FINAL QUEST 1
第三章 和光村
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初夏の気配は、四方を山に囲まれた小さな村にも、確実に訪れていた。
芽生えの季節。沈黙の野は萌え、鮮やかな新緑を映し始めている。やわらかな光は木々の新しい葉に遮られて木洩れ日となって草木に降り注いでゆく。その合間を、子育てを始めた若い鳥達が忙しく餌を巣に運ぶ。餌になる虫達でさえ、長い冬を土の中で耐え忍んできた若い命なのだ。
木洩れ日の中に、一人の少年が大木を背凭れに腰掛けていた。
かげりのない金髪を短く靡かせ、やわらかい神官の衣装を肩から千切って初夏用にアレンジしている。その肩口から伸びやかな少年らしい両腕を日に晒して、銀色の腕飾りに輝きを与えている。まだ白い腕に抱えた竪琴を、少年はちょっと爪弾いてみる。その艶やかな音色に、それまで高いさえずりを聞かせていた若い鳥達も耳を傾けるように静かになっていた。
やがて少年は大きく息を吸い込み、自ら爪弾く竪琴の音色に合わせて最初のワンフレーズを歌い始めた。その声色は思わず聞き惚れてしまうような美しさ……という訳ではけっしてなかった!
「いっしょぉ〜おぉ〜はっ、はっれぇ〜ぎぃ〜ぬう〜っ、かざぁ〜しはぁはぁなぁよお!」
驚きバサバサと飛び立つ鳥達が木々を揺らす。一声悲鳴のような叫びを上げたかと思うと、北カザムの親子が木の幹に足を取られながら逃げ出してゆく。少しでも遠く離れようと木の枝をくるくる回りながら栗鼠が混乱する。土から顔を出しかけていたモグラも、慌てて地中の我が家に引き返していった。
珍しいくらい竪琴の音色と合わない濁声の少年だった。そしてもっと珍しかったのは、この少年がことのほか歌うことを好んでいたことだった。
一曲歌い終わるころには、見守るのは動けぬ草花と木洩れ日だけだった。ちょっと周囲を見渡して、傷ついたように少年は息を吐いた。しかしそれだけである。根が楽天家の少年は、自分の芸術が動物達に理解されなくとも、些かも気にするつもりはないのである。
次は何を歌おうかと思い巡らせ和音を爪弾いたその時だった。
「大楠、ここにいましたか」
声をかけられ大楠少年は振り返った。見ると、大楠に声をかけたのは背の高い一人の長髪の青年である。そしてその後ろには、シャンと背筋を伸ばした銀髪の初老の男が立っていたのである。
「風間……小老も」
「大楠……何ということを……。雄二! お前は官装をなんと心得ておる! 袖をどうしたんじゃ袖を!」
「あ、やべ」
後ろにいた小老という老人にたしなめられて、大楠こと雄二は腕を背中に隠すようにした。しかしそんなことでなくなった袖が隠れるものではない。大楠はついこの間の十三才の誕生日から、袖の長い神官の衣装を着けるように小老に命じられていたのだ。しかし長い袖は竪琴を弾くのに邪魔で、うざったいので千切って放り投げてしまったのである。
二人に連れられて、大楠は小山を里に向かって下りていった。その間中、小老は大きな声でひっきりなしにお説教を続けていた。
「大楠の一族は神木を守る和光村の神官の中でも最高位に位置する家じゃ。お前の父親はそれは立派な神官じゃった。儂もせがれに大楠の名前を譲り渡してからは将来の大楠は安泰と。……しかし十三年前の魔物の襲撃で、大楠は村を守って名誉の戦死をとげたんじゃ。その戦でお前は両親と兄を失った。そうじゃな!」
耳にできたタコはまた少し成長をとげたようである。このまま成長してくれれば、そのうち耳の穴を塞いでくれるだろうか。
「なあ、雄二。もうこの家にはお前以外に大楠の名前を継いでくれるものはおらんのじゃ。その金色の髪こそその証。お前ももう十三才なのだから少しは自覚してもいいのではないのか? いつまでも吟遊詩人の真似事などしとらんで……」
それまで我慢して聞いていた大楠ではあったが、小老の言葉は聞き捨てがならなかった。
「吟遊詩人のどこがわりいんだよ! オレは神官になんかなりたくねえんだ! 歌ぐらい歌ったっていいじゃねえか!」
「何を言う! 吟遊詩人はもっときれいな声の持ち主がなるもんじゃ。その声で吟遊詩人になどなれるわけなかろう!」
「歌は心だ! 濁声の吟遊詩人が世界に一人くらいいたっていいじゃねえかよ!」
「何もその一人にお前がなることはないじゃろ! お前は今では唯一の儂の孫なんじゃぞ! お前が大楠を継がなければ和光村に大神官がいなくなってしまうわ!」
「大神官くらいこの風間にだってできるだろ!」
「たわけ! お前のその金髪は……」
「まあまあお二人とも」
風間が間に立って、よく似た二人の濁声同士の怒鳴り合いは第一幕を閉じた。話のきっかけから運び具合まで、まったくいつも代り映えがしない。よくも毎度同じことを繰り返せるものだと風間は感心した。
「大楠、袖はどこへやりましたか?」
穏やかな風間の言葉に、大楠はびくっと肩を震わせた。
「……衣装箱に放り込んだ」
「だったらあとで付けられるかどうか見てみましょう。また光代の手を煩わせてしまいましたね」
「……」
「大楠が魔法の稽古を抜け出したことで賢者の寺西の時間を無駄にしてしまいました。捜しに出た私や小老にも迷惑をかけました。私達が大楠を見つけたのは森の動物達が騒いだからです。大楠は動物達の生活も乱しました。……やりたいことをするのは悪いことではないと思います。でも、誰かに迷惑をかけることはしてはならないことだと思いませんか?」
大楠は、こうして理詰めで話す風間は苦手だった。すべて反論の余地のない正しいことだったからだ。揚げ足を取って怒鳴りつけることのできる小老の方が、少しはマシというものである。
「……ごめんなさい」
「判ればいいですよ。……そろそろお昼の時間ですね。小老、お詫びをかねて寺西と食事をして頂けますか? この通り大楠は大変反省していたと、小老から寺西にお伝え頂けると嬉しいのですが」
「ああ、そうしよう。……まったく、儂に嫌な思いばかりさせおって」
「ご自身のお孫様ですよ」
「阿呆、お前のことだ、風間」
「恐れ入ります」
風間は笑顔で受け流し、小老と別れ大楠を伴って歩き始めた。理路整然と嫌な役を他人に押しつけるとは、あまり友達になりたくないタイプの奴である。
そのまま、風間は大楠を食事に誘った。そして、誘った風間の家ではなく、誘われた大楠の家に二人は歩きついた。天気がいいのでテーブルを庭に運び出し、両親のいない大楠の生活全般を任されている光代に食事を運ばせて、二人は向かい合わせで食卓についた。食事をしながら、さっきの風間の言葉の揚げ足をなんとか取ろうと考え続けていた大楠は、やっとその材料を見つけた様子で風間に話し始めたのである。
「風間、オレだって小老に迷惑かけられてんだぜ。やりたくもねえ神官の修業なんかさせられてさ。オレは一日中歌っていたいのに、オレの時間を奪ってるのは小老なんだ」
「そうですね。大楠にしてみれば神官の修業など時間の無駄以外のなにものでもないでしょうね」
「オレは吟遊詩人になりてえ。大神官なんか、なりたい奴がなりゃいいんだ」
風間も、和光村の神官の一人である。しかし神官の最高位は大楠なので、先程大楠が言ったように風間が大神官になる訳にはいかないのだ。
「でも、大楠は大楠の家の者として生まれました。お父上と兄上が生きておいででしたら、大楠は吟遊詩人になれたかもしれません。不幸なことですが、そのお二人が亡くなられた以上、大楠以外に大神官になれる者はいないのですよ。それも大楠が持って生まれた宿命です。大楠は、そういう風に生まれついたのです」
「だったら吟遊詩人の家に生まれればよかった! 神官の家に生まれたのなんて、オレのせいじゃねえじゃんかよ! 何でオレのせいでもねえのにそんなことやってなけりゃならねんだ!」
「それが大楠の責任で、大楠という人間を構成するものだからですよ」
「そんなの判んねえよ!」
ようやく風間の揚げ足が取れた気がして、大楠は思い切りよく叫んでいた。考えてみれば、まだまだ誰かに甘えたい年頃でもあるのだ。そして、この年頃の甘えとは、だいたい親に反抗することなのである。
大楠に親はいなかった。だから反抗の矛先が向くのはたいてい小老かこの風間くらいで、風間もそれが判っているからこそ、まるで親のように大楠を諭して苛めているのである。
「では判るようにお話ししましょう。……大楠は、神官の家に生まれました。それは大楠自身が生まれながらにして持っていたものです。誰のせいでもありません。大楠のせいでも、小老のせいでもないのです。そして、ほかにも大楠はいろいろなものを持って生まれてきました。濁声もそうです。金髪もです。そして、竪琴の才能や、歌を好きな気持ち、それに、魔法に対する潜在的な能力なども。寺西は期待しておられますよ。大楠はもっとちゃんと修業を積めば賢者にもなれるだろうと」
「……竪琴や歌もオレが生まれながらにして持ってたものなのか?」
「もちろんです。それを全部ひっくるめたものが、大楠という一人の人間なのです。どれが欠けても大楠は大楠ではないのです。それをバラバラにして自分を語ることはできません。誰のせいでもないのです。大楠が神官の家に生まれることを望まなかったように、小老だって自分の孫が歌や竪琴を好む人間でいてほしくはなかったと思いますよ」
歌も金髪も、ほかのすべても合わせて自分という人間ができている。風間の言葉を聞きながら、大楠は自分の価値観が大きく変わっていくのを感じていた。大楠はこれまで、神官の仕事は小老の押しつけなのだと感じていた。そして、神官の家などに生まれなければ、自分はもっとのびのびと生きることができたのだと。しかし、その神官の家に生まれたことさえ、大楠という人間の一部なのだ。それがなければ、大楠は大楠ではない、別の人間になってしまうのだ。
「自分が持って生まれたもののすべてが同じ方向を向いているとは限りません。その、別の方向を向いた一つ一つにどうやって折合をつけて生きていくか、それが大楠がこれから考えなければいけないことだと思います。誰にも迷惑をかけないようにね。小老の小言が減れば、大楠の人生もずいぶん生きやすいものになると思いますよ」
歌を歌いたい。諸国を旅して、たくさんの物語を歌にしながら生きていきたい。持って生まれたこの気持ちは、果たして神官の仕事と両立することができるのだろうか。どちらも、大楠という一人の人間の中に合わせて存在していることなのだが。
明るい日差しの下、機械的に食事を詰め込みながら、大楠は考えていた。なかなか結論が出そうにない難しい命題を目の前にして。
それはそれとて、やはり風間という男は、人を自分の理屈の中に丸め込むことがことのほか好きなようである。
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