CITY COLLECTION
食料品や日用品の買い物を済ませて洋平がマンションに戻ると、流川の方はすでに部屋に帰っていた。
トップが花道でなかったことにいくぶんほっとして荷物を整理し始める。と、気配を感じた流川が部屋から出てきたのだ。
「よう、流川。帰ってたな。今夜ビーフシチューにするけどいいか?」
ここ一年で家事の一切を担当してきた洋平は、ずいぶん料理の腕も上げたところである。泥棒がだめでも家政夫として食べていくことができるだろう。
「水戸、ちょっとこっちに座れ」
「……何だよ、改まって」
洋平は買い物もそのままに、リビングのソファに移動する。落ち着いて流川が紙袋から取り出したのは、銃身が長く奇妙な形をした銃。確かこの銃は……。
「お前、……オレはあれほどいらねえって!」
一月ほど前から、流川は洋平に護身用の銃を持たせようとしつこく話し続けていたのだ。洋平もしつこく辞退を続け、流川もあきらめたものだと思っていたのに……。
「一人で出かけるときと、盗みの時、肌身離さず持ってろ。持ってるだけでいい。これから扱い方を教える」
「流川、いいかげんにしろ。オレは泥棒だぞ。何でこんなもの ―― 」
おもむろに流川は洋平の肩を掴んでソファに押しつける。その目は何か危険な光を帯びていて、洋平は一瞬言葉をなくした。まるで蛇に睨まれたカエルだ。流川がその昔プロのスナイパーだったことを、この時洋平は改めて実感したのかもしれない。
「持ってろ。……判ったな」
「……ああ、判った」
真夜中の電話。流川の元スナイパーだったという経歴。突然にこんなものを買ってきた流川の内には、洋平達に危険があるかもしれないという計算があったのかもしれない。
流川はテーブルから銃を取り上げ、洋平に握らせた。
「お前は右利きだから右手の人さし指の指紋を登録する。カートリッジを入れて、安全装置を外してここをこう……スライドさせる。この時に指紋の解析がはじまる。一秒でこの表示が赤から青に変わる。……このあと指を離すと自動的に解除されるから絶対に離すな。そのまま撃つ」
人を殺すことのできる武器。洋平は自然に身体が震えてくるのを感じていた。
「説明書あんだろ。自分で読むよ」
「読めるのか? ドイツ語だぞ」
さようでございますか。
「使ったら必ず充電。使わなくても放電するから一か月に一度は充電。まだ最初の充電が済んでねえから明日、指紋の登録をしてやる。……そのうち一度実際に撃ってみる。新作のアンケートにも答えねえと」
洋平の手に、その銃はずっしりと重かった。人を殺すための、自分の命を守るための武器。これが命の重さだとしたら、むしろ軽すぎるくらいなのかもしれない。
「流川、一つ聞かせろ」
洋平のサイズに調節されているらしいガンベルトを取り出している流川に、洋平は言った。
「お前、もとの仲間に命狙われてたりするのか? その……仲間抜けて泥棒になったこととかで」
振り返った流川は、今まで洋平達が馴染んできた流川そのものだった。洋平はいくぶんほっとする。さっきのような緊張感をたぎらせた流川は好きじゃない。
「まだそこまでいってねえ。……もしもそうなったときは必ず言う。だから心配するな」
「そうだな。心配はしねえよ」
今ならまだ戻れるのかもしれない。本人が言うような、一流のスナイパーだった流川に。でも、洋平は信じようと思った。流川は殺し屋でいるよりも泥棒でいた方が、何倍も幸せなのだと。
いつか流川が本当の泥棒になったその時、流川が銃を忘れていることを、洋平は願わずにはいられなかった。
洋平がビーフシチューの下拵えを終え、延々と長い煮込みに入るころ、かくも賑やかに花道は帰ってきた。しかしその賑やかさはいつもとはちょっと趣が違っていた。いつもならば鼻歌混じりに帰って来る花道は、今日は玄関を入るといきなり洋平の名前を叫んでなだれ込んできたのだ。
「洋平! ヨーヘーッ!」
「な……なんだよ」
台所で洋平を見つけた花道は、今にも泣きださんばかりに目に一杯涙をためている。まさか誰もいない部屋に一度戻ってきて、今まで自分を捜し回ってたんじゃないだろうな。そんな洋平のまさかは次の瞬間花道の言葉によって覆されていた。
「どうしよう、オレ、ハルコさんが好きだ!」
「……はるこさん?」
「ハルコさんが好きだ! どうしよう。なあ洋平どうしよう! なんとかしてくれ洋平……」
「ちょ、ちょっと待て花道。判った、話聞いてやるから落ち着け! コラ、鍋がこぼれる!」
涙目で迫りまくる花道を台所から遠ざけ、ソファに落ち着けて話を聞くこと一時間。ものごとを筋道を立てて話すということのできない花道の話を理解するのに、洋平がかけなければならなかった時間だ。それでもなんとか洋平が理解したころ、ようやく花道も少し落ち着きを取り戻していた。
「……立ち話で流川の家につれてくことまで約束させられたのか。そりゃ花道の人がいいってよりも、そのコのパワーのせいだな。かくも恋愛とは女の子にそこまでパワーを与えるものか」
洋平にしたところでその年齢なりには恋愛経験もある。だがしかし、単純な恋愛でかたづけられる問題ではなかった。まかり間違えばレッドフォックスはそのコのおかげで一網打尽になる危険性もあるのだから。
「花道、お前、童貞じゃねえよな」
洋平の言葉に、花道はちょっと顔を赤くした。
「んなこと聞くなよ。たりめーだろ」
「わりい。……まあ、流川はあの調子だから、流川に取られる心配だけはいらねえと思う。問題は、どうやったって三人そろってるところをそのコに見せなけりゃならねえってとこだ。警官なら毎日モンタージュ見てるだろうしな。同じ三人組で特徴丸出しなのが二人。バレねえ方が不思議だ」
だからといって洋平が立ち会わない訳にはいかないだろう。花道は嘘のつけない男だ。自分の失言をフォローするなんて芸当ができるはずがないのだから。
「……しかたねーな。なんとかやってみるか」
「ほんとか? 洋平」
花道の、最高にうれしそうな表情。その顔を見るだけで洋平は何でもしてやろうという気になってしまうのだ。
「そのかわり、覚えておけよ、花道。相手はしょせん違う世界の人間だ。泥棒と婦人警官が結ばれる可能性なんて、世界がひっくりかえりでもしないかぎりありえねえ。遊びのつもりで手え出したりするんじゃねえぞ。……判ったな」
二人とも泥棒。泥棒としてしか生きられない男だ。好きであればなおさら、カタギの人間を巻き込むことなんてできないだろう。
「……判った」
小さく答えた花道を見て、洋平はこの恋ができるだけ花道を傷つけずにすむことを、ひそかに祈っていた。
花道が待合せ場所になっている湘北駅に到着したのは、指定された時間の三十分も前だった。
昨夜はドキドキして眠れなかった。なにしろ、愛しのハルコさんとの初めてのデートなのだ。もちろんそう思っていたのは花道の方だけだったが、マンションまでのほんの数十分、二人っきりで過ごせるというのはなかなかにいいシチュエーションである。晴子の本当の目的が流川の方にあったとしても、である。
日曜日の駅前は多少平日よりも混雑していた。よく待合せ場所に使われるオブジェの前も、かなりの人だかりで混みあっている。そんな中、花道の長身と赤い髪はひときわ人目を引いた。それでもニタニタしながら落ち着かない様子で立つ花道を氾濫するモンタージュ写真と対査する人間がいないというのは、あまりにこの街が平和だったからか、それとも、この街の土地柄がかなりのんびりしているせいなのか。
どちらにせよ、花道はそれほど心配してはいなかった。もともと細かいことにはこだわらない性格である。それに、自分も含めてレッドフォックスのメンバー達はすべて自分の面倒は自分で見られる。万が一正体がバレたところで、簡単に警察なんかに捕まることはないだろう。
そんなこんなで花道が浮き浮きしながら晴子を待っていたその時、耳元で聞こえた声に、花道はどきっとして背筋を凍らせたのだ。
「お前、怪盗レッドフォックスのレッド」
「誰だ!」
勢い良く振り返ったが、花道の回りには突然叫び声を上げた花道に奇妙な視線を向ける人込みがあるばかり。
空耳かもしれない。だが、確かに聞こえたのだ。だいたい花道は心配のあまり空耳を聞くような細い神経の持ち主ではない。こと、泥棒稼業に関しては。
警戒を解かないまま、花道はもとの姿勢に戻った。しばらくそのまま聞き耳を立てる。一分も経つころ、再び耳元でその声が響いたのだ。
「怪盗とか名乗りやがって、結局はチンケなコソ泥じゃねえかよ。聞いたぜ、お前ら、現ナマに手えつけたんだって? 最近の怪盗も地に落ちたもんだぜ」
この声、このしゃべり方。こめかみをピクピクさせながら我慢して聞いていた花道は、その声に聞き覚えがあった。ずっと昔、まだ花道が盗賊団の下っ端だった頃。
「てめえか、ドラゴン」
うしろでかすかに笑ったような気配があった。花道はいくぶんほっとする。ドラゴンであれば、即警察に通報できるような人間ではなかったから。
「ドヌーヴって喫茶店の便所で待ってる」
ほっとした花道、さっきのドラゴンの言葉の意味に今更ながら気づいて……
「おい、待てよ! だーれがコソ泥だてめえ!」
叫んで振り返ったが、その時には既にドラゴンの気配はひとかけらもなかった。代わりに、一人で叫び声を上げた花道に白い目を向ける人込みが。
それから約十五分間、花道は回りの人々の視線を浴びながら、たった一人で晴子を待ち続けるのである。
花道はちょっと予定を変更しなければならなかった。そのため、晴子が来るまでの間、少ない頭でいろいろと考える。すぐに脳みそが飽和状態になって、ほとんど訳が判らなくなってしまった。洋平に相談できれば良かったのだが、ドラゴンのことは洋平には簡単に説明できなかったのだ。携帯電話も持ってはいなかったから、電話をしに待合せ場所を離れることもできない。うろたえてパニックに陥っているうちに、約束の時間の少し前、晴子がやってきたのである。
私服の晴子もかわいらしかった。遠くから花道の赤い頭を見つけて手を振りながら走って来る姿に、花道は視線が釘付けのまま離れない。こんな可愛い子が世の中には存在するのだろうか。花道は本気でそう思った。そして、その晴子が自分だけのために手を振ってくれているのだという事実に、大いに舞い上がってしまったのである。
「お待たせ、桜木君! ずいぶん待った?」
「いえ、ぜんぜんッス。……今日、可愛いッスね」
とりあえず洋平にいわれていたとおりの言葉を口にする。晴子はコロッと笑って言った。
「やだ、桜木君。それじゃいつも可愛くないみたいじゃない」
「そんなことないッス! いつも晴子さんは可愛いッス!」
「ありがとう。桜木君も可愛いわよ」
可愛いといわれた花道、普通の男性ならばかにされたと思うのかもしれないが、単純な花道はけっしてそうは思わなかった。天にも昇る気分で既に大地に足がついていない。次の晴子の言葉もまともに理解できないほど。
「それじゃ、行きましょうか」
手を引いて歩き始めようとした晴子について行きそうになって慌てて足を止めた。ドラゴンの言葉を無視したら大変なことになる。あんな脅しをかけてきたのだ。仲間達が売られる可能性も捨て切れなかった。
「どうしたの、桜木君」
「あの、オレ、ドライブの便所に用事が……」
ドライブじゃなくてドヌーヴだろ!
「ドライブ? ドライブインのこと?」
晴子も足を止める。喫茶店の名前を思い出せない花道はさらに混乱していた。
「ええっと、のど渇いててお茶のみながら喫茶店の便所で洋平に電話して少し遅れるからって……」
当然のことながら、晴子にはさっぱり意味がつかめなかった。それでもなんとか理解しようと、花道の目を覗き込んで言ってみる。
「のどが渇いててトイレに行きたいの? 桜木君」
「洋平が昼飯作って便所でお茶のんで電話で晴子さんが遅れて」
大混乱である。
「……落ち着いて、桜木君。つまり、こういうこと? ……桜木君は喫茶店でトイレに行ってお茶飲んで、おうちでお昼ごはんを作ってる洋平君て人に電話をするのね。喫茶店に寄るから少し遅れますって。それで合ってる?」
晴子の言葉に、花道は少し落ち着きを取り戻していた。それにしても、よくあれだけの言葉で花道の言いたいことが判ったものである。見ようによってはこの二人、お似合いのカップルなのかもしれない。
「そう、それッス!」
目をぱっちり開けて最高の笑顔を見せた花道に、晴子も自然に微笑んでいた。心の中では、おもしろいお友達ができたな、と思いながら。
「それじゃ、行きましょうか。駅前通りのドヌーヴってお店ならすぐ近くだから」
晴子に手を引かれながら、花道は心の底からほっとしていた。
湘北駅前通りに喫茶店が一つしかなかったことに大いなる感謝を捧げながら。
さて、喫茶店ドヌーヴのトイレで長々と待たされていた人物、本名は青田龍彦という。顔はなかなかに味のある色男というところであるが、やっていることがいまいち決まらないどちらかと言えば二枚目半であった。喫茶店に入ったはいいが注文もせず、いきなりトイレにこもりっきりの変な客でもある。喫茶店の従業員に奇異の目を向けられながら、通称ドラゴンは寒いトイレでひたすら花道を待っていたのである。
その長い待ち時間もどうやら終わりを告げたようである。鼻歌混じりに入ってきた花道は、個室のドアをノックした。ドラゴンが「入ってます」と一言言うと、「開けてくれ」と声が返って来る。こうして二人は狭い個室で久しぶりの再会を果たしたのであった。
「よう、元気そうだな」
花道の方といえば、せっかくの晴子さんとのデートを邪魔された訳である。機嫌のいいはずはなかった。まあ、思いがけず喫茶店に入れたのはかなりのパーセンテージでこのドラゴンのおかげであるのだが。
「なんなんだよ。オレだって暇じゃねえんだぜ。今日はハルコさんとの初めてのデートだってのによ。ぎょっとするような呼び出ししやがって」
「お前、デートだったのか……?」
一瞬、自分の目的を忘れてドラゴンはこれ以上にないほどの羨ましそうな視線を花道に向ける。ドラゴンは自分では花道より十倍はシブいナイスガイだと思っていたが、これまでただの一度もモテた経験がなかったのだ。以前の花道はドラゴンと同じようにモテない男だった。その花道がデートとは、たった一人だけ置いてきぼりをくった気分である。
花道にしたところで今まで散々フラれ続けた男である。いわば同類であったドラゴンに一度でも羨ましそうな視線を向けられて、いまさら実は、とは言えない。胸をいくぶん反らせて、不敵に笑いながら言ったのだ。
「どうだ? 羨ましいか?」
「う……羨ましい」
「そうだろう。まあ、このオレだからな。てめえにはマネできねえだろうよ。……嗚呼、愛しのハルコさん。今すぐこんな奴あしらってお側に参りますからね。待っててください」
恍惚の表情を浮かべる花道は最高ににくたらしい奴だった。どうしてこんなバカで単純で尊大な奴に恋人ができて自分にはできないのか。そう思うと悔しくてたまらなかった。だけど羨ましくて、狭いトイレの個室でドラゴンは花道の胸にすがるように見上げるのだった。
「なあ、レッド。そのコとどうやって知りあったんだ? 何て声かけて」
「何てって、向こうから声かけてきたんだよ。何たってオレはカッコいいからな。うつむいて顔真っ赤にしたハルコさんの可愛いこと」
「……どうせブスだろ」
ちょっと負け惜しみでぼそっと言ったドラゴンの言葉に、花道は勢い込んで反論した。
「てめえなあ! ハルコさんがブスのわけねえだろ! 天使みてえに可愛くて、女神みてえにきれいで、この世のものとは思えねえくらい美人なんだぞ! 疑うんならオレが戻ったあとコッソリ覗いてみろ!」
果たして ――
テーブルに戻った花道のことをコッソリ覗いたドラゴンは、悔しさに涙ぐみながら地団駄を踏むこととなった。
ドラゴンが花道を呼び出した目的を結局果たさずにいたことなど、このとき二人はまったく気づかなかった。
花道が訳も判らずドラゴンと久しぶりの掛け合い漫才を演じている頃、洋平はデートしながらやがてやって来るはずの二人のために、昼食の準備に余念がなかった。
花道から少し遅れるという連絡を受けてひとしきり激励の言葉をかけたあと、洋平は思い立って自室で盗聴器から送られてくる声を聞いていた。前回の盗みの時、流川が初めて取り付けた盗聴器である。それは、湘北署の捜査課の電話に繋がっている。
日曜日だというのにかわいそうに仕事をしている律儀なおまわりさん達の会話を盗み聞きながら、洋平はふと心を留めた。さらに聞こうと身を乗り出したとき、ドアをガンガン叩く音とともに花道が帰ってきたのである。
洋平はあきらめてスイッチを切り、気持ちを切り替えて玄関に向かった。さらに叩き続ける花道に声をかけて鍵を開けてやる。飛び込んできた花道は目を血走らせていた。
「なんだよ! どうして鍵かけとくんだよ!」
発作を起こしかけていたことは明白だった。息を切らせて涙ぐんでいる花道のうしろには、呆然とした可愛い女の子が立ちつくしている。洋平は一度彼女に会釈したあと、花道の背中を叩きながら言った。
「この間言っただろ? 最近何かと物騒だから、家にいるときも鍵かけるぞって。鍵もってんだから自分で開けて入れよ」
「そう……だったっけ」
本当は、いきなり開けられて何かヤバいものを晴子に見られては困るから、今日だけは鍵をかけると言っておいたのだ。そんなささいな会話は、晴子とデートする前の空中浮遊状態の花道の耳にはまったく届いていなかったらしい。
「まあ、入れよ。……こんにちわ、お嬢さん」
エプロン姿のヤンキー風の男の子に笑顔で言われた晴子は、それまで突然の花道の変貌ぶりに驚いていたことも忘れて、そのそぐわなさにちょっと笑顔を漏らす。親しみやすい雰囲気が晴子を自然にリラックスさせていた。
「こんにちわ。……あの、あなたが洋平君?」
突然に名前を呼ばれて、洋平は目を見開いた。
「そうだけど。……どして?」
「ごめんなさい。桜木君ね、喫茶店でずっと洋平がこうしたああしたって喋ってたの。何だかあたしまで洋平君の昔からの知り合いみたいな気がしちゃって。……はじめまして。赤木晴子です」
「あ、ごていねいにどうも。水戸洋平です」
盗聴器のおかげで声だけは知っていた洋平ではあるが、会うのは本当に初めてである。花道が言うような女神様とは大げさだが、なかなか可愛い女の子だな、と思う。たとえばナンパで声をかけて成功したのだとしたら、まずまず当たりだと思っただろう。警察官でさえなかったら、花道にはいい恋人になれるはずだ。
「そこらに座って。今昼飯にするから」
「あ、お手伝いしましょうか?」
「大丈夫。座ってて」
「それじゃ、あの、これ、あたしが焼いたクッキーなんですけど、皆さんで」
ちょっと照れながら包を出す晴子に、花道はほんわかした笑顔になる。大切そうに抱えた花道を、洋平は微笑ましく見守っていた。野郎三人の巣も、女の子がいるだけでこうも華やかになるものかと思いながら。
テーブルに紅茶を運んで、二人の前に置く。花道は緊張して話のきっかけがつかめなかった。喫茶店にいるときは洋平の話ばかりしていたのだ。だが、すぐ近いところに洋平がいる今、花道には話題がなかった。もちろん流川の話など死んでもしたくない花道である。そんな花道に、晴子はそわそわしはじめていた。そして、話題のない花道に言ったのである。
「あの、桜木君、今日は流川君はいないの?」
もちろん花道も知っていた。晴子の目的が流川であることを。むっつりと表情を変えて言う。
「いるんじゃねえの。あのキツネオタク野郎」
晴子の表情がぱあっと輝くのを、花道も洋平も見逃さなかった。
「ねえ、どこ? どこにいるの?」
答えたのは洋平の方だった。
「部屋にいるはずだよ。今日は出かけるとか言ってなかったから。ただね、晴子ちゃん。あいつはちょっと変わってるから。ほとんど毎日一日中部屋に閉じこもってるし」
「変わってるって? どういう風に?」
「まあ、一言で言えばオタクって奴だな。キツネのぬいぐるみ集めてて名前つけてかわいがってるんだ。あいさつもめったにしねえし。でも、飯だからそろそろ呼んでこねえとな。花道、お前」
「オレはいやだぜ。流川の野郎の部屋に入ったら何されるか判んねえ」
「言ってねえだろ? テーブルに皿運んどいてくれ。オレが呼んでくるから」
ここのところの花道の流川に対するライバル意識は桁違いに上昇していた。毛嫌いの度合いもさらに増している。こう見えても、晴子が現われるまでは花道もここまで流川を嫌ってはいなかったのだ。自ら自然に流川を食事に呼ぶことさえ稀ではなかった。
そんな花道の変化に流川は気づいているのかいないのか。最近の流川も微妙に様子が違うことに、洋平は気づいていた。以前は食事の時刻が迫れば部屋から出てきてうろうろ催促したりするようなこともあったが、まずそれがまったくなくなった。こちらから尋ねたことを無視する回数が爆発的に増えた。そして決定的なこととして、あの流川が、食事を残すのである。
テーブルに並べられたおかずのうち一種類を、時々まるで見えなかったとでもいうように、そっくり手もつけずに残すのだ。流川が食卓を去れば待ってましたとばかり花道がたいらげてくれるので、捨てられてしまうという悲しい運命にだけはならないのだが、もし本当に見えていないのだとしたら、それは明らかに異常である。精神的に圧迫された人間は時に視界が極端に狭まるという現象を起こす。簡単に言うならば、悩み事があると人や物にぶつかることが多くなるというあれである。
特に今日は晴子がいるということで、いつもよりかなり慎重になっている洋平である。流川は花道と違ってよけいなおしゃべりをして墓穴を掘るという心配はなかったのだが、それでも多少は緊張して、流川の部屋のドアをノックした。
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