ライセンス
さて、百をゆうに越えるキツネ達を流川の部屋から運び出した牧とその連れ達は、大通りの方で起こっている騒ぎを聞き付けていた。車に乗り込むと、牧は車に居残っていた運転手に何事かと尋ねる。運転手も気になっていたところだった。道を変えなければならないかもしれないと様子を探りに行っていたので、ある程度事情を把握していたのである。
「ほんの十分くらい前なんですが、どうも駐車していたマイクロバスか何かがいきなり爆発したらしいんです。重傷者も何人か出たらしいですね」
牧は少し考えるようにする。十分前と言えば、ちょうど洋平と話をしていたころだ。爆発音のようなものは特に気づかなかったが、窓を閉め切ってエアコンをかけていたため部屋まで届かなかったのだろうと納得する。そのこと自体は歓迎すべきことではなかった。しかし自分達に関係ないところで起こった事件にまで、いちいち神経をとがらせる必要はないだろう。
「どうしますか? 道を変えますか?」
「そうしよう。巻き込まれたらことだからな」
「承知しました」
道を変え、騒ぎの中心を避けて牧は帰ってゆく。それがまさか自分達に関係のある事件だとは夢にも思わずに。
宮益が洋平に仕掛けるはずだった爆弾は、電池の入った時限爆弾ではない。実は遠隔操作でいつでも爆発させられる爆弾だったのだ。仕掛けるよう命令した人間は、牧と洋平が接触するのを待って、スイッチを入れたのである。洋平と同じくらい恨んでいた牧を一緒に始末するために。
人を呪わば穴二つ。自分達の乗ったマイクロバスが爆発した瞬間、彼らはそんな言葉を思い浮かべたかもしれない。
この世の中で一番恐ろしいのは、見かけ従順に見えた人間、宮益の恋の恨みだった……ということだろうか。
ま、自業自得ってやつですね、たぶん。
「水戸、便利屋が携帯のメンテをするとか言ってる」
電話中らしい流川がまだ寝たきりのままの洋平に言った。洋平の方は花道が台所で四苦八苦しているところに和室から口を出しているところである。
「言う通りに渡してやってくれ。代わりの携帯受け取ってくんの忘れんなよ」
あれから更に数日が経っている。実のところ、洋平はこの状態がこの上なく気に入ってしまっていた。洋平が寝ている限り花道も流川もとても働き者なのだ。掃除洗濯は欠かさないし、ゴミもきちんと出してくれる。朝だって寝坊なんかしなかったし、洋平が食べたいと言えば、たとえどんなものでも買ってきてくれたのだ。今日は試しに花道の手料理でマカロニサラダとシーフードカレーが食べたいと言ってみた。すると花道は慣れない手付きで包丁を握ってくれたのである。
「洋平、キャベツってこれか?」
「左手に持ってる方がキャベツ、右手がレタスだ。レタスは一枚ずつはがして、キャベツの方は千切りにすんだ。さっき言ったろ?」
「左手ってどっちだっけ」
「……重い方がキャベツだ」
寝たまま料理を教えるのは一苦労である。だが、洋平は楽しかった。そう、たとえ千切りが花道の手にかかって微塵切りになってしまったとしても。
そうこうしながらやっとこさ出来上がったころ、かなり遅くなって流川が帰ってきた。手には新しい携帯電話を三つ持っていて、二人にそれぞれ渡してくれる。テーブルには花道の苦心のカレーとコールスローになってしまったサラダが並んで、ささやかながら晩餐が始まったのである。
洋平も食事に起きられるくらいには回復していたから、椅子に座ってビールで乾杯。誰も止める人間などいないから、こういう無茶も通ってしまうのである。
「また短縮入れ直さなきゃだな」
洋平のつぶやきに、流川は前々から疑問に思っていたことを口にした。
「どうして携帯にメンテがあるんだ」
これまでも数回、三人の携帯は洋平によってメンテに出されているのである。
「こいつは送信番号と受信番号が違う特別製なのさ。だから時々送信番号を変更しねえとヤバいんだよ」
意味不明の流川の視線を受けて、機嫌のいい洋平は懇切丁寧に説明してやった。
「つまりだ、この携帯の受信番号はオレの電話番号な訳だ。だからオレの携帯に電話をしようと思ったら、オレの電話番号をかけりゃいい。だけどオレが今度電話をかけようとしたとき、この電話の番号はぜんぜん違う番号になっちまうんだ。どっかの金持ちが持ってる携帯の番号になってんだよ。そうすっと、どういうことになると思う?」
その意味が、流川にもやっと判っていた。
「電話料の請求がそっちにいくって事か」
「その通り。だから時々怪しまれねえように番号変えとく必要があるのさ。別に電話代くらい惜しかねえけど、オレ達は素直に携帯電話契約できる立場じゃねえし、高宮はそのへんの差額で儲ける訳だから、そういうことも必要なのさ。特に今回お前ら電話かけまくっただろ。怪しまれて困るのは奴だからな、協力してやらねえと」
話に夢中な二人の様子が花道の癇にさわっていた。せっかく苦労して作った夕食なのだ。味わわないでただ流し込まれては悲しいというものである。
「そんなことよりオレのカレーはどうなんだよ。うまいだろ?」
「ああ、最高。さすがは天才」
「うん、そうだろう」
もう少し味わわずにただ流し込んでいたかった流川であるが、そうと口に出すことはしなかった。
「そういやパスポートの件、何て言ってた」
「あと二週間もあれば余裕でできる。……医者がそのころにはお前の身体も大丈夫だっていってたから、飛行機の時間を決めてきた。二週間後の大安、夜八時のラスベガス行きだ。あいつが手配してくれる」
二週間後の大安、夜八時にラスベガス。
その日、三人は旅立つのだ。洋平の中で急に現実みを帯びてくる。今度の旅立ちはただの旅行ではない。行ったら最後、しばらく日本には帰って来られなくなるのだ。
し残していることがあるような気がする。会いたい人が、いるような気がする。
「洋平、アメリカ行きたくねえのか?」
花道の言葉に、洋平は笑顔を作った。それはいつもの洋平の笑顔。
「そんなことねえよ。何でだ?」
「なんとなく。洋平が寂しそうにした」
日本でずっとラビットの名前で泥棒をしていたらいつか会えるような気がしていたのだ。たった一人、まるで育ての親のように慕っていた、あの人に。
しかし、会えない方がよかったのだと思い直す。最後の仕事になったあのとき、彼は洋平を嵌めた。洋平を裏切った。運の悪い方が捕まるように仕組まれていた気がする。そして、捕まったのは彼の方だった。
前科を背負った泥棒の末路など見たくないような気がする。これでいいのだ。惨めに生き続ける彼の姿など、本当は見たくなかったのだから。
「日本を離れることよりお前と離れることの方が寂しいさ。この世の中にお前くらい手のかかる奴はいねえからな」
「何でだよ! オレなんかよりずっと迷惑な奴がもう一人いるじゃねえか、ここには!」
「……どあほう」
「うるせえキツネオタク!」
「単細胞原人」
「なんだとコラァ!」
流川の単細胞原人に大笑いしながら、洋平は思う。どこにいても自分は水戸洋平で、それは少しも変わらないのだと。この仲間のいる場所が、洋平が一番洋平でいられる場所なのだと。
花道が初めて作ったカレーは、妙にしょっぱくて、不思議に苦かった。
ほとんどの家具は牧に頼んで引き取ってもらった。洋平の部屋にあった機械類は、その多くが便利屋高宮からの長期レンタルである。商売柄引っ越しには慣れている。必要なもの以外手元に置かないのが、洋平達泥棒の流儀だった。
思い出の品など最初からない。身軽であることも泥棒の必須条件なのだ。だから持ち出した荷物はボストンバッグ一つだった。数日分の着替えとわずかな金。それから、出国に必要な書類と片道分の航空券。
そして三人は国際空港にいた。一年と少し前、流川をつれて降り立った場所。あのとき洋平は決心したのだ。命を助けてくれた代わりに、流川を一人前の泥棒にするのだと。
そして今、流川は泥棒になり、再び日本を後にする。それは師匠洋平が認めた盗みのライセンス。だが、流川自身はまだ、自分がいつの間にかどこに出しても恥ずかしくない程の泥棒になったことに、気づいてさえいなかったりするのだ。
「そろそろじゃねえのか?」
花道が時間を気にしだせばそろそろである。洋平は立ち上がり、傍らのボストンバッグを担いだ。そして先に立って歩きはじめた二人の後についてゆく。夜間飛行であるのにかなり混雑の残るロビーを、搭乗口に向けて歩いていった。
これが別れ。あるいは始まり。
不意に、洋平は振り返っていた。まるで誰かに呼び止められたかのように。
「どうした、洋平」
花道と流川も振り返る。二人が見ている前で、洋平は何かを探すような仕種をした。そんな洋平を、二人はなにも言わずに見守っていた。やがて洋平は二人に気づいて、笑顔で振り向いたのである。
「気のせいだったみてえ。何か誰かに呼ばれた気がした」
日本に残してきた数々の想い。過去の憎しみも愁いも、すべてここに置いてゆくのだ。もう、戻らないかもしれない。残してゆくのは、洋平が感じたたくさんの思い出達だった。
「日本が呼んだのかもしれねえよ。洋平のこと手放したくねえって」
ロマンチストなのか、花道が言う。二人に驚いたような変な顔をされて、花道は自分の言葉に顔を赤くしていた。
「……そうかもしれねえな。バカな子ほど可愛いいって言うし」
「オレのことか!」
「ハハハ……ばーか!」
それからはもう振り返らずに歩いてゆく。進む道は一本道。だから迷わずに行けるような気がする。未来だけを見つめて生きていく。今までただ泥棒として生きてきた自分自身のために。
そしてこれからは、新たなる挑戦の日々。
了
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