FINAL QUEST 1



     3

 大老の屋敷は、屋敷というにはいささか小さく、華やかさに欠けている感があった。その理由についてはかなりあとになって大楠が説明することになったのだが、簡単にいうなら、和光村の村人達は精神的なつながりが強く、神木に深い信仰を寄せているため、象徴的な建物や人的象徴などを必要としないのだということだった。そうとはいっても村長の屋敷としての機能的な部分は充実している。村人のほぼ半分を収容できるほどのフロアには数人の神官や巫女達、さらに数人の小老達と賢者などが控え、その向こうには大きめの椅子に腰掛けた大老が、花道達を待ち受けていたのである。
 部屋に入ると、大楠は四人から離れ、おそらく自分が本来位置するだろう神官達の上座に歩き去った。花道達を従えたままの風間にもその位置というのはあるのだろうが、今回はその位置につくことはなく、とりあえず少年達の代理人として口を開いた。
「守護剣士野間とその妻直子の息子、忠一郎です。後ろの二人は忠一郎の友人の花道と高宮です。忠一郎はこの度父親の名前を受け継ぎ、その許しを得るために自治領和光村に参りました」
 風間の言葉が終わると、回りに控えた人々は互いに顔を見合わせた。さすがにざわめきすら起きなかったが、視線は雄弁に語っていたのである。後ろの二人は誰なのか。まさか、十三年前に行方不明になった子供達では ――
 その声なきざわめきは大老がその老いた身体をほんの少しゆらめかせたことで急速に消え去っていた。大老は年老いていた。白く厚く伸びた眉が、目の表情を隠してしまうほどに。
「……忠一郎の魂の印が見えぬ。後ろのものの邪悪なオーラが邪魔をしている。近くに……」
 今度こそ、人々のざわめきは本物になった。大老は言ったのだ。後ろのものが邪悪なオーラを発しているのだと。
 人のオーラを感じ取れるもの達は、この和光村においてもそれほど多くはなかった。長の血筋を引く今ではたった一人になってしまった大老と、神官の最高位大楠の血を引く大楠、そして、かつては大楠であった小老のみである。大楠の小老は今ではかなり鈍くなっていたが、花道の魔物の波動は感じていた。そして、生まれて間もなくたった一度だけ魔物の波動を感じたことのある大楠よりはっきりと、波動の正体を見極めていたのである。その波動が、十三年前にこの村を滅ぼした黒いつぐみと同じ波長を持っているということを。
「この村に魔物が!」
「再び村を滅ぼしにきたというのか!」
「いったいどちらの子供だ! 大楠! 邪悪なオーラを持つのはどっちだ!」
「小老!」
 その異常なまでの魔物に対する嫌悪感を、花道も高宮も感じていた。先程大楠に言われた言葉をここで再確認することになった。うろたえるように三人は視線を交わす。村人達の雰囲気は今にも花道をつるし上げてしまいそうなものだったのだ。
 その時、今まで椅子に腰掛けたままだった大老が、かなり苦労しながら立ち上がったのである。その気配に、村人達は息を飲んだ。
「……忠一郎、近くに……」
 その言葉にはなにやら逆らいがたいものがあった。村人達もしんとなって、大老と忠を見つめる。忠は大老の言葉に従い、近くまで歩いていった。花道を害するものがいるとすれば友人として最後まで守らなければならない。忠自身は知っているのだから。花道が邪悪なものではありえないということを。
 自分が花道を守れると確信できるギリギリの位置で、忠は足を止めた。残りの距離は、大老が自身の足で埋めた。そうして対峙した二人の間に沈黙が流れたあと、ゆったりとした動作で大老は忠を見上げ、やがて口を開いたのである。
「忠一郎、お前は間違いなく野間となるべきもの。儀式をうけ野間と名乗るがよい」
 その言葉にどう答えてよいかわからず、忠はただ頷くだけにとどめた。そんな忠を頼もしく見つめ、不意に大老は力を失って膝を折った。回りで見つめていた何人かが慌てて大老に駆け寄ってくる。それを潮に忠は再び花道達のところへと戻って、油断なく村人達の動きを見つめたのである。
 村人達の中では、ただ一人、風間だけが知っていた。花道が邪悪なものではないことを。だからそれを大老に伝えなければならないと思っていた。自分がほんの少し前に目にした花道の行動と、それに伴う自分自身の考えとを。
 しかし風間が伝えようとするより早く、どうにか身体を起こした大老が言ったのである。
「皆よ。神木の下に少年達を連れて赴け。儂もゆく」
 大老を助け起こした人々は異口同音に言った。
「邪悪な波動を持つものを神木に近づけるのですか! そんな危険な……」
「……邪悪な波動を持つものが必ずしも邪悪なものであるわけではない。……大楠」
「……はい。連れていきます」
 その、大楠の濁声に、人々ははっとして振り返って不思議そうな瞳で大老と大楠とを見比べていた。迂闊にもその時になって初めて人々は気づいたのだ。大楠が、三人の少年達と一緒にこのフロアに入ってきたのだということに。大楠は金色の髪を持つ神官の最高位。その大楠が黙って少年達を伴ってきたことは、それはすなわち大楠が少年を認めたということではあるまいか。
 大楠は先代大楠の次男である。だが、生まれて間もなく父親も兄もなくし、ただ一人の後継者として神官の教育をうけてきた。その潜在的な能力は賢者の寺西の認めるところであるが、大楠自身、けっして真面目な神官ではなかった。そんな大楠を、人々は必ずしも信頼していた訳ではなかったのだ。だから複雑だった。この最年少の神官でもあり、最高位の大神官である大楠をはたして信頼していいものかどうか。
 踵を返して少年達に近づき、ほかの人々から逃れるように早々にフロアから連れ出してしまった大楠は、不安そうにする三人の少年達に、少年らしい笑顔を向けた。一番最初に告発したのはこの大楠なのだ。今自分が三人を助けたいと思う気持ちを簡単に信用してもらえるとは思えなかったが、大楠にしたところで話の判らない大人達よりも自分と同年代の彼らの方が明らかに信頼に値するものに思えたのである。
「大丈夫だ。大老は神木の名代。間違えることなんかねえんだ。大老は神木と一体化した、神木から生まれたお方だから」
「神木から、生まれた?」
「ああ。大老の昔の名前は、神木と同じ、桜木っていうんだ」
 大楠が言ったその名前は、三人に何かの感銘をもたらすものではなかった。しかしその名前こそが、これから先ずっと彼らに関わり続けることになるのである。

 神官の最高位である大楠であっても、ただ無造作に神木に近付けるというものではなかった。
 神木はかなり広い範囲で塀によって守られ、その姿を人々から隠している。祭のある春と、いくつかの儀式の際に神木に通じる道は開かれ、領主でもあり村長でもある大老の導きによってその神の力を示すのだ。それ以外の時は、先程花道がしたように遠くの高い場所から人々は巨木を拝み、心を寄せるのである。
 大老に比べれば遥かに若い四人の少年達は、大老に伴われて(というか、動けない大老をなんとか輿に乗せて)団体で来る人々よりもずいぶん早くに神木への道の入口に到着していた。そして、人々を待っているその時間を、大楠はこれ幸いと有意義に使うことに決めたのである。
「神木は混じりっ気なしの光でできてるんだ。その光ってのは、太陽の光とは違う。昔、神がまだこの世界に生きていたとき、その神は光でできていたんだと伝えられてる。その光と同じ光でできてるんだ」
「昔? それって、すっげー昔だろ? ほんとに神様なんてものがいたのか?」
 高宮が言った言葉は大楠には不思議だった。ほかの二人の顔を見れば、二人の常識が高宮の言葉とさほど食い違わないと判る。大楠にとって、昔この地に神がいたことは常識の範囲なのだ。まずそこから説明しなければならないのだと、大楠は自分が受けてきた教育の特殊さを改めて思ったのである。
「昔、この世界は魔物が横行する地獄のような世界だったんだ。世界は闇そのもので、それを憐れんだ神達がこの世界に降りてきて、神木を中心に光の世界を作ったんだ。そして魔物達を闇の世界に封印した。それから神の代理人として、闇と光の両方を持つ人間を作られたんだ」
 大楠の話は、三人の少年達にはまるでなじみのない話だった。だが、一介の村人として生まれ、その数十年の人生を平凡なまま疑問も持たずに生きていくことを定められていたはずだった自分が、そんな壮大な世界に関わっているということが、少年達の好奇心を大いに刺激したのである。大楠の話は魅力的だった。三人は興味をもって、大楠の言葉に耳を傾けたのである。
「人間は光だけじゃねえのか? なんで闇があるんだ?」
「光だけの存在だと闇の世界で生きることができないからさ。闇の多くは神が封じ込めたけど、やっぱり闇は残ってたし、実際神達の多くはこの闇の世界で長く生きることはできなかったんだ。だから神木と一体化することによって神は神木の中で生きることになった。その神木を守ってるのが、和光村の人々なんだ」
「……ってことは、お前は神様に一番近い人間なんだ」
「一番近いのは今のところ大老だね。オレはその次だ。だけど、十三年前に生まれた光の子が殺されなければ、その子が一番神に近い人間だったな。何たってその光の子は、魔王を倒すために神が人間に与えてくれた勇者だったから」
 その勇者が生まれたために、和光村は魔物達に襲撃され、たくさんの人々が殺された。その戦いで忠の父親も殺されたのだ。魔王でさえも光の子を恐れたのだ。そして、生まれたばかりの子供のうちに殺してしまおうと。
 光の子は殺されるために神によって生み出されたのだろうか。そして、忠の父親や大楠の家族を魔物に殺させるために。
「光の子は死んだのか?」
 その質問は、それまで黙っていた花道からのものだった。さきほど、風間ははっきりとは言わなかった。あの時から花道は気になっていたのである。
「誰も死体は見てない。だけど、たぶん殺されたんじゃないかってのが大人達の考えだ。だってそのために魔物は村に来たんだし、連れ去られるのはたくさんの人達が見てるしな。それに、文字通り光の子だから、神木と同じように混じりっ気なしの光でできてる。混じりっ気なしの闇でできてる魔物が長い間触れていられる訳がないんだ。力の弱い魔物なら触っただけで消滅するはずだよ。この村を襲った水戸とかいう魔物は、魔物のなかでも力の強い魔物だったんだって、小老は言ってた」
「水戸? それが村を襲った魔物なのか?」
「ああ。黒いつぐみの姿をした魔物で、光の子を連れ去った魔物はそう名乗ったって……」
 花道は腰に挿したつぐみの紋章の魔剣を握りしめた。これは、洋平が残した剣。光の子を連れ去った水戸という名前の魔物とは、洋平のことなのだろうか。
 洋平は本当は水戸という名前なのかもしれない。だが、花道はこの村で洋平に助けられたのだ。夢の中、あの丘の上で自分を抱いていたのは確かに洋平だと思う。洋平は光の子を殺して、その手で花道を劫火の中から助けたとでもいうのだろうか。
 それとも、花道が光の子……?
 あの夢の記憶は、光の子として生まれた花道を殺すため、生まれたばかりの花道を村人の手から奪い取り、村から連れ去るまでの記憶なのだろうか。
 もしもそうなら今花道は殺されていなければならないのだ。洋平がつぐみの姿をした水戸という魔物で、花道が光の子であるならば。
 花道は、せめてこの村にいる間は誰にも言うまいと思った。自分の捜す洋平が十五才から成長しなかったことも、丘の上で自分を抱いていたのが洋平だったことも、洋平が魔物だったかもしれないという、花道の思い込みも。
 もしもそれを言ったら、この村の人達は洋平を村を滅ぼした悪い奴だと決めつけるだろうから。
 だって、洋平は悪い奴ではないのだ。花道を助けて、十三才になるまで育ててくれたのだから。
 そのころようやく、輿に乗せられた大老を取り巻くように、村人達がこちらにやって来る姿が見えはじめていた。大楠も話をやめ、視線で大老を迎えている。やがて輿は目の前を通過し、大老の指示で神木への道の境に設けられた門が大きく開かれた。神官達がその大門をくぐってゆき、最後に大楠と三人はついていくことになった。
 そして道を行き、神木の姿が少しずつ大きくなって来るにしたがって、花道は不思議な胸騒ぎに襲われていた。自分の体の中の何かが騒いでいる。鳥肌さえたつような気配に、花道は大きく身体を震わせた。
 その花道の変化に大楠が気づいて振り返る。そして、大楠自身は自分の考えが間違っていなかったことを知ったのである。
「花道……お前、その髪……」
 花道の身体の震えは一歩一歩歩くごとにどんどん大きくなっていった。まるで静電気でも浴びているかのように、髪の先がチリチリ唸っている。振り返って指摘したのは高宮だった。忠も、その前を歩く風間も驚きに目を見張っていた。
「髪……? それどころじゃねえ。オレの身体、なんか、変だ」
「花道? いったいどうしたんです? 大楠、花道に何が起きているんですか」
「どうしたんだよ! お前、そんなに震えて」
「封印が解けかかってる! 花道の身体が神木に反応してんだ!高宮、花道に触るな! 光に触れると人間は消滅する!」
 震える身体は自由にならないのに、花道は歩くことをやめなかった。まるで神木に吸い寄せられるように歩き続ける。回りの人々も、大老も、花道の進路を邪魔することはできなかった。花道の身体の中から光が溢れ出し、呼応するかのように神木からも光が放出される。見ていることさえできない目映さ。そのうち立っていることすらできなくなる。
 そして、歩き続けた花道はやがて神木に触れた。その瞬間、最高明度の光があたりを包み込み、爆発したかのような衝撃に見舞われた。それは花道でさえ例外ではなかった。その一瞬に、花道の封印は完全に解け、闇の封印は光と反応して莫大なエネルギーを放出して消滅したのである。
 その時、花道は流れ込んで来る怒涛の光に命さえ失ったかのように思われた。


扉へ     前へ     次へ