりはねえよ。さっきお前のお袋さんのとこ寄ってきたんだ。お前のこといろいろ聞いて鍵預かってきた。熱がさがんねえんだってな」
お前、その赤頭でお袋のパート先まで行ったんか? ったく、お袋クビんなったらてめえのせいだかんな。
「なんだかな。今朝起きたら全身だるくてよ」
「夜遅かったらしいじゃねえか。お袋さん心配してたぞ。バイトか?」
「まあな。急に残業頼まれちまって」
嘘をつくつもりはねえが、流川のことは花道には話す気になれねえ。ただ、何でもまっ正面から信じちまうこいつに嘘をつくってのは、果てしなく気分が悪かった。
花道はオレの言葉を一パーセントだって疑ってねえ。ベッドに腰かけて心配そうな視線をオレに向けた。
「お前も頼まれると嫌って言えねえところあっからな。まあ、ほどほどにしろや。高宮じゃねえがほんとに過労死しちまうぞ」
「ああ、肝に命じとくよ。それより花道、学校どうしたんだよ」
「めったにさぼんねえ洋平がこねえじゃんか。何かあったんかと思ってよ。午後の授業抜けてきたんだ。部活には出るけどよ」
「悪かったな、心配かけて」
「まったくだ。洋平が普段と違うことすっからこっちまで調子狂っちまう。責任とれよ」
いつもとぜんぜん変わらねえ花道。お前と話してるとまるで何事もなかったような気がしてくるぜ。何かオレ、お前とダチでいられるのが嬉しい。お前の態度が少しも変わらねえのが。
「なあ、花道」
「あ?」
「お前さ、卒業式にふられたとき、オレのこと抱きてえとか言ったじゃんか」
花道の奴、ちょっと顔を赤らめた。
「晴子ちゃんに惚れた今、オレの事抱きてえとか思うか?」
悩んでるな。そりゃそうだろう。高校来てから晴子ちゃん一筋で、そんな事考えたこともなかっただろうから。
「ハルコさんは……何かそういう対象で見たり出来ねえんだ。なんて言うか、ほんとに一緒に登下校したり、公園でデートしたり、そういうの思うけど抱きてえとかは思っちゃいけねえような気がすんだ。だけどオレ、洋平のことは好きで……時々思ってるかもしんねえ。洋平のこと傷つけんの判ってんだけど、それでも抱きてえって時々思ってる。何か、洋平だけはオレ、違うんだ。……ホモだからじゃねえよ。何か、洋平だからって言うか……」
「そうか……」
お前も、忘れてた訳じゃねえんだな。花道の言葉はオレをほっとさせる。あったかい気分にさせる。お前の言葉に嘘はねえから。お前が一番、最高に純粋だから。
「ごめんな、洋平」
「別に謝ることねえよ。ちゃんとオレのこと好きでいてくれてるんだろ? それならちっともかまわねえよ」
「それって、また抱いてもいいって事か?」
目を輝かせて花道が言う。何かオレ、今最高にしあわせだ。
「おいおい、勘弁しろよ。あんなムードもへったくれもねえSEX二度とごめんだぜ」
この先いつか、花道のものになれたらいい。いつになるか判んねえけど、花道が晴子ちゃんよりもバスケよりもオレを見つめて、オレだけを見つめて、最高の時間を過ごせたらいい。
ま、そんなこと百パーセントありえねえけどな。
未来を夢見るオレは、いますべてのものから自由になれた気がした。
了
扉へ 前へ 次へ