純白の塔


 第2話 異変
 
 

 中央管理局はタシタの中央部にある。僕自身は父さんや母さんにつれられて何度かいったことがあったけれど、渉と二人きりで来るのは初めてだった。渉と僕の記憶は完璧で、道に迷うことなくたどりつくことができた。大きな玄関は、ここが都市の中心部であることを象徴して荘厳で、僕達は怖じけづかずにはいられなかった。建物自体もものすごく大きく、数千人が随時働いているというのも、嘘ではなさそうだった。
 僕達はまず、入ってすぐの受付の隣にある、ご相談窓口というところにいった。そこには二人の職員がいて、すぐに僕達に気がついて声を掛けた。
「こんにちわ。なにかお困りですか?」
職員は男だった。渉が代表して、その職員と対応する。こういう場合、年長者が対応するのが普通だったけれど、僕達は双子なので、特にどちらが上ということはなかった。ただ、もう一つ、起案者が発言するべきだというのもあったので、この場合は渉が話をすることになる。ただ、起案者のはっきりしない問題等については、戸籍上兄である渉が対応に当たることになるだろう。今回の場合は、渉に任せることで間違いない。
「最近の食事の偏りについて説明を受けたいんですが、担当の方とお話しできますか?」
職員の顔色がさっと変わった。
「判りました。確認してみますので、少しお待ち下さいませ」
 職員がカウンターにある電話を使わずに、ドアの向こうにいって電話を取り上げるのが、僕には判った。渉はなにもいわず、職員が電話で話をしているのを、ドア越しに見守っていた。僕は、渉の考え方が朝からかなり変化しているのに気がついていた。朝の渉は、ただ食事にウチが少ないことを怒っていたのに、だんだん、食事全てについての疑問を持つようになって、今など、偏りについての説明を聞きたいということになっている。朝のままの渉なら、ただウチを増やして欲しいという要求のみを通そうとしていただろう。この話し合いで、渉のウチの量は増えないかも知れない。それでも、話しをしたことの価値を見つけることができたのだ。僕は、渉が今朝よりほんの少し大人になったのだと理解した。 やがて、職員が戻ってきて、僕達にいった。
「担当のものが参りますので、少しお待ちになっていて下さい。ここを左にいきますと、ご相談室がありますので、二番の部屋でお待ち下さい」
 僕達はいわれたとおり、ご相談室2と書かれたドアを開けて、中に入った。中はソファのある狭い部屋で、僕達はソファに腰かけて待った。十限程待つと(約十六分)、一人の男が顔をだした。年は父さんと同じくらいだと思った。
「突然に伺いました。部留田渉と、弟の裕です」
「食事と食料の管理をしている、田名井強です。どうかお座り下さい」
挨拶のために立ち上がっていた僕達は、彼の勧めで再びソファに座りなおした。それにしてもすごい。食事と食料の責任者といった。彼はタシタの総責任者だ。タシタには彼以上の人間はいないのだ。一介の学生の僕達は今、最高責任者を相手に対等に話をしている。
「用件は聞きました。食事の偏りについての説明を聞きたいというものでしたね。間違いないですか?」
「はい、間違いないです」
「それでは、今ここでなんのリスクもなくできる話をしましょう。それから先は、かなりのリスクを伴う話になります。それを話す権限は私にはありませんので、別の人間に会って頂くようになります。それでよろしいでしょうか」
「はい、お願いします」
 田名井強は、そこでいったん言葉を切った。僕達が見守る中、彼はいとも簡単にいってのけたのだった。
「今のところ、食事に関してはモノ以外のものは供給できない状態にあります。回復にはあと一年の時間が必要です。それまでは、モノで我慢して頂くよりありません。ほかの食事に関しては、とりあえず現状でストックのあるものを、一年間は等分に供給していきます。この状態が一年以上続くことも考えられますが、その後については三度の食事は全てモノになります。私が言えるのはこれだけです」
 しばらく、僕と渉は何も言うことができなかった。彼はこれだけしか言わなかったのだ。そして、話は重大さを極めた。一年間、僕達はモノ以外のものを食べられないのだ。一年間モノだけを食べつづけたら、僕達はどうなるのだろう。身体や脳に影響がないなんて、考えられない。
「身体への影響について、どのようにお考えですか」
「専門家の話では、肉体的な影響はほとんどないということです。精神面でも、目立った影響は出ません。ただ、この状態が一年以上続いた場合、それについては保証のかぎりではないとのことです」
 僕達はまた黙り込んでしまった。それを見て、彼は言った。
「質問がないようでしたら、今後のことについて話させて頂く事にしましょう。この状態の根本的な原因について、知りたいですか?」
「はい」
「それについて話せるのは、イーグルの塔の人間だけです。イーグルの塔に行くためには、中央管理局での許可が必要で、その許可はおそらく簡単におりることでしょう。しかし、イーグルの塔へ行った人間で、帰ってきた者はいません。もちろん、帰ってきてはいけないという規則はどこにも存在しませんので、法律上は帰ってくることはできます。しかし、事実、何年かに一人の割合で、許可を願い出る人間がいるのですが、その人たちが帰ってきたという事例は一つもありませんでした。ですから、今日のような質問の答えを探し、あくまで見つけようとするならば、あなた方は全てを捨てる覚悟でイーグルの塔へ行かなければなりません。私にも、イーグルの塔がどのようなものなのかは判りません。ですが、あなた方はまだ若い。大切なもの、大切な人、たくさんあるでしょう。将来も長くあります。ですから、私はできれば諦めて頂きたいと思います。いかがでしょうか」
 話が大きすぎて、僕はすぐに答えることができなかった。僕達の質問は、こんなにも重要なことだったのだ。イーグルの塔の秘事ならば、国家最高機密に属する話だ。僕はあやまって、機密に手を出してしまったのだ。僕の背筋は寒くなった。
「判りました。イーグルの塔に行くかどうかは、家族と相談して決める事にします。お忙しいところありがとうございました」
渉は冷静にそう言い捨てると、そのまま一礼してドアに向かった。僕も慌ててあとを追った。
「また相談ごとがあったら来なさい。できるかぎり話を聞くことにしよう」
「ありがとうございます」
渉はもう出ていったあとだったので、僕が答えた。

 この日の僕達の夕食はモノだった。そのことについて、僕も渉も何も言わなかった。食べ物がモノ以外にないということは、僕達にはどうしようもないことだった。渉はあの部屋をでてから、挨拶以外の話を一切しなかった。僕も話をする気にはなれなかったので、渉と同じように黙りこくったままだった。
 食事が終わったとき、父さんが僕達を部屋に呼んだ。僕と渉はつれだって、父さんの部屋へと行った。
「二人とも、そこに座りなさい」
僕達はゆかに直接腰を下ろした。
「実は十五年前、父さんも一度、食事の管理者に会った事がある。だから、お前たちが何を言われたか判っているつもりだ」
 父さんはそう言って言葉を切ったあと、僕達を等分に眺めてから、話を続けた。
「お前たちが生まれて間もないころだ。私たちの食事の割合が、急激にウチに片寄ったことがあったのだ。私は、今のお前たちと同じように、中央管理局に事情を尋ねに行った。そして、一年間のあいだ、私たちの食事はウチが中心になることを知らされたのだった」
僕と渉は興味を持って、父さんの話に耳を傾けていた。十五年前、父さんが経験したことは、今の僕達と全く同じことだったのだから。
「そして、原因について尋ねた私に、職員は言った。イーグルの塔へ行かなければ、その答えを得ることはできない、と。そして、イーグルの塔へ行くことは、今までの全てを捨てることだということを知らされた」
「それで? 父さんはどう答えたの?」
渉が聞いた。僕の知りたいことも、渉と同じだった。
「その時は何も。そして、帰ってきてから、部屋に閉じこもって考えた。本当に大切なこと。母さんがいて、二人の子供がいて、幾人かの友人がいて、自分を支える仕事がある。その全てを自分が捨てられるかどうか。父さんはその時二十二歳だった。父さんは三か月考えた。そして、何が大切か、自分なりに答えを出した。いつもの生活に戻って、食事が元に戻ったのは、きっかり一年の後だった。……お前たちも答えを出してごらん。決して後悔しない道を模索してみなさい。助けが必要なときは、いつでも父さんが手を貸してあげよう……」
 僕達は部屋に戻って、そして、深い沈黙に落ちた。僕は、父さんの言ったことを考えていた。僕が考えていたのは、二つの道のことだった。それは、今目の前に見えている道だ。一つの道は、父さんがしたように、今の生活を続け、食事が回復するのを待つというもの。そしてもう一つは、イーグルの塔へ行って、真実を確かめること。今選べと言われたら、僕は迷わず今の生活を選ぶだろう。それは、僕が今生きているこの社会がとても気に入っていて、ほかのことなどまるで考えられもしなかったからだ。僕には将来設計があって、友人も何人かいた。尊敬する父さんや母さん、居心地のいい兄、僕を受け入れ、必要としている僕の世界。今の僕は、迷うことなんかない。たかが食事のことで、この世界を失うことなんかない。真実に、それほどの意味なんてない。
 そう思いながら、僕はまた考えるのだ、父さんの言葉を。十五年前に同じ体験をした、父さんのことを。十五年前の父さんは、生まれたばかりの僕達と、結婚してまだ間がない母さんとを抱え、今の僕達よりもずっと背負っていたものは大きかっただろう。二人の子は、若い父さんと母さんにとって、とても重いものだったに違いなかった。もしも僕が父さんだったら、迷いはしなかっただろう。三か月も考えはしなかっただろう。
 父さんが僕達に教えたかったこと、というか、僕達が考えなければならないことは、もっと違った意味を持つものなのだと思った。そして、僕には今、僕が一体何を考えなければならないのか、その答えすら判らなかった。父さんは三か月間考えたといった。それは、僕が三か月の時間を考えることに使ってもいいと、そう言っていたのだと思う。僕は十五年前の父さんよりも若かったから、もしかしたらもっと時間がかかるかも知れない。それでも、僕は答えを見つけなければならないのだ。父さんが見つけたと同じ答えか、それとも、僕なりに考え、僕しか辿り着けない答えなのか。
 その日の夜は、僕も渉も良く眠れなかった。ベッドの中で、いつまでもいつまでも、寝返りを打っていた。
 
 

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