続・祈りの巫女
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「あたしの家では両親が畑を作ってて、物心ついた頃には畑が遊び場だったの。畑ってね、植物がにぎやかにおしゃべりしてて、すごく楽しいのよ。お天気の話から始まって、土の中の栄養がどうとか、向こうの方で害虫が出たとか。いま根っ子の近くをミミズが通って気持ち悪かったーなんてことも言うのよ」
カーヤの話を聞きながら、あたしは自分の世界観が変わっていくのを感じていた。あたしは何も知らないんだ。カーヤはあたしとはぜんぜん違う世界を見てるんだ。
「あとで聞いたら、母さまにも植物の声が聞こえるんだって。兄と弟が2人いるんだけど、弟の1人はやっぱり聞こえるみたい。声が聞こえちゃうとね、どうしても言う通りにしてあげたいと思うの。皮の剥き方も、切り方も、煮込む時間も。1番おいしく料理して食べてあげたいんだわ。……ユーナには聞こえないでしょう? だから野菜の言う通りに切ってあげることはどうやったってできないのよ」
あたしは無言で手の中のジャガイモを見つめた。カーヤには今、この子の声が聞こえてるんだ。でもあたしがいくら見つめても、ジャガイモはただのジャガイモで、この子が何を言いたいのかなんて判らなかった。カーヤの料理がいつもおいしいのって、野菜の言う通りに料理してあげてるからだったんだ。
「カーヤ、この子、怖がってるの?」
あたしがジャガイモをカーヤに手渡しながら言うと、カーヤは嬉しそうににっこり笑った。
「怖がってないわ。ただ、ちょっと寂しそうだった。カーヤに切ってもらえたらもっとおいしくなれるのに、って」
「食べられることが怖いんじゃないの?」
「野菜はね、人が種をまいて、周りの草を取って、肥料をあげて、それで大きくなるの。だから食べてもらうことで恩返しをするのよ。あたしはできるだけおいしく料理してあげることで、野菜にありがとうって言うの」
野菜は、人が育てて、食べる。どうして野菜が人に感謝するの? 人が野菜を育てるのは、野菜を食べたいからなのに。
「カーヤ、人は野菜を食べるために育てるのよ。どうして野菜は人を恨まないの? 育ててくれてありがとうって言うの?」
あたしが言ったことに、カーヤは少しだけ悲しそうな笑顔を見せた。
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「それじゃ、ユーナに訊くけど。……ユーナはこれから生きていって、でもいつかは死ぬわね。ユーナは、死ぬために自分を産んで育てるなんてひどい!って両親を恨むの?」
思いがけないことを言われて、あたしは驚いてしまった。
「そんなこと思わないわ! だって、あたしが死ぬのはあたりまえだもん。だから生きてる間にいろんな事をして、楽しいこともいいこともたくさんして、みんなの役に立つんだもん。生まれてこなかったら、そういうことが何もできないんだもん。産んでくれた父さまや母さまを恨むわけないわ」
「野菜だって同じよ、ユーナ。生きている間に楽しいことをたくさん経験して、最後は人に食べられて終わるの。だから人に感謝することはあっても、人を恨んだりはしないわ。……人間は誰でも死ぬけど、できれば好きな人たちに囲まれて、看取られて死にたいわよね。突然の事故や病気で独りで死にたくはないわよね。あたしは野菜の、最後に1番おいしく料理して食べてもらいたい、って願いをかなえてあげたいと思うの。食べられずに捨てられてしまったり、料理に失敗してあまりおいしくなくなってしまうのも野菜の最後の1つの形だけど、おいしく料理して食べてあげられたら、野菜も幸せだと思うのよ」
そうか、野菜も人間と同じなんだ。
生まれてきたことが喜びで、生きていることが楽しくて、あたりまえのように死んでいく。あたしが料理した野菜たちだって、そりゃ少しは「ユーナが料理したんじゃあんまり幸せな死に方じゃなかったな」とは思うかもしれないけど、それでも納得して死んでいく。生きていることが楽しかったから、自分を育ててくれた人に感謝して、最後に恩返しをしてくれるんだ。
あたし、今まで知らなかった。でもカーヤはずっと野菜と話をしていて、子供の頃から野菜の気持ちを知ってたんだ。だからできるだけ野菜をおいしく食べてあげたくて、料理の練習をして、すごく上手になったんだ。
カーヤってすごい。あたし、カーヤのことを尊敬する!
「カーヤ、どうして今まで教えてくれなかったの? カーヤがこんなにすごいって、もっと早く教えてくれればよかったのに」
料理を作る手を動かすのを再開して、カーヤはあたしから視線をそらした。
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包丁を握ったカーヤの手は、ちょっとだけジャガイモの角度を変えたあと、手早く皮を剥いていった。いびつなジャガイモの表面をほとんど同じ厚みでなでていく。残った芽を掘り取って、表面を少し水にさらして、まな板の上で切り分ける。あたしにはごく普通の切り方に見えるけど、きっとこれもジャガイモの言う通りにしてるんだ。
手を動かしながら、カーヤは静かに言った。
「初めてユーナと住み始めた時は、ユーナとあたしとは初対面じゃなかったけど、それほどお互いのことが判ってた訳ではないわ。そういうときにね、いきなりこんな話をしてしまうのって、やっぱり少し抵抗があったの。一緒に住んでいるうちに少しずつ判ってきて、あたしにもユーナがどんな子なのか判って、ユーナなら話しても大丈夫かな、って思った。でも、きっかけがなければなかなか話せることじゃなかったから」
そうか。例えばあたしが今、知らない人にいきなり「自分は野菜の気持ちが判るんだ」って言われても、すぐに信じられるかどうか判らないんだ。逆に、なんかこの人変な人だな、って思うかもしれない。今までずっと一緒にいたカーヤだから、あたしはカーヤの言葉が信じられるんだ。カーヤだって、あたしのことを信じてくれたから、今日話してくれたんだ。
「カーヤ、打ち明けてくれてありがと。あたし、カーヤのことが大好きよ」
あたしがそう言ったとき、カーヤは再びあたしを振り返って、ちょっと困ったような表情で、でも微笑んでいた。
「……リョウがどうしていつもユーナの頭をなでるのか、よく判ったわ」
言われた意味をつかみかねてきょとんとしたあたしを、今度はカーヤはもっとはっきりした表情で笑った。
「本当にユーナは無邪気で、かわいくて、思わず頭をなでないではいられなくなっちゃうのね。ほんと、ユーナは羨ましいくらい無邪気で、悪気がなくて、いい子だわ」
あたしはなんだか照れくさくて、でもカーヤの表情には少しからかうような雰囲気もあったから、ちょっとふくれたような顔つきで答えた。
このときあたしは、カーヤがあたしに隠していることがまだあったなんて、思ってもみなかった。
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カーヤが作ってくれたおいしい朝食を食べたあと、あたしは山を降りて、マイラの家へ向かっていた。途中、草原に咲いていた花の中から、それほど匂いがきつくない花を選んで摘んで、手土産にする。カーヤの話を聞いてから、なんとなく植物に心があるのがあたりまえのような気がしてきて、あたしは花を摘みながら「マイラの赤ちゃんの心を和ませてね」って自然に口にしていた。花は人が育てたわけじゃないから、もしかしたらすごく怒ってたのかもしれないけど、黙って摘むよりはずっといいことだと思ったから。
草原を出ると少しずつ家が増えてきて、遠くにあたしが育った家の屋根も見えてくる。すれ違う人はそれほど多くないけど、みんなあたしに声をかけてくれるから、あたしも笑顔で挨拶を返して、やがてマイラの家への坂道が見えてきた。正面にはシュウの森。その手前にある小さな家が、マイラとベイクと赤ちゃんの家だった。
ノックをして赤ちゃんを驚かせちゃいけないから、あたしは窓から顔をのぞかせて、ちょうど台所に立っていたマイラの背中に声をかけた。
「こんにちわ、マイラ」
振り返ったマイラはあたしの顔を見ると満面の笑顔で答えた。
「あら、ユーナ。いらっしゃい。すぐにドアを開けるわね」
「あ、いいわ。自分で開けて入るから」
あたしはドアの方にまわって、できるだけ音を立てないように部屋に入った。マイラは笑顔だったけど、動きが少しギクシャクしていて、歩くのがちょっとだけつらそうだった。あたしがそう言うと、
「これでもだいぶよくなったのよ。シュウの時よりはちょっと大変だったけど」
って答えてくれた。産む時が大変なのは知ってたけど、赤ちゃんて産んだあとも大変なんだ。あたしは改めてマイラにおめでとうを言って、花瓶の場所を教えてもらって、持ってきた花をテーブルに飾った。
「さあ、ユーナ。こっちにきて」
マイラがベッドルームに案内してくれる。あたしはマイラが指差したベッドに近づいて、そっと、覗き込んだ。
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ベッドには小さな赤ちゃんが健やかに眠っていた。本当に小さくて、赤くて、まるで人間じゃないみたい。すごく小さな手をしっかり握ってて、よく見るとそんなに小さな指なのに、ちゃんと爪があるの。そんなあたりまえのことにびっくりした。小さくても、この子はもう1人の人間なんだ、って。
「わあ、かわいい……」
本当に自然に、あたしの口からその言葉がこぼれ落ちていた。眠っていて、少しも動かないのに、あたしはいつまででも飽きずにずっと見ていられそうな気がした。
「ユーナ、ゆっくり見ていってちょうだいね」
マイラがそう言って動きかけたから、あたしはすぐに立ち上がった。
「あ、いいわマイラ。お茶ならあたしが入れる」
「あらそう? お願いしてもいい?」
「うん、ちょっと待っててね」
あたしは大急ぎで台所へ行って、お湯を沸かして、マイラに指示してもらいながらお茶の用意をした。そしてまたベッドルームに戻ってくる。あたしが目を離している間も、赤ちゃんはずっと眠ったままで、さっきと少しも変わった様子はなかった。
「ありがとうユーナ」
「あたしがいる間は何でも頼んでちょうだいね」
「嬉しいわ。……この子の名前ね、ベイクと相談して昨日やっと決めたところなの」
マイラがお茶をすすって一息つく間、あたしは少しドキドキしながら待っていた。
「最初はね、もう1度シュウの名前をつけて、シュウが生きられなかった分もずっと幸せになってもらいたかった。でも、この子はシュウとはぜんぜん違う人間だから、名前も違う名前を付けよう、って話したの。 ―― ライ、っていうのよ」
マイラが言った名前を、あたしは心の中で繰り返した。
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マイラを幸せにしてくれる赤ちゃん。あたしが神様に祈って、それで生まれた命。この子はシュウよりもずっと幸せになる。その子の名前はライ。
「ライ……。すごくいい名前よ、マイラ」
「ありがとう。実はね、この名前を披露するのはユーナが初めてなのよ」
「そうなの?」
「ええ、今日ユーナが来てくれて嬉しいわ」
マイラは本当に嬉しそうに微笑んでくれた。マイラはもう、ぜったいに悲しい笑顔なんか見せないよね。あたしは、本当にマイラを幸せにすることができたんだ。
「マイラ、少し若返ったみたいよ」
「あら、ほんと?」
「うん、ちょっときれいになったみたい」
「いやだ。ユーナもいつの間にかお世辞が言えるようになったのね」
「お世辞なんかじゃないわ。きっと誰でも思うもの。マイラはライが生まれたらすごくきれいになった、って」
本当にきれいだと思ったの。子供が生まれると、女の人はみんなマイラみたいにきれいになるのかな。あたしも、子供が生まれたら、マイラみたいにきれいな女の人になれるのかな。
そんなことを想像して、あたしはまたリョウのことを思い出して、少し顔を赤くしてしまった。
「この次はユーナの番ね。……ユーナはいつ結婚するのかしら?」
マイラの言葉は、まるであたしの心の中を覗いているみたいだった。
「もうそんな遠い未来じゃないのよね。あと何年かたつと、ユーナも結婚して、やがて子供が生まれる。ユーナがお母さんになるのよね」
あたしは顔を赤くしたまま、しばらく答えることができなかった。
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「ユーナは? まだ恋人はいないの?」
あたし、また少しからかわれてるのかと思った。でも、マイラはぜんぜんそんな風じゃなくて、どうやら本当にあたしの話を聞きたいみたい。あたしもリョウのことを聞いてみたかったから、マイラがそう言ってくれたのはあたしにとっても都合がいいことだったんだけど。
なんだかすごく話しにくいの。12歳の頃だったら、リョウのことも素直に話せていた気がするのに。
「……リョウがね、毎日宿舎に話にきてくれるの。でもぜんぜんリョウの気持ちが判らないの」
マイラは穏やかな表情で微笑んでくれた。
「ユーナはリョウのことが好きなの?」
「……うん、たぶん」
あたしは12歳の頃、同じことをマイラに訊かれたことがある。あの時はすぐに答えられた。リョウのことが大好きだったから。
今だってすごく大好きなのに。それなのに、マイラに訊かれてこんな返事しかできないんだ。
マイラも、あたしの言葉があの頃と違うって、気付いたみたいだった。あたしの顔を覗き込むようにして、慈愛に満ちた表情で微笑んだ。
「ユーナも大人になったんだね。リョウは意志の強い子だから、なかなかユーナに思い切ったことは言えないわ。……ねえ、ユーナ。リョウはまだシュウのことを気にしていそう?」
マイラに言われて、あたしはあの時のことを思い出していた。あたしが祈りの巫女の儀式を受けた日のこと。あの時リョウは、シュウの死が自分にとってもすごくショックだったんだって、そう言ってたんだ。
「リョウはシュウが死んでからすごく変わったの。ねえ、マイラ教えて。リョウはあの時どうしたの? あんなに優しくなる前のリョウって、いったいどんな人だったの?」
マイラは、ちょっと辛そうな表情をして、そっと目を伏せた。
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シュウが死んだ時の思い出は、マイラにとってはすごくつらいことなんだ。あたしはマイラに、その時のことを思い出させようとしている。あたしはマイラに訊くべきじゃなかったのかもしれない。
でも、ほんの少し目を伏せていただけで、マイラはまた顔を上げて微笑んだ。
「子供の頃のリョウはね、こう言ってはなんだけど、あんまり素直な子ではなかったわ。大人が、これはダメだ、って言えば、かえってそればかりをやってしまうような。あたしが子供の頃、やっぱり近所に同じような子がいたの。その子は大人になるとすぐに村を出て行った。だから、リョウもきっと村を出て行くだろうって、あたしはそんな風に思っていたの」
マイラが話す昔のリョウは、今のリョウとはぜんぜん違う人のようで、あたしにはまったく実感が湧かなかった。今のリョウはすごく回りに優しくて、誰にでも好かれて、村のみんなに頼りにされていたから。今のリョウを見ていて、リョウが村を出て行くかもしれないなんてぜったいに思えない。あたしは小さな頃リョウが意地悪だったことを思い出したけど、でもその時はあたしも子供だったから、マイラの話はまるで別の人のことを話しているような気がしていた。
「今のリョウはすごく優しいわ。リョウは、シュウが死んだことで自分が変わったんだ、って、そう言ってたの。人に優しくすることが正しいことだって判ったの」
「ええ、シュウが死んだことがリョウに影響を与えたことは、あたしにも判ってたわ。あの時を境に、リョウは本当に変わったの。まわりに対してすごく優しくなって、素直になってね。ユーナにもとても優しくて、あたしはまるでシュウがリョウに乗り移ったような気がしたものよ。……ねえ、ユーナ。リョウはもしかして、シュウの代わりになろうとしていたんじゃない?」
あたしは、1年余り前のリョウがあの時言った言葉を思い出しながら答えた。
「優しかったシュウを失った、ユーナのシュウになれるかもしれない、って ―― 」
言いながらだんだん、あたしは身体が震えてくるような感じを覚えていた。
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「ねえ、ユーナ。子供の頃のリョウは、生きていることがとても辛そうだったわ。リョウはきっとこの村では少し変わった子だったのね。だからリョウの両親も、リョウのことはあまり判ってあげられなかった。もちろん精一杯愛情を込めてリョウを育てていたわ。でもね、両親の愛情がどんなに深くても、もともと少し変わった性格を持った子供だったから、両親もリョウ自身も空回りしてしまっていたのね。それは仕方のないことなの。だって、子供は親を選ぶことができないし、親だって子供を選ぶことができないんだもの」
子供の頃、あたしに意地悪ばかりしていたリョウ。マイラから見たあの頃のリョウは、生きていることがすごくつらかったんだ。今は? 今もリョウはつらいの? そんなつらさをぜんぜん見せないで、いつも穏やかな優しいリョウでいるの?
「シュウが死んで、リョウはユーナのために優しくなろうと思ったのね。でも、そうしているうちにきっと、その方がずっと生きることが楽になるんだってことに気付いたんだわ。優しい人でいる方が人とうまくやっていけるもの。……あたしはシュウの親だから、リョウがいつまでもシュウを引きずっているのだったら、それはすごく悲しいことだと思うの。今のリョウが本当に優しくなって、自分が優しい人でいることに無理をしていないのなら、それはとてもいいことだわ。リョウにとっても、ユーナにとってもね」
「ねえマイラ、今のリョウは昔とは変わったと思う? シュウの真似をして優しくしてるんじゃなくて、本当に優しくなったんだと思う? 無理をしてないと思う?」
「さあ、それはあたしには判らないわ。子供の頃ならいざ知らず、最近はリョウも忙しいから、めったに顔を合わせることもないからね。ユーナが自分の目で確かめてみるといいわ。たぶん、子供の頃の意志が強いリョウが残っていたら、そう簡単に本心を見せたりしないだろうけどね」
あたしは今日ほんの少しだけ、リョウのことが判った気がしていた。あたしの儀式の時にたった1度、リョウは本当の気持ちを言ってくれた。今のリョウの気持ちは判らない。あたしはやっぱり、リョウにそれを確かめなければいけないんだ。
「マイラ、あたしリョウのことが大好き」
「それは、リョウが優しい人だから?」
あたしは少しだけ、マイラへの答えを考えた。
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もしもリョウが優しくなくなったら、あたしはどうするんだろう。昔の意地悪なだけのリョウに戻ってしまったら。
セーラ、あなたは、どうしてあんなに意地悪なジムを好きでいられたの?
「……判らないわ。あたしは優しいリョウのことを好きになったから、優しくないリョウのことも好きでいられるかどうかなんて、判らない。でも、あたしは知りたいと思うの。リョウが本当はどんな人で、いつもどんなことを考えてるのか。あたしが話すことを喜んでるのか、怒ってるのか。リョウが怒ってたらあたし精一杯謝るもの。それでリョウが許してくれたら、その方がずっと嬉しいと思う。そうだ、あたしがリョウを優しい人にできたら、その方が嬉しいのよ」
その時、マイラは初めて立ち上がって、あたしの頭をなでた。
「ユーナもすっかり女になったわね。……1つだけ忠告。ユーナ、男の人のプライドを傷つけちゃダメよ」
あたしには意味が判らなくて、きょとんとしてマイラを見上げていた。
「今は判らなくてもそのうちに判るわ。リョウも、さっさとプロポーズしてくれればいいのにね。こんないい子をずっと放っておいたら、ぜったい誰かに取られちゃうわ」
あたしはマイラの言葉にちょっと照れてしまっていた。
「リョウはあたしにプロポーズしたいなんて思ってないかもしれないわ」
「万が一そうだとしたらリョウの見る目がなさ過ぎるのよ。自信を持ってねユーナ。あなたはぜったいに幸せになれるわ」
マイラはそう言ってくれたけど、あたしは自分がリョウにふさわしいかもしれないなんて、少しも思えなかった。だって、あたしには何もないんだもん。カーヤみたいに料理が上手なわけじゃないし、マイラみたいにお裁縫が上手なわけでもない。神様に祈りを届けたり、文字が読めたり書けたりしても、結婚して役に立つようなことじゃないから。
あまり赤ちゃんの迷惑になってもいけないから、あたしはもう一度ライの顔を見て、マイラにお礼を言って、マイラの家を辞した。坂を降りて、母さまと弟のオミがいるはずのあたしの実家へと足を伸ばした。
歩きながらも、あたしはマイラが言ったたくさんのことを思い出して、複雑な気持ちになっていた。
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