AMBIVALENTS



  異常出産

   五

 闇のない光の星では人間がいつ眠ろうともたいした違いはない。塔の外にいる狼や鹿や虎にとっても同様で、そのためコモンは危険回避の意味もあって家族単位で交代で眠るようだった。しかし、光の塔の中は外とは事情が違っていた。肉食生物の危険がない分、同じ時間に眠り同じ時間だけ起きているのが合理的だった。
 コンパートメントで目覚めた洋平は、壁面に投影される掲示板の日程情報を眺め見て、今日一日の予定を決めた。デジタル表示されている時刻は洋平の脈拍と同じ速さで数字を増やしている。地上に大量に降る雨水は、地下水になる頃には鉄分を多く含む飲料水になる。その水をコップに一杯だけ飲んでコンパートメントを出るのが、洋平の日課だった。
 コンパートメントと同じ階層の中央部には食堂がある。洋平は現在空間物理学のブロックで生活していたので、専用の通路から食堂に入る。途中にあるタッチパネルに個別ナンバーと時刻をタッチすると、掃除当番が割り振られた。場所を確認して食堂の入口を入ると殆ど毎日リョータが迎えた。
「おはよう。考えたか?」
「……忘れてた」
「冷てえな。リョータ君さびしい」
 リョータは性医学のブロックで生活する。食事が終われば専門分野によって赴く階層が違ってしまうから、二人が話せるのは朝食の時以外は自由時間に時間を作るしかないのだ。
 トレイを持ってカウンターを一通り回り、調理済みの朝食を拾い集めてテーブル席につくと、左側に座ったリョータは昨日の興奮を思い出したかのようにしゃべり始めた。洋平はリョータの話を聞くのは嫌いではなかった。異なる分野の研究成果を聞くのは、勉強にもなり、また一層自分の研究への情熱を奮い起たせる効果があった。
「 ―― 今までの塩化化合物を使った薬だとどうしても副作用が出て大量投与ができなかったじゃんか。副作用を抑える薬と併合して投与することになるから身体に負担もかかるだろ。それに体質によってずいぶん薬の作用も違うから一つ間違うと子供の作れねえ身体になっちまうこともあった。それが、今開発中の薬なら、目に見える副作用が殆どねえんだ。まだ経過を見てみなきゃなんとも言えねえけど、これは使えるぜ。やっとオレ達にも子供を作るチャンスができるんだ」
 それは神の領域だ、と洋平は思った。リョータの研究を否定する気はない。双子として生まれるべき第一世代が一人で生まれたというそれだけで子を残すチャンスを奪われてしまった洋平やリョータにとって、必要な研究であることもよく判っている。ただ、洋平は光の塔の基本理念を忘れるつもりはなかった。光の塔はそもそもコモンに奉仕するために作られたのだ。一番最初は、コモンの生活を守ることから始まっている。
 洋平だって人のことは言えない。洋平の空間物理学は、リョータの性ホルモン学より遥かにコモンの生活には関係のないことなのだ。
「リョータ、ここ数巡で異常出産が爆発的に増えてるのって、どうしてだろうな」
 洋平の言葉にリョータは一瞬あっけに取られたような顔つきになった。
「そいつは……別のチームの研究発表を待つしかねえんじゃねえ?」
「……そうだな」
 所定の位置にトレイを片付けて、洋平は食堂をあとにした。

   六

 洋平が所属する空間物理学の研究班の副班長はシュスという名前で、二十八期を越えていた。以前「人間はなぜ神に祈るとき目を閉じるのか」という論文を発表して話題になったことがある。シュスの論文は論文というよりは娯楽として多く人々に読まれることになった。洋平は読みながら、幼い頃見たまぶたの裏の悪を重ねあわせて、心寒い思いをしたことを覚えている。
 空間物理学と宗教との意外な接点を知り、洋平はのめり込んだ。研究班にシュスが加わってから空間物理の世界は飛躍的な発展をし、その方向性は洋平の興味に見事マッチしていたのだ。空間物理学の研究は、今は殆ど闇の研究になっていた。光の対極である闇の世界を探る方向に展開していたのである。
「いいか、洋平。空間というのは日々拡大している。その中心は光で、拡大とは光の放射のことだ。オレ達のいる星はその拡大するエネルギーに乗せられて移動してる。だからこそ空間は光だと言われている訳だ。だけど別の考え方をすれば、オレ達は中心から見た逆、いわゆる外側からの力で引かれているとも言えるだろ? その力は吸収だ。そして吸収とは闇のことなんだ。つまりそこには空間は闇だという理論も成り立つわけだ」
 シュスには同一期に生まれた伴侶がいた。そもそも伴侶とは自分と同一期に生まれた者のことだった。春の第一期に生まれた洋平が冬の第七期に生まれたシュスの伴侶になれるはずがなかった。またそんなことを考えたこともなかった。
「空間は光から闇へ向かって移動してる。光が始まりで、闇が終末なんだ。オレ達の住むこの光の空間も、やがては終末という闇に辿り着く。それはおそらく ―― 」
「死、だろ? シュス」
 先回りした洋平をシュスは笑った。
 そして、秘密を打ち明けるように、言った。
「 ―― ブラックホールにアクセスできるかもしれない」

   七

 洋平は図書室で、言霊に関するデーターをディスク三枚分コピーした。光の塔には言霊の研究をする者が十数人いて、そのうちの数人は実際に言霊を操ることができた。洋平が言霊に関する理論に触れるのは殆ど初めてと言っても過言ではない。データーを読み進み、その構造の複雑さと理念の単純さに驚いた。
 たとえば、人間という生物の構造は底が知れないほど複雑に構成されている。ただ二足歩行をするというだけでも、その構造を解き明かそうとすれば莫大な計算式を要する。しかし実際に人間が歩くとき、そうしようと考えるだけで簡単に歩くことができるのだ。理念が構造の多くを飛び越えてしまうのである。
 言霊についての謎は多い。しかし一度理念を得てしまえば、操るのは殊の外簡単であることが判る。シュスは理論的にはブラックホールの存在の定義付けを終えていた。そしてアクセスの方法として言霊を選んだのである。
 言霊のデーターが投影された壁面が点滅して、誰かが洋平のコンパートメントを訪れたことを示した。扉を開ける前から誰かは判っている。光の塔の人間はあまり異なるブロックのコンパートメントに足を運ぶことはないのだ。しかし伴侶となれば話は別だった。
「悪いな、自由時間に」
「いいさ。入れよ」
 リョータは洋平の伴侶だと思われている。少なくともリョータにとっての伴侶は洋平しかいないだろうと、誰もが思っていた。ほかに人のいない場所に隠れて唇を触れるのは概ね伴侶であるという証明になった。二人のそうした姿を目撃した者は多くなかったが、全くいない訳ではなかった。
「……言霊……?」
 壁面に投影されたままのデーターを見てリョータは尋ねた。
「ああ。にわか勉強だ」
「空間物理のか? それとも宗教か?」
「シュスが技術力の未熟を補うのに必要と判断したんだ」
 洋平が口にするシュスという単語がリョータは嫌いだった。シュスはコモンから異常出産で生まれたのではなく、光の塔で薬品で生まれた者だった。そして同一期に生まれた伴侶との間に子供を作る幸運を得ている。シュスが洋平の伴侶になることはありえなかった。だからリョータがシュスを嫌う理由もありえないはずだった。
 データーを消して正面に座った洋平はまるで別世界の人間のようにリョータには思えた。

   八

「−とりあえず一度研究室に見に来てくれねえかな。そうすればモニターの連中の意見も聞ける。検査も必要だし、それから考えてもぜんぜん遅くねえだろ? 口で説明するより実物見ながら説明聞いた方がお前も実感できるだろうし」
 リョータが逸る気持ちは理解できたし、それを悪く思うつもりは洋平にはなかった。長いあいだ続けてきた研究が実を結べば一日中だって誰かに自慢したいし、それが相手にとって利益になるものなら一日でも早くその処置を受けさせたいと思うだろう。洋平はリョータの気持ちを最大限に察しているつもりだった。だからリョータにも同じくらい洋平の気持ちを察してもらいたいと思った。
「リョータ」
 洋平がリョータの目を見てリョータの名前を呼んだ。洋平がそうしたとき、リョータは口をつぐまなければならなかった。それが長いあいだ洋平と生きてきてリョータが理解した洋平に対する法律だった。この法律を破ったときは洋平を失うときかもしれないというのがリョータの予感だった。
「オレが宗教学を学んだのは神を信じてたからって訳じゃねえ。歴史と哲学と精神医学との仲立ちとしての必要性があったからだ。そこでオレが学んだのは、神は人間にとって必要だっていうことだった。オレは偶像としての神は今でも信じることができねえけど、神を信じる心は人間には必要なんだ」
 洋平がリョータの研究を神への冒涜だと思っているのかもしれないとリョータは思った。
「オレはリョータの研究が悪いとは思ってねえ。人間に必要な研究だってことも判ってる。たった一人の人間の命や幸福も、すべての人間の命や幸福と同じくらい大切なことだと思ってる。リョータの研究で幸せになった人間はたくさんいる。諦めてた子供を産めた二人がどんなに幸せかも知ってる。だからそれは正しいことだ。間違いなく正しいことだ」
「……」
「オレは因果律は運命論を包裹できると思ってる。コモンに異常出産が起こった。だから光の塔ができた。異常出産が増えたからコモンの数が減って、異常出産が増えたから光の塔の科学が発展した。科学が発展したから伴侶のいない光の塔の人間が子を産めるようになった。……性ホルモン学の発展は運命だ。必然だ。だから否定しねえしできねえ。だけど、人間はまだ解いてねえ。なぜ、どうして、人間の異常出産がパーセントで表わせるくらい多くなったのか。環境の変化なのか、前ぶれなのか、それとも、光の塔に対する神の警告なのか」
「洋平!」
 リョータが洋平の言葉を遮るのは珍しいことだった。

   九

「……悪かった。続けてくれ」
 気を落ち着けるように、洋平は大きく深呼吸をした。それから鉄分の多い飲料水をコップに二つ注いだ。洋平の言葉がリョータの許容範囲を越えたことは容易に想像がついた。しかしだからといって自分の中にあるリョータの評価値を下げるつもりはなかった。
「……オレの中には神への畏れがある。神を畏れる気持ちは神への盲信と同一線上にある。その、神に畏れを感じているってのは、オレの中にある闇の部分のような気がする。闇を思って恐怖するのはオレが光だからだ。同じように、光を見て畏怖してるのはオレの中の闇−。リョータ、オレの中ではまだ折合がつかねえんだ。副作用のない薬で子供を作ることが神の意志に沿うことなのか、それとも背くことなのか判らねえ。それに自分なりの結論が出れば、オレは自分の身体の性徴を受け入れられるかもしれねえ。だけど……今はだめだ。いつか結論が出るかどうかなんて、約束もできねえけど」
 リョータは洋平が動かし難い強い意志を持った人間なのだということを思い出した。表面上どう見えようともけっして周囲に流されることはない。リョータに口付けを許しても、心までは許さない。自分自身にのみ忠実な臣であり続ける。
 そんな洋平を欲しいと思った。そうだからという訳ではないけれど、そんな洋平はリョータの望む洋平の一つの形だった。
 腕を伸ばして、引き寄せて、唇を触れた。届かないもどかしさは忘れてしまいそうなほど深くリョータと洋平の間に存在し続けている。
「洋平、オレは自分のしていることが正しいことだってずっと思ってる」
 洋平の言葉で自分の信念を曲げるようなリョータならば、洋平は唇を許したりはしなかっただろう。
「諦めてた子供を産むことができた人間はすごく綺麗に笑うんだ。誇らしそうに、幸せそうに。……オレが一日でも早く研究を完成させてえって思うのは、洋平にあんな風に綺麗に笑って欲しいと思うからなんだ」
 洋平は、自分にとってもリョータ以外の伴侶は考えられないと思った。


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