FINAL QUEST 1



     2

 魔王の意味不明の来襲から翌日、花道達は再び国王赤木と晴子と大広間で会うことになっていた。そこには昨日会った文官木暮や、ほかにも数人の重臣達が顔を揃えている。彼らは一様に、昨夜の魔王の振舞に不安を隠しきれない様子だった。
「 ―― 魔王のその闇の力の強大さとその……姿の美しさの話は晴子からとくと聞かされたところだ。お前達は魔王を倒しにいくというが、勝算はあるのか? それも子供がたった四人で」
 赤木にしてみれば不安もいいところである。実際、魔王は城の内部深くに簡単に侵入することができたのだ。そんな強大な魔王にその気になられた日には、湘北王国一つなどあっという間に滅ぼされてしまうだろう。しかしだからと言って花道一行に軍隊を貸してくれなどといわれても、赤木としては困るのだ。そのあたり、複雑な心境だった。
「判らねえよ。ただ、オレは勇者で天才なんだ。オレしかできねえってものやらねえ訳にいかねえ」
 赤木は木暮に軽く合図した。すると木暮はなにやら大きめな紙を広げて花道達に差し出す。覗き込んでみると、それは地図だった。中心に湘北王国が載った、世界地図だったのである。
「何だ、これ」
「バカ! 地図だよ。ここに湘北って書いてあんのが見えんだろ?」
「これ、文字か。模様かと思った」
「……だめだ。こいつ、これがどんだけ高価なものだか判ってねえ」
 花道と高宮のやり取りは、回りの人々の笑いを誘った。それを感じて、高宮は旅の間にどうあっても花道に文字を教えなければならないと決意を新たにしたのである。
「この地図はそれぞれの国で使われていたものを集めて組み直して一枚にしたものだ。だから遠くの場所ほど正確さに欠ける。特に一番東の皇国翔陽は、唯一翔陽と国交のある海南帝国の貴族に頼んで書いてもらったものだからあてにはならんだろう。しかし翔陽の向こうが魔界だ。これからお前らが東に向かうのならば、翔陽を通らなければ魔界には入れんだろう」
「これ、くれんのか?」
「不本意だが晴子の頼みだからな。大切に使え」
 花道は世界地図を手にいれた。花道は驚いて晴子を見る。花道達はこれから流川を倒しにいくのだ。晴子はそれでいいのだろうか。
 そんな花道の視線に、晴子はニッコリ笑って答えた。
「桜木君、もしも無事で帰ってこられたら、あたしに教えてね。魔王がどんな風に生きて、どんな風に桜木君に倒されたか。あたし、それで十分だから」
「ハルコさん」
「それから、いろんな国のいろんな話を聞かせてちょうだいね。あたし、第二の故郷の陵南王国で待ってる。絶対よ」
 そう言うと晴子は後ろに仕えていた侍女に合図をし、花道に革の袋を渡した。その中にはたくさんの国際通貨が入っていたのである。
「ありがとうございます、ハルコさん」
「約束を忘れないで」
 花道が革袋と地図を例のごとく高宮に渡すと、赤木は言った。
「自治領から遠くなればなるほど、魔物は強くなる。特に山道は魔物達の巣だ。魔王と戦う前に死ぬことのないよう気をつけるんだな」
 皮肉な捨て科白を最後に聞いて。
 花道達は、湘北王国をあとにしたのである。

 旅の装備を完全に整えるため、花道達はもう一日だけ首都に滞在した。翌日、放射状に伸びる街道の中から北東に進路を取る一つを選び出して歩き始めた。その街道に村の数は多くはなく、やがてまったく村がなくなって数日後、街道そのものがぷっつりと途切れてしまっていた。やや標高も高くなり始め、ゴツゴツした岩肌も所々に見られるようになってくる。その頃である。花道達はそれまでに遭遇したこともないような、大きな魔物と出会ったのだ。
「高宮! 大楠! うしろに下がってろ!」
 体長は花道よりさらに頭一つほど大きかった。威嚇であろう、前足を上げて後ろ足だけで立った魔物は、剣士の忠と武闘家の花道に威圧感を与え、その身体を小きざみに震えさせた。鋭い爪は獲物を求めて鈍く輝く。あの爪にやられたら、とても痛いだろう。
「忠、オレが引き付ける。隙を見て後ろに回れ」
「判った」
 二言とは言わせない。緊張を孕んだ対峙を続けながら、忠はじりじりと立つ位置を変えていった。このゴツゴツした岩場の草原では、剣士にとっての足場は最悪だ。しかし場所を選んで魔物と戦うわけにはいかない。そうしているうちに、忠が十分に離れたと思った花道が、魔物に拳を打ち込んだ。
 魔物の方も同時に打って出る。双方の手が相手の身体を薙ぎ払う動きに、魔物はビクリとも動かず、逆に花道は吹き飛ばされていたのだ。その機を逃さず忠は剣で背筋を打つ。しかし魔物の固い皮膚は剣を弾き返していた。
 飛ばされた花道はとっさに受け身を取り転がっていたが、ゴツゴツした岩に身体を打ちつけ、一瞬のうちに立ち上がることはできなかった。そんな花道に向かって魔物が襲いかかる。その時。
 突然、魔物が炎を上げて燃え始めたのだ。魔物は奇妙なうめき声を上げ、のた打ち回る。炎はまるで燐を燃やしたように青白く普通の炎ではないことが見て取れた。突然の勝利に、花道と忠とはあっけに取られて魔物が燃え尽きるのを眺めていた。
 そのうち、花道のそばに大楠が来て、つられるようにほかの二人も集まってきていた。ひとしきり花道の傷の心配をしていたが、やがてその可能性に行き当たった忠が、おずおずという感じで言ったのである。
「大楠、まさか、あれ、お前か……?」
 大楠の方も、自分の呪文の効果に呆然としていたのだ。なにしろ実戦で魔法を使ったのは初めてだったのである。
「ああ、たぶん。オレが呪文を唱えた直後に燃え始めたってことは、オレの魔法が効いたってことなんだろうな」
「そういう特技があるんなら何で最初から言わねえんだよ」
 まったくである。そうすればもう少し楽な戦い方ができたかもしれないのだ。
「まあ高宮、そう言うなよ。花道、立てるか?」
「ああ。ただの打ち身だ。それにしても大楠、お前、すげえな。火も使ってねえのに魔物燃やせるんか」
「あれは割と初歩的な魔法だぜ。もっと強い魔物には効かねえよ。……花道、ちょっと動くな」
 大楠は再び何か口の中でぼそぼそ言った。すると花道の身体の痛みが嘘のように引いていったのだ。
「すげえ! お前、いったいなにやったんだよ!」
「癒しの呪文だ。ちょっとした傷ならこの呪文で治せるはずだぜ。痛くねえか?」
「ああ。ぜんぜん痛くねえ」
「そいつはよかった。オレもまだ捨てたもんじゃねえか」
 四人は立ち上がって、再び歩き始めた。しかし今目の前で見た奇跡は、四人の興奮状態をそうすぐに冷まさせようとはしなかった。三人に次々と質問を浴びせられ、大楠は得意になって魔法の講義を始めたのである。
「神がまだこの大地に生きてた頃、言霊って概念があったんだ。言葉の中には霊力があって、神秘を呼び寄せることができる。その言葉の霊力はその頃神の間では当然のように力を発揮していたのさ。つまり、呪文を唱えて魔法を使ってたんだ。
 当時、神も魔物もその言霊の力によって魔法を使っていた。言霊は言葉によって引き出される力だから、同じ言葉を持っていた魔物と神とは同じ言葉で呪文を唱えた。でも、元々存在の質が違うから、同じ呪文でも少しずつ影響力が違う。たとえば、オレがさっき花道に施した癒しの呪文、それを魔物が唱えれば、神にとっては死の呪文になる。唱えるものと唱えられるものによって、その呪文の意味が違ってくることになるんだ。
 オレ達人間は光と闇とを総合した存在だ。もしも今神がいたとして、その神が癒しを行えば、人間の身体は癒される。同じ呪文を魔物が唱えても、人間にとっては癒しになる。人間は光の部分と闇の部分を持ってるから、どちらの呪文を唱えても同じ作用があるんだ。その二つの呪文を、オレ達魔法使いは光の魔法と闇の魔法と呼んで区別してる。判るか?」
 三人は首をひねってしまった。そもそも三人には光と闇との概念自体が希薄なので、理解するだけの土壌がなかったのである。
「もっと簡単に言ってくれ」
「これ以上簡単にはならねえよ。つまり、オレは人間だから、光の魔法と闇の魔法と両方とも使えるんだ。言葉は神の時代と今とじゃかなり違うから、古代の神の言語を使うことで魔法を使う。だけどたとえば、同じ炎の魔法を使うにしても、相手が魔物だと光の呪文の方が威力があるんだ。それは魔法の効力とは別に、光を注ぎ込むことによる相殺効果が現われるからだ。だから普通魔物に対しては光の魔法を使うことになる。逆に魔物は闇の力しか持たないから、闇の魔法で攻撃してくる。だけど人間には闇の部分があるから、魔法は魔法の効力しかねえ。つまり魔法に関しては魔物より人間の方が有利なんだ」
「……だめだ。オレの頭が理解することを拒絶してるぜ」
 高宮が脱落したところで、不意に花道が言った。
「オレは光でできてるんだろう? オレには闇の魔法はてきめんに効くんじゃねえのか?」
 この質問には大楠でさえも驚かされた。花道の適応能力は意外なところで本性を現わしたのである。
「そうだな。たぶんお前には闇の魔法はよく効くだろうな。だけど、お前は光の総量が人間なんかとは桁外れに違うから、もしもお前が魔法を使えばオレなんかよりもずっとすごい魔法使いになれるはずだぜ」
「……だったら、身体全部が闇でできてる魔物の方が、人間よりもすごい魔法使いだってことにならねえか」
「……なるな。だけどそれはそもそも魔物のレベルの問題だから、これから先強い魔物と戦わなけりゃならねえことが判ってる場合の悲観材料にはならねえよ。
 花道、お前、魔法の練習してみるか?」
 その言葉に、既に戦線離脱してしまっていた高宮と忠とは驚いて振り返った。しかし花道は驚かなかった。
「いいぜ。大楠、オレに魔法を教えてくれ」
「古代の言霊は難解だぞ。発音自体がまるで現代語と違うんだ。お前、覚えられるか?」
「覚える。でなけりゃ、魔王流川なんか倒せねえ気がするんだ」
 湘北の城で会った魔王の大きさが、花道を奮い起たせていた。その決意の大きさに、忠も高宮もはっとさせられた。彼らはいつの間にか、自分がしでかそうとしていることの大きさを失念してしまっていたのだ。魔王流川は、自分の持つ能力のありったけを研ぎ澄まさなければ勝てないほど、巨大な敵なのだから。
「オレにも教えてくれ。一番発音が簡単な魔法だけでも」
「オレにも。せめて癒しの魔法くらい覚えておく方がいいだろう」
 高宮と忠が言って、決意を示した。大楠はニッコリ笑って了承した。
「それじゃ、早速特訓だな。まずは発音からだ」
 その、難解な発音を復唱しながら、四人は再び歩き始めた。
 そして、彼らはようやく山越え前の最後の村に歩きついたのである。

 村は、宿屋と道具屋でなんとか生計を立てているらしい、小さな村だった。ごくまれに旅人は往来するらしい。宿屋の主人は久し振りに来た旅人である四人に、しきりに国の情勢を聞きたがった。そんな合間をぬって、花道は洋平の容貌を話して聞かせた。その返答は、かんばしいものではなかった。
「ここは山越えする旅人にとっちゃ最後の宿だからね。ここを素通りする奴はまずいないよ。たぶん、街道の方を通ったんだろうね」
 いや、もしかしたらまだ湘北国内に留まっているのかもしれない。洋平は路銀をほとんど持っていかなかったのだ。それまでの行動パターンからすれば、今の時期は村で地道に稼いでいるはずなのである。
「東へ渡るなら急いだ方がいいよ。もうじき冬将軍がやってくる」
「冬将軍?」
「今、何月だか判るかい? とっくに夏のさなかは過ぎちまった。山じゃ、秋の終わりから雪が降るんだよ」
 徒歩で広い大地を移動していると、季節が過ぎるのが驚くほど早い。特に北の大地では、冬は間近まで迫っているというのだ。それは聞き捨てがならなかった。雪山を歩くなどもってのほか。今を逃しては雪が消えるまで山は越えられなくなってしまうのだ。
 選択の余地はなかった。洋平の行方は気になるが、今は前に進むしかないのである。
 その村で山越えに必要な装備を整えると、四人は湘北連山と陵南山脈の境の比較的なだらかな、だが十分に険しい山道を登り始めた。山道で最初にへこたれたのは、意外にも忠だった。花道はそれまでの旅でも似たような山道を歩いたことがあり、体力にも問題はなかった。大楠も山育ちである。高宮でさえ、子供の頃山間の村に拾われ、坂道を駆け回っていたのだ。平地の村に住んでいた忠だけが、山の薄い空気と坂の連続になかなか適応することができなかったのである。
 しかし、忠の体力をおもんぱかって速度をゆるめるわけにはいかなかった。冬将軍に魅入られては、命の危険さえあるのだから。
「ほれ、見ろよ忠。あの山、まるで花道の頭だぜ。よし、あの山を花道山と名付けよう」
 紅葉の美しさも高宮にかかればまるで相撲取りのしこ名になってしまう。
「そうするとあっちのは大楠山だな。忠、今夜は大楠山で泊まりと決め込もうぜ」
 忠自身も、まさか自分が仲間達の足を引っ張ることになるとは、思いもしなかった。高宮が必死に励ましてくれるのが判る分だけ、なんとか頑張って歩き続けたのである。
 ともあれ、約一月の山越えの末に、四人はめでたく陵南王国に辿り着くことができていた。その間も無論平穏ではなかった。山の手前で出会ったあの大きな魔物とは、五回に渡って戦うはめになっていたのである。あの魔物は火に弱いことが実証されていたからそれほどてこずりはしなかったが、同じほども強い魔物がさらにその三倍も出れば、行程が遅々として進まなかったのもうなずけるだろう。
 秋は終わりにさしかかっていた。山越えの道は湘北国内を大きく北に回り、山道自体はほぼ南方向に伸びていたので、陵南国内では首都までそれほどの日数を要しない。陵南の最初の宿で地図を広げながら、四人は久し振りに今後の進路について話し合っていた。
「 ―― 最終目的地は翔陽皇国だ。これは決まってる。その翔陽へ行くためにはたぶん海南帝国に行かなけりゃダメだろうな。オレ達は翔陽に入れる手形は持ってねえし、噂じゃ翔陽は鎖国状態だ。唯一関所を通過できるのが、海南帝国のお墨付きをもらった商人と国王の使者だけだってんだから。その海南に行くには幾通りか道がある。一番早えのがやっぱ海路だな」
 高宮は東の海岸からまっすぐに東に向かう海路と、南の港から南東の大陸をぐるっと回って海南の港に直接つながる海路との二つを地図上に示した。東に突っ切る海路では、直接海南に行く訳にはいかない。その間のいくつかの国と山脈は徒歩で突破しなければならないから、海路を使うとしたら南に回る方だろう。
「だけど問題がある」
「船がねえな」
「ああ。定期船の航行ルートじゃねえし、商船に乗せてもらうのも危険だ。船を買うっていったってそれほどの金はねえしな。それに、海南の南の海には海賊が出るんだ。用心棒雇ったりもしなけりゃならねえ」
「一応陸地も繋がってんだな」
「ああ。時間はかかるがこっちの方が安全は安全だ。森は多いがでかい山はねえ。ただし、魔物は多いぜ。船を使うより三倍は余分に見なけりゃならねえな。時間も、魔物も」
「花道、どうする」
 三人が花道を見ると、花道はなにやらしきりに考え込んでいた。やがて、花道は不思議そうな顔をして面を上げた。
「ちょっと、教えてくれ。ここに書いてあるの、これって、魔界って読むんだよな」
 花道は地図の右はじを指して言った。山越えの間、忠が休憩しているときに、花道は高宮に文字を教わっていたのである。そのかいあって花道も国の名前くらいなら読むことができるようになっていた。
「ああ。そうだぜ」
 花道は今度は左はじを指して言った。
「ここにも魔界って書いてあるよな。魔界は二つあんのか? オレ達は今右の魔界に向かってるけど、魔王がいるのがこっちの魔界なのか? もしも魔王が右の魔界じゃなくて、左の魔界にいたらどうすんだ?」
 もちろん、花道以外の三人はよく判っていた。この地図は人間界を中心にかかれたものである。そのため、魔界は地図の両はじに分かれた形で書き込まれているのだ。すなわち、地図上で分かれているだけで、本当はどちらの魔界も同じものを示しているのである。三人は頭痛の発作に襲われて三様に頭を抱えてしまっていた。
「あのなあ。お前、そんなことも判らねえで今まで歩いてきたのか?」
「……誰か言ってたか? 魔王は右の魔界にいるとか」
「見てろ」
 高宮は地図を取り上げ、筒状に丸めて左右の魔界をくっつけてみせた。
「いいか花道。オレ達が今立ってる地面てのは、ボールなんだ。これは紙だから筒にしかならねえけど、ボールだと思って見ろ。分けて書いてあっけど、こうすると一つになるだろ? 右の魔界も左の魔界も、もとは一つの魔界なんだよ」
 花道はしばらく、騙されたような気分でその筒状の地図を眺めていた。高宮が言うとおり、右の魔界と左の魔界とはくっついてしまったのだから。それはまるでマジックだった。花道はそれまでの価値観を一気に覆されてしまったのである。
「そういや、前に一条っておっさんが言ってた。地面は丸いんだって。……魔界は和光村の裏側にあるんだったよな。ほんとに裏側だ。こういう意味だったのか」
「……しっかりしてくれよ。頼むぜ、勇者」
 花道は仲間達と旅を始めてから、自分がどんどん利口になっていくような気がした。高宮も忠も大楠も、花道にとっては限りない知識の師匠なのだ。
「判ったところで、どうする? 花道。海路か陸路か」
「陸路だ。人間を敵に回すよか、魔物の方がいい」
「決まったな」
 そして。
 この判断の優しさこそが、ほかの三人が花道を尊敬するに値すると思うことのできる最大の資質なのである。


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