赤と黒のイノセンツ



 夜の盛り場徘徊するなんて、ほんとに久しぶりだ。
 昔、まだガキだったオレが、夜の盛り場うろうろするだけで強くなれるって信じてた頃、たばこくわえながら彷徨った。もろグレてますってかっこして、背中丸めて。いまでもまだガキだけど、もっとガキの頃の話だ。思い出すだけで恥ずかしくなっちまうほど。
 あのころ花道と会って、オレは夜中に盛り場をうろつく変な習慣はなくなった。花道とつるんでると、なんて言うか、こういう場所が似合わねえって思うようになっちまったんだ。花道には不良にありがちな陰ってもんがぜんぜんなかったから。花道をこういう場所の空気で穢したくなかったのかも知れねえ。
 花道がいなくなると、オレは簡単に昔に戻っちまうんだな。
 オレはずっと、花道を守ってるんだと思ってた。純粋でガキな奴だから、オレが世間の汚い部分から守ってやってるんだって。花道にはそのままでいてもらいたかったから。それがオレの誇りで、満足感につながってたんだ。
 でも、今なら判る。オレは花道に守られてたんだって事が。
 花道を守るって思いが、オレ自身をも守ることにつながってたんだ。
 花道がいなけりゃ、オレは一人じゃ立てねえ。こんな思い今まで感じたことなかったのに。オレはオレ、花道は花道。大人んなって違う道を歩き始めたとしても、オレ達はそれぞれの場所で生きられると思ってた。いつからオレ、こんなんなっちまったんだ? オレは ――
 途中見つけた自販で、オレはたばこを買った。
 懐かしい軽い感触。ポケットの中でもてあそびながら、オレは賑やかな表通りを離れて、寂れた裏通りへ入る。今のオレの格好はGパンにTシャツだ。髪も洗いざらしのまま下ろしてる。万が一学校の先公なんかとすれ違ったとしてもすぐには気づかれねえだろうが、なんとなく悪いことをしてる気分になって、顔を伏せて店の裏口になってるゴミバケツの脇に座りこんだ。たばこの封を切ってゴミ箱に放り込みながら、肝心なことに気づいた。オレ、ライター持ってねえじゃん。
「かーっ、締まんねえ」
 バッグごと持ってりゃな。合宿の最後の夜にでも花火やろうって思って用意してきたマッチが入ってたんだけどな。いまさら戻って持ってくる気にゃならねえし、かと言ってどこかで買おって気にもならねえし。
 ま、いいか。そのまんまくわえとけ。
 火のついてないたばこをくわえて、なんとなく吸うまねだけしてみる。そういや、たばこってのも幼児退行現象の一つなんだってな。爪を噛んだり指くわえたりするのと同じで、母親のおっぱいを恋しがる幼児性の一つだって。それが大人の仕草に見えるんだから不思議だよな。世の中には大人ぶった子供のなんと多いことか。
  ―― ?
 ふいに、オレは人の気配を感じて顔を上げた。あまりに近すぎたから、オレにはそいつの足しか見えねえ。すると奴の方が少ししゃがんで、オレの目の前に何かを差しだした。
「使え」
 見ると、奴の手の中には何やら高そうなライター。やたらごつくてでかい手の中に、それはすっぽりとおさまってる。
「どうも」
 手を伸ばそうとするオレの目の前で、奴の手はライターの火をつけた。あんまり人に火をつけてもらった経験はねえから、オレはなんとなく恐る恐る近づいた。煙を吸い込んでみる。うへ、まじいや。
 一息吐き出してからオレは改めて顔を上げた。奴の顔を見て驚く。こいつは……
(……牧……?)
 海南大付属の牧。何だってこんな所にこいつがいるんだ? まさかオレのことなんて知るはずねえよな。だったら、ほんとに偶然か。オレが驚いて、でもそれを表情にしないでいると、奴は優雅な動作でライターをしまって言った。
「お前、売春ウリか」
 あっけにとられてオレは何も言えなかった。牧がオレのこと知っててからかってる訳ねえ。だとしたら、オレはそう見えるって事か?
「違いそうだな。相手でも探してるのか」
「……だったらなんなんだよ」
「ついてこい。男同士でも入れるホテルを知ってる」
 ……なんかすげえ展開だ。こいつにもオレが誘ってるように見えたのか? さっさと歩き出した奴の後について、オレはいろいろ考えていた。こいつといい流川といい、バスケット界ってのはホモの集まりかよ。仲間を敏感に見つけるその嗅覚、はんぱじゃねえぜ。
 それにしても、流川のつぎは牧か。そのうちオレ、一流バスケプレーヤー制覇しちまうかも知れねえな。花道だって先は判らねえし。……まあ、冗談じゃねえけど。
 牧は慣れた仕草でホテルにチェックインした。こういう所を利用したことのないオレはちょっとためらったが、牧の奴はうまくオレを誘導して部屋までつれてきた。部屋の中はオレが思ってたほど派手じゃなかった。でかいベッドが妙に仰々しい程度だ。
「牧紳一だ。お前は」
「……水戸洋平」
「洋平……か。何か飲むか」
「あんたとおんなじもんでいいっすよ」
 牧は冷蔵庫を探って、烏龍茶を取り出した。消毒済みのコップを返して半分ずつ分ける。なるほど、スポーツマンだから酒は飲まないのか。きっとたばこも吸わねえんだろうな。どういう訳かライターは持ってたけど。
「まあ、座れや」
「ああ」
 オレがソファに腰かけると、牧はオレにコップを手渡して隣に腰かけた。近過ぎず、かといって遠過ぎない絶妙な距離。
「洋平、お前いくつだ」
「何か関係あるんスか。やること同じでしょう」
「あるんだよ。……見たところ中学生じゃねえな。一年か」
 オレが答えねえでいると、牧はおもむろに手を伸ばしてきて、オレの前髪をかき上げた。バッチリ目があっちまった。牧の奴、明らかに思い出そうとしてやがる。だけどまさか、湘北の応援席から見てただけのオレのこと、覚えてるはずは……
「んだよ」
「オレは記憶力には自信があってな。まあ、過去三か月分だけだけどな。お前の顔、こうして髪を上げてる顔には見覚えがある。……桜木 ―― 」
 オレはぎくりとして反応しちまった。花道の名前聞いたくれえで反応しちまうのかよ。仮りにもハッタリとハクの世界で生きてるオレが、なんてざまだ。ったく情けねえ。
「 ―― の関係者か。思い出したぞ。湘北の試合だけ欠かさず応援に来てる四人組の一人だな」
「……どういう記憶力してるんスか」
 何かあっさりとばれちまったな。それにしても信じられねえ記憶力だ。さすが一流選手だけのことはあるか。……よく判んねえけど。
「どうりで。……最初にオレの顔を見たときお前がオレを知ってるような反応をしたんでね。オレもバスケ界じゃ有名だがこの世界でも有名な訳じゃない」
「で? オレがなにもんだか判って、それでどうしようってんです?」
 それには答えず、牧は立ち上がってシャツを脱ぎ始めた。見れば見るほどいい身体してやがる。浅黒い肌に、十字架のペンダントトップ。中央にさりげなく光ってるのは、もしかしたらダイヤかも知れねえ。
「シャワー浴びてくる。脱いで待ってろ」
 バスルームに消えてく牧の後姿を見送って、オレは今日二本目のたばこに火をつけた。
「ふう……」
 何かオレもばかだよな。こんな事してたってどうなる訳でもねえのに。花道じゃねえ奴と何度SEXしたって虚しくなるだけだ。どんどん自分のこと嫌いになって、花道に言えないことが増えて……
 オレのことが好きだって言った花道を裏切って、どんどん自己嫌悪に陥ってく ――
 バスルームからシャワーの音がたえまなく聞こえる。
 その時間を、オレは三本のたばこを吸うことで過ごした。
 やがてシャワールームからでてきた牧は、ガウンを身につけている。オレの様子を見てちょっと口の端を上げた。
「どうした? 出てくるのが早すぎたか?」
 そういえば脱いで待ってろとか言ってたよな。すっかり忘れてた。
「いま脱ぎます」
 そう言ってオレがたばこの火を消して立ち上がると、牧は近づいてきてオレの肩を引き寄せた。強引な感じは微塵もねえ。オレが自然に目を閉じると、牧はオレに近づいて、穏やかに唇を重ねた。
 牧の唇は熱かった。その動きは緩やかで、まるでオレを焦らして楽しんでるみたいに思える。だけどその緩やかさこそが、オレの欲情に火をつけた。焦らされたくなんかねえ。オレは自分から牧の唇を求めた。どうにも出来ねえ欲望に喰い尽くされて、自分を見失うまで。
「……あぁ……」
 オレの唇から吐息が洩れる。オレの求めをただ受け止めるだけの牧は、冷静すぎて憎ったらしいほどだ。何でだよ。てめえがオレを誘ったんじゃねえのかよ。オレのこと欲しくねえのかよ。
 やがて、オレは牧の唇を諦める。目を開いてみると牧は薄笑いを浮かべていた。オレはちょっと腹立たしい気分で言った。
「……どういうつもりだよ」
「洋平 ―― 」
 名前を呼ばれて、オレの心臓はどきんと鳴った。牧の声はオレには甘すぎる。
「 ―― お前、オレが欲しいか」
 こんな科白を言ったのが牧以外の奴なら、オレは意気込んで否定しただろう。オレにだってプライドがある。だけど、牧の前ではオレは既に膝を折っていた。かなり屈辱的なことだったけど、オレは負けを認めずにはいられなかったんだ。
「……ああ、欲しい」
 牧になら負けても仕方がねえと思えた。たったキス一つでオレの欲情を引き出しちまったからじゃねえ。なんて言うか……オレはたぶん、この男を自由に出来ねえ事を肌で感じちまっていたんだ。
「欲しいなら自分でやれ」
 そう言い捨てると、牧はくるりと背中を向けた。そのままベッドに寝転がってオレを待つ。牧がオレに求めるもの。意味するところは完全なる服従だった。いつものオレだったら一言ふざけんなって言って部屋を飛び出しただろう。だけど、オレの身体はそれを許さなかった。どんな屈辱的な扱いも、オレの欲望を覆しはしなかった。
 牧に見守られながら、オレは服を脱いだ。奴の視線にはどんな感情も含まれてねえ。ただにやにやしながら見つめてやがる。判ったよ。てめえがそういう態度ならこっちにも考えがある。思いっきりいい気分にさせて、てめえのドロドロの欲望、引きずり出してやるさ。
 やがて全部の服を脱ぎ去ったオレは、牧の横たわるベッドに上がった。牧を見下ろして、その浅黒い頬に触れる。オレが何をやるか見極めてやろうって面だ。
 しゃくに触ったオレは、奴の面を軽くはたいた。牧は目を細めることすらしねえ。奴の唇に歯を立てるようにキスしてみる。それでも、牧は目を閉じはしなかった。
「キスのときくらいは目え閉じろよ。目ざわりなんだよ」
「ああ、すまんな」
 そう言って牧は素直に目を閉じたから、オレはもう一度牧にキスした。
 牧の唇が、身体の熱をオレに伝えてくる。奴の欲望を掻き立てるほどのテクニックなんて、オレは持ち合わせちゃいねえ。ただ牧の与えてくる僅かな信号に応えるだけだ。オレが舌を伸ばすと、牧がほんの少し絡めてくる。それだけでオレの気分はどんどん高まってきて、オレは吐息を漏らして牧から離れた。
「はあ……」
「どうした? いろいろ考えすぎじゃないのか?」
 唇の端を片方だけ上げて牧が言う。この野郎。ばかにしやがって。
「ガキ扱いすんじゃねえよ」
「餓鬼は誰が見たって餓鬼だ。お前は自分がよくなることだけ考えてろ」
「糞ったれ!」
 ああ、くやしい! 何がって反論できねえ自分が一番くやしい。たしかにオレは餓鬼だよ。だから何だってんだ糞じじいが!
 ほとんど怒りに任せて、オレは牧の着ていたガウンをはだけさせた。そして乳首を噛みつくように舐めてみる。しばらく舐めてると、だんだん固く締まってきた。見ると、牧の奴はにやにやしながら見てやがる。
(こいつ、嘘でもいいから気持ちよさそうな顔くらいしろよ)
 両方を満遍なく立たせたあと、オレは牧の内股に手を伸ばして、それに触れてみる。一瞬足がピクリと反応した。男なら当然の反応だ。それなのに、オレは何だか妙に嬉しくなった。舌を伸ばして舐め始めると、本当にわずかずつだけど、固くなり始めていくのが判る。
 オレは牧の両足を立たせて、その間に割り込んでさらに舐めつづけた。もうほとんど完全に思えるくらい大きくなってる。縦筋に沿って満遍なく舐めたあと、口に含んできゅっと締めてみた。どくんと反応があって、オレは妙な気分になる。
 オレは今こいつをどうにでもできるんだ。もっと気持ちよくさせてやることも、歯を立てて喰いちぎる事も。喰いちぎられたら痛えんだろうな。……想像したら実行してみたくなってきた。歯を立ててちょっと力をいれてみるだけだ。表皮が破れて血が吹き出す。オレの口の中に血の味が広がっていく。オレの口も身体もシーツも、まっ赤な色に染め上げられる。
 牧をやさしく舐めつづけながら、オレは想像して恐ろしくなっていった。このまま考えつづけたらマジで実行しそうだ。頭の中から追い出しながら思う。牧はそういう事考えたことねえんだろうか。街で拾って来た得体の知れねえ男とSEXして舐めさせて、喰いちぎられるかも知れねえとか一瞬でも考えねえんだろうか。恐いとか思ったこと、ねえんだろうか。
 少なくともオレは信頼されてる訳だ。自分の命預けてもいいって思えるくらいは。
 そう思ったら何か牧が愛しくなってきちまった。去勢の恐怖と戦いながらSEXする男って、悲しい生き物だよな。
 オレは遊び心たっぷりに一度軽く歯を立ててみた。牧が顔をしかめて呻くのをちょっと笑ってやったあと、オレは牧の身体にまたがって、自分自身の入口に牧をしっかりとあてた。


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