FINAL QUEST 1



     4

 海、だった。
(……光の子よ……。光のもの達の生み出した唯一無二の神の子よ……)
 光の海。混じりっけなしの光だけが存在する、翳りのない光の世界。
「誰か、いんのか?」
 どこから聞こえて来るのか判らない、遠くからなのか、あるいは意外と近いところから聞こえるのか。響くことも不明瞭になることもない、ひどくはっきりと聞こえる声。声に反応して、花道であったはずの人間は、周囲を三百六十度見回す。
 不思議な感覚だった。首を回したとか、身体をひねったとか、そういうことを一切したつもりはない。だが、自分の回りに光の海以外のものが存在していないことが判るのだ。そう、自分の身体が光を遮り、結果としてできるはずの自分自身の影ですらも。
 意識ははっきりしていた。だから不思議に思い、焦りに駆られた。首を動かす必要はないのだ。今の花道には、自分の身体すら、存在していなかったのだから。
「……なんだよこれ! オレの身体、光に溶けちまったってのか!」
 神木に触れた瞬間、光の衝撃に身体中がそれこそ原子のレベルまで分解されてしまったような気がした。そして今花道の周囲には光の海がある。花道の身体は分解し、拡散して、光そのものの光の海になってしまったのだろうか。
(桜木、お前は光の子。神木の子。そして神の子)
 再び、朗々とした声がひどくはっきりと聞こえる。どこから聞こえるというのではない。声がする方角というのが判らないのは、もしかしたらその声が自分の内部から聞こえるからなのかもしれない。
「……なに判らねえこと言ってんだよ。オレは桜木なんて名前じゃねえ。花道ってりっぱな名前があんだ。洋平がつけてくれた名前があんだ」
 見えない相手に反抗の言葉を投げつけながらも、花道は自分の言葉に自分で不安になっていた。もしかしたら桜木という名前は本当の自分の名前かもしれないと。洋平が水戸という魔物であるならば、洋平にある水戸という本名が、自分にもあるかもしれないのだ。
(光の子はひとたび道を違えた。しかし運命の導きが本来あるべき道と、違えた道とを再び交わらせた。この道は違えてはならない。正しい道を違えてはならない)
 花道の中に、光の国からの声が圧倒的な意志をもって流れ込んできていた。抗うことすら許されない強い意志。心の奥底でくすぶり続ける不信感は捩じ伏せられ更に奥へと沈んでゆくようだった。その、捩じ伏せられ沈んでゆくものは花道が人間として、洋平の子として生きてきた時間につちかわれた花道自身の意志だった。
 だが、花道には花道が人間として生まれ出る前から、神によって植えつけられた宿命があった。その宿命が、人間としての十三年間に培われた花道自身を凌駕したのだ。まるでそれまでの花道の人生がまるっきり無駄なものであったかのように。洋平との思い出も、数々の想いも、不必要なものとして排除しようとしていたのだ。
 価値観も感情も、圧倒され押しのけられ深みに潜ってゆく。そして代わりに広がるのは光の子としての怒りと憤り。魔物の王に対する人間達の怒り。悲しみ。それは花道自身の一つの経験によって象徴された。今よりもっと子供だった花道が、ひと夏を過ごした村で出会った少女の死。
 魔物は人を殺し、人々の生活をおびやかす。その怒りと悲しみは神に対する祈りとなり、花道を生み出したのだ。魔王を倒し魔物を封印するものとして花道は生まれた。花道は選ばれたのではない。最初から魔王を倒すものとしてのみ、生命を与えられたのだから。
 魔王を倒さなければならない。それは花道の魂に刷り込まれた神の、そして人々の意志。魔物達を根絶やしにしなければならない。それが、神々が花道に与えた使命。
 それを、花道は理解した。そもそも最初から花道はそういう存在だったのだ。人間が人間であることを理解するのと同じように、花道は自分が光の子であることを理解した。人間が成長して大人になり、新しい生命を育むことを理解するように、光の子が成長して勇者となり、魔王を倒すことを理解したのだ。
 自分は勇者なのだ。そのことを花道が理解したその時 ――
 花道はベッドの上で目を覚ました。

「は、花道ぃ! お前、目え覚めたのか? ほんとにほんとに覚めたんだな!」
 感激のあまり涙ぐむ高宮が目の前にいた。花道は身体を起こそうとして、自分の身体が光の海で消えてなくなってしまった訳ではないことを知った。
「よかったよぉ。ちっくしょー! 心配させやがって!」
 言葉通り、高宮は大げさなしぐさで喜びを表現した。だが、その瞳はなぜか不安そうな表情のまま花道を見つめている。花道の目覚めをただ単純に喜んでいる訳ではないことは、花道にも判っていた。
 回りを見回すと、そばにもう一人、忠もいた。忠の方は高宮より遥かに冷静で、視線が合うと少し笑った。だが、同じ不安な表情は瞳の奥に隠していた。
「オレ、神木に触って……」
 回りの風景は、花道が光の海に行く直前の状況とは明らかに違っていた。花道は広めの一室のベッドに寝かされていたのだ。部屋に差し込む日の光はすでに夕刻であることを物語っている。光の海にいた時間は花道の主観にすればほんの少しのことであったから、花道は少なからず驚いていた。
「そのあとのことは覚えてねえのか?」
 忠の言葉に、花道は言葉を濁した。覚えていることもある。だが、たぶんあれは現実のことではなく、現実の二人に話したところで今の質問の答えにはならなかっただろう。
「お前、神木の光に包まれたんだ。すごい光だった。そのあと気を失っちまって……オレ達もかなりショック受けて、だけどお前が一番光の真ん中にいたから、ショックで気を失って……とにかくここまで運んでもらったんだ。どうしてお前がこんなことになっちまうのか、オレ達には判らないんだ。だけど、村の奴ら、興奮しまくっちまって」
 忠の言葉の重複や歯切れの悪さが、花道に何かを予感させていた。心ここにあらずという雰囲気。その理由は花道には判らなかった。だが、まず最初に彼らに言わなければならないことがあるということは、花道も理解していた。
 それを言うことで、彼らが背負う重荷の何分の一かくらいは軽くできるような気がしたのだ。
「忠、高宮。オレ、判ったんだ。オレがただの花道じゃなかったってこと。……オレ、光の子だったんだ」
 その花道の告白に、二人は沈黙で答えるよりなかった。二人とも、その可能性を少しも考えていなかった訳ではなかった。花道が光に包まれ、やがて光の中から再び姿を現わしたとき、倒れていた花道はそれまでの花道ではなかった。回りの和光村の神官や巫女達は、そんな花道の姿に狂喜したのだ。そして次々に口にした。光の子と。この子こそが神につかわされた勇者、桜木であると。
 この村に来てから今まで、二人は花道とともにある程度この村の歴史は聞かされてきた。だから、花道に変化が起こり、人々が花道を光の子だと言ったとき、それが真実なのだと悟ることができたのだ。おそらく花道は本当に光の子なのだろう。だが、花道自身は本当にただの、一人の少年でしかないのだ。
 姿が変わってしまったこと。そして、光の子である花道自身の正体。目覚めた花道にその話をするのはおそらく二人の役割だった。だが、花道はたぶん、自分が光の子であることなんか望んでいないだろう。そんなことは高宮にはよく判っている。今まで一月以上花道とともに過ごしてきたのだ。自分だったら耐えられないと思う。それなのに、どうやってそのことを花道に告げればいいのだろう。
 花道は驚くだろう。混乱するだろう。そして、運命に反発しようとするだろう。もちろん高宮は花道の味方で、花道が運命から逃げようとするならいつまででも味方であり続け、花道を守り続けるだろう。だけど、そうすることによって花道は苦しまなければならないのだ。人間を救うはずの勇者でありながら運命に従わなかった自分の弱さを思って。
 光の子であることを告げなければ、花道は一生知らずに過ごしてゆく。自分が勇者だったことも、人間を救わなければならないことも。知らなければいいことは、知らなければ幸せなことは、たぶんあるのだ。それはそれまで短い人生しか生きてこなかった高宮でも判ることだった。
 花道の言葉は、目覚めた花道にどうやって声をかけようか迷っていた二人の時間を飛ばしてしまった。真実を告げ、混乱した花道をあらゆる言葉で慰め落ち着かせるという二人にとって一番つらい時間を、ぽんと飛ばしてしまったのである。
「オレは、勇者なんだ」
 もう一度、花道は言い ―― 光の子という言葉だけでは二人が理解できないかもしれないと思ったので ―― 二人を等分に見つめる。主観的にはかなりの時間を置いて、客観的にはほんの数秒の間を置いて、声を出したのは高宮だった。
「そん……な。なんでお前、寝てたくせに……」
 高宮の言葉の意味するところは花道は割に正確に理解していた。おそらく花道以外の人間達の殆どが、その事実を知っているのだということも。
「あの木に触って、思い出したって言うか、自分が最初から知ってたことが判ったって言うか、よく判らねえけど、誰かに教えられたとか、そんなんじゃねえんだ。……な、高宮。オレ、やっぱ人間じゃなかったみてえ。オレが人間じゃなかったから、きっと洋平もオレのこと置いてったんだ。……たりめーだよな。光の子なんだから」
「花道……」
「オレがいくら洋平のこと好きでも、光の子とか勇者とか、そんな変な奴のそばにいつまでもいたくなんかねえよな」
「花道!」
 言葉と同時に高宮は、ベッドに座った花道の肩をきつく掴んでいた。花道は驚きのあまり目を丸くする。花道の目に映る高宮は涙を浮かべていたのだ。
「そんなこというなよ! お前が人間じゃねえなんて、誰がそんなこと言ったんだよ! お前、人間だったじゃねえか。大飯喰らいで、大いびきで、身体でけえくせにガキでよ! ……お前の姿がどんなに変わっちまったって、お前は確かに人間だ! オレが友達だって思ったあん時とぜんぜん変わってねえじゃねえかよ!」
「……おい、高宮」
「なめんじゃねえ花道! お前が勇者だからって、何でお前から離れてかなきゃならねえ! そんなにオレのこと信用できねえかよ! お前がそんなこと言ったら、お前のこと好きなオレはどうすりゃいいんだよ!」
 突然の高宮の変貌は、花道にはまるで予期していない出来事だった。口を半開きにしたまま呆然と見守ることしかできなかった花道は、やがて言葉を切った高宮に、言うべき言葉も見つからなかった。なぜなら、勇者である自分は、これから魔王を倒しにいかなければならないのだ。その旅は今までの旅などとは比べ物にならないほど過酷なものになるだろう。花道は誰も伴うつもりはなかった。高宮も忠もここに置いてゆくつもりだったのだ。
 高宮自身は否定しているようだったが、おそらく高宮もこの村の人間だ。誰だって生まれた村で過ごすのが一番いいことなのだから。
「花道」
 涙にまみれて花道を睨み付ける高宮に遠慮しながら、声をかけたのは忠だった。呼びかけに花道は振り返る。
「あんまり楽しい話じゃねえが、言っとかなきゃならねえことがある。時間もねえ」
 花道はわずかにうなずいた。楽しくない出来事はすでに一生分も味わった気分である。いまさら一つや二つ増えたところでどうというものでもない。
「お前の目が覚めるのを村の連中は待ってる。だからこれからあいつらと会わなけりゃならねえんだ。その前に二つばかり話しとく。……たぶん、ショックだと思う」
「言ってくれ。驚きゃしねえ」
 花道はそう言って忠の言葉に耳を傾ける。だが、忠の言葉はそもそも最初から花道を驚かせていた。
「剣が消えた。二本ともだ」
「剣が……?」
 花道は一瞬だけ意味がわからなかったが、気づいて自分の腰のあたりをさぐった。普通ベッドに入るとき、剣は外すものである。もちろん寝かされていた花道の腰にそれがある訳がないのだが、確かめたあと、再び花道は忠を見つめた。
「それについては大楠が言ってたのがあながち間違いでもねえと思う。あの二本の剣は、たぶん花道の封印を強化するためにあったんだ。大楠が言ってた。お前は今まで闇の力で封印されてたんだって。その封印は、お前の身体の中の光に打ち消されて、そのままじゃすぐに解けちまう。それが解けないように闇の力を強化するのが魔剣の役目だったんじゃねえかって。もう一本の方の剣のことはよく判らねえけど、お前の封印が解けるのと同時に消えたってことは、やっぱ何か関係があったんだろうって。……一応お前の剣のことについてもオレ達は聞かれた。だけど判らねえって言っといた。こういうことはお前に黙って話しちまうべきじゃねえって思ったからな」
 あの二本の剣は、洋平が置いていったものだった。もしも洋平が花道の封印を守るために置いていったのなら、それを村人に話してしまえば洋平の存在が疑われるだろう。洋平は魔物かもしれない、村を襲った黒いつぐみと関係があるかもしれないと。忠がそれを話さないでいてくれたことは、花道にとっては助かることだった。
「すまねえ」
「あたり前のことだ。……それと、もう一つ。あん時、お前が神木に触って、光に包まれてしばらくしたあと、お前は神木の前に倒れてた。その時から、お前は前のお前と違っちまってるんだ。その……お前の髪の毛が、赤く変わってるんだ」
 今度こそ、花道は不安に駆られて自分の髪の毛を見ようとした。前髪を引っ張ってきて視界の範囲にもってくる。しかし元々それほど長い髪ではなかったので、ちゃんと確かめることができなかった。すぐに忠が用意していた鏡を差し出す。覗き込んだ花道の目に映る自分の姿は、今まで馴染んだ自分とはまるで違っていたのだ。
 赤い髪の人間。大楠の金髪を見たときにも驚いたが、その真っ赤な髪は更に花道を驚かせた。しばし呆然と鏡の中の自分に見入る。その向こうで、忠がゆっくりと話し始めていた。
「光の子は元々赤い髪をしてたんだそうだ。だからお前の封印が解けて赤い髪だってことが判ったとき、みんな喜んでた。光の子が生きてたことが、この村の奴らはほんとに嬉しかったんだ。……光の子は、この村の人間にしてみりゃ、百年間祈り続けた努力の結晶だ。その子供が死んで、村人は先祖に申し訳ないことをしたとか、そんなこと思ったと思う。自分達の代でとんでもねえことしちまったとか。だから、花道が生きてたことが嬉しかったっての、オレは判る気がする。花道の意志なんか無視してただ光の子だってだけで期待しちまうの、それがたとえば花道が連れ去られたりしねえでずっとこの村にいたとして、その光の子が成長して勇者として魔王を倒しに行くよりももっと花道に期待したとしても、無理はねえって気がすんだ。
 だけどさ、花道。お前はずっと普通の子供で、旅人で、別に普通の奴より強かったりほかの人間よりずっと魔物が嫌いだったりする訳じゃねえだろ。たとえば、ほんとにたとえばだけど、お前が魔物のこと好きだって、誰もお前を責められねえし、文句言えた筋じゃねえと思うんだ。だから、もしもお前が魔物退治なんかしたくねえって、勇者でなんかいたくねえって思ったとしても、それはほんとに普通のことで、オレに言わせりゃ当然のことなんだ。だから、花道。お前が本当のことを言いてえって思うんなら ―― 」
 長い言葉の終わりで、忠は言葉を濁した。自分の顔を見ながら花道は忠の言葉にさまざまな思いを巡らせる。おそらく忠は半分くらいは察しているのだ。魔剣の出所について知っている。そして、この村で花道が体験した既視感についても。洋平が花道を封印した魔物に関係があり、もしかしたらその魔物本人で、魔王を倒すための旅に出ればやがて花道の敵になってしまうかもしれないのだということを、忠は察しているのだ。そして花道がどれほど洋平のことが好きかを知っていて、花道が苦しむような状況にはしたくないと思ってくれているのだ。
 嬉しかった。忠はその魔物に父親を殺され、父親の顔を知らない子供なのだ。それなのに言ってみれば親の敵である魔物を殺すことより、その魔物を殺すことで花道が苦しむことを考えてくれているのだから。
「忠、オレ、洋平のことが知りてえ。もっともっと、洋平のこと知って、洋平のこと見つけて、洋平に聞いてみる。……オレ、まだ子供だから判らねえけど、でも、魔王を倒すのと洋平を見つけるのって、矛盾する気がしねえんだ。勇者に生まれついたんなら、勇者になってやる。勇者になって洋平のこと捜す。だから心配しねえでくれ。オレ、ちゃんとこれから一人でやってけっから」
 花道の決意の中に、弱気はまったくなかった。どのみち高宮は自治領に来るまでの道連れだということはわきまえていたし、忠にしてもそうである。ここから先一人になることは承知の上だった。しかし花道の最後の言葉は、二人の壮絶な反発を招いたのである。
「何でてめえは一人だなんて言うんだよ! オレが一緒に行かねえなんていつ言ったんだ!」
「そうだ。それにお前、オレに親父の敵を取るなって言うのか? 自治領で守護剣士になったって魔王は倒せねえ。お前について行くのが一番の早道なんだぞ」
「だってお前、高宮、お前はこのあたりの生まれだって」
「帰るなんてひとっことも言った覚えはねえ!」
「考えとくって言ったじゃねえか!」
「考えて決めたんだ! 文句あっか!」
 高宮のことが好きだった。そして、忠のことも。ずっとそばにいてくれればそれは嬉しいと思う。それに、今の花道には確かに必要な仲間なのだ。
 花道は仲間を説得するのを諦めた。そのかわりに心に刻む。もしも彼らが少しでも花道と別れたいと思ったら、その時には絶対に引き止めるまいと。
 彼らは大切な友達なのだ。

 その夜、神殿において忠の襲名の儀式がとり行われた。それによって忠は正式には野間という名前を持つことになる。その時忠一郎という名前は捨てることになるのだが、二人とも忠という呼び名を変えるつもりはなかった。普段呼ぶ呼び名が正式のものである必要はないのだから。
 そしてその同じ場所で、花道も襲名の儀式を受けることとなった。花道はこの先桜木という名前を持つことになる。この名前は神木の名前であり、長の名前であり、領主の名前である。このことにより、花道は正式に自治領和光村の村長になったのだ。
 政治的な意味合いも多くある。花道は自治領の領主としてあらゆる国の国王と公的な面会をすることができるほどの権力を手に入れたのだ。これによって花道の旅はずいぶんとやりやすいものになるだろう。ただし暫定措置として、大老の長や領主としての地位もまたそのままに残される。やがて花道が魔王を倒し、和光村に帰ってきたときに、花道は名実ともに和光村の村長になるのだ。
 襲名の儀式が終わり、大老から花道に身分証明書と和光村が発行できる全ての国の通行手形が手渡され ―― それらを花道はすぐに高宮に手渡してしまった。自分が持っているよりは数倍安心なのだ ―― これにより近隣の国であれば花道の旅を妨げるものはなくなった。まずは湘北王国の国王に会うことになるだろう。領主が変わったことや暫定的に大老が代理人を務め続けることなど報告しない訳にもいかなかったから、これは花道の領主としての最初の仕事になる訳である。
 その、全ての儀式、事務手続きがすんだあと、不意に定位置から一歩前に出た人物がいた。それまでの厳粛なムードを一変させるような振舞に、人々は一斉にその進み出た人物を見つめる。進み出たのは、自治領和光村の最年少の神官にして大神官の、大楠だったのである。
「大老とわれらが新しい領主桜木にお話ししたい儀がございます」
 人々は驚きにざわめき始めた。しかし、となりあわせの場所で儀式に参列していた神官の風間と大楠の小老はほぼ同時に溜息をつく。彼らだけが、大楠が何を言うのか、おおよその見当がついたのである。
「ふむ」
 大老の許可を得て、大楠は濁声を上げ、朗々とまではいかなくともかなり冷静な口調で語りはじめた。
「われわれ和光村のもの達は、人々の祈りを神に伝える役割を追うもの。それは大神官大楠に限らず、和光村の全ての民の使命と心得ます。そのためにこの大楠も人々の為、微力ながらこれまでつとめて参りました」
「嘘を言うな。お前がいつ人々の為になど……」
 小老の独り言は隣にいた風間以外には聞こえなかった。聞こえた風間も、わずかに微笑しただけにとどめる。
「もう一つ、神木を守ることもわれわれ和光村の民のつとめであります。そして神木を守り、神の祈りを伝えるため、和光村の人々を守ること、それも神のみ心にかなうと信じております」
「ふむ、確かに」
「和光村の人々を守ることは、守護剣士野間とそれに続くもの達の役目。人々の祈りを神木に伝えるのは、巫女達の役目。そして神官の役目は、神木を守ること、そう心得てこれまでつとめて参ったのです。ゆえに大神官大楠は、神木桜木を守らなければならぬはず」
「その通りじゃ。神は巫女に、神木は神官に、そして人々は守護剣士に。それは和光村の真理。そう伝えられ守ってきた」
「そして、光の子桜木は、言うなれば神木の化身。神木そのものといっても過言ではありますまい。それも、魔王を倒すという特別な役目を与えられた神木は、和光村の民に守られた神木よりもはるかに大切な存在。ならばその神木を守る神官が必要なはず。なのに現在のところ、神木の化身である桜木に、守るはずの神官は存在していません。守護剣士野間だけでは片手落ち。神官に守護を命じてこそ、和光村の真理にかなうことかと存じます」
「口のうまいことじゃ。いったい誰に似たのか」
「お静かに、小老。今いいところなんですから」
「ふむ、確かに言う通りじゃ。言ってみれば光の子桜木の一行は和光村の分身。大切な存在じゃ。神官が必要なことは明白」
「光の子桜木の一行に、ただの神官ではあまりに釣合いが取れません。ここは大神官であるこの大楠が同行するのが適当と存じます。今、和光村は総力をあげて光の子を支援するとき。和光村と神木の守りを犠牲にしても、光の子の使命を果たさせることが急務でございます。大老、そして光の子桜木、どうかこの大楠めに、神木を守る栄誉をお与えくださいますよう、お願い申し上げます」

 かくして。
 旅人が去った和光村の片隅で、一人の老人と若者が、席を同じくして食事をしていた。老人の方は和光村大神官大楠の小老、現在は大神官の代理をつとめている。若者は神官の風間である。二人は、既に村から去っていった一人の少年に、それぞれの心を寄せていた。
「今頃はどのあたりにいようかの」
「今朝旅立ったばかりですから、おおかた麓の村あたりでしょう。今頃は買物に大あらわというところでしょうね」
「いい気なものじゃ」
「ええ、まったく」
 旅立ったときに着ていた官装を少年がその後も愛用しているなどと、そもそも思わない二人である。今頃は今まで夢に見たいでたちに変身していることだろう。
「にしても、あのときのあの口上は、貴様の入れ知恵か、風間」
 怒らないから言ってみろ、との口調である。風間の方は笑って否定していた。
「まさか。大楠は自分に与えられた環境から学び取って、自分を最大限に活かす状況を勝ち取ったんです。それを入れ知恵などと言われては、大楠のプライドにかかわりましょう。私は何もしていません」
 大神官の家に生まれながら吟遊詩人に憧れる少年は、大神官の地位と責任を放棄することなく、みごと吟遊詩人として生きることを可能にした。あまりに鮮やかすぎて、小老は絶句するしかなかったのだ。まさかあの少年にこれほどの知恵が働くとは思ってもみなかったのである。人間、好きなことのためなら実力以上のことができるということなのであろうか。
「帰ってこような」
「ええ、もちろん。光の子桜木が魔王を倒した暁にはきっと。その時にはちゃんと大神官としての役目を全うされることでしょう。小老が思われるよりもずっとしっかりした子ですよ大楠は。きっと一回りもふた回りも大きくなって帰ってきます」
「……そうじゃな。光の子と守護剣士、そしてあの望の一族とともにあるのだからな」
 期せずして、二人は同時に空を見上げた。同じ空の下に、二人の思う少年はいる。おそらく二人が見たこともないほど、生き生きとした目をして。
 そして風間は、また再び大楠をいじめられる日を夢見て、指折り数えて待ち続けるのである。


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