FINAL QUEST 1
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湘北王国の城は、堅牢にして実用的だった。そもそもあまり計画的に建設されたという訳ではないのだろう。様式美などというものにはまるで無頓着に見えた。しかしそのかわり、外見を見てこの建物はこういう用途であろうというのはだいたい判ったし、かなり複雑な造りでありながら道に迷うこともなさそうだった。そんな中を、四人は二人の兵士に連れられて、キョロキョロしながら歩いていった。
中で一番大きくどう見ても王宮以外ではありえないだろう建物を入り、まずは小さな部屋に通された。そこでは話をするいとまさえ与えられず、すぐに別の小姓のような人が入ってきて、四人を連れ出してしまった。そこからまたしばらく歩かされ、今度はもう少し大きめの部屋に通される。その部屋で四人はしばらく待たされた。飲み物も運ばれたので、わずかな休息を与えられたのである。
「さすが王宮だな。広いぜ」
あまり堅苦しい場所を歩いたことのない大楠が言った。体力がない訳ではないのだが、どうやら気疲れしてしまったのだ。こちらはほんとに歩き疲れてしまった高宮が言う。
「ま、しばらくは呼ばれねえよ。ゆっくりしようぜ」
「さっきの部屋じゃそんなに待たされなかったぜ」
「あれは案内人を交代するための部屋だからな。だから椅子もなかっただろ?」
「そうなのか。お前、何でも知ってるんだな」
花道が感心する。高宮はいくぶん得意になっていた。
「前にちょっとした裁判に関わって来たことがあんだ」
「お前……もしかして前科者か?」
「バカ! 証人だ証人!」
「なるほどな。裁判なら平民でも王宮に入れんのか」
「普通の裁判じゃ無理だぜ。……おかげでオレは市内に住めなくなった。もう覚えてる奴はいねえと思うけど」
なかなか底の知れない少年である。高宮は侮れない奴だとの印象だけが三人には残った。
そんなこんなで再び案内人が現われる頃には、少年達の緊張もいくぶんほぐれていた。打合せは来る道々で済ませてある。国王の謁見が行われる部屋の前で一旦足を止め、おふれの声に呼び出されたあと、四人は観音開きに開かれた扉から国王の前に引き出され、初めて国王の顔を見たのである。
謁見用の玉座に座った国王に、一目見た花道はゴリラを連想した。しかし湘北王国の領土にゴリラはいなかったので、会見の後に仲間達にそれを説明しようとして花道は難儀したのだった。
「その方、自治領和光村の新しい領主とな」
国王の目はまっすぐに花道を見ていた。ほかの三人は一歩下がって臣民の礼をしている。いかに四人が同じ年頃であっても、国王が領主を見間違える心配はなかった。
「ああ。……桜木、って名乗りゃいいんだよな、高宮」
花道は振り返って高宮のつむじに呼びかけた。その一瞬で高宮ほか二名はほぼ絶望的な気分になっていた。相手は国王なのだ。いくら花道でももう少し緊張するとかなんとか普段と違うリアクションがあると思い込んでいたのだ。だいたい花道に敬語やなにやらを期待した方が間違いなのである。
国王もその傍若無人ぶりにかなり鼻白んでいたが、それでもなんとか形だけは整えて言った。
「余は湘北国王赤木である。自治領和光村は湘北国内でありながら独自の規律を持って王国より独立し、信仰の中心地としてわが国に多大なる貢献をなされた。過日の不幸はわが湘北王国にとっても悲感の極みであった。しかしこうして新しい領主も決まり、聞くところによると領主桜木は神木より選ばれた光の子とのこと。わが国としても助力を惜しまぬゆえなんなりと申すがよい」
「……高宮、なんて言ってんだ?」
「いいから礼を言え礼を!」
「そうか。……すまねえ王様」
この時点で、国王との謁見はかなりの割合で破綻していた。国王赤木は青筋を立てて今にもちぎれんばかりだったが、ほかにも数人同席していた臣下の手前もあり、なんとか表面だけは取り繕うことに成功していた。
「うぉっほん! 木暮、書状をこれへ」
赤木は傍らに仕えていた家臣に命じた。すると木暮と呼ばれた文官が花道のそばに歩み寄り、やや遠慮がちに手を差し出す。それを素早く見て取った高宮が差し出された手に書状を手渡す。うやうやしく掲げ、木暮は向きを変えて国王に書状を手渡した。その一連の動作の仰々しさに、花道は床を蹴りたくなる衝動に駆られていた。
それでも湘北王国はまだマシな方なのだ。のちにそう聞いた花道は、これから先さらにしちめんどくさい国の王に会うことになるかもしれないことを思って、ひたすら憂欝な気分になったのである。
国王は書状を軽く眺め、所定の位置にサインをして押印したあと、少し乾かしてからまた木暮を通じて花道に返した。花道はさっと眺めたあと、すぐにまた高宮に手渡してしまった。
とりあえずこれで終わりである。国王は様式美の中でようやく自分の調子を取り戻したらしく、最後に重々しく言って花道達を退出させた。
「しばらくの間滞在するとよい。不自由があればこの木暮になんなりと申し伝えられよ。よきにはからう」
「最初から最後まで何だかよく判らなかったぜ」
花道達はいわば国賓の扱いであるので、その日の宿を心配する必要はなかった。一応王宮内に部屋を与えられているのである。その部屋までを木暮という文官に案内されて歩きながら、花道は後ろを振り返りたまたますぐ後ろにいた高宮にぼそっと漏らしていた。高宮の方もいくぶん緊張は解けていたところである。だが、そうそう大声で語り合う雰囲気ではないことも感じていた。
「結局オレ、何しに来たんだ? 紙にハンコもらうくらいならあのよぼよぼじじいにだってできるじゃねえか」
高宮に睨まれて無視されたような格好になってしまった花道は、さらに憮然として言った。そんな花道達の様子を見て、前を歩いていた木暮はもう我慢ができないというようにぷぷっと吹き出したのだ。
「誤解されると困るから少し言わせてくれ。陛下は普段はあんなに堅苦しいことは言わない人なんだ。ただ、今までの自治領の領主はみんなものすごく気位の高い方達ばかりだったから、なめられたくなくて緊張してたんだよ。まさか君達みたいな普通の少年が領主だとは思わなかったから」
砕けた口調でそう言うと木暮はニッコリ笑った。花道達は知らなかったが、自治領の領主は湘北王国にとってはかなり扱いに困る難物なのである。昨日自治領からの使いが来たと聞いてから、国王赤木はひたすら緊張しまくっていた。その経過を知っている木暮は実際に花道達を見てあっけに取られたと同時に心の中で笑いが止まらなかったのである。
そんな木暮の様子に、ほかの三人もやっと緊張から解き放たれていた。
「なんだよ。そんじゃ、あんな茶番に喜んだ奴は一人もいねえってことか。くっそお。そうと知ってりゃもっとリラックスするんだった」
「陛下も今頃そう思ってるだろうね」
今度赤木と話すことがあったら花道と同じように振る舞おうと三人は思った。そして、やはり花道は大物なのだという認識を新たにしたのである。
そうして五人が和気あいあいと話しながら歩いていると、道は中庭に面した廊下に変わっていた。その廊下にさしかかったとき、反対側から一人の少女が顔を出したのである。少女が何か言うより先に、木暮は微笑みながら臣下の礼を尽くしていた。
「これはこれは、晴子姫にはご機嫌うるわしゅう」
足早に近づいて来る晴子はけっして機嫌がいいとは見えなかった。やがてはっきりと顔が見えるところまで近づいた瞬間、花道は視線を固定したまま動けなくなってしまったのである。
清楚な純白のドレスに身を包み、豊かな黒髪を高貴な形に結い上げている。薄い化粧を施してピンクパールの口紅をつけた唇は小さくふっくらと可愛らしかった。その仕種はまだ幼さを残してあどけない。美人というわけではない。ただ可憐で小さな花のような少女だった。
まるで世界が変わってしまったかのようだった。その少女が現われた瞬間から、回りの風景が違ってしまったような気がした。そんな自分の変化に驚くもう一人の花道がいる。だが、見惚れたままの方の花道は、なすすべなく立ちつくすことしかできなかったのだ。
(ラッキー。姫様に会えるとは思わなかったぜ)
近くにいた仲間にしか聞こえないような小さな声で高宮が呟いた。花道がさらに凝視していると、そんな声など聞こえなかったのだろう、晴子は礼を尽くした木暮に向かって言った。
「うるわしくなんかないわ。それより、お兄ちゃんはどこ? まだ自治領の領主とかいう人と会ってるの?」
「紹介しましょう、姫様。彼が自治領の領主桜木です」
「……え?」
晴子は驚いたように花道を見上げた。国王同様、晴子も自治領の領主が少年だとは思わなかったのだ。それも赤い髪の少年である。年の頃は晴子とほとんど変わらなかっただろう。
まじまじと花道を見上げていた晴子は、その瞬間に自分の機嫌が悪かったことも、兄である国王陛下に用があったことも忘れてしまったようだった。やがてにっこりと微笑む。その笑顔に、花道は心臓を高鳴らせた。
「まあ、ずいぶんお若い領主様なのね。初めまして。国王赤木の妹晴子です」
「ハルコ……さん?」
「ええ。湘北王国にようこそ」
そしてスカートをつまんで軽く会釈をする。その仕種はそれまで花道が出会った女性達とははっきりと違っていた。今まで花道が見た女性と言えば、いなかの村で畑仕事や商売をする素朴な女性か、港町で客引きをしているような人達に限られていたのである。こんなに清楚で優雅な少女は初めてだったのだ。
世の中にはこんなに優美な女性がいるのだと、花道は初めて知った。そして思い出したのだ。おそらく彼女こそ隣の陵南王国の公爵に近日嫁ぐことになっている王女様なのだと。
「王女殿下、国王陛下は謁見を終えられて只今は自室でおくつろぎでございますが」
気取って言う木暮の言葉には返事をせず、晴子は花道に微笑みながら聞いた。
「領主様、少しお時間をいただいてもよろしゅうございますの?」
「あ。え、えーと……。はい! オレ、ひまッス! すっげーひまッス! ハルコさんのためなら時間くらいいくらでもあげるッス!」
晴子は声を立ててくすくす笑いだした。そして、可憐な仕種で木暮に向き直った。
「あたし、領主様とここでお話ししてるわ。だからお兄ちゃんを呼んできて。どうせ暇にしてるんでしょう?」
「ですが姫様。いくらなんでも国王陛下を中庭に呼び立てるなど……」
「どうして? あたし、小さい頃はよくお兄ちゃんとここで遊んだのよ。それにお兄ちゃんはあたしの話を聞く義務があるはずだわ。そうでしょう?」
晴子がそう言いたくなる気持ちは、木暮にはよく判った。二言は言わず、木暮は一礼して来た道を戻り始める。残された花道達四人は、意外な展開にときめきさえ覚えていた。
晴子に促されて、彼らは中庭に円形にしつらえられたベンチに腰をおろした。テーブルもあり、晴子がそう思いさえすればそこで軽い食事をとることもできるのだろう。落ち着いてやや呆然としている四人に、晴子は笑いかけた。これまで王家の姫として大切に扱われてきた晴子の笑顔は、屈託がなく生き生きとしていた。
「領主様、お付きの方を紹介してくださる?」
花道は少しとまどっていた。領主様と呼ばれてもとっさに自分のことだとは思えなかったからである。
「ハルコさん。オレのこと、領主様なんて呼ばねえでください。なんか自分が呼ばれてるんじゃねえみてえッス」
「そうよね。それなら、桜木様でどうかしら」
「とんでもねえ! 様なんかはいらねえッス!」
「それじゃ、桜木君、でどう? あたし、少し前まで王立学問所で下々の方達と机を並べてたのよ。そこではみんな男の子のことを君をつけて呼ぶの。それならいいでしょう?」
本当はただ花道と呼んでほしかった花道ではあったが、晴子がその呼び名を気に入ったように見えたので、それ以上は何も言わないことにしていた。花道は友人達を一通り紹介する。晴子は律儀に三人を君付けて呼んだあと、丁寧にあいさつしたので、みんな顔を赤くしてしまっていた。当然のことながら全員姫君と話すのは生まれて初めてだったのである。
「あたしね、つい最近まで学問所で普通の学生に混じって学んでいたのよ。それが、突然よ、一か月くらい前に、もう学問所には行かなくていいって言われたの。そのあと急に礼儀作法やドレスの着付けや女らしいしゃべり方とか、そんなのの家庭教師が一ダースもついて、おかしいと思ったのよね。そうしたら暇を取ってた侍女が帰って来るとき市中の噂を聞いたっていうじゃない。本人は何も知らないのに、いつの間にかあたし、陵南王国の公爵様と結婚することになってたのよ」
それは花道達が昨日一日で嫌と言うほど聞かされた噂だった。ただ、晴子本人がそれについて知らなかったというのは、もちろん初耳であったし驚くべき話であった。四人が口を挟まなかったので、晴子はさらに続けた。
「その話をあたしが聞いたのって、つい昨日のことなの。だからずっとお兄ちゃんに会わなきゃって思ってて、お部屋に押しかけたりしてたんだけど、お兄ちゃんは領主様との謁見を控えて忙しいとかなんとか言ってちっとも会ってくれないじゃない。だから仕方がないから領主様との謁見が終わるのを待ってたの。こんなこと、お兄ちゃんに文句言わなければ収まらないでしょ。そう思わない?」
本当は晴子は、文句を言える相手がほしかったのだ。それが誰でも構わなかったのだろう。花道はようやくそのことに気がついていた。そして、先程ほんの少しときめいてしまった自分が、なんとなく恥ずかしく思えたのだ。
「……思うッス」
「そう思うでしょう。だってあたし、まだ十三才なのよ。ぜったい結婚なんて早すぎると思うし、まだまだ子供のままでいたいの。それにね、一度でいいから、あたし恋をしたいの。想いが告げられなくてもいい。ただ見ているだけでも、その人に愛されなくても、ああ、この人のことがあたしは本当に好きなんだなあって、そう思ってみたい。……判っているの。あたしはお兄ちゃんの妹で、それは自由な恋愛とか結婚とか、そういうものを望んじゃいけないんだってこと。いつかはあたし、陵南王国の誰かに嫁がなくちゃいけない。愛人がいっぱいいる公爵様でも我慢しなくちゃいけない。そんなこと、生まれたときから判ってるのよ。ほんとよ。でも、初恋はしたかったの。そのくらいの小さな自由、あると思ってたの……」
晴子の言葉を聞きながら、少年達は胸が熱くなっていた。まだ十三才の、花道達と同じ年の王女様。ただひとたびの初恋という小さな夢さえもかなえられず、敵国の公爵に嫁がなければならない姫様。彼女はこんなに清楚で可憐な少女なのに、どうしてそんなささやかな夢さえもかなえられず他国にゆかなければならないのか。両国の国民の平和のために? たったそれだけのために、少女の夢が奪われてしまっていいのだろうか。
花道は本気で、彼女を救いたいと思っていた。それ以外のことはまったく考えてはいなかった。
「ハルコさん! オレと一緒に逃げるッス! 結婚なんかする必要ないッスよ。オレ、ハルコさんのこと守るッス!」
その突然の申し出に、晴子は驚いて言葉を失った。まさかそこまで恐れ多いことを花道が言い出すとは思わなかったのである。
「ちょっとまて花道。そんなことしたらオレ達は一躍おたずね者だぞ」
高宮は花道に耳打ちしたが、花道がさらに憤慨しただけだった。
「今夜、一緒にここを出るッス。大丈夫。オレ、あのゴリラ野郎になんかハルコさんに指一本触れさせねえから」
その時だった。
「貴様ら! 晴子に何をしてる!」
木暮の報告で赤木がかけつけてきたのである。その時花道は立ち上がって晴子の肩に手をかけていたところだった。一目見て赤木は頂点に血を上らせていたのだ。その様子は先程の謁見の間での赤木とはまるで別人のように礼儀もなにもあったものではなかった。
「手を放せ桜木! さあ、晴子、来るんだ!」
「お兄ちゃん!」
花道は多少抵抗を試みようとしていたが、赤木の力にはかなわず、また仲間達にも止めだてされ、ほとんど抵抗らしい抵抗はできなかった。中庭から晴子は連れ帰され、その場は一瞬にして喧騒から置き去りにされた。しかし花道はむりやり信じようと思った。今夜、晴子がこの庭に現われることを。花道と一緒に逃げると言ってくれることを。
再び木暮に率いられて歩きながら、花道はどうやって脱出するか、その手筈を少ない頭でいろいろ考え続けていたのである。
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