ひとつ屋根の下
監督のいないインターハイ全国大会。おれたちは不安で、それでも監督のためにも全国制覇の知らせを持って帰りたい思いで一杯だった。ベンチにいるのは名ばかりの監督でバスケットボールはまるで素人だった。タイムは誰が取るのか、作戦の指示は誰が出すのか。オレ達はそんな基本的なところから全部組立てなおさなきゃならなかったんだ。
うちのチームには今、一番基本になる柱がいなかった。だから誰かがその柱にならなけりゃならない。ガードのオレはその柱を目指した。二年のオレがそうそうでしゃばる訳にもいかなかったけれど、いざという時に誰よりも頼りにされるガードになろうと、オレは自分に言い聞かせていた。
目の前の敵は大阪代表の豊玉高校。去年は攻撃型のスピードのあるチームだった。監督が替わってもそのスタイルは変わらない。それはオレ達翔陽にはまさにうってつけだったんだ。
今年の翔陽は比較的身長がない分、速い攻撃で点を取ってきた。同じようなタイプのチームでしかもディフェンスも甘いとなれば、分はオレ達の方にある。なぜならオレ達は本来、ディフェンスがいいチームだからだ。事実、オレの変則的なシュートには誰もついてこれなくて、オレのシュートはおもしろいように点に結びついていた。
開始十一分、今やペースは完全に翔陽のものだった。オレが今日二十得点目を挙げて攻撃が変わったとき、それまでオレのマークについていた九番の二年生フォワードにそのままマークにつく。動作の荒っぽい危険な男だった。だが、この男のシュートの微妙なタイミングに合わせたディフェンスができるのはオレしかいなかった。
「……大したもんや」
大阪弁でぼそっと話しかけて来る。そういえばこの試合、この男がしゃべったのは初めてかもしれない。
「スタメン唯一の二年生でありながら……」
九番にパスが通る。このままシュートで来るのか、パスで戻してスリーポイントにいくのか。オレ以外にはこの男は止められない。
「お前がエースや」
殺気を感じた。いや、本当はどうだったのかわからない。ただの偶然だったのか、オレがこの男を甘く見過ぎてただけなのか。
倒れて気を失う瞬間、オレの頭の中には南という男の低い声だけがリフレインしていた。
そしてオレが再び目を覚ましたとき、オレの目の前には花形がいて、心配そうな顔で覗き込んでいた。
オレがいたのは殺風景な部屋のベッドの上だった。一瞬にして記憶の戻ったオレは、勢いよく起き上がりざま花形に言った。
「花形! 試合は……」
どのくらい眠ってたのか判らない。間に合うなら今からでも復帰して……
「終わったよ。三十分くらい前に」
花形の声は穏やかだった。だから結果は聞かなくても判るような気がした。オレが最後のシュートを入れたとき、点差は五点だった。それまでの得点の半分を挙げていたオレが抜けたんだ。逆転されるまでそう長い時間は持たなかっただろう。
「ほかのみんなは?」
「お前が目覚めるまではいるって言ってたけど、いつ目覚めるかも判らないからオレが代表で残ってたんだ。医者は脳震盪だって言ってたけど、念のため病院で検査した方がいいって。気分は?」
「……吐き気がする」
そう言ってオレはまたベッドにもぐり込んだ。身体の具合はそう悪くない。少し頭に痛みが残ってる程度だ。だけど、気分の方は最悪だった。今日の試合に負けたのはオレのせいだったから。
オレはチームの柱になりたかった。そして、そう振る舞ってこれまで勝ち進んできた。いざという時に頼りにされる奴にいつの間にかオレはなってたんだ。だけど、頼りにされた奴は実際は頼りない奴だった。チームの柱は絶対にケガなんかで退場する訳にはいかなかったんだから。
オレにとってのチーム作りは根底が間違っていた。オレが目指さなければいけないチームは、オレがいなくても十分に戦い抜けるだけの力を備えたチームだったんだ。
南という男が言った。オレがエースだと。翔陽の大黒柱はもうキャプテンじゃない。このオレなんだ。
「藤真、医者を呼んで来るか?」
「いらない。……花形、今年の二年はガードの層が薄い。オレが抜けたら誰もチームを引っ張れない」
「藤真……?」
「一年のガードのトップは誰だ?」
話が見えないのかもしれない。それでも聞き正そうとしない花形はオレには助かる存在だ。思考が中断されなくてすむ。ちょっと考えて、花形は言った。
「伊藤が伸びてる。シュートセンスもある」
「伊藤か。花形、永野、高野に長谷川。それに伊藤が加わるか。でかいチームになるな」
「藤真?」
「来年、オレはお前が中心のチームを作る。センター花形のためのチームだ。前に言ったな花形。誰にも負けない最強のセンターになるって。オレはお前のためのチームにする。だからもう一度誓え。必ずオレの期待に応えるって」
花形、お前はオレのセンターだ。出会って初めてお前を見たときから感じてた。オレのチームにはお前は必要不可欠な存在だって。
「約束する。オレは最強のセンターになる。お前はお前の目指すチームを作れ。オレが必ずその夢かなえさせる」
「今年のインターハイの借りはでかい。高利回りの利息付きで返してやる」
全国に敗れたこの日、オレはこれからのチームに向けて新たな一歩を踏み出していた。
インターハイが終わって、翔陽のほとんどの三年生は引退になる。中には次の選抜大会に出るために部に残る先輩もいたけど、実質の引継ぎはインターハイが終わった時ってことになるから、当然新しい主将の選出もこの時期行われた。実績からいえばオレはキャプテンの一番候補だっただろう。だけど、オレは自分に人望があるなんて思ってなかったから、誰が選ばれても不思議はないと思っていた。花形は人望もあるし、勝手に適任なんじゃないかと思っていたんだ。
だから、前キャプテンがオレの名前を発表したときは、オレはけっこうびっくりしていた。更にほかの連中が笑顔で拍手してくれたときには、びっくり通りこしてかつがれてんじゃないかと疑ったんだ。
「お前以外の全員に聞いてみた。お前の名前挙げなかった奴は一人もいなかったぞ。オレが保証する」
前キャプテンの白木先輩にいわれて、オレは改めてみんなの顔を見た。一緒にバスケ部で頑張ってきて一年と数か月。その間にオレのことを判ってくれた奴がこんなにたくさんいたってことに、オレは感動を覚えていた。キャプテンは実力だけじゃ選ばれない。みんながオレの人間性も評価して選んでくれたんだ。
「ありがとうございます。期待に答えられるように頑張ります。……たぶん先輩みたいにうまくはできないと思うけど」
「そういう科白を吐くからお前は誤解されるんだよ。今なら判るけどな。お前が見かけとも実力とも釣り合わないくらい謙虚な奴なんだってことが」
オレはきょとんとして先輩を見た。そんなオレを、回りの連中は笑った。
「何で笑うんだ?」
そう言ったオレを見てさらに回りの奴らは笑う。いったい何がおかしいんだよ。オレはおかしいことなんかひとっことも言ってないぞ。
「だからさ、お前の場合見かけとのギャップがあり過ぎるんだよ。まさかオレもお前がこういう奴だとは思わなかったもんな」
「そうそう。この顔であの実力だろ? ここまでとぼけた奴とは知らなかった。これで謙虚なこと言うからな。オレも最初はばかにされてると思ったよ。お前が謙虚なこと言うときは本当に謙虚な気分になってるときなんだよな」
「先輩にも意見する生意気な奴だったしな。でも一番チームのこと考えてる。……インターハイでスタメン戦ってみて判った。お前のプレイが全部証明してた。来年のチームが楽しみだよな」
先輩達の話を聞きながら、オレは初めて実感していた。オレは今誤解されてない。初めてオレは本当の意味でチームに溶け込むことができたんだ。
「来年こそは全国制覇だ。だけどその前に海南に勝て。オレ達にはできなかったけど、万年二位もそろそろ飽きてきたころだろう」
「はい。必ず」
こうしてオレはなごやかな雰囲気のままチームを引き継ぐことになった。ただ、オレの中には入院したまま戻ってこない常盤田監督の存在が重くのしかかっていた。
その日の夜、オレは勉強もしないでひたすら読書に暮れていた。
引継ぎを終えてオレは今までのチームの資料も先輩から引き継いだんだ。これまでの戦跡から日々の活動日誌。これからはオレが毎日綴っていかなければならない資料の山だ。目を通して改めて先輩達の偉大さが判る。一つのチームを育てるってことは、メンバー一人一人を本人達以上に知る作業から始めなければならなかったんだから。
勉強の苦手なオレが一日目にして匙を投げそうになっていたその時、オレの部屋のドアがノックされたんだ。
「藤真、起きてる?」
「ああ、入れよ」
花形が入り口をくぐって入って来る。こいつもこの一年でかなり身長を伸ばした。もうオレと十五センチ以上は違うだろう。
「忙しそうだな」
「構わないさ。ちょうど飽きてきたところだ。何か用か?」
「話しておこうと思って」
花形がオレの部屋を訪ねて来ることはあまりない。その上何か意味ありげな事を言うから、オレもちょっと緊張して床に座り直した。
「話しておく、って、なに?」
「ずいぶん前の話だ。予選のレギュラー発表の時、お前がレギュラーを外された。オレ、あのあと理由を聞きに行ったんだ」
ちょっと待てよ。それって、すごい昔の話だぞ。だいたい今はオレはちゃんとレギュラーな訳だし、いまさらその時の理由なんて……
「それで?」
「白木先輩はちゃんとオレに話してくれた。その理由が園田先輩のほとんど強引なプッシュだったって。藤真は一度レギュラーになった。だけど園田先輩は一度もレギュラーになれなくて、このまま三年間の努力をふいにはしたくないって。藤真は来年もチャンスがあるんだからここは一つ自分をレギュラーにさせてくれって」
「勝手だな。ほかにも三年間一度も試合できなかった人間は翔陽バスケ部の歴史上に山ほどいるんだぜ」
「ああ、オレも勝手だと思う。だけど白木先輩は聞き入れた。……そんな話をしたからだと思う。園田先輩が突然退部届を出したとき、白木先輩はオレにその理由を聞きにきたんだ」
そうか。花形が本当に話したかったのはこっちのことか。
「で?」
「白木先輩は藤真と園田先輩の間に何か確執があるんじゃないかって思ってた。レギュラー決めたときに園田先輩としゃべってて感じたんだって。藤真と園田先輩は中学も一緒だろう? その時に藤真は園田先輩の恨みを買うようなことをしたとか、そういうこと思ってたらしいんだ。で、今回も不藤真が園田先輩を追い出すような画策をしたんじゃないかって。……オレ、藤真がそういう誤解受けるの耐えられなかった。だから、あの日園田先輩と藤真にあったこと、全部白木先輩に話したんだ」
オレはあの日のことを思い出して身体に震えが来るのを感じていた。花形の話を聞いていればこいつがオレのためを思ってしてくれたことなんだってことは判る。だけど、オレに黙って他人にそんな話をするなんて、それはオレの信頼を裏切るのと同じだ。確かに口止めなんかしなかったけど……
「悪かったと思ってる。お前に黙ってこんな話を人にするなんて、オレは今考えても最低な奴だと思う。お前の気持ち思ったらこんな話できるもんじゃなかった。だけど、話さないでいたらいつまでもお前は誤解されて、園田先輩だけが悲劇の男になって、そんなのオレ耐えられなかった。藤真はなにも悪くないのに……。何でも言ってくれ。オレ、お前の言うことには何でも従う。この家出ていけって言うなら出ていくよ。もう二度と顔見たくないって言うなら……」
あの時、白木先輩のオレに対する態度は少しも変わらなかった。変わらなかったから気づかなかった。花形がそんな話をしていたこと。
ほかの連中の態度も誰一人として変わらなかった。たぶん、花形はしっかり白木先輩に口止めして、ほかの連中にはその話は漏れなかったんだ。結果として白木先輩のオレに対する誤解は解けて、オレは無事に引継ぎを受けて主将になった。今花形が告白しなければ、オレはそんな会話が交わされたことを一生知らずに過ごしたことだろう。
花形が果たしていいことをしたのか悪いことをしたのか、オレには判断できなかった。だけど、これだけはいえる。花形は悪い奴じゃない。オレは花形が悪い奴じゃないことを信じる。
「お節介っていうか人がいいっていうか、損な性分だなお前も。偶然とはいえオレみたいなのと友達になっちまったからいらぬ苦労しょいこんじまって。……まあ、なにしてもらうかはそのうち考えとくよ。だいたいお前のこと追い出したりしたら母親に半殺しにされちまう」
顔を上げた花形は呆然としてオレを見つめた。よほどオレの言葉が意外だったみたいだな。信じられない! かなんか言って泣きだすとでも思ったのかな。
「だいたい元はと言えばお前がオレがレギュラーになれなかった理由なんか聞きに行ったのが原因なんだからな。少しは反省してそのお節介を直せよ。身がもたないぞ」
「藤真、お前、怒ってないのか?」
「悪いことしたと思うなら海よりも深く反省しろよ。それはオレが怒ってようと怒ってなかろうと関係ないだろ? オレはそうそう複雑な奴じゃないから口に出した以外のことは考えてないよ。安心しな」
そうか、明日からはもう白木先輩はいない。オレが意識しないように花形は今日告白したんだ。お前の思いやりの一つ一つが判るたびに怒る気なんか失せちまうよ。
「藤真は強い。オレには真似できない。どうしてそんな風に強くいられるんだ」
花形のその言葉はオレをこれ以上はないほどに驚かせた。初めて聞く言葉だった。
「強い……か? バスケ選手としてって意味じゃないよな」
「違う。何て言うか……藤真は人を信じることをためらわない。他人の判らない行動を全部いい意味に解釈する。……前にオレ、藤真に聞いたことがあるよな。園田先輩のことを嫌いなのかって。その時藤真言った。オレには嫌いな人なんかいないって。……その時はオレ、藤真って人間は裏切られたり傷つけられたりしたことがないんだと思ってた。いつも幸せだったから、嫌いな人がいないんだって」
花形が言うのは確か、入学した直後園田先輩に声かけられたときの出来事だった。その時は花形はオレが普通人にどう思われてるか知らなかったんだ。だとしたらそういう誤解が生まれても仕方ないような気がする。
「だけどオレ、一年以上藤真と一緒にいて判ったことがある。藤真はオレが見た限りではいつも傷つけられてた。たぶんずっと、中学のころから藤真の回りってのはそうだったはずだよな。オレが初めて思った藤真幸せ説は間違いだったんだ。それでもなお嫌いな人がいないって言えるだなんて、オレにはもう強いとしか言いようがない。それでも人を信じることをためらわずにいられるなんて、すごいよ、藤真は」
……なんて言うか、オレにもいくつか判ったことがある。花形は花形なりにオレを誤解してるんだ。初めて出会ったとき、お互いの回りには誰もいなくて、二人とも目の前の相手をとりあえずいい奴だと思うことにした。一緒に過ごしているうちにその確信が強まれば、多少他人の意見が耳に入ったところで揺らぐものじゃない。そうして培われた感覚はほかの連中の誤解とは逆パターンのものだ。花形はきっと、こっちのパターンの誤解に落ち込んじまったんだ。
オレはそれで納得した。花形の言う強いという言葉を辞退するために。
「それってたぶん、オレが鈍いってことだと思うぞ。オレ誰かに何か言われても傷つけられてる気がしねえもん」
そういえば繊細な奴ほど弱く見えるもんな。鈍い奴が強く見えたって不思議じゃない。
「それは違うよ藤真。……うまく言えないけど、それは違う」
花形が見ているオレがどういうものなのかオレには判らないけど ――
この誤解を解くのはほかの連中の誤解を解くのとは訳が違うな、と、オレは思い始めていた。
夏休みが終わると選抜に向けての練習が始まる。主将になったオレはさまざまな雑用に追われ、忙しい日々を送っていた。だけどそんなことよりもオレを悩ませたものがある。二年生の二学期には進路を決定しなければならないんだ。
大学に行くつもりではある。だけどオレの成績は断然下から数えた方が早かったし、そもそも勉強ってものにまるっきり魅力を感じなかった。全国でいい成績でも残せればスカウトって手もあったけど、そんなものが今から計算に入れられる訳もなし、オレは母親と先生に相談しながらのたうち回っていた。
花形はいいよな。バスケでポシャッても実力で大学に行ける。成績のいい奴が果たしてどんな大学に行けるのかなんてオレは知らないけど、もしかしたら国立大くらいは狙えるんじゃないだろうか。オレなんてあと三年頑張ったって国立大なんか無理だ。一浪しても海南大がいいとこか。でも牧の後輩になんか絶対なりたくないしな。
そんなこんなで数日間オレはのたうち回り、仕方なくオレは自力で進学する決意を固めた。オレは文系よりも理数系の方がわずかながらも強い。でも今からなんとかなりそうなのは文系の方だ。大学の入試科目を調べて吟味に吟味を重ねて受験科目だけを徹底して勉強する。オレが今から大学に入るためには結局のところそれしか方法がなく、選び抜いた四科目でなんとか勝負を賭けることになったのだ。
日曜日、花形をつきあわせてオレは参考書と問題集を買い漁った。本屋で二万円も使ったのはこれが初めてだ。
「ただいま。……ああ、花形サンキュ。ここに下ろしていいぜ」
「ああ」
「おかえり健司。……あらあら、すごい量ねえ。ほんとにこんなに勉強するの?」
母親が数と言わずに量と言ったことでも判るとおり、オレが本屋で買った参考書の数はものすごい。一人じゃ抱えきれなかっただろう。
「するしかないよ。できるかどうかはまたあとの話だ」
「まあ、ムダ金にならなければいいけどね。透君、これだけ勉強すれば健司でも大学入れるの?」
「ぜんぶ頭に入れて、本番で発揮できれば大丈夫だとは思いますけど」
「せいぜい見てやって頂戴ね。透君も大変だと思うけど」
「はい、まかせてください」
なに二人で結託してるんだよ。勉強するのはオレなんだからな。ただでさえこの参考書の山でびびってるってのに。
「今までさぼってたあんたが悪いのよ。透君みたいに毎日勉強してれば土壇場になって慌てなくてもすむのに」
「お母さんの息子に花形並の頭を要求しても困るよ」
「だから環境は整えてあげたでしょう? 今までの下宿人、みんな秀才だったわよ。利用しない健司が悪いの。参考書の山の前で自分のおろかさを反省しなさい」
……うう、返す言葉もない。オレは何も言えずに本の山を抱えて部屋に戻った。花形も一緒に本を運んできてくれて、そのあと一緒に勉強の計画を立て始めた。
「お前の言うとおり買ったはいいけどさ、どれから手えつければいいんだ?」
「まあ、それもあとから決めるけど、まずどの教科から始めるか決めないと。藤真は一つのこと集中的にやるタイプ? それとも飽きがこないようにいろいろ混ぜてやるタイプ?」
「勉強なんてあんまやったことないから判らない」
「そうか。……そうだな、藤真は割と飽きっぽいからいろいろ混ぜた方が能率が上がるかもな。一つずつ片つけても受験のころには最初にやったこと忘れそうだし」
……よくご存じで。確かにオレは飽きっぽいし忘れっぽいよ。
「なんでもいい」
「なんでもいいじゃないだろ。本屋にいたときも参考書の選別ぜんぶオレに任せっきりで。自分のことなんだから自分でも少し考えろよ」
「まさかあんなにあるとは思わなかったんだよ。何か疲れちまった。今考える元気なし」
「仕方ねえな。それじゃ一緒に考えてやるから今日中に計画書だけでも作っちまおう。四教科同時進行はいいか?」
「OK」
「それじゃ、勉強時間だけど、藤真は集中力は何分ぐらい持つ?」
おい……そんなこと知ってる奴この世にいるのかよ!
「判んねえよ。そんなの計ったことねえし」
オレがイライラしてるのが判ったんだろう。花形は吐息をついて気分を変えるようにいった。
「それじゃ質問を変える。藤真、映画は好きか?」
ずいぶん唐突に変わったもんだ。オレは頭をめぐらせながら言った。
「テレビでやってるのとかは見るけど、そんなに映画館に通ったりはしないな。……もう丸二年ぐらい劇場行ってないよ」
「それじゃあその時のこと思い出してほしいんだけど、映画館で終わりまで映画にのめり込めたか? それとも途中で我に返ったりした?」
なるほど。これが集中力な訳か。オレは思い出しながら答えた。
「半分くらいで我に返ったかも。……どうかな。時間は判らないけど最後まで持たなかったことは確かだ」
「それじゃ、オレと同じサイクルだな。五十分やって十分休み。たぶんこれが藤真には一番合ってる」
「何でだ?」
ずいぶん自信ありげに言う花形に、オレは不安を隠せなかった。だって、今の会話からそこまで細かい数字割り出せるはずないじゃないか。
オレの疑問に、花形は当然のように答えていた。
「前半が二十分、十分の休みが入って後半が二十分。計五十分。藤真の身体にはその時間がしみついてるはずだよ。試合中に藤真の集中力が乱れたのを見たことは一度だってないからな。でもまあ、連続がきつかったらハーフタイムには休んでもいいってことで」
「試合の集中力か……ぜんぜん気づかなかった」
「バスケットでよかったなお互い。バレーボールやテニスだったら点数制だから時間割り出すのも一苦労だ」
「まったくだ」
なんか俄然やる気になってきた。要は集中力。オレにはバスケットボールで養った集中力って強い味方があるじゃないか。いっとくけど試合でのオレの集中力は並じゃないぞ。まあ、それが勉強に百パーセント活かせるかどうかははなはだ疑問だけど。
「あとは勉強の時間だな。部活もあるし、個人練習の時間削らないときついだろ。ベストの睡眠時間知ってるか?」
「知らねえ。いつもは八時間くらい寝てる気がするけど」
「それじゃ、六時間でとりあえず一か月やってみよう。身体きつかったら一時間減らして一か月。ベストが決まるまで減らす」
「減らすのかあ? 死んだら誰が責任取る!」
「誰も取らない。自分の勉強だからな。藤真が自分でやるしかないんだ。大学でバスケやりたかったら死ぬ寸前まで頑張れ。誰も代わってくれないんだ」
シビアだよな。こいつこんなにシビアだったっけ。勉強にこんなに厳しい奴だったとは今まで一年半もつきあってきてついぞ知らなかったよ。
「決まったな。朝六時に起きて朝食して六時半から朝練。夕方六時まで部活で、帰って八時までに食事と風呂と宿題終える。そのあと四時間が勉強時間。十二時就寝。よく眠れるぞ」
「鬼だなお前。マジでそのスケジュールこなせってのか? オレになんか恨みでもある?」
と、言っちまってから思った。恨みとか本当にあって、花形に正直に答えられたらどうしよう。花形はまじめな奴だ。冗談が通じないようなところもある。
でも、そんなオレの心配をよそに、花形はちょっと下を向いてぼそっと言った。
「同じ大学、行きたい、オレ。藤真と」
……え?
まさかそんなこと考えてたのか? 花形の奴。だいたいオレとお前じゃ天と地ほど成績に差があるんだぜ。いくらオレが頑張ったってお前のランクまで成績上げるなんて不可能だよ。
「お前……ランク下げるのか? オレのレベルじゃどう頑張っても海南大がいいとこだぞ」
「下げない。だから藤真に頑張ってもらいたい。……さ来年もオレ、同じチームでプレイしたいんだ」
「そりゃ翔陽が全国制覇するより可能性薄いな」
言いながら、オレはなんとなく頑張ってみようって気になっていた。花形のためって訳じゃないけど、今までわがままらしき事を言ったことのない花形の、初めてのわがままにつきあってみるのも悪くないような気がしていたから。
まあ、結果は結果だ。勉強と部活の両立なんて柄じゃないけど、とことん極限まであきらめずにいればいいこともあるさ。
オレは割と楽天的に、受験体勢に入ったのだ。
年が明けて、オレ達バスケ部に不穏な空気が流れ始めていた。
常盤田監督の容態が日に日に悪化していったんだ。オレ達も代表者だけで一度見舞に行ったけど、会わせてもらうことすらできなかった。それでもオレ達は監督の復帰を信じていた。いつか病気に打ち勝って元気な姿をみせてくれると。だから代理の監督も立てなかった。いつ帰ってきてもいいように席を空けて待っていたんだ。
監督自身は新しい監督にきてもらうことを望んでいたらしい。その方がオレ達のためになると思ってくれたんだろう。だけど、オレ達はそれを望まなかったし、学校も真剣に新しい監督をさがすことをしなかった。その理由は判らない。ただ、そんな状態でオレ達は中途半端なままバスケに取り組んでいかなければならなかったんだ。
そして、オレ達が三年になる直前、監督の容態は急変した。今までの永い闘病生活が嘘のようにあっけなく、監督はこの世を去った。オレ達の誰も、監督の死に間にあわなかった。たった一人で、監督は逝ってしまったのだ。
オレはただ一人、延ばし延ばしにしていた現実に直面していた。
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