FINAL QUEST 1



  第五章 陵南王国


     1

 太陽の光の遮られた地下牢では、牧が持ち込んだカンテラの明かりだけが唯一の光源だった。
 ゆらゆらとゆらめく炎の動きに合わせて、光線が遮断された際に生まれる単純な影がうごめいている。影はいつも二つだった。海南帝国の帝王牧と、そして牧に匿われたひとつの魔物。
「 ―― 流川が動いた」
 それまでの牧の言葉を半ば遮るような形で、洋平は言った。牧は今まで自分が何をしゃべっていたのか忘れてしまっていた。
「……何だって?」
 そのあとの沈黙はそれほど長くはなかった。
「流川が花道のところに行ったんだ。何しに行ったかなんて判らねえ。ただ、流川と花道はそこで会ったはずだ。だけど流川はそのまままた闇の城に戻ってきた。流川は花道を殺さなかった。今の花道なら流川は簡単に殺せたはずなのに」
「ちょっと待て。ちゃんと筋道立てて説明しろ。花道ってのは何だ? お前が十三年一緒にいたとかいう人間のことか?」
 洋平は初めて牧にその物語を話した。洋平が、一人の少年を捨ててきたこと。その少年は十三年前に和光村に生まれた光の子だったこと。そして、洋平は魔王流川の命を受け、光の子を殺すために和光村に遣わされた水戸という魔物だったこと。感情的なことは洋平は少しも語らなかった。ただの事実、そのすべての物語を牧は聞いた。すべてを聞いて、その物語を頭の中でまとめるのに多少の時間を要して、長い時間のあと、牧はその言葉を発していた。
「そうか。なるほど。今まではお前が闇の封印をしてたから、魔王は光の子が生きてることを知らなかったんだな。その封印が解けて、光の子は強烈な光を放ち始めた。その瞬間に流川はお前が光の子を殺さなかったことを知った訳だ。普通なら、流川はもう一度光の子を殺すことを考えるだろう。一番信頼していた魔物に殺せなかったんだ。当然自ら行くって線も大ありだよな。なのに殺さなかったってのは」
 順当に考えて、流川が光の子に対して何もせずに城に戻るというのはありえないことだった。光の子はまだ十三才。子供の部類に入る。それまで洋平は花道に剣術を教えたりしなかったのだから、この短期間で花道が流川の力を凌駕するほどの力を身につけているとは考えにくいのだ。流川の力なら花道を倒すのはたやすいだろう。それに、二人が争えば、洋平がそれを感じない訳がない。二人は争いさえしなかった。それならば流川はいったい何のために花道のところに行ったのだろう。
「流川はオレが裏切ったと思ってる。……いや、とっくに思ってたよな。流川に命令されて出かけたオレが十三年戻らなかったんだ。もうとっくに裏切り者だと思われてる」
 それまで敢えて目をつぶってきた真実。洋平には、流川の信頼を失ったことが一番痛かった。どうしてあのとき花道を殺すことができなかったのだろう。花道を殺してさえいれば、何事も起こらずずっと流川の傍らにいられたのに。
 いや、もしかしたらまだチャンスはあるのかもしれない。流川は光の子を殺さなかった。それはもしかしたら、洋平自身に花道を殺させてやりたかったからなのかもしれない。汚名返上のチャンスを洋平に与えているのかもしれない。
 不意に思いついた考えは流川の行動を裏付ける十分な信憑性があった。
「今ならまだ、オレの方が強い」
「花道よりもか?」
「ああ。……どっちにしろオレはあいつを殺さなけりゃ流川のところにゃ帰れねえ」
「まあ、そうだな」
 曖昧にうなずきながら、牧は洋平に独特の観察の目を向けた。洋平は流川のところに帰りたがっている。帰りたいのならば帰ればいい。帰るために花道を殺さなければならないのならば、殺せばいいのだ。それなのに何をためらうのだろう。普通に考えるならば、事態は単純なのだ。判っていながら洋平が帰れないのは、洋平が花道を殺すことができないということを、無意識の奥底で感じているからなのではないか。
 おそらく洋平は気付いているまい。それまでの十三年間、幾度も洋平にはそのチャンスがあったのだということ。それでも花道を殺すことができなかったのだ。今更洋平は花道を殺せるとでも思っているのだろうか。
 それに、流川である。流川は洋平が戻って来ることを望んでいるのだろうか。たった今の洋平の話によれば、流川は花道のいる場所を正確に察知し、向かっていった。星の裏側にいる花道の場所は判るのに、それより近くにいる洋平の居場所は判らないのだろうか。
「なあ、洋平。お前には流川の居場所が判るんだろう? 向こうは判らねえのか?」
 その質問に対する洋平の答えは、明確なものだった。
「オレと流川とじゃ闇の力の差が桁違いなんだ。流川はその身体にとてつもない量の闇を内包してる。だから、オレ達魔物は流川の居場所はすぐに判る。太陽が移動してるようなもんだからな。だけど、流川自身は強大過ぎてオレ達みたいな小さな闇は見えねえんだ」
「そんなに違うのか?」
「そこらにいるただ多少強いだけの人間でも殺せるような魔物が一なら、オレが百で、流川は百万。そのくらい違う」
「……お前だって王の側近ならほかの魔物よりは上だろう。そうじゃねえのか?」
「オレより強い奴はそう多くはねえさ。だけど、流川はそんなオレ達が束になったって倒せねえくらいのすげえ力を持ってんだ。……もしも流川がその気になったら、世界中の人間を殺し尽くすこともできる」
「どうしてやらねえ」
「流川が、星の意志を象徴するものだからだ」
 質問の答えにもっと直接的な解答を期待していた牧は、その抽象的な言い方にかなり面食らってしまった。
「星の、意志……? どういう意味だ?」
「流川は魔物のさきがけとしてこの星に生を受けた。星にあるすべての生命を束ねる者として。星そのものが存続していくために、星そのものの気持ちを察して生命の代表として管理をしてるんだ。星を人間に喩えると、流川の役割は脳にあたる。流川はこの星の頭脳なんだ」
 牧は、洋平の言葉に驚き言葉を発することを忘れた。問題が、人間と魔物との確執や戦いから離れて、そのレベルがあまりに違ってしまったのだ。星の意志。ただの大地として人間が認識する星に意志があるなど、牧は考えたこともなかった。おそらくこの大地に住む人間達の誰も、そんなことを考えたことはなかっただろう。しかし星に意志があり、それが流川だとするならば、流川の行動のすべては星の意志にかなうことになる。その流川を倒そうとすることは、星の意志に背くことになるのだ。
 牧は人間の中では珍しく、魔物に対する確たる偏見は持ってはいない。だがそんな牧にしても、この事実をすんなりと理解することはできなかったのだ。
「流川が脳なのか? だったら魔物は。人間は」
「魔物は流川の意志で動く。星の浄化作用を手助けする役割を担ってるんだ。人間はあとからやってきた。いってみるなら、寄生虫に近い」
「……寄生虫、ね」
「井戸を掘るぐらいなら星はたいした傷を負わねえ。せいぜい蚊に刺される程度だ。道を作るために山を崩したり、木を切ってもそう影響はねえ。だが、人間は鉄を使って道具を作り始めた。地面の中から鉄を掘り出した。それは星にとっては神経を傷つけられることだ。神経を傷つけられたら星の星としての生命に影響する。だから流川は人間の浄化を始めようとした。百年前、星を闇で覆って、魔物の力を強化させようとしたんだ」
 人間が鉄を使ったから、流川は星に闇を放った。牧は自分が書こうとしている本の内容の中核の部分が明らかにされたことで、学者魂を刺激された。しかしそれとは別に、不思議な皮肉をも感じていた。人間は鉄で武器を大量に作り、魔物を退治し始めたのだ。流川の思惑はかえって鉄の量産に拍車をかけることになったのだから。
 すべては人間に返ってくる。そう、人間は神の一族と魔物との混血なのだ。その、種族的な結合すらもすべて、星の浄化作用の一端だったのだろうか。
「つまり、悪いのは人間って訳か。だったらなおさら流川は人間を滅ぼすべきじゃねえのか? 今みてえにちまちまやってたらほんとに星は死んじまうぞ」
 洋平は、牧から目を逸らして息を吐いた。その様子で、牧は理解した。洋平も本当はそうするべきだと思っているのだということを。
「星は……闇の星に最初に現われた神の一族を受け入れた。その時から星の意志は一貫してる。神の一族を受け入れたことで発生した人間て種族も受け入れる方を星は選んだんだ。だから、流川は人間を滅ぼさねえ。もしかしたら流川は、神への祈りによって生まれた光の子でさえも受け入れてるかもしれねえんだ」
 流川が殺されてしまうかもしれないのに。 ―― 洋平が流川のやりように苛立ち、光の子を殺すことがどれほど正しいのかを知り過ぎるほど知っていて、その役目を自ら引き受けたことを牧は察した。そして、その子を殺せなかった自分に、牧がそれまで思っていた以上の怒りと憤りを感じているのだということも。流川が人間を殺せないならば、せめて光の子だけでも殺さなければならないのだ。流川が光の子を殺せないならば、洋平が殺さなければならないのだ。
 それが喩え自らの手で十三年間育ててきたあの花道であっても。
「お前が光の子を殺せねえのはなんでだ」
 もはや、洋平はその事実を認めない訳にはいかなかった。洋平はおそらく、花道を殺すことができない。
「……判らねえ」
「だが殺さなけりゃならねえんだろ? それが流川のためで、星のためで、お前のためならするしかねえ。そこまで判っててなんで花道を殺せねえんだ」
 この時、牧は自分が人間で、光の子を殺すことが自分達人間の種族の存亡にかかわる事実なのだということをあまり意識してはいなかった。さまざまな意味で、牧は生粋の学者だったのである。
「……まだ時間はある。オレは必ず花道を殺す。でなけりゃオレが流川にもらった命の意味がねえから……」
 苦しみにあえぐ魔物に痛々しいものを感じて。
 牧は、洋平の苦しみを救ってやることのできない自分に、激しい苛立ちを覚えていた。


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