FINAL QUEST 1



     3

 陵南王国の首都陵南の名を頂く陵南公仙道は、陵南国王魚住の従弟である。役職に宰相を賜っているが、事実上は閑職である。本人は情事にばかり精を出し、めったに王宮に顔を出すこともない。しかし隣国湘北の王女晴子との結婚が決まったので、やっとの思いで愛人達をすべて処分したところである。
 その仙道は、珍しく国王魚住の命により、王宮に出頭させられていた。謁見の間でうやうやしく礼を尽くすと、国王魚住はしかつめらしい顔をして、あまり楽しくもなさそうに口を開いた。
「公に見舞を頼みたい。田岡老が臥せっておるのは知っていような」
「……確か南の方で療養中とか」
 とぼけて、仙道は言った。田岡は魚住の母方の叔父にあたる人で、その娘は今や王妃に一番近いと噂される美姫なのである。言ってみれば田岡はどっぷり国王側の人間なのだ。
「聞くところによるとだいぶ悪いそうだ。本当なら余が直々に見舞いたいところだが、それでは田岡が気にしよう。自分の病がもう治らぬと思い込んで絶望するやもしれん。それではせっかくの見舞も見舞の用をなさん。そこでだ。貴殿が供回りのみ連れて少数で参れば、田岡も奮起してくれるかもしれんと思うてな。引き受けてくれるか」
「……それは、陛下のご命令とあらば、この仙道、何処なりとも」
「では、頼む。くれぐれも、大仰にせぬようにな」
「心得ております」
 仙道は早速自分の屋敷に戻り、準備のために側近に指示を与えた。南からの移民の息子で、父親の代から仕えてくれる数少ない心許せる人間である。名前を彦一と言った。
「そりゃ仙道様、誰が考えても罠ですよ。そうに決まってます」
「……とは思うけどな。勅命に逆らっても仕方ねえだろ」
「せやかて」
 仙道と魚住とは年はわずか一才しか違わず、前国王が若くして倒れたとき、国王の従兄弟である二人のうちのどちらが次期国王にふさわしいか、国中が二分して争う直前までいったのである。どちらも王家の直系ではなく、当時十八と十七の二人の王子は、それぞれに個性的で人々には人気があった。王位継承権は先に生まれた魚住の方が上であったが、母の血統は仙道の方が正しい。魚住は武芸に優れ、他国に圧倒されない陵南を作るにもってこいと思われたが、仙道は学問に秀でており、他国にバカにされない陵南を作るのに最適な人物だった。その時は、仙道の方が身を引いて国内の分裂は避けられたが、今でも魚住は仙道に王位を奪取されることを警戒して、あわよくば暗殺してしまおうと日々狙っているのである。
 仙道の方はそんな気など毛頭ないらしく、情事に精を出したり放蕩を繰り返してアピールしているのだが、そんな行動そのものも魚住の癇に触るらしい。さらに今回湘北王国の姫を娶ることになって、またしても火がついたというべきか。その結婚にしたって魚住が仙道に内緒で勝手に決めたことなのである。まったく、手がつけられないとはこのことだっただろう。
「ま、そういう訳だ。適当に腕が立って、適当に目立たない奴を何人か選び出しておいてくれ。それから、見舞の品も。……まったく、せめて見舞の品くらい自分で選んでくれればこうも気を遣わなくて済むものを。オレにオヤジが好みそうなものなんか判るか。だからって娘好みの品なんか贈ったら陛下の花嫁候補に手を出したとかなんとか言われるに決まってるし」
「……おいたわしや。仙道様ともあろうお方が」
「こら、笑ってねえで準備しろ。さっさと行ってさっさと終わらしてこようぜ」
 こうして、彦一は準備のため、方々走り回ることになるのである。

 山の麓の村から約十日ほどかけて、花道一行は陵南王国の首都陵南へと足を踏み入れていた。今回、彼らは首都に用があるという訳ではない。王様に会わなければならないということもない。だから本当なら首都は避けて通ってもよかったのである。そうしなかったのは、首都を避けるということは街道を外れて遠まわりすることであり、その分時間もかかるし魔物の危険も多くなるというのが一つ。もう一つの理由は、晴子が嫁ぐという仙道の人柄を、花道は自分なりに見極めてみたかったのである。
 もちろんそんなことをしたところで晴子のために役に立つという訳ではなかった。しかし、少なくとも仙道の人柄を知れば、晴子が幸せになったと納得できるかもしれない。それは、晴子の役に立つことではなく、花道の心の問題だったのだ。
 ともかく、陵南の首都はまるで双子のように湘北の首都によく似ていた。それは双方の国の国民性が似通っていたことに起因するのだろう。四人はある種のなつかしささえ覚えながら、通りを中心部に向かって歩いていった。
 その、通りの集まるところのやや広くなった広場での喧騒が、四人の注意を引いた。近づいてゆくと人だかりが見られる。四人がいぶかしみつつ覗いてみると、まず最初に喜んだのは高宮だった。
「やりい! 喧嘩賭博じゃん!」
 高宮が言ったとおりだった。人だかりの中心で、二人の男が軽く戦っている。そして、別の一人の男が二人の名前を叫びながら金を集めて回っているのだ。高宮はすぐに小銭を持って駆けていった。そして片方の男に金を賭けると、応援し始めたのである。
「やれーっ! 虎男!」
「龍之介! 負けるんじゃねえぞ!」
「そこだーっ! パンチパンチ!」
 花道達もこぞって応援を始めた。二人の男達のファイトにもしだいに熱が入り始め、応援の声に励まされ、戦いは激化していった。やがて、龍之介を抑えて虎男が圧勝すると、人々は喜びと悔しさとの二つの歓声につつまれたのである。
「やったぜ! 勝ったぜ!」
 高宮が喜んで戻ってくる。配当はたいしたことはないのだが、儲かったことよりも自分の予想が当たったことが嬉しいらしかった。
「今度はお前らも賭けろよ。ほれ、小銭やるから」
 彼らは今お金には困っていないのだから、ほとんど道楽である。今夜は首都に泊まるつもりだったので、時間を気にする必要もないのだ。
「さあて、この虎男に挑戦するつわものはいないか? 勝てばファイトマネーも出るよ。我こそはと思うものは名乗りをあげよう!」
 なるほど、こういう趣向らしい。それにしても対戦相手の虎男は巨漢である。なかなか名乗りを上げる人がいないので、人々はざわめき始めていた。
「オレ、やってみようかな」
 花道が言ったので、三人は目を丸くした。花道も十三才の子供としては大きいが、虎男はさらに頭一つほども大きい。どう考えても花道は無謀であった。
「マジ?」
「殺されるぞ、花道」
「ようはゲームだろ? どうってことねえよ」
「だけどよ」
 三人の困惑をものともせず、花道は人波をかきわけて、興行主の男の前へ出た。さすがに男もぎょっとする。しかし、どうやら花道以外の対戦相手は見つからないと見て、すぐさま頭を切り替えていた。
「ぼうず、ファイトネームはあるか?」
「名前は花道だ」
「花道か。それじゃしょうがねえな。……よし、赤い髪のぼうず。お前はライオン丸だ」
 あまりセンスのいい名前とはいえなかったが、花道はうなずいていた。
「……判った。それでいいぜ」
「さあ皆さん! この勇気ある少年が名乗り出てくれたよ。名前はライオン丸だ。身体は子供だが、百戦錬磨のつわものだ。名のある武闘家をばったばったと蹴倒してきた少年勇者だよ! さあ、みんな、賭けてくれ。チャンピオン虎男か、少年勇者ライオン丸か! さあ、さあ」
「……こうなっちまったら仕方ねえ。オレ達も賭けようぜ」
「賭けるってどっちに」
「もちろん花道に決まってんだろ! 金賭けねえで心のこもった応援ができるか! おやじ! オレ達はライオン丸に賭けるぜ!」
 仲間達の声援を受けて、花道はチャンピオン虎男との対戦に臨んだ。激闘につぐ激闘に、あたりは再び大きな喧騒につつまれる。そして、虎男にあらゆる技を出させ、十分に引き付けたところで、花道はその死闘に勝ってしまったのである。
「すごいぞライオン丸!」
「やるじゃねえか!」
 さて、それからというもの。
 子供の花道を適当なカモだと勘違いした大人達に花道は連戦連勝を続け、喧嘩賭博にはあるまじき十連勝という快挙を成し遂げた。さすがにこれ以上は商売にならないと判断した興行主は、興行の終わりを宣言して、花道に十回分のファイトマネーを手渡した。仲間達のところに去る間も、花道には惜しみない称賛の声が寄せられたのである。
「あー腹減った」
 通りを歩きながら、花道は言って仲間達を笑わせた。もちろん、次に向かうのは食堂である。
「それにしてもすげえなお前。いつの間にあんなに強くなってたんだ?」
 大楠の言葉に、花道はさしておもしろくもなさそうに答えた。
「あそこにいた奴、みんなたいしたことなかったぜ。賭博だと思ったから、オレだってだいぶ手え抜いてたんだ。判っただろ? 忠」
「ああ」
 少なくとも、最初に戦った虎男は本物の武闘家だった。しかしそれ以後の男達はみんな普通のただ喧嘩慣れしただけの男達で、最初に対戦したとき花道の実力を見て取った虎男は、これが喧嘩賭博であることを説明して花道に『適当に負けながら勝つ』ことを教えたのである。
「なんだ、八百長か」
「ってほどでもねえだろうけどな」
 その時である。
「ちょっと、ライオン丸さん。あんさん、ライオン丸さんでっしゃろ?」
 後ろから声をかけられ、花道は振り返っていた。ライオン丸などという名前がそうそうあるとは思えなかったのである。
「なんだ? 何か用か?」
 そこにいたのは、かりあげ頭の小さな男であった。
「あんさんにおりいってお話が。ちょっと一緒にきてもらえませんやろか」
「オレ達、これから飯食いに行くんだけど」
「もちろんごちそうさしてもらいます。申し遅れました。わい、陵南公仙道様の側近で、彦一と言います。ぜひよろしゅうに」
 怪しいことこの上ない男であったが。
 思いがけずに仙道に会えるかもしれないことを思って、花道達はこの男について行くことにしたのである。

 彦一の作った見舞の品の目録をチェックしながら、仙道はふと物思いにふけっていた。そんなおりである。その彦一が血相変えて駆け込んできたのだ。
「仙道様ー! 彦一です!」
「言われなくても判るよ。もっとおとなしく入ってきたらどうなんだ」
「これがおとなしくしていられまっか。たいした拾いもんですわ。一刻も早くお知らせしたくて」
「判ったよ。それで、いったい何を拾ったんだ」
「自治領の領主です」
「へ……?」
 まさか彦一がそんなものを拾ってくるとは思わなかった仙道である。しかしあまり驚かされた自分を見せたくなかった仙道は、咳払い一つして表情をもとに戻した。
「確かか」
「ええ。関所にも確認しました。確かに自治領の領主とその一行は陵南市内に入ってます。その、容貌が変わってますので、門番も一目見たらよう忘れられへんようで。真っ赤い髪と金色の髪の二人を含む四人組の少年なんですわ」
「……そいつは確かに自治領の領主に間違いねえな」
 自治領の領主が変わってから、すでに数か月の日数が経っている。そのこと自体は秘密でもなんでもなかったから、陵南公である仙道の耳にも届いていたのである。しかしまさか陵南の首都に彼らが現われるとは思いもしなかった。仙道は持ち前の頭脳をフル回転させた。
「で? 今どこにいるんだ?」
「お屋敷の鏡の間でお食事をふるまってます。とりあえず仙道様にお会い頂きたいと丁重に連れてきましたから、なにも疑ってないと思いますけど」
「ふーん。で、何がたいした拾い物なんだ」
 さして気乗りしない様子で、仙道は言った。もちろん、仙道自身は彼らの利用方法を一から十まで考え尽くしていたのである。しかし彦一の考えを聞いておきたかったので、あえてそういう態度を示して見せたのだ。
「領主達一行を田岡様の見舞に連れて行きましょう。わいは見たんです。領主さん、松下さんを倒しはりましてん」
「へえ、あの松下を倒したのか。あいつは確か、市中でなんとかいう興行主と組んで喧嘩賭博をやってたよな」
「虎男っていうファイトネームです。その虎男さんを倒しはったんです、領主さん。ライオン丸さんとか名乗って。もちろん八百長でしたけど」
 もしも花道が聞いていたらさぞかし激怒したことだろう。しかし、けっして花道が弱かった訳ではない。虎男の方が強すぎたのである。
「子供で、しかも髪の色が珍しい赤と金色です。それだけで十分お見舞の品としては陛下も納得なされます。その上金色の髪の方の少年は吟遊詩人ですから、田岡様をお慰めすると言えばまず疑われません。あと二人は剣士と遊び人ですけど、剣士の方も子供ですから、護衛としてものの役に立つとはよもや思われません。陛下に少数で見舞に行けと言われましてんから、護衛につけられんのはせいぜい四人がいいとこでっしゃろ? 領主一行を連れて行けば、あと二人分の計算に入れてもいいと思います。それに」
 彦一は言葉を切った。そして、精一杯声をひそめるようにして、続けた。
「領主は湘北王国の晴子姫と懇意やそうです。それに、自治領をお味方に付けるのは、仙道様にとって悪い考えとは思われません。湘北国王だって、仙道様が国王になられるようなことがあっても、きっとお味方についてくれはります。義理とはいえいずれは弟になられる訳ですから」
「……あのな。お前、オレが王位を狙ってるようなこと言うなよ」
「だって、狙ってられはるんでしょう?」
 あっさり決めつけられて、仙道は二の句がつけなかった。彦一にさえ見破られるようでは、仙道のやりようも少々生温かったのかもしれない。
「奴らはどのくらい知ってるんだ?」
「まだ何も。わいが聞いたのは、花道って名前と、旅人だってことだけです。あとは仙道様が聞き出してくれはったら」
「……ま、とりあえず領主の件は保留だな。見舞に同行してもらえるかどうか、せいぜいおだててみるとするか」
 こうして、仙道は初めて花道と会うことになったのである。

 そして、花道達は今、仙道に同行して田岡の屋敷へ旅をしていた。
 ほかの同行者は仙道と仙道の側近の彦一、そして、ボディガードらしい四人の兵隊である。彼らは端目にはそれほど強い兵士には見えなかった。しかしそれも仙道が吟味して選んだ、見えないけれどつわものの粋なのである。
 ほかに馬車が一つ、これには見舞の品を積んでいる。そんなひどくのんびりとした一行が、歩いて十日ほどの南の屋敷への道連れなのであった。
 仙道は花道達に事情をほとんど包み隠さなかった。仙道と国王との確執のこと。この見舞いが、国王の罠かもしれないこと。どうしても少数で行かなければならないから、花道達にぜひボディガードをしてほしいこと、などである。花道達にしてみれば、あまり他国のお家騒動になど巻き込まれたくなかったのが本音だったのだが、もしも万が一仙道が死ぬようなことがあれば晴子が悲しむかもしれないとも思ったし、それに、自分達の腕が買われたのはそれなりに嬉しいことだったのだ。大楠なども、病の人を自分の歌で慰められるのならば、というような気概もあった。要するに、そういう細かい部分を上手に仙道に突かれた訳である。
 総勢十人の一行の中では、仙道だけが馬に乗っていた。このあたりには魔物も多く出没する。魔物と戦う場合、馬では不利なこともあるので、戦争以外ではあまり兵士も馬に乗ることはないのである。草原で、馬上の仙道が兵士達に小休止を言い渡した。
「もうだいぶ目的地に近づいたかな」
 高宮が言うのへ、仙道は馬の世話を側近の彦一に任せて花道達のところへ寄ってきて言った。
「夕方には着くだろう。みんなよく頑張ってくれたから、予定よりも早く着けそうだ」
「もうそんなに近いのか。判らなかったぜ」
 これまで、そう強い魔物にも出会わなかった。一行はひどくのんきな旅をしてきたのである。
「なあ、センドー公爵、敵はいつ襲ってくるんだ?」
 花道は仙道のことをそう呼ぶことに決めていた。言っても仕方がないと思ったのか、仙道もそう呼ばれることになんの不満も述べなかった。
「ここまできて何もなかったってことは、たぶん帰り道の一日目か二日目が一番危険だな。帰り道だろうってことは判ってたんだ。陛下も、見舞いの品くらいは届けておきたかっただろうからな」
「王様のくせにセコいな」
「そんなものさ。それに、行きと帰りとじゃ民衆の心証がぜんぜん違うんだ。行きで事故にあえば命令した陛下のせいになる。それが帰りだと、不思議とオレのせいになるのさ。どうして帰り道で気を抜いたんだ、ってな。人間てのはほんとに不思議な考え方をするよな」
 花道達は、この気さくな公爵に、ごく自然に好意を持っていた。そもそも大人というのは、自分が大人であるというだけの理由で、子供に尊大に振る舞うことがある。子供はいつもそんな大人の存在を感じ続けているのである。その上、仙道は公爵だった。そんな仙道が、最初から花道達に対してまったく一人の大人に対するような態度で接してくれているのだ。あらゆる質問に対しても、ごくあたり前のように懇切丁寧に説明し、時には意見を求め、反論するときも相手の自尊心を傷つけなかった。花道達がこの公爵に対して好意を寄せるのは、本当に当然のことだっただろう。
「だけどさ、公爵様。もしも暗殺が成功したら、誰だって王様のやったことだと思うよな。そんな王様に家来がついてくるのか?」
 質問したのは高宮だった。
「そこが国ってものの不思議なところさ。たとえば暗殺が成功して、陛下が責められたとする。陛下が失脚して、さて、そのあと誰が王様になるかっていったら、今の状況じゃどうなる?」
「……どうなるかな」
「困るんだよ。今、陵南には次の王様になれるような人物はいねえんだ。血筋が正しい国王の候補がいねえから、どうしたって力のある貴族が覇権争いを始めることになる。そうなったらほかの国に目を付けられて、内乱してる合間に国自体が滅ぶことにもなる。そうならないためには、今オレが殺されたとしても、誰も陛下を追い落とす訳にはいかないのさ。
 だけど、もしもオレが結婚して、子供が生まれてたらどうなると思う?」
「そうか。王様を追い出して公爵様の子供を王位に付けられる。だから王様は今公爵様を暗殺してえんだ。公爵様が結婚しねえうちに」
「ま、そういうことだ。……そろそろ行こうか。できれば日が沈む前に屋敷につきたいからな」
 そんなこんなで、その日のうちに一行は無事田岡の屋敷の門をくぐることになった。その夜は旅の疲れをとって休み、翌日、田岡の病室に仙道と見舞いの品という触れ込みの四人は訪れていた。病室は、病人にとって環境よく整えられ、日の当たる庭に面した場所にしつらえられていた。明るく、広く豪華で、病室などと言っては申し訳ないくらいだった。
「鮎子がおらんことは気にしないでくだされ。いま公と顔を会わせて妙な噂を立てられたくないんでな」
 その一言だけでも、田岡が仙道を歓迎してないことはありありと判るだろう。
「そう長く親子の語らいのお時間を邪魔するつもりはありませんよ。病に効くと思われる薬草や、海産の珍味など取り寄せましたのでお納めください。お早い回復を心からお祈り申し上げております」
「ご厚意、ありがたく受け取っておこう。……その者達は」
「珍しい髪を持つ少年がおりましたので、お慰めになればと。この、金色の髪を持つ少年は吟遊詩人です。もしも歌などご所望であればなんなりと」
「ふむ。では、何か心のやすらぐものを一曲なりと」
「大楠、何か、心のやすらぐものを」
 大楠が、まるで王宮貴族のような振る舞いで一歩前へでると、田岡ははっとした。そして、大楠は一礼し、竪琴で和弦を奏でた。
「あの、おいら、この声だから、あんまりお慰めできるかどうか判らねえんだ。でも、おいら田岡様のために一所懸命歌うから」
 そうして、大楠が物悲しいようなゆったりとした曲を弾きながら、静かに歌い始めた。その時、大楠は心から田岡を慰めたいと思っていた。その心は和弦に乗って、歌に寄せて田岡のもとに届いただろうか。やがて最後の弦が響いたとき、田岡はわずかにほほえんでいた。
「なるほど、珍しい声だな。だが、歌は悪くない。北の草原の騎馬の民の姿が見えるようだった」
「ほめていただいて嬉しいッス。……田岡様。許して頂けたら、聞きたいことがあるんスけど」
 田岡は少し顔をしかめるようにした。この男は、仙道ほどに下々の子供に対して寛容ではなかった。しかし、歌のすばらしさは認めていたので、その分は許してやってもいいと思った。
「なんだね」
「もしかして、以前田岡様は魔物と戦って傷を負ったことがないッスか?」
 突然おかしなことを言い始めた大楠に、仙道も仲間達も驚いていた。
「いかにも。もう二十年以上も前になるが、背骨の脇に傷を負ったことがある。今でも傷跡は残っているが」
「魔物の傷は、時に身体の中に闇を残すことがあるんス。おいらが見た限りじゃ、その傷の中には闇がまだ残っていて、それが病を治りにくくしてるみたいなんだ。もしもおいらを信じてくださるんだったら、その闇を身体の中から消して差し上げたい。田岡様」
 田岡は、とっさにどう答えていいのか判らない様子だった。意見を求めて、ほかの人達の間に視線を流す。その視線は仙道のところにも流れてきた。
「この子供が嘘を言っているようには思えませんが」
 大楠を援護するように、高宮も言っていた。
「大楠は魔法使いで神官でもあるんだ。元気になりたかったら信じた方がいいぜ」
「オレも、大楠の言ってることは嘘じゃねえと思う。大楠はいつもオレ達が怪我をした時、その魔法で治してくれたんだ。腕は確かだ」
 忠も言って、そのまじめそうな視線を田岡に向けた。田岡は戸惑っていたが、やがて覚悟を決めたように、息を吐いた。
「大楠とやら。もっと近くに来て見てはくれまいか」
「はい」
 許されて、大楠はベッドの田岡に近づいていった。近くに寄ると更にはっきりと判った。背骨の近くに、こぶし大くらいの闇が巣くっている。大楠は花道を手招きした。花道も近づいて、大楠が見たものを田岡の背中に見ていた。
「花道、お前にも見えるか?」
「ああ、見える」
「手伝ってくれ花道。この闇は、背骨に近すぎる。お前は背骨を守ってくれ。オレが、光で闇を焼き殺す」
「……判った」
 花道は、魔法の修業を始めたばかりだった。だけど大楠は思っていたのだ。花道は言霊で呪文を唱えることをしなくても、内包している光そのものがすでに力を発揮している。思うだけでも十分なのだ。花道は田岡の背骨を守ろうと思った。そして、花道の光が田岡の背骨に向かって放たれたのを知ると、大楠は呪文を唱え、闇を、光で焼き始めたのだ。
「う……」
 その治療は、闇が普通よりずいぶんと大きかったので、かなりの時間をかけなければならなかった。それでも、大楠は気力の限り、呪文を唱え続けた。気力の使い過ぎは身体の光を消耗することになり、時には生命の危険さえ伴う。しかし大楠は、田岡の闇が完全に消えるまで、呪文をやめようとはしなかった。
 見ていた仲間達の方がハラハラした。やがて治療が終わったとき、大楠は不意に膝を崩した。しかしその表情は、一つのことをやりとげた喜びに輝いていた。
「大楠とやら。終わったのか?」
「はい。とりあえずあとはゆっくりと療養すれば元気になるよ」
「……では、そなたに礼をしなければならんな」
 田岡は、大楠が自分の身体の闇を退治してくれたなど、半分も信じてはいなかった。しかし、一人の少年が自分のために施してくれたこと、その気持ちに、礼をしなければならないと思ったのだ。たとえこの先自分の病が快方に向かわなかったとしても。
「蔵の中に不思議な模様を施したきれいな竪琴があった。あれを持っていくといい。たしか、売りに来た商人は魔力を秘めた品だと言った。儂はそんなことは信じていなかったが、もしや魔法使いのそなたになら判るやもしれん」
「……そんな、高価なもの」
「使う者がいなければただの飾りだ。儂は運命など信じはせぬが、あの竪琴もいつか使い手が現われることを知って、この屋敷に来たのかもしれん。……公、この者達、ただの少年ではあるまい」
「それは……。私が知っているのは、金色の髪を持つ者は世界にただ自治領和光村にしか存在しないということです」
「では、聖地の少年か」
 最初からそう話してくれていればもっと接しようもあったのに、と田岡は思った。どちらにせよ、仙道は食えない男である。聖地と関わりを持っていったい何をしようとしているのか。
 田岡は今は少年達に免じて考えないことにした。
「明日の朝出発されればよろしい。竪琴はあとで届けさせよう」
 田岡は言った。


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