FINAL QUEST 1



     2

 花道が和光村に続く山道の関所を通過して村の入口に辿り着いたのは、その日の午後になってからだった。その関所にしてもすんなり通れたという訳ではない。長時間の交渉の中で決め手になったのは、忠が父親の名前を継いで野間になったので、そう名乗る許しを得るためにどうしても村に入りたいのだと言ったことだった。三人の中の一人が村の出身者でしかも父親が村を守るために力を尽くした英雄だったから、何とか通ることができたのである。
 そんな訳で、村の案内人に連れられていく間も、とりあえず忠がほかの二人を従えている形を取らなければならなかった。そんなことはまったく気にしない人間もいたが、やはり気にする人間もいたのである。その、最後尾にいた気にする人間は、前を歩く気にしない人間に、こっそりと近づいて耳打ちした。
「おい、花道。なんかあいつ、いばりくさっててやな奴だと思わねえ?」
 声をかけられた気にしない花道は、気にする高宮にこちらは耳を寄せるでもなく言う。
「そんなことねえよ。実際あいつがいなけりゃここまでこらんなかったんだし」
「それだよ問題は。あいつ、これからオレ達に恩着せがましくいろいろ言うに決まってるじゃんか。どうすんだよ。されたくもねえ指図されたりして、子分扱いされたらよ」
 高宮が言うようには花道は思っていなかった。昨夜は結局忠の家に泊めてもらって、朝食もごちそうになった。細やかな心遣いもしてくれたし、とても気持ちよく過ごすことができたのである。忠の心根の清らかさはその一晩だけで花道には伝わっていた。これから先もっとお互いのことが判れば、親友にだってなれると思ったのである。
 言ってみれば高宮の杞憂は、単に他人を自分の物差しで測っているだけのことである。邪な思いなしに人に親切にする人間もいるのだということを、高宮は心の底から理解することができないのだ。
 花道が無垢だから余計に気になる。そして、花道が忠に対して信頼を寄せ始めていることが、さらに拍車をかけている。だが高宮自身はまったく気付いてはいないのだ。それがただ単に花道を独り占めしておきたいという、嫉妬心の表われであるということに。
 ともあれ、案内人に連れられた一行は、何とか無事に村の入口へと辿り着いていた。そこでしばらく待たされ、やがて現われたのは、神官風の衣装を纏った長髪の若い青年だったのである。
「初めまして。村の神官を賜ります、風間と申します。この村の守護剣士であられた野間の息子の方と伺いました。今後野間の名前を名乗ることを許されたいとこの村にいらしたと。あなたですか?」
 妙に丁寧な言葉遣いをする男である。だがどことなく聞くものに莫迦にされていると感じさせるのは、果たしてこの男の故意か、偶然なのか。
「ああ、オレが野間の息子の忠一郎だ。オレを産むために母の直子が村を離れて、親父の迎えを待っている間に親父が死んじまった。だからオレは本当ならこの村で育つはずだったんだ。今回、育ててくれた伯父の本橋のはからいでどうにか村に帰ることができた。できることなら野間の名前を許してもらって、父の墓前にこの形見の刀を伴って報告させてもらいたい」
「気持ちはよく判ります。私が最後にお父上とお会いしたのは私がまだ今の忠一郎と同じくらいの年の頃。剣の腕の確かな、心のまっすぐな方だったと記憶しています。忠一郎は、野間と直子によく似ています。間違いなくお二人の子。望みはかなえて差し上げられると思いますよ」
 その会話のまどろっこしさに、待つことの苦手な花道と高宮はすでに焦れまくっていた。だいたい忠の名前が変わることや忠の父親の墓参りなど二人にとってはどうでもいいことなのだ。花道が知りたいのは十三年前にこの村を襲ったつぐみと洋平に何か関係があるのか、あるいは今洋平がどこにいるのか、その手がかりがあるのかないのか、ただそれだけなのである。判らないなら判らないで、早くそう言ってほしい。先を急ぐ必要が花道にはあるのだから。
「失礼、お連れの方もお名前をお聞かせください」
「……花道だ」
「オレは高宮」
「花道に、高宮ですね。……もしや二人もこの村に縁の方ですか?」
 花道と高宮は顔を見合わせた。高宮はともかく、花道はこの国の人間ですらないのだ。常識で考えれば縁も何もないだろう。確かに、花道は何度かこの国の人間に間違えられはしたけれど。
「何でだよ」
「いえ、ただ、高宮はこの村の望という一族に、花道は巫女の……いや、ありえないことです。余計なことを言いました。忘れてください」
 そうしていったん言葉を切った風間の態度がどうにもわざとらしく感じられるのはなぜなのだろう。
「忠一郎には大老がお会いになります。大老はすでに名前をなくしておられますが、かつての魔物の来襲で多くの名前を受け継ぐ者達が亡くなりましたので、神木の名代を務めておられます。これから案内しますので、ついてきてください」
 風間の言葉の中には、外の世界では判らないこの村の常識のようなものが多く含まれていたので、三人はそのすべてをはっきりと理解することはできなかった。なんとなくイメージとしては、その大老というのは昔この村の村長をしていた人で、村が魔物に襲われる前に息子だか誰だかに長を譲り渡したが、新しい長が魔物に殺されたために長の代理をしている、というような感じなのだろう。その捉え方はおおよそ間違いではなかった。つけ加えるならば、村で一番偉いご隠居のことを大老と呼び、その他の隠居を小老と呼ぶのである。
 それまで村の入口で立ち話をしていた四人は、風間の先導で再び歩き始めていた。坂を上がり、ほんの十数歩も歩いたところで、視界がパーッと広がった。山間の村は三人の想像以上に大きく開けていた。
 一言で言うならば、ここは山々に囲まれた盆地である。山を越えてしまえば大地にあまり高低差はなく、平らなところに多くない人家がこぢんまりと建ち並んでいた。あるところには森、あるところには畑と、まるで最初から人の手によって配置されたように、自然と人口物は見事な割合で共存している。そして、まず最初に目を引く巨大なもの。盆地の中央には、まるで世界の始まりから生き存えてきたかのような、人の常識を遥かに越えた大きな樹木が聳えていたのである。
 その光景が、一瞬にして花道の身体を凍らせていた。ひときわ特徴的な大きな木。そして、その木の近くに建つ神殿のような建物。新緑の緑が風に揺れる様。匂い立つ花々の里。
 それは幼い頃から花道が見続けてきた夢の風景に、なんて似ていたことだろう。
 花道はなつかしさや親しみよりも恐怖を感じた。そして何かにつき動かされるように、夢の風景と目の前の光景とを重ね合わせた。闇の中、燃え盛る炎の中に浮かび上がる眼下の村。この場所ではない。もっと高く、広く村を見渡せる場所。
「……おい、花道! どこ行くんだよ!」
 自分でも判らないうちに駆け出していた。呼び止める誰かの声などまったく耳には入らなかった。ただ、その場所を求めて。洋平に抱かれて炎につつまれる村を見下ろしていた、あの高台の風景を探して走り続けたのだ。
 それは、はたから見れば奇妙な一行だった。まるで疲れを知らずにまっしぐらにかけてゆく一人の少年。そして、そのあとを驚き青ざめながら追い掛けてゆく神官姿の青年。ついてこいと言われたため何とかついていこうと頑張る剣士の少年。最後に、息を切らせて転がるようによたよた走る太めの少年。
 行列はしだいに長くなり、最後尾の高宮は脱落しかけていた。あきらめかけた高宮を見失ったら迷子になるぞと言って忠が励まし、ようやく辿り着いたのは、そこだけ山が削れて崖を形作っている高台の上だったのである。
 騒ぎのもとの花道は、その高台から村を見下ろし、呆然としていた。やがて、見守る三人などまるで目に入っていない様子で、独り言のように呟いたのである。
「……違う。あの大きな神殿の隣に、小さな赤い建物があったんだ。そんでもってあの川には橋がもう一つ架かってて、その向こうにもっとたくさん家が並んでた。……あの野原は森で、泉が水汲み小屋で、あの墓のあるところにはたくさん黄色い花が咲いてて……」
 そこまで言い掛けて、花道ははっとしてまわりを見回した。後ろには驚いたような顔で、息を切らせた三人が佇んでいたのである。
「……にーちゃん、オレ、この場所で村が燃えるのを見てた。オレ、赤ん坊だからどうすることもできなくて、ただここで誰かに抱かれて泣いてた。……花畑が全部墓んなっちまうくらい、たくさん人が死んだんだ。だけどオレ、赤ん坊だったから……」
 知らず知らずのうちに、花道は涙を流していた。魔物におびえて逃げ惑う人々の姿が今でも鮮明に浮かぶ。助けたくて、だけど自分にはどうすることもできなかった。小さな子供も、歩くのがやっとの年寄りも、炎に飲まれて魔物に喰い殺された。あれはただの夢じゃなかった。花道はたしかにこの場所で、その光景を見つめていたのだ。
「……驚きました。花道、あなたもこの村の子供だったのですね。そしておそらくあなたは……」
 その先を言うのを恐れるように、風間は言葉を濁していた。それは、自分の考えが現実であることを恐れているのではなく、ありえない現実を期待して裏切られることを恐れてのことだった。風間が期待するものが現実であれば当然花道にあるべき特徴のいくつかが、今の花道には欠けていた。だから躊躇わせた。その言葉を口にして、心から期待してしまうのを。
 連れ去られた子供が生きているはずはないのだ。なぜなら、その子供が産まれたために、村は襲撃の憂き目にあったのだから。
「とんだ遠まわりをしてしまいました。忠一郎、大老がお待ちですので急ぎましょう。それから花道、あなたもおそらくこの村に生まれた子供です。ご自身のためにも大老に会うべきだと思います。それから、高宮」
「……オレ?」
「はい。もしかしたらあなたもこの村に縁の子供かもしれません。大老に会って、高宮の生い立ちについて詳しく話して頂けないでしょうか。それをあなたが望むのであれば」
 犬の拾い児だった高宮にとっては、自分が何者であるかなどどうでもいいことだった。だから即答はしなかった。
「小川の近くの白い建物が大老の家です。遠くなりましたが、ついてきてください」
 洋平の痕跡を尋ねて自治領にきた。しかしそこで見つけたのは夢の続き。それはすなわち、花道自身の過去。
 だが、ここに洋平の過去も存在することを、花道は確かに知ったのである。

 大老の家に向かう道々、風間は三人に、あの日この村に起こった出来事を話し続けていた。
「……十三年前の春でした。この和光村では毎年春になると祭典を行って、その年の安全を祈願します。神木が花をつけて満開になった夜から翌日の夜まで、祭が行われるのです。しかしあの年の祭は特別でした。神木に神の道ができ、光の子が産まれる特別の年だったのです」
「……光の子?」
「はい。それはこの百年ほどの間、村の巫女や神官達が神木に祈り続けてきたことへの、神木からの贈り物でした。魔物達の力が増し、人々は魔物に怯えながら暮らし続ける生活を余儀なくされていました。私達は神に通じ、人間の祈りを神に届ける役割を持つ一族。人々の祈りを、神に訴え続けたのです。その祈りに対して、神は神木を通じ、人間に光の子を与えてくださいました。その光の子がやがて成長して勇者となり、魔王を討つ者となるはずだったのです。
 しかし、祭を目前にしたあの日、巫女の身体に宿った光の子が産まれた直後に、村は魔物に襲われました。光の子を殺すために。そして、神木に仕える和光の一族を滅ぼすために、魔物達は村を襲ったのです」
 十三年前の春。それは、忠の父親が忠を迎えに来るはずの時だった。高宮が弱りきった身体で犬にくわえられて連れてこられたときだった。そして、花道が生まれたのが、やはり十三年前の春。
 そんな不吉な年に、彼ら三人は生まれ合わせたのだ。偶然だったとしても、それはあまりに不吉な偶然だった。
「その時村にいた村人と旅人を合わせて、およそ千人ほどが魔物に殺されました。生き残ったのは神殿の隠し部屋に逃れることのできた私達五十数人ほどでした。忠一郎、あなたのお父上は神殿に人々を誘導する役目を終えたあと、外側から神殿の扉を閉ざして、私達を守って亡くなられたのです。守護剣士野間の働きがなければ、今現在の村の復興はありえなかったでしょう。
 魔物の襲撃のあと、その時村にいなかった者や、ほかの村に移住していた者達が幾人か戻ってきました。今現在、村人は合わせて百人余りです。……見えてきましたね」
 それきり風間は口を閉ざした。村人の姿が見え、すれ違い始めたからである。魔物に襲われた十三年前から、村は閉ざされ旅人の姿はほとんど見られなくなってしまっている。そのため花道達の来訪は人々に驚きを誘った。しかし村人達の囁きは、単純な驚きなどではなかったのである。
(見て、あの子供)
(まさか野間の……)
(間違いない。あの腰に挿した剣は確かに本橋の細工だ)
(いわれてみればこっちの子は望の一族に瓜二つじゃないか?)
(それをいうならあの大きな子は……)
(……まさか、ありえない、それだけは……)
 口々に囁かれる言葉は、花道達にはよく聞き取ることができなかった。おおっぴらに話しかけられれば忠の事情を話して聞かせてやることもできたのだが、こちらからわざわざ事情説明をする気もなかったし、必要もないだろう。なんとなく居心地悪く無視するように通り過ぎると、やがて道の交差するところで一人の金髪の少年と行き合った。風間と同じような神官の衣装を着けた少年である。しかし風間のものよりは少し位の高い人間が着ける衣装のようだった。
 金色の髪を持つ人間がいることを、三人は初めて知って目を丸くした。それまで各国旅を続けてきた花道でさえ、出会った人間は黒髪か白髪かのどちらかしかいなかったのだ。黒以外の色のついた髪の毛が存在するとは考えたこともなかったのである。
「大楠、袖は無事直ったようですね」
 風間に声をかけられて、大楠はすねたような表情をみせた。年の頃は花道達と同じ。すねた顔のまま、花道達を一瞥して、とりあえず無視することに決めた様子で風間に答えていた。
「大老に呼ばれたんだ。お前もか?」
「そうです。……正確に言いますと、私が大老に、大楠を呼んでもらうよう頼んだという方が近いですね」
「小老や巫女達も呼ばれてた。何が始まるんだよ」
「野間の息子が名乗り出てきたんですよ。本人に間違いはありませんから、襲名の儀式をするんです。大神官の大楠がいなければ始まらないでしょう」
「野間の、息子……?」
 言いながら、今度ははっきりと後ろの三人を順番に検分した。風間のすぐ後ろを歩くのが口髭の剣士。ほかの二人はもろ旅人仕様だったから、大楠は確信して剣士に声をかけた。
「オレがまだ赤ん坊だった十三年前、野間はオレ達を神殿にかくまってたった一人で扉を守ったって聞いてる。だからオレは野間に命を救われたんだ。感謝してる」
 大楠の正直な言葉は、忠にある種の感動を与えた。自分自身の功績でされた感謝でないので照れもあったが、見たことも触れたこともない父を思って、誇らしい気持ちになっていた。
「オレは自分の父親を知らねえ。だけどそうやっていつまでも父のことを覚えててくれる人がいるのは嬉しいな。オレの方こそ感謝する」
「大楠だ」
「忠一郎だ。忠でいい」
 本当なら、村で共に育っていたはずの忠。同じ年ごろの友達のいない大楠は、忠とすぐにでも親友になれるような気がしていた。忠が花道達を紹介しようと振り返る仕種に、大楠もみたびうしろの二人を見遣った。その時だった。話していたせいでだいぶ歩みの遅くなった大楠達にかなりの距離まで近づいていた花道に異様な気配を感じて、大楠は不意に跳びすさったのである。
「どうしたんですか?」
 その異常な反応が、風間を驚かせていた。大楠の方は回りが驚くのを気にする余裕などなかった。驚き戸惑う花道を見て、表情は驚愕に彩られていったのである。
「風間……お前、気づかなかったのか? どうして村に入れたんだ!」
「残念ながら私には大楠の言う意味が判りません。花道がどうかしたのですか?」
「闇の気配がする。こいつ、魔物だ」
 大楠の、その切羽詰まったような言葉を聞いて、回りにいた全員が花道と大楠とをかわるがわる見つめた。花道は言葉を失って大楠を見つめる。少なくとも今まで、花道は確かに人間だった。人間以外のものの特性を見せたことはなかったし、回りの誰にも人間らしくないと言われたこともない。まさか自分が魔物かもしれないなどと、疑ったことすらなかったのだ。
「オレ……魔物なんかじゃねえ」
 重苦しい沈黙の中、花道がようやく言った言葉を受けて、その場の収拾に乗り出したのは風間だった。
「大楠、落ち着きなさい。花道は人間です。あなたと同じ、十三才の少年です」
「だけど闇の波動を放つ人間なんかいやしねえよ」
「あなたは黒い衣をまとった人間を見て、その者の肌は黒いと主張する愚をおかすつもりですか?」
 その風間の科白はただのたとえ話だったのだが、大楠は何か閃くものがあって花道を凝視した。そして、おぼろげながら、少しずつ判ったような気がしたのである。
(封印だ。こいつ、闇の力で封印されてんだ。だけど何だってそんなこと……)
 だが口に出しては一言で済ませた。
「……悪かった」
 花道も、ほっとしたように微笑んでいた。
「オレ、花道だ。洋平を捜しにきた」
「洋平?」
「花道の育ての親みてえな奴さ。あ、オレ、高宮ね」
 大楠の理不尽な言いがかりも、一言謝ればきれいさっぱり忘れてしまう彼らの闊達さに、大楠は救われた気がしていた。この旅人達がどのくらいの期間村にいるのか、大楠には判らなかったが、ずっと仲よくやってゆけるように思ったのである。
「さあ、大老の屋敷まではもう少しです。急ぎますよ」
 風間は一人、なにやら微笑ましそうに、四人の少年達を見守っていた。


扉へ     前へ     次へ