AMBIVALENTS



  移住計画

   二十三

「 ―― 要するに言霊ってのは精神エネルギーを言葉によって動力に変換する技術のことなんだ。人間一人が持っている精神エネルギーのカロリーは個人差もあるけど平均で最高光の塔が一ピリオド中に使用するエネルギーと同等ぐらいじゃないかって言われてる。そのエネルギーをどれだけ効率よく引き出せるかっていうのがその言霊使いの技術力の高さになるんだ。カイドウのレベルはかなりのものだけど、効率はまだせいぜい十パーセントくらいだ。シュスの無理難題に答えられるようになるためには六十から七十くらいに上げないと駄目だろうな。かくいうオレは十倍以上レベルアップが必要だよ」
 シュスに言われた通り洋平は言霊使いの一人に言霊のレクチャーを受け、数日後にはなんとか基本の『き』ぐらいはマスターすることができていた。ほかの人間と比べてもかなり早い方だった。それは洋平のあとを追って訓練を始めた人間達が自らの精神エネルギーをとらえることさえできなかったことからも立証された。
「 ―― 最終的には目的地までの経路の空間を捩じ曲げてゲートで繋ぐところまでだ。その台本作りはカイドウに一任する。人間の存亡がかかってんだ。頼むから死ぬ気で完成させてくれよ」
 そう檄を飛ばすシュスもほとんど毎日徹夜状態だった。山のような資料と格闘しながら言霊使いがエネルギーを送り込む際のコースや速度、入射角や固定位置に至るまで計算に次ぐ計算。おかげでほかのことに頭が回らなくなったシュスの、洋平はいわば雑用を引き受けることになってしまっていた。それは洋平が一番シュスに近い感覚と思考パターンを持っていたというのがその理由だったが、シュスの雑用とは事実上空間物理班副班長としての外部との折衝のことだったのだ。
 洋平は光の塔の内部を走り回り、コモンが騒いでいると聞けば神殿長達に指示を与え、長老達に事態を報告して指示を仰ぎ、星の軌道に変化がないかどうかを確認し、言霊使い達の台本の進行状態をチェックした。今、この光の塔の中で、洋平が一番事態を把握していた。洋平のもとに情報が集まり、洋平の判断で情報が公開された。いつの間にか洋平が光の塔の中心になってしまっていたのである。
 シュスは今、光の人間達の闇世界への移住を計画していた。

   二十四

 星の軌道のずれが確認されてから一ピリオドの間に実験は四度繰り返された。実験が行われるたびにデーターが取られ計画に変更が加えられる。その間にいよいよ本格的に星の状態に異常が多く見られるようになっていた。地震や地鳴りなどはそれまでもあったが、その頻度は桁違いに上昇していた。
 最初の実験を除いた三度の実験には洋平は言霊使いの一人として参加した。サークルに加わり、精神エネルギーの流れをその身で体験する。カイドウや力のある言霊使いの技術を追体験することで洋平の技術も実験が行われる度により鍛えられていった。そして外からでは判らない言霊使い達のエネルギーの状態や疲労などについても実感できたのである。
 それらはつつがなくシュスに報告され、計画に活かされていった。シュスにとっても言霊使いにとっても洋平はなくてはならない存在になっていた。洋平が内包する光の精神エネルギーのカロリーは言霊使いの多くを凌駕したのだ。そしてその集中力にいたってはカイドウをも凌いだのである。
 太陽の位置は日を追うごとにその角度を減らしている。その変化を間近に見るコモン達は不安を募らせ時には洋平の言葉を忘れて争った。そしてその争いはデモへと発展する。神殿の人間に向かって洋平を出すようにと押し迫るのだ。
「−神の遣いの洋平は今神の許しを得るために不眠不休で祈りを捧げてる。あながち嘘でもねえし、そう言ってなんとかなだめてくれ。コモン達のためにオレも必死でやってるって。お前らが争いを起こすと祈りが届かねえからおとなしく祈っててくれるのがオレのためでもあるし、お前らのためなんだって言ってやってくれ。頼むよ」
 コモン達にとっても洋平こそが光の塔の代表者になっているのである。
 次第に自分の責任が大きくなることに対して、洋平は多くを語らなかった。そもそもあまり自分の立場の変化を感じてはいなかった。それどころではなかった。忙しさにかまけて、自分自身を振り返る余裕すらなかったのだ。
 だから洋平は自分が周囲にどのような評価を受けているのか、まったく知らなかったのである。

   二十五

「洋平、お前最近疲れてねえか?」
「そんなことねえよ。何でだ?」
「だってお前、顔色悪いぞ、かなり。だいたい食欲もなさそうじゃねえか」
 リョータにそう見られても当然だということを洋平は知っていた。寝不足は慢性的であり、朝食は残しがちだった。リョータの感情に変化があれば判るくらいの自信は洋平にはある。洋平は普段と同じように行動しているつもりだったが、同程度の自信はリョータの方にもあると見るべきだった。
「空間物理の方の研究が今佳境に入ってるから、それでかもな。興奮して夜が眠れねんだ」
「そんなにおもしれえのか?」
「そのうち研究結果のレポートが出回ると思うけど、今は言霊使いの協力を仰いで、反宇宙へのアクセスの実験をしてるんだ。オレも言霊使いに混じって精神エネルギーを同調させたりしてるから、それもあるかもしれねえ。精神的疲労っての?」
「……あんま無理すんなよ。リズム狂わせても身体にいいことねえからな」
 あと二ピリオド足らずで、洋平は満十五期を迎える。十五期は成熟の目安で、満十五期を過ぎれば子を産むことができる身体と認められるのだ。リョータの性ホルモン学の研究は順調な成果を上げている。その新薬を使ってもしも洋平の身体に性徴が現われれば、来期には二人は一人の子の親となることができるのだ。
 洋平の答えはまだ聞けない。だが、洋平が子を産むにしろ産まないにしろ、洋平の健康はリョータにとって大切なことの一つであることに変わりはなかった。
「なあ、リョータ。例えばの話だけど、……お前があと二期で死ぬことが判ってる病気だとする。手術をすれば助かる可能性もあるけど、その確率は一パーセントだ。手術に失敗すれば間違いなく死ぬ。あと二ピリオドのうちに決めろって言われたら、お前ならどっちを選ぶ?」
 洋平の言葉は冗談めいていたが、リョータは背筋に走る妙な感触を覚えていた。
「……何の例えだよ、それ。まさかお前のことじゃねえだろうな」
「別にそういう訳じゃねえ。ただ、最近ふっとそんなこと考える」
 それは、これから先リョータ自身が嫌でも考えなければならないことの例え話だった。

   二十六

 洋平とリョータがそんな会話を交わした数日後、光の塔の中に、たとえ話で洋平が提示した二つの道以外の第三の道を選んだ者が現われた。誰もが最初は耳を疑った。しかしそれはまぎれもない事実だった。
「鹿の繁殖班の班長だ。最初に星の軌道異常が判ったときに鹿の数や光の塔で生活可能な人間の人数を割り出してもらうために協力してもらった。その時事情を全部話した訳じゃねえんだが、自分でどこからか聞き出したらしい。咽喉を短刀でひと突き。コンパートメントは血の海だった」
 永い光の塔の歴史の中で自殺した者がまったくいなかった訳ではない。せっかく授かった子を先天異常ですぐに死なせてしまった者や、伴侶の死に絶望して衰弱死した者など、生きる希望をなくした者はそれまでも自殺を選ぶことがあった。しかし今回の自殺は光の塔を震撼させた。この者には目に見える自殺の理由がまるでなかったのだ。
「とにかくこのままじゃ危ねえ。中途半端に事情を知ってる奴らがあとを追う危険性があるんだ。そろそろ秘密保持の限界だ。洋平、事実を公表するぞ」
「だけど移住計画はまだ未完成だ。最終的な理論だって組立て終わってねえ。言霊の台本だって」
「パニックが起きてからじゃ遅いんだ!」
「公表したってパニックになるじゃんか!」
「正確な情報を知ってからパニックになる方がマシなんだよ! 少なくとも水面下で憶測が飛び交う確率は低いだろ。それに……」
 そのあとのシュスの言葉に洋平は震え上がった。
「……この程度で自殺するような精神力じゃ、これから先闇の世界で生き抜くことなんかできねえ」
 その日一日を、洋平は公表する資料のディスク作りに追われることになった。このディスクは光の塔のすべての人間が見る。正確で判り易く、誤解を招かない文章で書かなければならなかった。この資料はリョータが見るのだ。リョータがショックを受けないように書かなければならなかった。
 洋平が恐れていたその日が、いきなり翌日に迫っていた。

   二十七

 その日、洋平のコンパートメントの壁面に投影された予定表はほとんど真っ白だった。朝食のあとに塔の最下層近くの広いフロアに集まるように、とだけ表示されている。それは洋平達が実験に使っている例のフロアだった。昨日のうちに機材が片付けられ、光の塔に住む総勢八百二十四人全員をぎりぎりなんとか収容できるようになっている。
 通路にあるタッチパネルにも今日の掃除当番はないという事実が表示されていた。食堂で待っていたリョータも、不安そうな表情で洋平を迎えた。
「見たか? 今日の予定」
「ああ」
「何だってんだかな。あんなところに全員集めてよ。……そういや昨日誰か自殺したってな。お前、聞いてるか?」
「鹿の繁殖班の班長だってな」
「そのことかもしれねえな。……にしちゃ大げさか」
 食堂内も騒然としていた。話題はその二つに集中している。今日の突然の予定変更はいったい何のためなのか。昨日誰かが自殺したことと関係があるのか、ないのか。なにしろこんなことは初めてなのだ。予定表が真っ白なことも、塔の全員を一箇所に集めることも、掃除当番がなくなることも。
 洋平は、リョータが核心を突く質問をしないでくれることだけを祈っていた。
「それにしても参ったよ。今日はひと組検査の予定が入ってたんだ。それなのによ」
「明日やりゃいいじゃねえか」
「まあな、検査は逃げねえし」
「それよりリョータ、今日の自由時間、オレのコンパートメントにこられるか?」
 洋平がこんなことを言うのは珍しかった。
「そりゃ、いいって言うか、めちゃくちゃ嬉しいけど……どうかしたんか?」
「いろいろ、リョータに話したいことがある」
 それきり洋平はなにも言わなかった。だからリョータも聞かなかった。洋平が自分からの質問を恐れていることに、リョータは気付いていたのである。
 そのリョータの違和感は、フロアの入口で通過する全員にディスクを配っている洋平を目にすることで氷解していった。

   二十八

 周知の方法については前々から討議されていた。さまざまな方法があったが、塔の全員に一度に知らせる方法としてこれが最適だとの結論に達した。時間差があれば流言を生む。言葉だけでは不正確になるかもしれないし、文章だけではひとによって受け取り方が違ってしまう可能性があった。
 言葉で全員に一度に説明し、ディスクで確認してもらう。もちろんこの方法にもデメリットはあった。フロアでの説明中にパニックが広がれば、もはや収集がつかなくなってしまうかもしれないのである。
 ほとんど一か八かの大勝負だった。
「覚悟しろ。今日を境に、オレ達はのんきな空間物理班の研究者なんかじゃなくなる。光の星の人間達すべての命を預かることになるんだ。全部がオレ達の肩にのしかかる。それこそ死ぬまで開放されることはねえと思え」
 それでも少しの希望もなかったあのときの状況とは比べ物にならないと思った。彼らは既に一度、自分の中の地獄を見ているのだ。
 すべての人間が窮屈なまでも所定の位置につき、いつ始めてもおかしくない状況ができ上がっていた。いくつかある通路に近い場所に置かれた台の上にシュスが乗り、マイクを持つ。その姿は集まったすべての人間からよく見ることができた。
「オレは空間物理班副班長のシュスだ。今日集まってもらったのは、今オレ達が抱えている最大の問題について説明するためだ。今、オレ達の惑星は、無視することのできない重大な危機に直面している ―― 」
 スピーカーから流れるシュスの声に、人々はしんとなって、耳を傾けた。
 一ピリオドと少し前に発覚した原因不明の惑星公転軌道のずれ。その後判った惑星が自転を始めたという事実。このままではいずれ確実に惑星が太陽に衝突するということ。光の塔の中にいても二期程度しか生きられないだろうということ。シュスは事実をことさら劇的に語った。確実な、死。最初人々はただ茫然自失していた。しかし、やがてその時がやってきた。
「……オレ達、死ぬのか……? 全員死んじまうのか!」
 その言葉がきっかけとなってフロアは叫びと唸りの空間に変わった。恐怖がパニックを引き起こそうとしていたのだ。
「静かにしろ! ここで聞くのをやめたらてめえらは恐怖のどん底のまま死ぬしかなくなるんだぞ! やめていいのか! てめえらは昨日自殺した奴と同じになりてえのか!」
 シュスの叫びに気付いた何割かの人間は我に返って壇上を見つめた。
「先を聞け! オレ達は諦めちゃいねえんだ! これから話す生き延びられる方法をちゃんと聞くんだ!」
 そうしてシュスは、光の人間達の闇世界の移住計画を話し始めたのである。

   二十九

 生活維持にかかわる人間達はその部所を離れる訳にはいかなかったが、ほとんどの人間はその日一日を自分のコンパートメントでディスクを見ながら呆然として過ごしていた。ごく一部でパニックになって暴れだした人間もいたが、早期に発見して縛り上げたうえコンパートメントに監禁した。鎮圧には洋平達があたった。
 洋平の身体がようやく空いたのは夕食後の自由時間になってからだった。身体を横たえて、今日一日の長さを振り返る。まだ終わってはいない。シュスは言ったのだ。これから死ぬまで自分達の勝負は終わらないだろうと。
 シュスはこれからますます研究のことで忙しくなる。事実上、矢面に立つのはこの洋平なのだ。
 その時、今朝の約束を忘れなかったリョータがやってきた。
「洋平……」
「入れよ」
「ほんとなのか? 今日の……」
「とにかく、座れ」
 座るまもなく、リョータは洋平を押し倒していた。その抱擁はいつもよりも激しく虚ろだった。洋平は黙って従っていた。リョータがそうしたいと思うことを拒む理由は洋平にはなかった。
 やがて身体を起こしたリョータを洋平は見上げた。
「洋平、お前、いつから知ってたんだ」
「だいたい、最初からだ」
「ってことはお前、一ピリオド以上も前から……。なんでお前、オレに黙って……!」
「お前なら言えるのか?」
「判ってるよ! 言える訳ねえよ! だけど……なんでオレ気付かねえ……。お前が誰にも言えねえ悩み一人で抱えてたってのに」
 リョータは再び洋平を抱き締めた。洋平は少し驚いていた。リョータは自分が死ぬことや星が太陽に衝突することよりもまず最初に、洋平が一人で悩んでいたことについて悔しがっているのだ。洋平はリョータを慰める言葉を何通りかは考えていた。しかしまさかこういう取り乱し方をするとは夢にも思っていなかったのだ。
「洋平、もうオレに隠してることねえよな。……そうだ、あの日、お前が熱出して隔離されたの、あれもこいつと関係あんだろ? それ、今なら話せるよな」
 洋平はリョータにあの日からの経緯のすべてを話し始めた。

   三十

「 ―― そしたらお前は、ほんとに最初の最初から関わって、コモンの神様になって、言霊使いになって、空間物理班の代表にもなってたんか? よくもそんな」
「別にコモンの神様になんかなってねえよ」
「似たようなもんだろ! 天罰が下るって予言なんかしやがって」
 リョータが落ち着いた今は二人は向かい合って会話していた。大まかな経緯は話し終えていた。洋平が自分の目で見た、反宇宙への通路のことも。
「洋平、お前、いったい何考えてた、ずっと。……苦しくなかったのか?」
「そうでもねえ。ただ夢中だった気がする。……自分が死ぬとかあんま考えてなかったし」
「オレも、自分が死ぬってのはあんまピンとこねえよ」
 自分があと最短二ピリオドしか生きられないと知って、リョータが一番怖かったのは洋平を幸せにする時間がもうないのだということだった。そして、洋平が死ぬのだという事実が、言われもなく恐ろしかった。洋平が死ぬことのいったい何が恐ろしいのかは判らない。洋平が死ぬときは自分も死ぬのだから、それを恐ろしがる必要はなかった筈だった。
「闇の星への移住は成功するのか?」
 リョータには、洋平の生死だけが問題だった。
「まず、闇の星に行くってところからして今は理論だけだ。ただたぶん全員が生き延びるってのは不可能だって気がする。今、生き延びる確率が一パーセントなら、実験を繰り返して少しずつその確率を上げていく。最終的には九十九パーセントまで上げる。時間との戦いだ。そのあと闇の星に住む住人が光の存在を受け入れるかどうかはまた別の問題になる。闇の星で光の星の住人達が生きられるかどうかも」
「百人に一人くらいしか辿り着かねえのか」
「それも運が良ければだ。……たぶんオレ達よりもコモンの方が生き延びる確率は高い」
「その、あやふやな希望と、二期後の確実な死と、お前は選ばなけりゃならねえのか?」
「オレだけじゃねえよ。リョータ、お前だって選ぶんだ。太陽が姿を消すまでの間に」
 地上から光が消える日まで、すでに二ピリオドを切っていた。


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