連載小説「記憶U」



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 あのリストは、葛城達也が危険人物に指定した人間のリストだ。つまり、葛城達也に関わる人間ということになる。その中に、ミオという人間が2人いる。そして、そのうちの1人を、オレは知っている。
 オレが見つけた名前は、その2人のうちのどちらかだ。オレはそのミオを知っているかもしれないし、知らないかもしれない。
 オレはミオの腕を握るのをいつの間にかやめていた。ミオがベッドに腰掛けたから、オレも隣に座る。その方が少しは話しやすいだろう。
「頭文字は? どっちが「K」なの?」
「それはどっちも同じよ。偶然だけど」
「名前も? 同じ名前なのも偶然なのか?」
「確かなことは言えないけど、たぶんそれは偶然ではないと思うわ。死んだミオがもしも違う名前だったら、その2人も違う名前だったかもしれない」
 人の名前を付けることができるのは親だ。オレが知っている葛城達也の子供は、オレを含めて3人。その2人のうちの1人がミオで、もう一人は確か勝美といった。ミオが死んだあと、葛城達也はまた子供を得たかもしれない。その子にミオという名前をつけるというのは、十分ありうる話だった。
 ミオが言った2人の「Mio_K」のうち、1人は葛城ミオなのかもしれない。それは葛城達也の子供で、もしかしたら、目の前にいるミオがその本人なのかもしれない。
 それは、ミオが本名を明かさない限り、判らないことなのだけれど。
 あ、だけど、ミオは言ったじゃないか。自分の父親はまだ30台だ、って。その父親は雇い主に監禁されていて会うことができなくて、オレの記憶が戻ったときに自由にしてもらえるんだ。葛城達也は44歳だ。それに、ミオが語る父親像と、葛城達也とは一致しない。
 やっぱりミオはあのリストにあった「Mio_K」とは、別人なのかもしれない。


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「ミオ、君の本当の名前が知りたい」
 前にも話したこと。1度はミオに拒否されたこと。オレはもう1度言って、ミオを見つめた。
「ミオではダメなの?」
 判っているのだろうに、ミオはごまかそうとしている。オレが知りたいのはミオの本当の名前だ。本当の名前で、彼女を呼びたいのだ。
「今、思い出した。……あたしね、伊佐巳が最初にミオという名前を付けてくれたとき、すごく嬉しかった。ミオは伊佐巳が1番好きな女の子の名前だから。そう、雇い主の人に聞いたから、嬉しかったの。たぶん、伊佐巳にとって、ミオは特別な名前なんだな、って」
 ……ミオは最初から嬉しかったのか? オレが彼女に告白するずっと前から。オレが、目覚めて間もなかった、まだ、彼女がオレのことを好きかどうかも判らなかった、あのときから。
「もしもね、伊佐巳が違う名前を付けてくれるのなら、それでもいいよ。あたしのことを違う名前で呼びたいのなら、今、別の名前を付けて。……あたしの名前は、伊佐巳が付けてくれる名前だから。それがあたしの本名なの。そう思ってるから」
 ミオ、それじゃ判らないよ。まるで君には名前がないみたいじゃないか。オレがつけた名前を本名だと思うなんて、ものすごく不自然なことじゃないのか?
 オレはだんだん、自分の精神とか、自分が見ているものに、自信を失ってきていた。ミオという人間は、本当にここにいるのか? 彼女はオレが見ている幻ではないのか? オレは今、現実にいるのではなく、空想の、夢の中にいて、その中で自ら作り上げた1人の女の子と語り合っているのではないのか?
 確かめたかった……というのともちょっと違う。ミオは、やっぱりかわいい女の子で、オレが好きな女の子で、ちょっと、さっきみたいに狂暴にもなるけれど、基本的には小さくてか弱い女の子だった。オレは理論的な人間だったけれど、行動が理屈で解明できなかったこともこれまでの経験で山ほどあった。オレは、ベッドの隣に腰掛けたミオに近づいて、唇を、触れた。


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 客観的な時間の流れというのはオレには掴めなかった。ミオはオレの隣に座っていて、オレと話すためにこころもち上を向いていたから、オレはベッドに手をついて、直接、唇だけ触れた。ミオが応えてくれるかどうかは半信半疑で、だから逃げることもできるように、身体のどこにも触れずにいた。近づいた瞬間のミオの目はいくぶん見開かれていて、でも、少しもその場から動かずに、触れるに任せていた。
 オレが覚えている限りでは女の子とキスをするのはこれが初めてだった。一瞬、触れて、でもそれからどうすればいいのか、オレには判らなかった。やわらかくて生暖かい不思議な感触があった。人の唇というのはこんなにやわらかいものなのだ。ミオも戸惑っていた。でも、逃げることも、動くこともしないで、硬直したようにそのままだった。
 オレの呼吸は止まっていて、なのに心臓だけが異常な鼓動を響かせていて、頚動脈を通過する血液の流れさえわかるような気がした。客観的な時間にしたらたぶん一瞬だった。だけどその一瞬はオレにとってはものすごく密度の濃い一瞬で、さまざまな感情が通り過ぎてゆく。愛しさとか、恥ずかしさとか、プライドとか、焦りとか。ミオが逃げずにいてくれた嬉しさが一瞬で通り過ぎて、そのあと、初めて感じたさまざまな思いに揺さぶられて、オレの頭は混乱した。
 ほんの一瞬のキス。だけど、唇が離れたあと、オレの中で起こった変化を感じた。たった一瞬だったけれど、オレとミオとは今、少し、変わったのだ。キスする前とはまったく違う2人がそこにはいた。ミオの目を見つめて、オレは同じ変化がミオにも起こったことを感じたのだ。
「ミオ……」
 名前を呼んだとき、ミオはほんの少し、目を細めた。唇は微笑んでいた。本当の名前を呼べないことが悔しかった。


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 いつも、オレはどんな顔をしていたんだろう。ミオとキスする前に自分がどういう表情をしていたのか、思い出せない。
「……あの、さ……。つまり、オレはやっぱりミオがいいんだ」
 ミオは、言っている意味がわからないというような表情をした。オレの方はかなり興奮状態で、自分が何を口にしたのかすら、よく把握していなかった。
「死んだミオのことも覚えてるし、これから何を思い出すか判らないけど、オレが今キスしたいと思ったのはミオで、それはミオがどんな名前でも関係ない。……やっぱりオレ、ミオの本当の名前が知りたい」
 好きだから。
 好きだからミオの名前も知りたいし、ほかのこと、ミオがオレに言えずにいることも全部、知りたいと思う。何も隠して欲しくないし、無理して欲しくもない。判ったから。ミオはちゃんとオレのことを好きでいてくれるってこと。そして、今でもやっぱり無理をしているんだってことも。
 好きな人の前で自分を偽ることが、どれほどミオの心に負担をかけているだろう。
「伊佐巳……」
 ミオは目を伏せて、でも、唇に何ともいえないような、抑えきれない喜びを噛みしめているような表情を浮かべて、オレの腕に自分の腕を絡ませた。オレはなんだか緊張してしまって、腕に余計な力が入っているのが判る。この緊張はそっくりミオにも伝わっているだろう。
「なんかあたし、どうでもよくなってきちゃった。ねえ、これからあたしが言うこと、すぐに忘れてね。……あたしね、伊佐巳の記憶が戻らなくてもいい。このままの伊佐巳で、何も知らないままの伊佐巳と一緒にいたい。この部屋から一緒に逃げちゃいたいよ」
 オレは、今初めて、ミオの本音が聞けた気がした。


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 逃げてしまおうか。ミオと一緒に、この部屋から。そして、この建物から。
 葛城達也が支配する世界なんか、もうごめんだ。
「判った、ミオ。……もう忘れた」
「……ありがとう」
 この部屋のドアを開けるための暗証番号は、今度じっくりミオの手元を観察すればわかるだろう。そのあと、この建物の構造をどれだけミオが知っているか。ミオですら外に出る方法は知らないかもしれない。どうすれば調べられるだろう。アフルに会うことができたら、ある程度探り出すことができるだろうか。
 それより確実なのは、この建物のメインコンピュータに割り込むことだ。この部屋のドアに電子キーが使われているということは、建物全体が同じシステムを採用している確率は高い。あのパソコンから割り込めるだろうか。無理だったとしたら、どうにかしてメインコンピュータにアクセスする方法を考えなければ。
 視線を感じて見ると、ミオが少し不安そうな表情をして、オレを見上げていた。
「どうしたの?」
「……ねえ、伊佐巳。伊佐巳はどこにも行かないわよね。ずっと、あたしのそばにいるわよね」
 どうしてそんなことを思うのだろう。オレがミオのそばから離れるわけがないのに。
「行かないよ。どうしてそんなこと思うんだ?」
「……怖いの。あたしのパパは、あたしを置いていった。……もう、置いていかれるのはいやなの」
 ミオがそう言った瞬間、オレはミオに、誰かの面影を重ねていた。


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  ―― デジャ・ヴュ。
 オレは以前、こんな別れを経験したことがある。
 だけど、それは15歳までのオレの記憶ではなかった。今のオレにはその記憶はない。だとしたら、この記憶は、オレの未来の記憶だ。
 誰だろう。オレは確かに、1人の少女を置き去りにしたことがある。
「大丈夫だよ。ミオのことは絶対においていったりしないから」
 オレにはかつて恋人がいたのかもしれない。だけど、なぜ恋人を置き去りにするんだ、このオレが。今のオレが未来のオレならば、恋人とは絶対に離れたりしないはずだ。
 オレは、変わってしまうのだろうか。記憶を取り戻したら、オレは今のオレとは違う、恋人を平気で置き去りにできる人間になってしまうのだろうか。
 オレが探している未来は、今のオレにとって、どんな意味を持つのだろう。
「……アフルストーンに会いたいのね」
 ミオは、絡めていた腕を解いて、オレの目の前に立ち上がった。
「あたしが何とかするわ。最悪、雇い主の人に隠れてでも、伊佐巳をアフルストーンに会わせてあげる。……もう、伊佐巳に隠し事をするのはいやだもの。伊佐巳がしたいと思うこと、邪魔したくないもの」
 さっきの、永遠の一瞬のようなキスは、確かにミオを変えていた。彼女を好きになったオレは間違っていない。そして、彼女にも間違いではなかったと、感じて欲しい。
 部屋を出て行くミオの後姿を見送りながら、オレはドアを開けるミオの手元を記憶していた。


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 ミオが出かけてしまうと、オレはなんだか無性に心が騒いだ。ミオとキスをしてしまった。たったそれだけのことなのかもしれないけれど、妙に恥ずかしくて、嬉しくて、叫びながら転げまわりたい衝動に駆られた。誰も見ていないのだから実際そうしたところで問題はなかったのだけれど、そういう行動をとることにもかなりの抵抗があって、だけどニタついてしまう表情を抑えることだけはできずに、拳を握り締めながら1人、唇を固く結んでいた。
 1人になってから実感するというのも、ものすごく不思議な気がした。オレには恋人がいるんだ。オレだけの、たった1人の、オレだけの女の子だ。絶対に誰にも渡したくない。彼女の事をたくさん知りたいし、彼女を世界一幸せな女の子にしてあげたい。
 オレは勢いよく飛び上がった。そして、洗面所に駆け込んだ。目の前の鏡を覗く。……これが、今のオレだ。32歳のオレはどう見たってオジサンで、ミオの隣にいても恋人同士には見えないかもしれない。それでもって中身は15歳の子供だ。逆ならよかったな。外見が15歳で、中身が32歳のほうが、少しはミオの恋人としてふさわしく見えたかもしれないのに。
 時間が失われていることを、すごく悔しく思った。
 今までの、自分の記憶がないことに対する苛立ちとは、まったく違うものだった。オレが本来持っているはずの、17年分の経験。その経験がないことが、すごく悔しく思えるのだ。ついていけないコンピュータも、オレには想像がつかない外の状況も、もしも知っていたとしたらオレは今よりずっとミオを幸せにしてあげることができるだろう。どうしたら女の子を喜ばせることができるのか。そういう知識だって持っているかもしれない。失われた17年間の記憶があれば、その中にはミオを幸せにできるたくさんの経験があるかもしれないのだから。
 オレの、オレだけの女の子を、幸せにしてあげたい。彼女の望みをすべてかなえてあげたい。コンピュータの回線は閉じられてしまった。再び開くまでの5時間の間に、オレができることは他にあるだろうか。
 洗面台から部屋に戻って、オレはほとんど初めて、部屋の中の大捜索を開始したのである。


28
 ミオの洋服や下着の入った引き出しを除いて、まずは箪笥の中身をすべて空けた。例の紙束が入っていた引き出しには、大量の紙と鉛筆が1ダースほど入っていた以外は何もない。その他の引き出しに大小のタオルと、ティッシュペーパーの替えが入っている。オレが期待していた鉛筆を削るためのナイフや、ドライバーなど、破壊工作ができそうなものはさすがに置いてはいなかった。
 洗面台下の開き戸にはトイレットペーパー、袋入りの粉石鹸、洗濯物を入れて運ぶためのビニール袋が入っている。この部屋の収納はそのくらいだ。オレはさらに、床に敷いてあった絨毯を剥がしてみたが、多少埃がたまっていただけで、ピンの一本も落ちていなかった。
 ゼムクリップが1本あるだけでもずいぶんいろいろなことができるのだけど。ついでと言うか、ちょっと考えを整理する間、オレはタオルを1枚絞って、部屋の掃除を始めた。あとこの部屋にあるのはパソコンと、目覚し時計だ。どちらも分解すればかなりいろいろなことができるけれど、それをするためのドライバーの代わりになるものがない。やはり、自分ひとりで脱出の手はずを整えるのは難しそうだ。ミオがうまくやって、アフルを味方に引き入れることができると、かなり違うのだけれど。
 考えを整理しながら、オレはずっと掃除をしつづけた。ミオと一緒にここを脱出する、その目標ができたから、オレの精神状態はかなりよくなっていた。少なくともミオの前ではオレはミオの言葉を忘れていなければならないから、こうしてゆっくり考えられる時間はそれほどないだろう。そうだ。ベッドのスプリングは外せるだろうか。そう思ってベッドを動かそうとしたけれど、この巨大なベッドは人間1人の力などではピクリとも動かなかった。
 部屋の内部にあるものはだいたい判った。要するに葛城達也は、オレが脱出に使えそうだと思うものは、この部屋に何1一つ用意してはいないのだ。それはつまり、オレの脱走を予期していたということになり、オレに脱走されては困るということだった。
 ミオはなかなか戻らなかった。オレはその間ずっと、この広い部屋を1人で掃除しつづけていたのである。


29
 オレは時間を忘れていた。だから、ミオが戻ってきた時に反射的に時計を見て驚いた。時刻は既にオレの風呂の時間近くになっていたのだ。丸々4時間くらいは掃除をしていた計算になる。
「伊佐巳は何にでも夢中になると、時間を忘れるみたいね」
 ミオはほんの少し呆れているように見えた。だけど、どうもそれどころではないようで、オレが手を洗って部屋に戻ると、いくぶん表情を引き締めた。
「あたし、これからすぐに雇い主の人に会ってくる。だけど、その前に伊佐巳に話しておかないといけないと思って」
「アフルストーンのこと?」
「うん。さっきアフルに……アフルストーンに会ってきたの。伊佐巳に会ってもらえるかどうか、訊いてきた」
「アフルでかまわないよ。君はずっとそう呼んでいたんだろ?」
 オレはミオの前ではアフルのことをその愛称で呼んだことはなかった。彼女はたぶん、アフルと個人的に知り合っているんだ。どの程度の付き合いかは知らない。少し前のオレならば、アフルこそがミオの恋人なのではないかと疑ったと思うけれど。
 ミオとアフルとは、少しだけれど、どこか共通する雰囲気をもっていたから。
「そうよね、もう伊佐巳に隠しても仕方がないわ。……アフルはね、あたしがここにきてから、ずっと面倒を見てくれたの。あたし、ほとんど毎日アフルにいろいろなことを教えてもらった。それは今はいいのだけど、そのアフルが言ったの。雇い主の彼は、たぶん伊佐巳がアフルに会うことは反対しないだろう、って」
 ミオも、雇い主が葛城達也だとははっきりと言葉にしない。たぶん、直接的な言葉でそうオレに伝えることを、葛城達也に禁じられているのだろう。
 それにしても妙な話だった。葛城達也がオレとアフルを会わせるということは、アフルが持つ情報をオレに流すことを了承しているということだ。もちろんすべて聞くことはできないだろう。それにしても、かなりの情報はオレに流れるはずだ。
「それで、ミオはどうするの? 雇い主に話してみるの?」
「ええ。おもいきってぶつかってみる。……もしも雇い主の人が許してくれなかったとしても、早ければ今夜中に、あたしはアフルをこの部屋に連れてこられると思うわ」
 ミオはそれだけをオレに伝えて、再び部屋を出て行った。
 オレは、事態が変わり始めていることに少しの興奮を感じながら、いつものように風呂に入っていた。


30
 風呂から上がったオレは、髪を乾かすもそっちのけで、パソコンのスイッチを入れた。あれから5時間経った。ということは、葛城達也がセキュリティの設定を変更していない限り、回線は繋がるはずだ。
 起動している合間に寝巻きを着て髪を拭く。オレは自然乾燥で十分なくらい短い髪をしていたから、しっかり拭いておけば部屋を水浸しにするようなことはないだろう。
 ミオはたぶんすぐに帰ってくる。その前に、できる限りの情報を引き出しておきたかった。セキュリティを解除しない限りあの先へは進めないから、そのシステムがある場所を調べる。電子ロック式のキーを無力化する方法と、建物の内部構造も調べておきたいところだ。
 キーボードを叩きながら、回線を接続してまた片っ端から調べてゆく。17年前と同じ場所にあればおそらくそれほど手間取りはしないだろう。そう思って探したが、あいにくとオレが知る階層にはそれらしきファイルはなくて、ディスプレイの表示はむなしくさまようこととなった。
 17年分の進化がオレを阻む。自分が過去の人間であることを、改めて思い知らされた気がした。確かミオは以前、オレがパソコンをやっていたのは15歳までだったと言っていた。オレは、32歳の記憶を持っていたとしても、この進化にはついていけないのだ。
 それでもできうる限り、オレは階層を調べつづけた。そうして、しばらく経った頃、ミオは夕食を持って帰ってきていた。
「ただいま、伊佐巳。夕ごはんにしましょう」
 ミオは穏やかにそう言って、テーブルに食事を並べた。
 食事中は、ミオは何も言わなかった。オレも何も聞かずに、黙々と食べつづけた。食事は焼肉と付け合せのサラダ。味付けも少し濃い目で、死んだミオの薄い味付けとは違っていた。これは誰の味付けなのだろう。この食事で葛城達也が思い出させたいのは、いったい誰なのだろう。
 やがて食事が済むと、今までずっと黙っていたミオは言った。
「伊佐巳、あのね。……あたしの雇い主の人は、アフルのことについては何も言わなかった。会わせていいとも、いけないとも、何とも言わなかったの。だからあたし、アフルにもそう言った。そうしたらアフルは、いつでも呼んで欲しいって、そう言ったの」
 ミオの言葉は歯切れが悪くて、だから葛城達也の様子に不安を覚えたのだろうと、オレは解釈した。奴の沈黙の不気味さは知っている。おそらくミオも葛城達也にその不気味さを感じたのだろう。
「すぐにでも会いたい。……ミオ、呼んでもらえるかな」
 おびえるミオを無視するように、オレは言った。


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