CAGE



 桜木軍団が五人揃うのは思えば久しぶりのことだった。洋平が避けていたような部分がある。
「……いいな、おめーら」
 花道の決定は三人にとって意外だった。もともと五人の中では一番血の気の多い男である。洋平がどうやって説得したのか、興味あるところだった。
「代表は花道だ。お前がそう言うんだったら従うよりねーだろ」
 意見は大楠の言葉に収束された。ほかのことでは散々花道に意見もするし反抗もする連中であったが、地区のことではすべて花道の手に委ねている。それが代表としての花道の責任だった。副代表の洋平でさえ、一度下された決定を退けることはできなかった。
「この間奴らと盛り上がっちまったからな。あいつら説得するだけで一苦労だぜ」
「なんとか考えようぜ。花道の頭突きタテに脅しゃかなりいい線いくだろ」
「やってみるか。……結果は責任もてねえけど」
 全員が立ち上がって、話し合いが終わったことを物語っていた。高宮の誘いでゲーセンに消えようとするところ、忠が洋平を呼び止めていた。
「洋平、ちょっと話がある」
 ほかの三人は構わず立ち去っていた。誰もいないことを確認するように一回り見回したあと、忠はポケットから目当てのものを取り出した。
「これ、この間の写真」
「……ああ、サンキュ。いくらだった?」
 言われた金額を小銭で払う。手渡された写真はそれなりだった。隠し撮りであることは十分判るし、バックも顔もしっかりと写っている。申し分ないできだろう。
「使い道、決まってんのか?」
 少し前の自分の顔に目を落としていた洋平は、忠の言葉に顔を上げた。洋平はまた少し変わったのだと思う。この前のような危うい感じはとりあえず消えている。だが、今でもまだ幾許かの影は残していた。
「決めてねえけど……だいたい想像はつくだろ」
「まーな」
 洋平に頼まれて事実を知ったときはショックだった。だが、そのショックが通り過ぎて真っ先に忠が考えたこと、それはこの現実の打開策だった。洋平を救いださなければならない。だが、それには洋平自身の意志が必要なのだ。
 使い道を決めていないということは、まだ迷っていることを意味する。洋平を受け止める気構えはあった。だが、自分一人で受け止められるものかどうか、たった十五年しか生きていない忠には自信がなかったのだ。
「なあ、忠。このこと、大楠達には話したのか?」
 ほかの三人と力を合わせればどうにかなるのかもしれないとも思う。だが、忠もまだ迷っていた。
「まだ話してねえ」
 いずれは話すかもしれないことを匂わせる。見たかったはずの洋平の反応は案外あっさりしたものだった。
「そうか。……サンキューな。そんじゃ、また」
「お前、ゲーセン行かねーの?」
 軽く手を振って、みるみる見えなくなる。うしろ姿を見ながら、忠は決心を一つ、しようとしていた。
 あるいは洋平を裏切ることになるかもしれないと感じながら。

 あの日、酔った勢いで駅裏をぶらついていた洋平が出会ったのは、総勢六人の隣地区の連中だった。
 伝令も出さずにほかの地区をうろつくことがどれほど危険か判らないはずはない。どうしてそういうことになったのか、洋平には知る術はなかった。隣地区の内部問題にまでいかな洋平の情報網も届きはしないのだ。もちろん探る気になれば別である。洋平はそこまでは問題を重要視してはいなかった。
 現われた六人のうちの一人は洋平とほとんど変わらない体格の男だった。無造作に切り捨てた髪と、輪郭の割に大きなパーツの顔をした色黒の男。洋平が知る片桐信の姿だった。酔って足元さえふらついてはいたが、洋平が片桐信を見間違えるはずはなかった。
「お前が水戸洋平か」
 洋平の顔も地区のカンバンである。確認したのは、洋平が普段とまったく違う顔を見せていたから。
「だったらなんだってんだ……」
「なにやってんだよこんなとこで」
 それを聞きたいのはこっちの方である。双方比べれば状況に合ってないのはどう見ても片桐達の方だ。
「見て判んねえ? 酒飲んで人生の無常って奴についてしみじみ感じ入ってるとこさ。判ったら邪魔すんなよ、総長さん」
 片桐は少し考えるようにして、やがて皮肉な微笑みを浮かべて言った。
「悪かったな、邪魔で。……帰るぞ」
「え? だって総長……」
「ガセだ。本当なら副代表に話が通ってねえってこたねえだろ。エリア荒らしちゃマズい」
 総長がそのまま背中を向けて歩き始めれば、ほかの五人もその場に残るわけにはいかなかった。だが、振り返ってひと睨みしていった連れどもを見て、洋平は嫌な予感を覚えていた。その場を早く離れなければと思う。だが、もとより気力の充実してないときでもあって、その足は思うようには運ばなかった。
 気配に気づけば既に囲まれていた。総長のいないところで、奴らは洋平をフクロにしたのである。
 あのときはどうにでもなれと思っていた。もし今同じ状況におかれたとしたら、洋平は逃げていたことだろう。どちらにしても手向かう気はなかった。このときはっきりと、隣地区の分裂が明るみに出たのである。
 洋平はひたすら待っていた。隣地区の分裂に片桐が気づくことを。そして、あざやかに解決して、その知らせを運んでくることを。それだけの器量は感じていた。それほど洋平はあの男を買っていた。
 その知らせは、待ち続けた洋平のもとに白鳩によってもたらされることになる。

 騒ぎを大きくするわけにはいかず、洋平達桜木軍団と北中の連中総勢二十人で、いつもの公園で片桐を待つことになっていた。
 中央には花道がいる。それを囲むように軍団四人と、十五人の北中の連中が思い思いの格好で立っていた。中にはケガをしている者もいる。連中にわき上がる敵意を抑えていられるのは、花道に対する崇拝と恐怖だった。
 ほぼ時間通りにやってきた片桐を、誰もが驚きの溜息で迎えた。片桐は傍らにたった一人しか連れていなかったのだ。隣地区では洋平と同じ位置にあたる、副総長の男だった。
 片桐が歩みを止めると、あたりに緊張が走った。その沈黙を先に破るのは花道の役目だった。
「南地区代表、桜木花道。右が副代表の水戸洋平だ」
「中地区総長、片桐信。うしろは副総長の徳永エイジ」
 驚くほど穏やかに、最初の名乗りが交わされていた。誰も、なにも言うことは許されない。今口を開くことができるのは代表の花道と総長の片桐だけだった。
「片桐、てめえの地区の奴らが北中の八人と洋平をやりやがった。てめえの命令じゃなかったならなおさら監督不足だ。犯人突き出すために来たんじゃねえのか」
「手を出した者にはこちらから然るべき制裁は加えた。ことの発端は次期総長をめぐる争いだ。オレはうしろにいるエイジを次の総長にしようと思ってた。それに反対する奴らがオレを失脚させるために仕組んだことだ。すべての責任はオレにある」
 代替の八月まで、あと一月もない。内乱が起こるのは総長の責任ではある。だが、実際にやったのはほかの連中なのだ。総長がそいつらに制裁を加えたからといって、北中の連中が納得するものではなかった。
「責任て、てめえはどう取るつもりなんだ? えぇ?」
 花道の口が荒くなって、北中の連中が思わず息をのむ。そんな空気の中で、片桐はいきなり身体を伏せた。そして、回りが驚くのも構わず土下座したのだ。うしろにいた副総長も従っていた。
 花道も軍団も驚いていた。仮にも地区の総長ともあろう人間が土下座はまずい。総長がほかの地区の代表に膝を折ったことが知れたら、中地区は一気に戦国時代に突入するだろう。
「次の総長は決めてきた。今ここで名前を言う訳にはいかないが、うしろの副総長でも内乱に関係した奴でもねえ。だから心配は無用だ。責任は全部オレとエイジが取る。煮るなり焼くなり好きに扱ってくれ」
「ちょっと待て! そんな話に乗る訳にゃいかねえぞ! ……てめえ、自分が総長だってこと判っててやってんのか? 無責任すぎねえかそういうの」
 プライドとか意地とか、そういう問題ではなかった。いついかなるときもトップに君臨する人間はその弱さを知らしめてはならないのだ。強さを持って上に立つことが、内部を安定させる。それは花道が一番実感として持っているものだった。
「……てめえの総長としての資格をとやかく言うつもりはねえ。とりあえず、ばかなマネはやめろ。見なかったことにしてやる」
 ゆっくり、立ち上がる。その顔には少しの卑屈さもない。最初から洋平にだけは判っていた。これが一つの茶番でしかないことが。
 片桐は人をはかる男だった。代表としての花道の器を、土下座することで片桐は見極めたのだ。
「片桐、てめえは総長だ。間違いねえな」
 花道の言葉に、片桐は思わず笑いを漏らしていた。
「ははは……ごまかされちゃくれねえか」
「たりめーだ。オレは代表だからな。てめえが考えそうなことくらいは判らあ」
「誰だよ、南地区の代表はバカだなんてガセネタ流したの。そいつに踊らされやがったんだ、うちのバカども」
 この時点で片桐が本当のからくりに気づいていたかどうかは判らない。つまり、これまでの花道の行動自体が洋平の入れ知恵だったのだ。片桐のねらいは、一人ですべての責任を負うことだった。それでごまかそうとしたのだ。地区そのものの責任というものを。
 状況はふりだしに戻っていた。いや、厳密に言えば、拒否権のなくなった分、片桐サイドが圧倒的に不利だった。
「総長、てめえの地区ですぐに動かせる兵隊は何人だ」
 答えることは地区の勢力を知らせること。相手が全面戦争を考えているとしたら、これほど屈辱的な質問はなかっただろう。
「百二十五人。これが今のオレの持ち駒の全部だ」
「皇華学園高校、中地区の圏内のはずだ」
 花道の言葉に、洋平はどきっとしていた。その学園の名前は、今では一番聞きたくない言葉だったのだから。
「ああ、確かにあるな。私立の進学校だ。オレ達には縁がねえ」
「七月二十五日、朝の十時から一時間、西門と北門を固めろ。オレ達が正門を固める。それでチャラだ。全部、忘れてやる」
「花道!」
 言葉に含まれる本当の意味を、花道の言葉が終わるより早く洋平は理解していた。洋平の私的なことだ。誰を巻き込むつもりもなかった。
「黙ってろ! 喋っていいって言った覚えはねえ。……片桐、てめえの言葉一つだ。北中の奴らは手え出した連中のツラ、一人残らず覚えてやがる。一人一人制裁に行ったってかまわねえんだぜ」
 最後の脅しはほとんどおまけだった。もとより片桐に選択の余地はない。
「二十五日十時、西門と北門だな。サイレン聞こえたら逃がすぞ」
「たりめーだ。こっちも逃げる」
 初めて、花道と片桐の間に穏やかな空気が流れていた。話し合いに決着がついた証だった。一人、洋平だけがもどかしく苛々した気分を抑えることに苦労していた。
 握手をして、隣地区の総長と副総長は帰っていった。見えなくなるまでを見送りながら、洋平はその結論に達していた。花道も忠も大楠も高宮も、もしかしたら北中の連中までが手を組んで、洋平を陥れたのだという事実に。
 皇華学園の夏休みは一週間遅い。さぞかし効果的なことだろう。
「花道、なにスジの通らねえことやってんだよ。反対だからな、オレは」
 片桐と対峙していたころとは明らかに様相を異にしていた。ニッコリ笑って言う。
「代表の決定には口を挟めねえ筈だ。たとえそれが副代表でもな。それにオレ、言ったはずだ。欲しいものは誰がなんと言おうと手に入れる。殺してでも手に入れるって。あんまりオレを甘く見るなよ。お飾りの代表じゃねえんだ、オレは」
 甘く見ていた。洋平の意見を最高に重要視する扱いやすい代表を。
「忠! てめえはなんだって」
「いつまでも黙ってられるわきゃねえだろ? 口どめしたきゃ金払え金」
「おま……大楠!」
「一人で背負ってこうなんて虫がよすぎんだよ。いいかげん心決めろや。ガキじゃねえんだから」
「誰がガキ……高宮!」
「とりあえず中学最後のイベントじゃんか、派手にいこうぜ」
 今、初めて理解したのかもしれない。自分が、桜木軍団の一員なのだということ。
「忘れねえからな、てめえら。オレを嵌めたこと、後悔すんじゃねえぞ」
「するかバーカ」
「んだとコラァ」
 忘れない。お節介な仲間達のことは、たぶん一生。
 今、心から笑うことが、苦痛ではなくなってゆく。


扉へ     前へ     次へ