FINAL QUEST 1



     4

 翌日、十分とはいえないまでも気力を回復させた大楠を伴って、一行は再び旅人となっていた。新しい竪琴は大楠の腕にしっくりと合った。まるで大楠のために特別にあつらえたものであるかのように。
「きれいな音だな」
 嬉しさに歩きながらも弦を爪弾いている大楠に、花道は言った。装飾も見事だが、その音も竪琴とは思えないほどの澄んだ音色だった。
「空気の組成が変わってるのを感じねえか? 花道。光と闇とが入り乱れた大気の折合を正常に戻してくれてる。この音を聞いてる人間や魔物の病んだ部分でさえ整える力があるみてえなんだ。オレ、すごいものをもらったよ。もしかしたらもっとすごい力もあるかもしれねえ」
 花道はしきりに感心していたが、高宮は首をかしげない訳にはいかなかった。人間の傷を治すのはいいが、魔物の傷を治してどうするのだろう。せっかく倒した魔物が竪琴の音を聞いて生き返りでもした日には、命がいくつあっても足りないではないか。
 来るときに小休止したと同じ場所で、仙道は休憩を言い渡した。そろそろ昼ごはんの時刻である。馬車の手綱をひいていた彦一が、馬を停め、馬車の中から全員に簡単な食事をふるまって昼食会が始まっていた。
 そもそも最初から、この十人の道連れ達の食事は和気あいあいと賑やかだった。少年達と公爵との率直なふれあいに、回りで見守る兵士達も快い感情を持っていたのだ。
「公爵様、いつから気付いてたんスか? 自治領のこと」
 会話が途切れたときに忠が言って、皆も仙道に視線を集めた。四人とも仙道の人柄はだいたい判っていたので、すぐに疑いの目を向けるようなことはなかった。
「お前らが陛下の手のものだと困るから、一応調べたのさ。黙ってたのは悪かったが、オレもこういう立場の人間だ。身元の判らねえ人間を近づける訳にはいかねえ。これで答えになったか?」
「ああ。なったと思う」
 つまり、仙道と初対面する前にはもう判っていたというのだ。四人はなんとなく気が抜けたような気がした。
「とりあえずお前らを政治的意味合いで利用しようなんて考えはねえから安心しろ。今のところ、オレは自分の身を守ることしか頭にねえ。……だいたい、自治領ってのは永世中立を保ってる間だけ存在の意味があるんだ。もしも自治領が特定の勢力に加担したら、その時点で自治領の存在意義はなくなる。半端に手を出しても仕方ねえのさ」
 その話は、花道達四人にはまったく判らないレベルのものだった。質問しても理解できそうにはなかったし、理解するまで果てしなく時間もかかりそうだったので、四人は四人とも聞かなかったことにした。彼らの中には政治に少しでも関心のある者などいなかったのである。
「ところで領主、オレの護衛が終わったら、どうするつもりだ? 領地に戻るのか?」
 この言い方から察するに、花道達が魔王を倒すために旅をしていることは仙道の耳には入っていないらしかった。もしかしたら知っていて知らないふりをしているのかもしれないが。
「海南帝国に行く」
「船か?」
「いんや。歩く」
「それがいいな。海南の海は危険だ。なんたって海賊と魔物とが沈めた船の数を競ってるくらいだからな。子供に越えられる海じゃねえ。ただ、大陸を回るとなると、一年は覚悟だな」
「そんなにか」
 時間がかかるとは思っていたが、具体的に言われるとなかなかずっしりくるものがある。だがどちらにせよ陸路が正しい選択であることは間違いなかった。
 食事を終え、再び首都への帰り道を歩き始めていた。花道達四人はいつも馬車のやや前を適当に散らばって進んでいた。仙道は馬車の右側に寄り添うように馬を操り、兵士は仙道を囲んで周囲に目を光らせている。彦一は馬車の手綱を引いて歩くペースを整えている。街道にそって、休憩からしばらく進んだ頃だった。歩き続けていた全員が、なんらかの形で不意に違和感を感じたのである。
「……敵か?」
 しかし見渡す限り風景に敵の姿はなかった。街道に沿う形で左に林。その向こうに小川があるはず。
「川の音が聞こえねえ! 鳥の声もだ!」
 一番聴覚の発達した大楠がそう叫んだその時 ――
「陵南公仙道! 主人の命によりお命頂戴する!」
 いきなり叫んで現われた黒装束の一団はその一瞬前までは確かに存在しなかったはずの者達だった。しゅるりと剣を抜き放ち、静寂の中を物音一つ立てずに襲いかかってくる。
「センドーを守るぞ!」
 花道が叫んで移動しようとしたその刹那。
「あがっ……!」
 黒装束の男達が一斉に剣を突き刺したのは、花道の身体だった。

 咽喉を鳴らして仰向けに倒れた瞬間、花道は空を舞い続ける黒い鳥を見ていた。
(あれは……洋平……?)
 しかし確かめることはできなかった。花道はすでに意識を失っていたのだ。
「は……花道!」
 現われた時と同じように唐突に黒装束の男達は去っていた。小川のせせらぎも鳥の声も戻っている。しかし誰もそんなことを気には留めなかった。血まみれの花道は理由には十分過ぎるほどだった。
「しっかりしろ花道! はなみち!」
「……う嘘だろ。目え覚ませよ!」
 駆け寄る仲間達は信じられない思いで花道の身体をゆすったり顔を叩いたりした。大楠は震える手で印を結び、癒しの呪文を何度も唱えた。仙道も馬を降り、手を取って脈をみる。弱々しくはあったが、花道はまだ生きていた。
「戻るより先の町の方が近いな。福田! すぐに花道を馬車に運べ! 大楠、お前はあんまり呪文を唱えるな。お前の方が死ぬぞ」
 大楠は昨日の田岡の治療で気力を使い果たしているのだ。このままでは花道の傷が治る前に大楠の方が死んでしまう。
「花道の目を覚まさせる。そうすりゃ花道が自分で治せるはずだ、こんな傷」
「無茶を言うな。……やべえ。肺を貫通してやがる。町まで持つかどうか」
「花道ぃ!」
 兵隊達が細心の注意を払いながら花道を馬車まで運んだ。その顔は一様に青ざめている。彼らは人間がどの程度の傷で死ぬか、数々の経験によって知り尽くしている。そんな兵士達の誰もが感じているのだ。花道の命は絶望的だと。
 その間に、仙道はてきぱきと指示を与え、彦一を呼んで言った。
「田岡老の屋敷に行って医者を借りてこい。疑われたらお前は帰ってこなくていい。何としてでも医者だけは町につれて来るんだ。できるな」
「はい! ……馬をお借りしていきます」
 彦一ができる限りの迅速さで馬に乗り、馬頭を翻して去ってゆく。その間に花道は馬車の中にどうにか寝かされていた。
「公爵様。なんで花道が」
 仙道は高宮達三人を馬車に乗せ、兵士の一人に御者を命じその他の三人は駈け足で馬車の後ろから町に向かうように指示しながら自らも馬車に乗り込んだ。今は祈るしかなかった。町に着くまで、花道の体力が持ってくれることを。
「オレにも判らねえ。ただ、一つだけ言えることがある。人間には誰一人として自治領の領主を殺す理由はねえ。花道を殺す理由を持ってるのは、魔物だけだ」
 まだ、花道を殺させる訳にはいかない。
 馬車の中で彼らは、生まれてから今までの人生の中で一番真剣に、神への祈りの言葉を唱えていた。

 とうとう牧は地下牢の中へ自分の寝具一式を持ち込み、ここに寝泊まりする決心を固めていた。
「陛下! バカな真似はおやめください。たかが魔物が一匹いなくなったくらいで何を血迷ってるんですか。陛下は帝王なんですよ。ただでさえ陛下が牢に通っていることに眉をひそめる重臣も多いというのに」
「うるせえな。お前に何が判るってんだ。洋平は五万年生きてきた魔物だぞ。生きてる化石だぞ。それがどれだけ重大なことか。オレは歴史を目のあたりにしてるんだぞ」
「もちろん判りますとも。でもだからと言ってこれとそれでは話が別です。だいたい陛下がここに寝泊まりしたら、その魔物が帰ってくるとでもいうんですか? そんなことないでしょう?」
 止めに入っているのは牧のお付きの小姓である。その言い分は間違いでもなく無益でもなかった。しかし正しい言い分がいつでも相手の心を動かすという訳ではない。
「判らねえだろそんなこと! オレが全身全霊かけて待ってることで洋平が帰る気起こすかもしれねえじゃねえか。いいから戻ってろ。オレのベッドにデク人形でも置いときゃバレやしねえ」
「小さな子供みたいなこと言わないでください。お願いですから」
 その日の昼ごろであった。午前中の公務を終え、夕方からの公務までのわずかな空き時間に地下牢を訪れた牧は、牢の中から洋平が忽然と消えているのに気付いたのである。いったいいつ洋平がいなくなったのか、牧には判らなかった。前々日の夜以来、牧は地下牢にきていなかったのだ。
 別れのあいさつもなしに洋平がいなくなってしまうはずはないと思っていた。地下牢で眠ることを決めたのは、帰ってきた洋平から真っ先に事情を聞くためだったのである。
 二人はその後も不毛な争いを続けていた。その時不意に、地下牢に黒い小さな鳥が舞い込んできたのだ。暗い地下牢で飛べる鳥などいるはずがなかった。
 牧は視線と仕種で小姓に下がるよう命令した。小姓はおとなしく従った。無関係の者が消えると、鳥は徐々に姿を変え、牧が馴染んだ洋平になったのである。
「洋平……」
 その場に崩れ落ち、洋平は壁を背凭れにしてうつむいていた。鳥の姿でいることは、洋平の体力を著しく消耗する。これが、平気で星の裏側までも往復する流川との、魔物としての格の決定的な差だった。
 しかし、洋平はそれまで牧が見てきた洋平とは明らかに違っていた。
「……オレ、花道を襲ってきた」
 牧は身体を震わせた。しかしやがてゆっくりと、洋平の肩に手をかけた。洋平は小さく今にも消えてしまいそうだった。
「殺せたのか……?」
 洋平は答えなかった。その沈黙の意味を、牧は理解できるような気がした。
「今、どこにいるんだ」
「……陵南王国の町で手当てを受けてる。剣が五本も貫通して、普通の人間なら即死するほどの怪我の筈だった。なのにあいつは死ななかった。……あいつは、殺せねえ」
「落ち着け。……てこた、お前が自らやった訳じゃねえんだな。だから殺せなかったんだ。お前がやりゃまだ殺せる」
「……かもしれねえ」
 牧は穏やかな仕種で身体を寄せ、魔物をその腕に抱き寄せていた。あの日、裏庭の空から落ちてきた洋平を受け止め支えた時のことを思い出した。そしてあの時思ったことも。
(やはり、似てるな)
 翔陽の皇太子藤真の瞳はきつく輝いていた。洋平の伏し目がちな眼差しとは違う。僅かに開かれた唇も違う。それなのに、こんなに違うのに、二人は似ている。
 輪郭をなぞるように頬に角度をつけ、牧は唇を寄せる。予想されたはずの抵抗はなく、唇は触れられていた。しばし時を遊ばせ、やがて離れた時、魔物の唇から吐息とともに言葉が漏れた。
「甘い」
 洋平の声は牧を我に返らせる微妙な響きがあった。
「オレの唇に砂糖でもついてたか?」
 洋平はほんの少し表情を変えて笑った。その洋平の表情に、牧は洋平が自分と出会ってから初めて笑ったのだということに気がついていた。
「そうじゃねえ。……お前の欲望が甘い」
 洋平は、人間のマイナスの感情を喰らう魔物。その甘さは、人間の欲望が闇に属しているということなのだろうか。
「お前のいつもの相手は流川か?」
「だったら、なんだ」
「なに。流川の欲望はどんな味がするものかと思ってな」
「流川には欲望なんてねえ。流川は、感情を持ってねえんだ」
 そう言った洋平が不思議に悲しそうに見えて、牧はそれ以上なにも聞けなかった。
 ただ欲するまま、再び唇を触れていった。


――――  FINAL QUEST 1   了  ――――


扉へ     前へ